大森林を去る

 何が起きたのか。

 その場にいた誰もが……チャック自身と、直前でその内心を読み取ったジョイスを除いて、目の前で起きたことに理解が追いつかず、硬直した。


「ぐっ、あっ」


 毒塗りのナイフで脇腹を刺し貫かれたバジャックは、驚愕の表情を浮かべていた。それが苦悶に移り変わり、ついで憤怒に入れ替わった。


「何しやがんだ、おらぁ!」


 反射的に逆手に持った槍でチャックの鳩尾を刺し返した。槍は背中まで突き抜けて、それでチャックは糸が切れたように横倒しになった。避けるつもりも、持ちこたえるつもりもなかったかのようだった。

 早速に毒が回りだしたバジャックも、既に弱り始めていた。その場に膝をつき、荒く息をつき始める。


「なっ、なんで、こんな真似を……!」

「バジャック・ラウト」


 横倒しになったまま、チャックは静かな、しゃがれた声で言った。


「二十一年前の翡翠の月に、オムノドを襲った海賊」


 この一言に、バジャックは雷に打たれたかのように唖然とした。

 俺達も、チャックの動機を半ば理解しつつあった。


「父アマハンを殺した仇」


 仇討ちのために、チャックは一人、大森林にやってきたのだ。一攫千金のためなんかではなかった。そのために彼は、地道に働いて金を貯め、弟に店を持たせて妹を嫁にやった。この世での責任をすべて果たしてから、最後の命懸けの仕事にとりかかったのだ。

 そんな彼に偶然出会い、面倒を見てやったのがゲランダンだった。


「いっ、いつからっ、この前のあれか!」

「最終的には……でも、一年くらい前には、だいたい目星は」

「じゃあ、なんでっ」


 ゲランダンにとって、自分の本名がバジャックであることはトップシークレットだった。だが、ゲランダンなる人物がいつ頃大森林にやってきたかは、古株に話を聞けばわかってしまう。人種的な特徴その他、事前情報と照らし合わせれば、限りなく人物像が似通っていることには気付く。


「一つは、確信がなかったから」


 でも、それでは半分だ。

 バジャックが自分の正体を認めたのは、あの魔物の暴走の後だ。あの場にいたチャックは、ようやく自分の推測が正しかったのだと確かめることができた。だが、それなら、どうしてあのすぐ後にバジャックを殺さなかった? みんな疲れ果てていた。誰にも見咎められずに首を掻き切ることができたはずなのに。


「もう一つ、は……」


 ここで初めて、チャックは表情を見せた。こんなに苦しいことはないと言わんばかりに。


「……恩返しが済んでいなかったから」

「な、に?」

「仇討ちにきたはずだったのに……ボスは……困っていた自分を拾ってくれた。頑張れば報いてくれた。あの、トンバが裏切った夜にも、身を張って庇ってくれた……!」


 父の仇に自分が救われてしまった。その事実を前に、彼はどうしようもなく葛藤した。

 だが、散々悩んだ挙句に、彼は答えを出していたのだ。だとしても、勝手にバジャックを許すことはできない。殺されたのは父であって、自分ではないから。父の恨みを晴らす方法は、本人が死んでしまっているがゆえに、他にはもうない。義理として、筋として、仇討ちをやめるという選択肢はなくなってしまった。

 だから、なんとしても恩義に報いなくてはいけなかった。損得だけでいえば、ここでバジャックを裏切った方がよかったのだ。不老の果実を奪わせず、むしろファルスに協力すれば……仇討ちもできるし、大森林を抜けてからは、いくらでも報酬を受け取ることができた。だが、それを潔しとはしなかった。

 ということは、彼はどう転んでもここで死ぬ気だったのだ。バジャックから果実を奪い返そうと俺達が迫ってきたら、共に戦って死ねばいい。でも、そうはならなかった。だから、自分の手でけじめをつけた。


 ハンファン人はサハリア人と並んで、極めてプライドの高い人々だ。血の繋がりを大切にし、身内は絶対に守るべしと考える。義理は絶対に通さねばならない。

 それでも思ってしまった。彼の父は、息子がこんな死に方をするのを喜ぶだろうか、と。


「そんな……俺は、お前が、最後に残った、俺の新しい仲間だと……」

「すみません、ボス」


 チャックは血の塊を吐いて、大きく震えた。


「ありがとう……ございました」


 それきり、チャックは動かなくなった。


「バカ、起きろ! 何やって……」


 だが、見るからにさっきの一撃は急所を貫いており、出血多量で助かる見込みはなかった。

 バジャックの顔色も悪い。冷や汗をかきながら、彼は横倒しになった。


「クッソ……」


 間もなく彼も息絶えることだろう。


「なんで、いつもこうなんだ……なんで、俺は……」


 咄嗟にチャックを槍で突き刺したことを、彼は悔いるかのように、か細い声で呟き始めた。


 いつの間にか、俺の後ろにイーグーがいた。そのことに気付いて、俺は肘でつついた。


「イーグー」

「へい」

「助けろ」


 彼の治癒魔術の能力があれば、或いは救えるのではないか。

 俺は小声で言ったが、彼は首を横に振った。


「俺が知らないと思っているのか」

「若旦那、そいつは間違いです」


 すると彼は、一歩前に出て、バジャックに話しかけた。


「旦那、もしチャックの兄貴を救えると言ったら、どうしますかね」


 バジャックは目をパッと見開き、首を起こした。


「た、頼む、できるのなら」

「そいつはいけやせん」


 イーグーは重々しく首を振った。


「チャックの兄貴はね、どっちにも義理を通したんです。親父さんにも、旦那にも」

「だから、どうした」

「ここで助けちまったら、チャックの兄貴は裏切り者のまま、生きることになっちまう。責任とって死ぬ気だったんだ。男の覚悟を踏みにじるなんて、あっしにゃあできやせん」


 バジャックは、苦しい息を継ぎながら、呆然としてイーグーの顔を見つめるばかりだった。


「旦那、じゃあ旦那だけは救えるといったら、どうしますかね」

「そ、それは」


 彼は一瞬、逡巡した。それでも、彼らしい不敵な笑みを浮かべて言い放った。


「もちろん、頼む。俺は、人生を、やり直すんだ。せっかく、若返った、のに」

「それもためにはなりやせん」

「なぜだ」


 その返事も彼は予期していたのだろう。ただ、理由には思い至らなかった。


「過ちを飲み込んで生きる。そいつも大変結構で、人間らしい立派な生きざまだとは思いやすぜ。けど……そうでなきゃ助けますがね、旦那は不老の果実を口にした。ここで助かったら、あと何百年かは生きるでしょう」

「あ、ああ」

「耐えられやすかね」


 バジャックは、肩で大きく息をしながら、じっとイーグーの顔を見つめた。


「やり直せなんかしやせん。旦那が何十年生きようが、死んだ仲間は生き返りやせん。チャックの兄貴もそうです。若返って、楽しいのなんてせいぜい十年、長くて二十年、あとは空しいだけ……なんにもなりやせんです」


 バジャックは思い浮かべたのだろう。何度仲間を作っても、生き直しても。自分だけが長生きする。見送るだけの人生を。


「旦那。人生は一度きりだ。旦那はそれを自分なりに生き切ったんだ。そうじゃねぇですかい?」


 もう反論はなかった。彼は力なく、重い頭を枯れ葉の上に落とした。


「……ファルス」


 弱々しい声で、彼は俺を呼んだ。


「頼む」


 死に至る苦悶の中で、彼は言った。


「チャックを、弔ってやってくれ」


 俺は頷き、言葉を返した。


「お前もな」


 その一言に、彼は微笑を浮かべ、そして静かに目を閉じた。


 俺達は、無言で穴を掘った。二人は、土壇場で俺達を裏切った男達だった。それでも、俺はそうするべきだと思った。

 それから二人の遺体を持ち上げた。その時、バジャックの懐から金のキューブが転がり落ちた。それをディエドラが拾った。

 彼女はそれを手に持ち、じっと見つめてから、既に墓穴に納められたバジャックの遺体の脇にしゃがみこみ、彼の手に金のキューブを握らせた。


 そして俺達は、そっと二人の遺体の上に土をかぶせた。


 次にやるべきことは、今後の生存のために必要な作業だった。

 ストゥルンの傷が重くないことを確かめると、タウルを走らせて周辺の地形を確かめさせた。思った通り、ここからそう遠くないところにケカチャワンの下流が南に向かって流れていた。

 それで俺は考えを纏めた。


 俺達は早々にキャンプを張った。緑竜を仕留めておいて、これを放り出す手はない。巨大なビルみたいな肉体全てを運搬するなんてできっこないが、その鱗も骨も、武具や工芸品の素材になるという。肉も、美味ではないが食べられる。俺は魔術で緑竜の周囲の土を取り除くと、剣を振るって鱗や肉を切り分けていった。ありったけの塩を用意させると、俺は緑竜の肉を薄切りにして、枝の上に置いて乾燥させた。表面が乾いたところで、燻し始めた。この作業だけで、この日は終わってしまった。

 翌朝、タウルと回復したストゥルンを走らせて、食べられる山菜や果物を集めさせた。一方、俺は川沿いまで出かけていって、木々を片っ端から切り倒した。川を下る筏にするためにだ。加工はフィラック達に任せた。

 川までは一キロ近くあったので、俺やペルジャラナン、それにディエドラが手分けをして、緑竜の鱗や大きな骨を運搬した。


 この川を下ると……いずれ、人里に出る。

 その時点では、もう川の名前は変わっている。ポロルカ王国やトゥワタリ王国では、ナディー川と呼ばれている。大森林の中を流れる大河と同じものだということは、とっくに忘れ去られてしまったらしい。


 すべての作業を終えて、あとは準備万端、テントを引き払って立ち去るだけ、というときになって、ノーラに声をかけられた。


「変なものを見つけたって、なんだ」

「石碑」


 それは例の神木の根元から、少し離れた場所にあった。神木のすぐ足下は根がのたくっていて、ほとんど土がないから、すぐ下には設置できなかったのだろう。

 今や下生えに隠されてしまっているが、そこにはノーラの言う通り、黒ずんだ石碑があった。フォレス語とシュライ語で、こう刻まれていた。


『女神暦九六〇年 黄玉の月九日 フシャーナ・ザールチェク 不老の果実の地に至る』


 この記述を目にして、俺は棒立ちになった。


「三十七年前? ここまでやってきた? 人間が?」


 ノーラは頷いた。


「私も信じられなかったけど」


 俺のピアシング・ハンドの力があって、その他多くの幸運があって、やっとここまでの旅路を歩き通すことができたのに。ただの人間がここまで辿り着くなんて、できるものだろうか?


「不老の果実ってことは、この人もあれを手に入れたのか」

「そうかもしれないわね」

「果実がなかったら、それとはわからないだろうし」


 一つ、可能性があるとすれば、トゥワタリ王国側からこちらに向かったということが考えられる。だが、大した勘の良さというか、よく見つけられたものだ。俺みたいにナシュガズの地図があったのでもないのに。しかも緑竜が出没するこの危険地帯を、どうすり抜けたのか。


 それにしても、どこかで聞いたような名前だった気がするのだが……

 思い出せない。


「まぁ、いいか。今、大事なことじゃない」

「うん」


 それきり神木の傍から離れて、川べりに向かった。

 荷物をすべて筏に積み込むと、俺達は川下りを始めた。


 俺達が人間の世界に辿り着いたのは、それからおよそ一週間後、紅玉の月に差しかかった頃だった。

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