闇の中の邂逅
空気の流れのない暗闇の中。妙に埃っぽくて、息が詰まる感じがする。その割に空気は冷え切っていた。背中の汗が急激に体を冷やしていく。
「あなたを待っていました」
完全に背後をとられた。さっき正面を見たときには、それらしいものは何も見当たらなかったのに。高度な光魔術で透明になっていたのか、それとも瞬間移動でもしてきたのか。
逃げ出したい衝動に駆られるが、ここは冷静になるべきだ。敵意があるなら、もう襲いかかってきているはずだから。
「先に三つ。私に害意はありません。ここで暴れないでください。私の姿を見ないでください」
フォレス語だった。訛りも特にない。
掴みどころがない。声色だけでは、男にしては高すぎるし、女とも断言できない。ただ、声のする位置がやたらと高い。背が高いのか、足場の上にいるのか……
落ち着け。
今、得られた情報を整理しろ。
害意はない。言う通りだ。先手を取れる状況だったのに、こいつはそうしなかった。
暴れるなと言った。ここに残された遺物を破壊されたくないからか?
一番重要なのは、姿を見るなと言ったこと。ピアシング・ハンドの秘密を知っている?
「誰だ」
なるべく平静を装って、俺は尋ねた。
「世を忍ぶ者です。ご容赦を」
姿も見るな、名前も訊くな、か。随分と都合のいいことだ。
「用件は」
「いくつかあります」
少し間をおいて、そいつは言った。
「まずはお願いです。この街を傷つけないでください」
「別に壊しにきたわけじゃない」
とはいえ、どこまでの行為を破壊とみなすかによるか。例えば、あの金のキューブを持ち去ったら許さないとか、そういう話か?
「金品を持ち去るのは構いません」
だが、俺の思考を先読みするかのように、そいつは言った。
「あなたがたが昨日調べた場所にあった金の重石、あれは運べるだけ持ち去っていただいても結構です」
「では、何を壊してはいけない?」
「この部屋の木札は、私の宝物です。でも、外の世界に持ち込んでも、一文にもならないでしょう」
さっき少しだけ目を通したが、確かに大した代物ではなかった。下手な字、それこそ子供が書いたような文章があるだけの木片だ。
「思い出の品、か?」
俺の問いに、返事はなかった。
「コラ・ケルンだな」
と決めつけはしたものの、自信はなかった。あらゆる魔人の頂点に立つ始祖……神の伴侶に選ばれた特別な存在だったとして。もし生存していたのなら、どうしてルーの種族の間に降り立たなかったのか。それが説明できないから。
「……ルア、と呼んでください」
また、沈黙が場を覆った。
では、コラ・ケルンとは別人……いや、そうでなくとも、魔人の一人かもしれない。
「あの建物で、何をしていた? 金の塊でどうして水の重さを量っていた?」
「世界の歪みの程度を確かめるためでした」
「歪み?」
「少し間違えば世界はいくつにも引き裂かれ、或いは一切が滅び去っていたかもしれませんでした。それを食い止めるために」
正確には理解できなくとも、なんとなくは把握できた。物理法則が毎日狂うような状況があったのだ。なぜそうなったのか、知ったところでどうにかできたかはわからないが、重大な問題だったらしいことくらいはわかる。
「街を壊すな、というのはわかった。金品を欲しがる連中はいるから、多少は金目のものを持っていくと思う」
「遠慮なさらず。もう誰も使わないものです」
「他の用件は?」
また少し間をおいて、そいつは言った。
「危機が迫っています」
「なに」
「ここにではありません。ですが、禁忌に手を染めた者達がいます。今のこの世界にとって、それは大きな災厄となるでしょう」
誰のことだろう?
「もっとはっきり教えてくれないか」
「遠からず、あなたはいやでもそれを目にします。既にあなたはそちらに導かれています」
つまり、その危機と対決しろと?
「おっしゃりたいことはわかります。大きな危険を前にするのに、曖昧なことしか言わずに済ませるのはなぜか、と」
俺はじっと返事を待った。
「それもまた、禁忌だからです」
一瞬の苛立ちと、到達した理解からの納得感が胸を満たした。
わかっていても言えない。そういう前例を、俺は既に目にしている。とするなら、背後の人物は神か、少なくとも神にかかわる何者かで、その制約を負っているのだ。
「すると、危機が迫るからといって、問題を解決してくれとも言えないんだな」
返事はない。だが、これは肯定だ。
「あなたが望まなくとも、悪意ある者があなたをその災厄に結び付けようとします」
「それは誰のことだ」
「あなたが使徒と呼んでいる男のことです」
やつのことを口にするのは、禁忌にはあたらないらしい。
「これから起きる災厄を抑え込む力を持っているのは、私か、使徒達か……さもなければ、龍神だけでしょう。ですが、恐らく最も犠牲が小さい決着をもたらすのは、この中の誰でもありません」
ある程度はわかる。
使徒ならかなりのことができるだろうが、彼が自分で世界を救おうとするはずがない。変に目立って龍神あたりに目をつけられるのは御免蒙りたいところだろう。動けないという意味では、背後にいるこいつも多分同じ。残るは龍神だが、これまた問題解決能力には疑問符がつく。スーディアでシュプンツェが大暴れしたとき、ヘミュービは割り込んでこなかった。いや、割り込めなかったのか?
「私としては、あなたの身を案じないわけにはいきません」
という口実、か。
さもないと、禁忌に触れる。
「これを」
俺の左手に、何か金属の棒のようなものが押し付けられた。
「市庁舎の宝物庫の鍵です」
「そんな場所にまで立ち入っていいのか」
「中にはいくつかの魔術書と魔道具があります。どれも古いものではありますが、持ち去って構いません」
どれほどのものがあるかはわからないが、貴重な品でないはずはない。
「それとこちらを」
今度は右手に、何か鏃のような感触の金属片を握らされた。
「二つともなくさないでください。それがあなたの敵を討つ切り札になります」
握らされたものを掌の中でもてあそびながら、俺は疑問を口にした。
「なぜ手助けをする?」
返事はない。だが、俺は続けた。
「何が起きるかは知らないが、使徒が俺をそちらに行かせようとしているのなら、少なくとも勝算はあるはずだ。だったらいちいち出てこないで、黙ってみていればよかったはずじゃないか」
間をおいて、そいつは答えた。
「恩義に報いたいからです」
「恩? 会ったこともないのにか」
「……ケッセンドゥリアンを解き放ってくださり、ありがとうございました」
では、やはりこいつは……
「最後に。あなたが探しているものは、南東の展望台に手がかりがあります。では……旅の安寧をお祈りします」
その声と同時に、目の前の扉がひとりでに開いた。真っ白な外の光が差し込んでくる。
振り返っても、そこには誰もいなかった。
「あら、ファルス、そっちは何かあった?」
みんなが手分けして大きな建物を探し回っているところに、俺は引き返した。
「どうしたの?」
俺の表情の変化に気付いて、ノーラが顔を覗き込んでくる。
「なんでもない。鍵があった。市庁舎のものらしい」
遭遇した何者かについて話すのは……今は保留しよう。全員に話していいのなら、それこそ正面から姿を現してもよかったはずだ。俺に見られるのがまずいのなら、それこそ俺以外の誰かに接近して、先に相談を持ち掛けるほうが簡単だった。それをしなかったのだから、あれは自分の存在について、広く知られたくはないのだ。
「何か値打ち物があるかもしれない。探しに行ってみるよ」
すると、みんな手を止めた。
「こっちは何もない」
ストゥルンが首を振った。
「市庁舎に行った方が、まだ何か見つかるかもな」
昼前に、俺達は市街地の中央の広場に立っていた。そこの西側の面に、白い壁の四角い建造物が聳えていた。ざっと七階建てだ。街中の案内板に従うなら、あれが市庁舎らしい。見た限りでは、比較的新しい感じがする。これは想像でしかないが、コラ・ケルンの家が以前の政治的中心だったとすれば、世界統一後の中心はここなのだろう。
広場の敷地から歩いて入れるので、そのまま壁に入口が口を開けている。一階は扉すらなく、左が羽人族用の小さな通用口、真ん中が人間サイズで、右側が巨人族用の大きな入口だった。中に立ち入ってみると吹き抜けになっていて、地上二階までの高さまで天井がない。窓が多く、外の光がよく差し込んでくる。
正面には各種受付窓口が並んでいたが、当然ながらそこに職員はいない。
「職員はみんな人間だったんでしょうか?」
チャックが素朴な疑問を口にした。
なぜなら、備え付けのカウンターはすべて人間サイズだからだ。
「数の問題だろうな」
フィラックが引き取った。
「極端に小さいのが羽人族、大きいのが巨人族と二つだけ。そいつらの体の大きさに合わせて書類を作るわけにはいかんだろう。大多数が真ん中の大きさなんだから」
書類は当人以外も見るから意味がある。してみると、一部の種族には、やはり職業上の制限があったとみるべきだろう。
そんな話など知ったこっちゃないと、ジョイスがあっさりカウンターの裏手に回った。
「で、貴重品があるってぇと、職員側だよな」
「場所の目途はついたのか」
彼に透視してもらえば、金銀財宝の在り処などすぐわかる。
「んー」
彼は難しい顔をしたが、斜め下を指差した。
「よくわからねぇけど、下じゃねぇかな」
それからほどなく、俺達は下り階段を見つけ、地下のどん詰まりに大きな扉があるのを見つけた。
「この鍵穴かな」
さっき受け取った鍵を差し込むと、すっと扉が開いた。
中に踏み込むと、なんらかの魔道具が働いたのか、パッと白い光が降り注ぐ。しかし、奇妙なほど中はガランとしていた。棚という棚すべてが空っぽだったのだ。恐らく、実際に保管されていた宝物のほとんどは、ナシュガズを捨てて立ち去るときに、持ち去られてしまったのだろう。
そんな室内なのに、正面の机にだけ、これ見よがしに二十冊ほどの本と多少の装身具が置きっぱなしにされていた。なんというわざとらしさだろう。
「なんだぁ、貧相なお宝だなぁ」
バジャックはいかにも不満げだったが、恐る恐る近づいて、一冊を手に取る。
一冊目のタイトルは『火魔術大全』、ご丁寧にもフォレス語で書いてある。巻末に記載された発行年月日は女神暦三百年。つまり、諸国戦争勃発前の魔法文明全盛期のものだ。保存状態は極めて良好で、読めないページなどはない。他、水魔術、風魔術、土魔術、身体操作魔術、精神操作魔術、力魔術、光魔術、治癒魔術と、ほぼあらゆる魔法について余すところなく書いてある。
だが、更に値打ちのあるものが残されていた。こちらは発行元がナシュガズ市内の誰かなのだろうが、通常の詠唱ができない竜人族のための魔術使用の手順書。それから複合魔術……つまり、異なる系統の魔術を組み合わせて用いる秘法についての解説書、そして魔力操作の技術についての書籍もあった。
パラパラとめくって目を通してみて、魔力操作とは何かがやっとわかった。これは、魔法の発動を制御する技術だ。早い話が……例えば、この部屋に立ち入ると同時に照明が光り始めたが、これは別に術者が近くにいることを意味しない。先に詠唱し、触媒も消費しておいてから、何かの条件を満たすまで魔法の発動を遅らせたりする技術のことだ。つまり、魔法そのものではなく、魔法の挙動に介入する技術らしい。
「ファルス」
ノーラに肩を揺さぶられて我に返った。
「中身を確かめるのは後でいいんじゃない? とりあえず、持ち帰れば」
それで俺は、それらの書籍と装身具を纏めて、俺やノーラの背負い袋に放り込んだ。
既にして、俺は興奮していた。これほどの宝をあっさり寄越すとは。いや、こんなのはお宝なんて代物じゃない。今の時代状況からすれば、この本だけでも国宝クラスの重要機密だ。だとすれば、俺がこれから巻き込まれるだろう困難は、それほど大きいのかと。
市庁舎から出た後、俺はみんなに提案した。
「南東の高台に行かないか」
俺が捜しているもの、それは不老の果実だ。ルアがそのことを知っているのなら、あの高台に行けば、目的地がわかるはずなのだ。
タウルが答えた。
「行くのはいい。でも、この街を調べる時間は、もう今日くらいしかない。他に見たいところはないのか」
俺はディエドラとシャルトゥノーマの顔を見た。彼女らは首を振った。
「古代の文字記録をしっかり調べたいところだが……食料も手持ちは少ない。明日の朝、ここを発つのなら、あまりこだわっても意味がない。とりあえず、ここに父祖の地があったと確かめることができただけでも、立派な成果だ」
「ファルス、タカダイのウエにナニかあるのか」
俺はごく当たり前の理由を並べ立ててみせた。
「高いところから見下ろせば、道がわかるかと思って。この街に入るのも箱舟に運ばれたわけだし、歩いていける出口がどこにあるかがわからない」
「なるほどな」
それで俺達は揃って街の外れの高台を目指した。
昼過ぎに、俺達は南東の高台の頂上に辿り着いていた。
巨大な石造のドームは今も傷一つなく、堂々と聳え立っていた。その下の日陰に入って、俺はようやく理解した。
「……やっぱり」
ドームの天井には、石細工で天空を象った装飾がなされている。そして、その下には巨大な正方形の石板が置かれていた。これも立派な石細工だが、塗料ではなくもともとそういう色の石を使っているために、色落ちがなかった。また、そもそもドームの下に保護されていたので、長い年月によってもさして風化が進んでいなかったのもある。
その石板……といっても、俺の膝くらいの高さがあるのだが……に描かれているのは、大森林の全図だった。
「見て」
ノーラも興奮を隠せないらしい。彼女は、地図の一点を指差し、高台から見下ろせるある地点を指差した。
緑色の丸は丘。そこから、直線がはっきりと引かれている。その直線同士が重なり合うこともあるが、大抵、その先にあるのは同じような緑のドームだ。その間に、灰色の沼地が広がっている。
「こんなにくっきり分かれてるなんて」
「この大森林、やっぱり人が作ったんだ」
だだっ広い内陸の湿地帯を、ケカチャワンが大きく蛇行している。それはこのナシュガズ付近の高山を水源地として、まず北に流れる。それが西に向かい、南に曲がって、渦を描きながら南方大陸の南部に抜けていく。
それは気の遠くなるような作業だったはずだ。もともとこの地にあったのは、不毛な粘土質の湿地帯だけだったのだろうから。そこを開拓するために、人々はまず、場所を選んで石の基盤を築いた。そこで湿地帯を焼き払い、得られた黒土を盛り立てて丘とした。この丘を、時間をかけて少しずつ太らせていった。ラハシア村で見たように、沼地の木々を蒸し焼きにして。
大森林は、荒れ狂う大自然なんかではなかった。人が努力を重ねて時間をかけて、ようやく生み出した人工的な居住地だったのだ。それはイーヴォ・ルーを奉じる人々の成した偉業だった。
「ここを、ここを見ろ」
シャルトゥノーマが、地図の南側の一点を指差していた。
「女神の……古の神木があるらしい」
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