青白く輝く果実
「右の通路、地図の通りね」
「待った。渡っていいか、確認する」
ナシュガズを発ってから、十日が過ぎた。
俺達はまた、緑のドームの下を歩いている。こちらは北側と違って完全に無人の領域だった。魔物の襲撃を受けたために、かつての住民は絶滅したのだろう。
なお、ナシュガズの北側には地下通路があった。都の北には更なる高山があったために、ショートカットするルートがなければ、物資の搬入もできなかったのだろう。
但し、これは崩落していた。恐らくだが、これはわざと破壊されたのではなかろうか。他の場所にはその手の形跡が見られなかったのに、ここだけ崩れているのは不自然だから。なんらかの魔法の装置が魔物除けの機能を有していても、その通路だけは守備範囲ではなかったのかもしれない。当時の人々は、都を魔物に渡さないために連絡通路を埋め立ててから、箱舟で外に逃れたのだ。
俺達は南側から下山したが、こちらには北側にあったあの高山がないため、そのまま進むと自然と森林に覆われた領域に切り替わり、今に至っている。
「通れそうだ」
土魔術で『土中視覚』を用いて、かつての陸橋の強度を確認した。俺達が歩いて渡っても、急に崩れたりはしない。
「道を間違えていなければ」
百メートルほどの空中の道を歩いた後、俺達は黒土の丘の上に立っていた。そこから見える景色は、いつもと少し違っていた。
丘の下、黒々とした木々の向こうに、灰色の何かが垣間見える。それは人造の石の壁だった。
「ジャヌビィの壁、か」
シャルトゥノーマがポツリと言った。北側の関門城……トーシクの壁に相当する、南側の境界線だ。だが、こちらは見る影もなく破壊されてしまっている。
ここから南西方向に進むと、女神の授けた神木があるという。
ルークの世界誌の記述を思い起こす。ここまで踏破した経験からの推測だが、彼が通ったルートはもっと西寄りだったのではないか。つまり、ルルスの渡しからそのまま陸沿いに南下し、どこかでケカチャワンの支流に沿ってぐるりと南西方向に向かった。川沿いに移動したのであれば、ルーの種族に遭遇せず、沼地渡りもせず、グリフォンに襲われもしなければ、山越えもせず、ジャヌビィの壁を目撃しなかったことの説明もつく。かつては壁があったのだろうが、恐らくは濁流に周囲の城壁の址も流されてしまい、彼が通った時点では何も残っていなかったのだ。
要するに、俺達はここから南東に向かうが、彼は川沿いに移動して、そこから南西に向かった。
「ここからは危険地帯ってことか」
フィラックが緊張した面持ちでそう呟く。
「とっくにそうなってる。ここ二、三日、まったく魔物に出会ってない。つまり、そういうこと」
タウルが引き取る。
この門の南にいるのは、南方大陸最強の魔物とされている緑竜だ。彼らの生息域近くでは、誰も生きられない。だから近くに他の魔物もいないし、かつての住民もナシュガズの南側には居着けなかった。多分、避難するにしても南には進めなかったのだろう。
「神木を確認したら、あとはさっさとこの辺を立ち去って、南に抜ける。そうしたら、人間の世界だ。あと少しだ」
いよいよこの探索の目的だった不老の果実が目前に迫っている。
だが、不思議と俺の心には満足感とか、期待ゆえの高揚感とか、そういうものが湧き上がってこなかった。多分、あの夜に……殺しあう大森林の冒険者達の姿を見て……自分の中の嘘に気付いてしまったから。不死を得たところで、さしたる意味などないのではないか。少なくとも、俺自身を封印することが世界の利益になるとか、そんなのは小さなこと。どうせ俺がいようがいまいが、使徒みたいな危険な存在はいるのだし、また彼がいようがいまいが、地上では今日も醜悪な人間同士が殺しあうだけ。
俺はずっと無駄な努力をしてきたのだろうか。そんな失望感が内心を埋め尽くしている。だが、今になってそんなことを言いだすなんてできないし、遅すぎる。できるのは、全力を尽くして目的を遂げ、かつ一人でも多くの仲間を生かして大森林の外に出すことだ。
「待ち遠しいな」
バジャックが楽しげに笑う。
懐からサイコロサイズの金のキューブを取り出して、弄ぶ。
「赤の血盟に追われずに、故郷に帰れるってんだからな」
「僕がティズに一筆書き送れば、まず問題は起きない」
「そいつは嬉しいね。あとはこの金塊を売り捌けば、俺も悠々自適ってわけだ」
彼は傍らのチャックの肩を叩いた。
「なんだかんだ、大森林じゃあろくな手下に恵まれなかったが、チャック、お前は俺についてきてくれたからな。ここから出ても、しっかり報いてやるぞ」
「いや、ボス。まだ、恩返しは済んでないんで」
けれども、そう返事をする彼の表情には、どこか憂鬱そうなものがあった。
「気ィ抜くんじゃねぇぞ」
ジョイスが言った。
「まだ大森林の中なんだ。安全な場所に出たわけじゃねぇ」
俺も頷いた。
「だな。緑竜が出るかもしれない。前にも言ったけど、偵察はやらせてほしい」
「反対はしないが」
フィラックが難色を示す。
「そういう仕事には、俺達を使ったらどうだ」
「そうしたいけど、悪いけど無駄死にさせるだけなら意味がない。それに、そうして死なれることで緑竜に気付かれるとしたら、損しかない」
「まぁ、そうなんだけどな」
一応、俺も考えなしにそう主張しているのでもない。
緑竜は珍しい魔物だ。大森林南部の一定の領域から出てくることがほとんどない。だから目撃自体が稀なのだが、それでもわかっていることがある。
なんといってもその巨体。そして、圧倒的なパワー。大木でも家屋でも容赦なく押し潰すらしい。人間側が弓やら槍やらで立ち向かっても、ほとんど歯が立たない。討伐されたという記録もほとんどない。だが、そんなに強い魔物なら、どうしてもっと生息域を広げないのだろう?
推測でしかないが、寿命がやたらと長い一方で、生殖能力は低いのではなかろうか。また、仮に断食などの神通力を有しているにせよ、それだけの肉体を維持するにはそれなりの餌が必要で、それはつまり、一匹あたりの縄張りが広大であることが想定できる。
要するに、一匹見つけたところで、俺がピアシング・ハンドで消してしまえば、かなりのところ安全になるだろうという見通しだ。だから一人で偵察する意味がある。
ジャヌビィの壁のすぐ近くまで降りたところで、俺は改めて言った。
「じゃあ、ここで少し待っていて欲しい。安全を確かめてくる」
門の下の長いトンネルを抜けて、俺は一人走った。
壁の南側も森が続いていたが、そこにあるのはなだらかな起伏でしかなかった。そもそもナシュガズが高地にあって、この南には湾曲した大河の下流が広がっている。徐々に高度が下がっているはずで、要はかつての黒土がこちら側に流されているのだろう。だから比較的、緑に恵まれているのだ。
しかし、そうしてみると、緑竜の生存を支えられるだけの豊かさはどこにあるのだろう? 断食の神通力でもなければ、こんな普通の森の中では、飢えてしまう気がする。見た限り、天を衝く大木なんてものはなく、大人の男でも抱き着ける程度の太さの木しかない。
もう一つ、思い至ったことがある。竜人族は、滅んだトゥー・ボーの亡骸を利用して、ケッセンドゥリアンを犠牲に捧げて成立した種族だ。だが、トゥー・ボーのすべてをそれで消費しつくしたのでもないのではないか。
早い話が、ムーアンの黒竜だ。あれほどの強靭さ、高い能力を宿す種族を創造するには、それなりの素材が必要だったのではないか? アブ・クラン語なる共通語を理解する黒竜は知能も高かった。そして、その言語の話し手は、明らかにモーン・ナーの眷属だった。
なら、緑竜もまた、似たようなプロセスから生まれた可能性がある。つまり、イーヴォ・ルーが、竜人族を生み出すのに使った残りを割り当てたのだとすれば……
「おっ?」
しばらく進んだ先に、小高い丘が見つかった。その頂点に、一本だけ不自然に丈の高い大樹がまっすぐ聳えている。それの何が気になるかといえば、暗いはずの森の低い位置から、青白い光が漏れてきていることだ。
ここからだと、結構な距離があるが、あれはなんだろう? もしかして、あれが不老の果実なのか?
残念ながら、ルークは不老の果実を目撃していない。この近くまでは来たものの、元王子の死によって泣く泣く撤退したのだ。だから、どれがそれにあたるのか、本当に不死をもたらす効果があるのかどうかは、俺が自分で確かめるしかない。
どうしようか?
このまま前進して、不老の果実の存在を確認するか、それともいったん引き返すか……
そう考えた時、地響きが聞こえてきた。
ついで空気を引き裂く咆哮も。
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<ドラゴン> (31)
・マテリアル ドラゴン・フォーム
(ランク7、男性、318歳)
・マテリアル 神通力・念話
(ランク3)
・マテリアル 神通力・暗視
(ランク3)
・マテリアル 神通力・探知
(ランク6)
・マテリアル 神通力・断食
(ランク5)
・アビリティ 剛力無双
・アビリティ 超回復
・アビリティ 痛覚無効
・アビリティ 悪食
・アビリティ 狂化
・アビリティ ビーティングロア
・アビリティ 火の魔力耐性
(ランク7)
・アビリティ 水の魔力耐性
(ランク7)
・アビリティ 風の魔力耐性
(ランク7)
・アビリティ 土の魔力耐性
(ランク7)
・アビリティ 身体操作の魔力耐性
(ランク7)
・アビリティ 病毒耐性
(ランク7)
・スキル 爪牙戦闘 7レベル
空き(14)
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俺のいる場所から数百メートルは離れているが、その姿ははっきり視認できた。それもそのはず、これまで見てきたどの魔物よりも巨大だから。
全体として、ずんぐりした体つきだった。丸っこいボディに短く太い首、そしてこれまた丸い兜みたいな甲殻に守られた頭部。翼は申し訳程度についているが、あれで空を飛ぶなんて不可能だろう。全身が黄緑色で、分厚い鱗に包まれている。
決して首が高い位置にあるのでもないのに、五階建てのビルより体高がある。そんな怪物が、樹冠の上から顔を出し、唸り声をあげている。
暴走を引き起こしたあの怪物にそっくりの能力を持っている。ただ、これは厄介だ。腐蝕魔術で倒そうにも、『変性毒』はあまり効き目がなさそうだ。火の玉をぶつけても無駄。例によって竜の肉体を備えているので、そもそも魔法全般が利きにくいだろうし。といって、弓矢で仕留めようにも、頑丈すぎる。接近戦で仕留めるしかないが、それこそこいつの得意とする分野だ。
だが、俺には関係ない。
巨体は一瞬のうちに掻き消えた。俺はそこに駆けつけ、収穫を手にする。
あとは引き返して、仲間を連れてくるだけだ。神木の位置も、多分あそこだろう。
二ヶ月以上に渡る探索の日々も、もう少しで終わる。
俺は安堵の息を漏らしつつ、踵を返した。
「待たせた」
ジャヌビィの壁の下にいた仲間のところに駆けつけると、俺は報告した。
「緑竜は一匹いた。でも、立ち去るところを見た」
「立ち去った、か」
ストゥルンは難しい顔をした。まだ近くにいるんじゃないかと考えているのだろう。それは当然な判断だが。
「今のうちに、急いで神木らしい木のあるところに行って、急いで確認だけして立ち去ればいいかと思う」
みんな目を見合わせたが、ここに至ってはどうしようもない。
イーグーが後押しした。
「行きやしょう。安全なんて誰にも約束なんざできやせんぜ」
それで俺達は揃って門を越えた。
「ねぇ、ファルス」
ノーラが耳打ちしてきた。
「立ち去ったっていうのは」
「ああ、消した」
「じゃあ、もう一匹出たら、どうするの?」
「無理だ」
あまり言いたくないが、期待されても困る。
「もう一回やるには、しばらく待たないといけない」
「じゃあ、その間にもし、また出てきたら」
「その可能性は低いと思うけど……わからない」
彼女は頷いた。
「なら、いつもみたいに毒で」
「それはあまり意味がない。多分、あれにはほとんど効かない」
非常に難しいが、接近戦で倒し切るしかない。
「急いだほうがよさそうね」
だが結局、何にも妨げられることなく、ほどなく俺達はなだらかな斜面を上り下りして、その大樹の近くまできた。
聳え立つ大木の下の方の枝に、一つだけ青白く輝く丸い果実がぶら下がっていた。低い、とはいっても、到底、人間の手が届く場所ではない。仮に誰かを踏み場にして肩の上に立っても、まだ足りないだろう。
「あれがそうなのか?」
バジャックがいつになく真剣な表情でそう尋ねる。
「はっきりとはわからないけど、その可能性が高いとは思う」
ストゥルンが嘆息した。
「一つしかないのか……」
周囲を歩き回って確認したが、青白く発光する果実はこれ一つしかなかった。
「あれをやったらどうだ?」
フィラックが提案した。
「あの、地面を盛り上げるやつ。そうすれば足場が作れるだろ」
「そうしたいけど」
足下に視線を落とす。
「ここはすぐ下が根になってるから、踏み場を作ろうにも土が足りない。素直に近くの木を刈り倒して、足場にするほうがいいかもしれない」
力魔術の能力もあって、魔術書もあるので、使いこなせるなら普通に空を飛ぶという手もある。ただ、それはそれでまた、時間がかかる。どこに何が書かれているかをすべて確認するだけの時間が、これまで取れなかった。せっかく手にした魔法の道具も、まだ使い方を確認できていない。
「仕方ない。じゃあ、やるか」
彼が苦笑しながらそう言ったとき、大地を揺るがす咆哮が響き渡った。
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