「命」を巡る戦いの果てに
遠くから聞こえた絶叫に、俺達は動きを止めた。
「……戻ってきたのか?」
ストゥルンが呟いた。
そういう認識になる、か。俺が一匹いると伝えた後だから。
「どうする?」
俺は、彼が木登りを得意としていることを思い出していた。
「わかった。じゃあ、みんなで竜を食い止める。ストゥルン、木に登ってあれを取ってくれ。クー、ラピ、彼の近くに。安全第一だ。あとはなんとか竜をここから引き離す」
即座に俺は指示をとばすと、真っ先に飛び出していった。
「みんな、緑竜に本気で攻撃するな! 傷がついたら狂ったように暴れ出すぞ!」
これには困惑するしかないだろう。俺も困っている。ではどうやってこいつを止めればいいのか。そもそも傷つけるのさえ難しい相手なのに。
それでも、みんな俺の指示通りに動こうとした。タウルは石を拾い、突進してくる緑竜に向けて投げつけた。それは見事、頭に命中したが、まったく振り返る様子はなかった。フィラックは剣を突きつけて雄叫びをあげたが、やっぱり完全に無視された。ノーラは何か呪文を詠唱したが、効き目がなかったらしい。こちらを発見してからでは、もう精神操作魔術など通用しないようだった。
「まずい! 一直線にそっちに向かってる!」
神木のある方へと、緑竜は突っ込んでくる。途中にある木々を避けたりはしない。真正面から激突しそれらを次々へし折りながら直進する。土砂が舞い、砕けた木片が宙に舞う。
これはどうしようもない。ブルドーザーだってこんなにパワフルではない。超巨大な戦車が突っ込んでくるようなものだ。何をしても振り返らせることができない。
「止まれ! こっちを向け!」
シャルトゥノーマが矢を放つが、鎧同然の鱗を突き抜けることはない。
「ギィ!」
ペルジャラナンも咄嗟に火の玉をぶつけた。だが、その一撃はほとんど炸裂せず、体に届いたところで半ば掻き消された。
仕方ない。
この中で逃げ切れる可能性があるのは、俺だけ。
俺が横に体を逃がして神木までの道を開けると、緑竜は頓着せずに俺の脇を駆け抜けていこうとした。その左足を、すれ違いざまに斬りつける。今度は鱗を切り裂いて、その奥にある肉まで断ち切った。突然のことに、上半身を起こして二足で走っていた緑竜は、バランスを崩して転倒した。
その衝撃で、飛び退いた俺も着地にしくじって尻餅をついた。だが、ここでグズグズしてなどいられない。傷つけてしまった以上、トドメを刺さなければ、今度は怒り狂って暴れ出す。急いで起き上がり、剣を振りかぶった。
その瞬間、体が浮くのを感じた。自分を傷つけた敵を振り払うべく、緑竜が乱暴に体を震わせた。それだけで、俺は簡単に宙に浮いてしまったのだ。無理もない。相手の大きさはビルと同じ。俺はただの人間だ。
まずい、と思ったが、手足が地面につかないところでは、動くのも難しい。
その瞬間、背後から白い影がやってきて、俺の首根っこを掴んで跳んだ。その背後を、緑竜の巨大な尾が叩きつけるのがうっすら見えた。
「ディエドラ!」
状況を見て、彼女は白虎の姿をとっていた。
俺が気付いたと理解すると、彼女は一瞬立ち止まり、俺を空中に抛った。落ちた先は彼女の背中だった。俺が掴まったのを確かめると、彼女は猛然と走り出した。
実際、そうする必要があった。良くも悪くも、緑竜は俺を標的と定めたらしい。神木の近くに集まった人間どものことを忘れて、こちらを追ってくる。
対応を考える余裕などなかった。
こちらは木々の合間を縫って走るしかないのに、あちらはお構いなしだ。すぐ後ろで生木が爆ぜる音が聞こえる。振り返ると、激昂した緑竜が四つ足になって、その固い頭を低くして、突進してくるのが見えた。
「避けろ!」
俺が叫ぶと、ディエドラは急に左に跳んだ。その直後、すぐ後ろを暴風が突き抜けていく。何本もの大木が、まるでマッチ棒のように簡単にへし折れて、枝葉や木々の破片を降らせてくる。
せっかく斬りつけた足は、どうやらもう回復しているらしい。とんでもないタフネスだ。こういうのを始末するには、急所を突き抜くしかない。だが、それだけの隙が作れない。
「走れ!」
乗せてもらっている身で図々しいが、今はそう叫ぶしかない。
だが、命懸けの状況で全力で走り続けるのは、思った以上に消耗するものだ。ディエドラの反応は鈍かった。
このままでは……
俺達が走り出した方へと、緑竜は向き直った。そしてもう一度、空気を震わせる咆哮を浴びせると、今度こそ逃がすまいと、全速力の突進を仕掛けてきた。
その時、不意に視界がずれた。
急に真下にスライドしたかのように、緑竜が地面に埋まったのだ。その重量ゆえに、脆くなった地面を踏み抜いたのか?
考えている暇はなかった。俺はディエドラの背中から飛び降りると、首から上を地面から生やしてもがく緑竜の背後に回り込み、一気に首筋にとりついた。そこに剣を思いっきり深く突き刺す。
一際大きな絶叫をあげると、緑竜は俺を振り払おうと短い首を必死になって動かした。だが、この機を逃しては、死ぬのはこちらだ。剣で傷口を乱暴に押し広げ、俺は腕をその奥へと突っ込んだ。あるところで神経に達したらしい。ビクッと大きく震えると、もう緑竜は動かなくなり、ぐったりとして突っ伏した。
ピアシング・ハンドの表示では、まだ生きている。再生するかもしれないので、俺はそのまま剣でその一抱えもある首の周囲を切り裂いた、途端に赤い血液がドバッと降りかかる。構っていられなかった。トドメとばかりに首を半ば両断したところで、やっと表示が消えた。
緑竜の背中側から地面に降り立って、よろめきながら膝をつく。
今回は危なかった。成算もないのに戦いを挑んでしまった。もともとが想定外の事態から起きたことなのに、俺の対応はよくなかった。神木を諦めて立ち去れば、襲われずに済んだかもしれなかったのに。
「若旦那! ご無事でしたかい!?」
遅れて駆けつけてきました、という顔をして、イーグーが走り寄ってくる。
無事も何も、緑竜に落とし穴を仕掛けたのはお前だろうに。奴にはほとんどの魔法が通用しない。火の玉をぶつけようが、『即死』の鏃を投げつけようが、無駄だった。それがわかっていたイーグーは、タイミングを見計らって地面に魔法を行使した。
傍目には、大森林にありがちな……倒伏した木々の上に土がかぶさって地中に空間ができた……天然の落とし穴に運良く落ちてくれたように見えるのだろう。
だが、どうして緑竜が神木を守っていたのだろう? いや、守っていたのは、もしかしてあの果実か? そうだ、緑竜の材料は「死んだ龍神」だった。もしかすると、この特別な食料なしには、命を長らえることができないのかもしれない。とするなら、この狭い森の一角に留まり続けた理由も説明がつく。
ということは、やはりあの青く輝く果実には、特別な力がある。あれこそが、俺の追い求めた不老の果実に違いない。
やっと本物を見つけたのだ。
「ファルス! 大変だ!」
だが、感慨に耽る余裕はなかった。
追いかけてきたタウルが血相を変えている。
「早く来い! 果実が!」
まさか? まだ何かいるのか?
俺は立ち上がり、坂を駆け上がって神木の方へと走っていく。
戻ってみると、ストゥルンが神木の根元に倒れ込んでいた。意識がない。そして、見上げるともう、あの青く輝く果実はなくなっていた。
「お、おい! どうした! 何があった!」
「あ、あの!」
横合いからクーが声をかけてきた。
「あの、バジャックが」
「なに?」
まさか、ストゥルンから強奪したのか?
「木に登るのを止めて、後ろから殴って。チャックが肩を貸して上に立たせて、槍であれを叩き落としたんです」
そういうことか。
「どっちへ行った?」
「あっちです」
俺達はものも言わずにそちらに向かって走った。
ジョイスが周囲を見回しながら俺についてくる。透視能力がある彼の目を欺くことはできない。
「ファルス、そこに隠れてるぞ!」
数メートル離れた茂みの一角を指差し、ジョイスは立ち止まった。
「出てこい、バジャック」
後ろから、タウルもフィラックも追いついてくる。
「出てこないなら……ペルジャラナン、全部焼き払ってしまえ」
「ギィ」
脅しでしかないのはペルジャラナンもわかっている。彼が指を向けると、茂みの奥に動きがあった。
もう逃げきれないと悟って、バジャックとチャックが姿を現したのだ。
「悪かったな」
不敵な笑みを浮かべつつ、彼はそう言った。左手にはまだ、あの青白い果実がある。
彼は右手で槍を向け、身構えていた。チャックも、いつものあの毒のナイフを構えたまま、動かない。
「それを返せ」
「見逃してくれ」
「何を言ってるんだ。俺達はそれを見つけるために、ここまで旅をしてきたんだぞ。くれてやれるわけがない」
だが、彼は首を振った。
「返したら殺すんだろう」
「殺さない。むしろ買い取ってやる」
「信じられるもんか」
「約束は守る。それはどうしても必要なんだ」
これで不死に至れるのなら。
そうなることに果たしてどれほどの値打ちがあるかはともかく。どんな手を用いてでも、あとは永久に俺を封印すれば、目標自体は達成できる。もう大量殺人を犯すこともなくなるし、もう一度生まれたりもしない。自分勝手だと言われても構わない。俺はもう、二度と悲しまない。
「いくら出せばいい? ここにいるみんなが証人だ」
「無理だ。無理なんだよ、こいつは」
俺が彼の裏切りに寛容な態度を取ろうとも、彼は拒絶の姿勢を変えなかった。
「いくらでも出せる。来年のキトの税収を全部くれてやることも」
「金貨何十万枚もらってもしょうがねぇ」
果実を握りしめ、彼は小刻みに震えながら言った。
「やっと、やっと人生をやり直せるんだ。考えてもみろ。俺が今まで四十何年生きて、何やってきた? ガキの頃はゴミ拾いの便所掃除、大人になったばかりで傭兵、それから海賊だ。大事な仲間だっていたさ。けど、そいつらもみんな死んじまった。気が付いたらな、人生の半分、このクソ溜めみてぇな大森林に篭ってやり過ごしてきたんだ」
バジャックは祈るように、空の彼方を見上げた。
「俺はいつしか、与太話に夢を見るようにさえなった。大森林のどこかにある不老の果実。そんなものがもしあれば、俺は人生をやり直せる。ああ、そうさ。赤の血盟が追いかけてるバジャック・ラウトはもう中年男だ。それが若返ってみろ。誰にも見つけられやしねぇ。だから俺は」
そのために、大森林の深部に挑み続けてきたのか。
不意に俺を指差し、彼は怒りをぶちまけた。
「てめぇはいいだろ。まだ十二だったか? それでそんだけ恵まれてんだ。次だってある。この不老の果実がいつ、どれだけ実るかなんてわかりゃしねぇけどよ、ジジィになる前にもう一度取りにくりゃあいい。でも、俺は違う、もう俺は……次なんかねぇんだ! 譲ってやれねぇんだよ!」
「あっ!」
不意に彼は果実を口に放り込み、無理やり飲み込んだ。
「貴様!」
フィラックが怒りとともに前に一歩踏み出した。
「はっ、はははは!」
だが、その足が止まる。それも無理はなかった。
それは異様としか言いようがなかった。逞しいとはいえ、バジャックの顔には隠しようもない加齢の形跡が残されていた。深い皺、汚れた肌、くたびれた髪……なのに、どうだ。生えた髭はそのままだが、あとは見る見るうちに若返っていく。
「う、嘘だろ……」
ジョイスも目を瞠っていた。
本物の奇跡を目にしたのだ。俺も含め、怒りより先に驚きがきた。
「やった! やったぞ! 俺は、俺は本当に若返った! 人生をやり直せるんだ! わっはははは!」
ここで俺達に殺されるとは思わなかったのか。いや、だとしても、生き残る可能性に賭けるしかなかった。
四十六まで生きてしまったのだ。残りの人生がどれほどあるものか。前世基準でいえばまだ若いが、こちらではもう初老、いつ死んでも不思議はない。妥協などできなかったのだろう。
やっと我に返ったフィラックが言った。
「ファルス、こんな奴、生かしておくことはない。やってしまおう」
「待て」
だが、俺はもう、殺意をなくしていた。
------------------------------------------------------
バジャック・ラウト (46)
・マテリアル プルシャ・フォーム
(ランク6、男性、46歳)
・スキル フォレス語 4レベル
・スキル サハリア語 4レベル
・スキル シュライ語 5レベル
・スキル ハンファン語 4レベル
・スキル 指揮 5レベル
・スキル 操船 5レベル
・スキル 槍術 6レベル
・スキル 盾術 5レベル
・スキル 弓術 5レベル
・スキル 投擲術 6レベル
・スキル 格闘術 6レベル
・スキル 隠密 5レベル
・スキル 水泳 5レベル
・スキル 医術 4レベル
空き(32)
------------------------------------------------------
バジャックは、不老不死を得たのではなかった。
その肉体は、確かにもう、老いることはない。だが、魂の加齢はまったく止まっていない。この先、何百年か、ひょっとすると千年先まで生きられるかもわからないが、いつかは肉体から魂が去っていく。
それは俺が探し求めたものではなかった。なるほど、それでも長命をもたらすこの果実が至宝であったことは間違いない。国一つの財宝をもってしても贖えないほどの価値があったのは確かだが。
俺にとっては無駄足だったのだ。
なら、せっかく彼がそれを手にしたのだから、もう見逃してやろうと……俺はそう思った。
「許す」
「なに」
「殺したところで、もう元通りにはならない。それにその果実は」
溜息をついた。
語ることに意味があるのだろうか。いや、むしろどうしてそんな秘密を知り得たのか、逆に問われることになる。俺は続きを言わずに口を噤んだ。
「ボス、よかったですね」
後ろにいたチャックが、なぜか少し悲しげな顔で言った。
「あ、ああ、お前のおかげだ。これで俺は願いを叶えたんだ」
「ご恩返しにはなりましたか」
「もちろんだ!」
するとチャックは、泣き笑いのような表情を浮かべた。
ジョイスが俺の肩を押して前に出る。
「待て、お前!」
だが、間に合わなかった。
「よかったです」
そして、手にしたナイフがバジャックの脇腹に突き刺さった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます