コラ・ケルンの家

 差し込む陽光と噴水の音で目を覚ました。

 街中の広場にテントを張って寝るのは間抜けな気がしたが、これが一番安全ということで、そうするしかなかったのだ。


 墓地を訪れた後、街中に引き返してきた頃には、日が翳り始めていた。それで俺達は、どこで休むかを考え始めなくてはいけなくなった。

 家の中で寝ることも考えないでもなかったが、数百年も誰も手入れしていない場所だ。どこかが脆くなっていて崩落したら大変なので、それはすぐ却下された。その上で、水の供給に不自由しない場所となると、とある広場のこの噴水しか見当たらなかった。

 もちろん、これだけでも大助かりだ。手持ちの物資の中で、真っ先に枯渇しそうだったのが水で、それがここでは無限に供給されている。地下の給水装置は今も機能しているらしく、そのまま飲んでもよさそうな澄んだ水が、いくらでも溢れてきていた。


 昨日は昼遅くに起きたのもあって、市内の探索が中途半端なところで終わっていた。手持ちの食料も限られているから、いつまでも長居はできないが、今日は更なる成果を手にしたい。


「今日はどこを調べるんだ?」


 みんなで朝食を摂る中で、早速フィラックが尋ねてきた。


「昨日、標識を見つけた。街中の案内板なんだけど」

「へぇ」

「そこに、コラ・ケルンの家というのがあった」

「おっ」


 またしても興味を示したのはバジャックだった。


「そこで決まりだな」

「金目のものが……あるかもしれないけど」


 なにせポロルカ帝国きっての権力者の邸宅だ。世俗の支配者は人間のパーディーシャーだったが、ルーの種族は黒き花嫁と使徒達が束ねていた。

 この辺、イーヴォ・ルーの特殊な世界観というか、独特な発想が常に付き纏っている気がする。二つで一つ、一つで二つ、というような……例えば、霊樹だってそうだ。一つの体に二つの魂、と思いきや、二つの体、つまり自分の体と霊樹でやっと一人のルーの種族になる。

 国家の支配体制にも、その考え方が反映されていたのではないか。ポロルカ帝国時代も、首都は南方にあったのに、このナシュガズがもう一つの首都だった。


「略奪は困るんだが」


 シャルトゥノーマの苦言にも怯まない。


「俺は全財産を関門城の南に置きっぱなしにしてきたんだ。チャックだってそうだ。もう取りに戻れない。お前らの取り決めに従うなら、そうなる。だったらちょっとくらい、いいだろう?」

「もう、昨日、金塊をいくらか取っただろう? まったく……持ち去っていいものは、こちらで判断する」


 やれやれ、と彼女は溜息をついた。


 コラ・ケルンの家なる場所は、今いる広場から遠くはなかった。さすがにあらゆる使徒の頂点に立つ始祖の住居だ。街の外れなんかではなく、一等地であろう街の中心部にあった。しかも、周囲に背の高い建造物がない。日当たりも良好、遠めに見える家もせいぜい二階建てなので、高層建築で土地の面積を節約する事情を考えると、まさしくセレブの家なのだろう。

 そんな権力者の家だが、柵は実に低い。金属製のものだが、大人が跳び越えられるくらいの代物で、特に高級感もなかった。庭も外から丸見えだ。ふと違和感を覚えたのは、雑草の少なさだ。石やコンクリートで庭を埋め尽くしたのでもないのに、なぜか雑草の丈が低く、視界を妨げない。ここが高地で、水の供給も少ないとなれば、植物が生育しにくいことは承知しているのだが、それにしても奇妙だった。


 門は当然のように開け放たれている。俺達はそこを横切って敷地に立ち入った。

 広い庭だが、殺風景だった。何もない。左手にはこれといった装飾のない長方形の建造物があり、正面には円形の大きな建物があった。また、右手の奥には、これまた四角い小さな建物がある。納屋か何かだろうか?


 とりあえず、俺達は左にある手近な建物から見て回ることにした。

 だが、一歩立ち入ったところで、即座に失望の声があがった。


「なんだぁこりゃあ」


 バジャックが、いかにも拍子抜けと言わんばかりに吐き捨てた。それも無理はない。立ち入った先はガランとした大部屋で、そこにあったのは木の椅子と一人用のテーブルばかりだったのだ。それも、明らかに子供用と思われる。或いはペルィあたりが使っていたという推測もできなくはないが……

 床には積み木が転がっているし、完全に色の落ちた、今にも崩れそうなぬいぐるみもある。絵本のようなものも散らばっていた。


「ガキの部屋かよ」


 託児所みたいな雰囲気だった。一応、奥にもう一つ部屋がある。そちらに踏み込んでみると、ベッドがいくつも並べてあった。

 チャックが冗談めかして言った。


「子供は国の宝って言いますからねぇ」

「お宝はお宝でも、一銭にもなりゃあしねぇよ」


 魔宮にも子供を養育する場所があったっけ。ただ、さすがにあそこと同じということはないだろうが。

 とにかく、めぼしいものがなかったので、今度は俺達は、大きな円形の建物に立ち入ることにした。


 これも奇妙な形をしていた。まず、正面に大きな門がある。これは巨人族でも通れるようにということなのだろう。そこを通って中に踏み込むと、そこは天井のある中庭だった。真ん中には円卓と椅子がある。もっとも、椅子の一つはやたらと大きかったのだが。いずれも真っ白で、石から削りだしたものだ。

 それぞれの椅子の後ろにもまた、円周に沿って扉がある。大きなものもあれば、やたらと小さいのもある。これは羽人族用だろうか? 適当な一つを選んで、扉を引いてみた。


「……薄暗いな」


 ストゥルンが目をこする。

 迂闊に火をつけると、燃え上がる可能性も考えられる。だが、夜目が利くディエドラがさっさと立ち入ると、部屋の突き当たりにある窓をさっと開けてしまった。


「なんもねぇじゃん」


 ジョイスも呆れたらしい。中の部屋にはベッドが残っているだけだった。これは、五百五十年前に人々が立ち去るより以前から、そもそも使われていなかったように見える。直前まで利用していたのなら、朽ちた寝具とか、水差しとかコップとか、宿泊者のための道具が取り残されているはずだからだ。


「考えてみれば、そんなものかもしれないな」


 俺は思わず口にした。

 それにラピが食いついた。


「えっ? どういうことですか?」

「つまり、一千年前の世界統一で、ポロルカ帝国は一度滅んでいるんだ。で、人間の世界の方は、ポロルカ王国としてもう一度生まれ変わったんだけど、ルーの種族の話を信じるなら、関門城から南、この大森林は別口というか……別に対立もしないけど、王国の一部というよりは、自治領みたいな感じだったと思うんだ」

「は? はい」


 なにせ神の最初の使徒の家だ。個人の住宅とは違う、政治的な機能があるのが普通だろう。


「イーヴォ・ルーが倒されて世界が統一されるまでは、コラ・ケルンも生きていて、ここでルーの種族の主だった者達を呼び集めて会議を開いたりもしていたんじゃないかな。ちょうど本人を除けば、椅子の数が種族の数と同じだし」

「えっ? 二つ多いんじゃ」

「人間を忘れてるよ。あと、コラ・ケルン自身」

「あ、そっか」


 だが、そうした必要性はなくなった。ここはもう政治の中心ではなくなり、よって各種族の代表を呼び集める場所でもなくなった。空き部屋になってしまったのだ。


「ってこたぁよ」


 バジャックが目をキラキラさせ始めた。


「少なくとも一つはお宝の部屋があるかもしんねぇなぁ?」


 タウルが頷いた。


「コラ・ケルン本人の部屋か」

「そういうこと!」


 俺は首を振って溜息をついた。そんなの、ルーの種族が持ち出しを認めるわけがない。金とか銀とか、そういう値の張るものでなくても、歴史上の人物が使用した道具は、それだけで値打ちがある。


「おっ、ここじゃないか?」


 早速、遠慮なく扉を開いたフィラックが見つけたらしい。

 だが、中に立ち入ってみると、なんともパッとしなかった。一応、簡素な机があり、パーテーションもある。ベッドも普通のサイズのが置かれている。箪笥があるのでそっと開けてみたが、中には大昔の衣類があるだけで、それも日常用だったらしく、どれも今となっては完全に劣化してしまっている。

 ならばと、別に備え付けてあったクローゼットを開けると、こちらは絹のドレスがいくつもあった。保存状態はそこそこだが、お宝かといえば、そこまででもない。歴史的価値ならあるだろうが。


「誰が使ってたんだろう?」

「コラ・ケルンじゃないの?」

「いや、そこなんだけど……シャルトゥノーマ」

「なんだ」


 俺は疑問を口にした。


「結局、コラ・ケルンはどうなった? ギシアン・チーレムはイーヴォ・ルーを倒したらしいけど、コラ・ケルンはどうなったか、伝わっていなくて」


 だが、彼女も知らないらしい。


「死んだという話は聞いていないが……」


 とにかく、このコラ・ケルンの家の大きな建物の中で、活用されていたらしいのはこの一部屋のみ。そしてそこには、礼装らしき衣類もあったので、それなりの身分の人、恐らく女性が生活していたらしいとはわかる。だが、全般的に暮らしぶりは質素で、金目のものがほとんどなかった。


 フィラックが指摘した。


「机の引き出しを開ければ、何か残ってるんじゃないのか」


 それで中を検めたのだが、中には多少の手紙が残っているだけだった。しかし、内容はと言えば、大したこともない。辛うじて読めるものを取り上げてみても、


『都の外のとある集落で、三人の翼人族の子供が孤児になってしまった。養育が難しい状況なので、こちらで引き取ってもらえないか』


 というような内容ばかりだ。

 なお、送り主の名前は書かれていたが、宛先はなし。なんとも中途半端だ。届くのがここだと確定しているから、書く必要がなかったのだろう。なんにせよ、一国の主に届けるような手紙の内容とも思われない。


「元はコラ・ケルンの家だったのが、孤児院に改装でもされたのか」

「もともと、コラ・ケルンの家という言葉が孤児院を意味するんじゃないのか?」

「いや、だとしたらあの中庭の造りを説明できない」


 あれこれ言い合うが、結論は出ない。


「ただの孤児院がこんなところにあるわけない。もしかしたら何か見つかるかもしれないし、手分けして探そう」


 それで俺は一人、この大きな建物から出た。あと、未確認なのは、入口から向かって右手の小さな納屋みたいな建物だ。納屋といっても石造りで、扉も金属製だ。

 ここにも鍵はかかっていなかった。


 開けてみて、しくじったと思った。暗視能力を種に戻すんじゃなかった。ペルジャラナンを連れてくればよかった。窓一つない狭い部屋があるばかりで、扉を閉じたら真っ暗になる。開けていても、見えるのは手前ばかり。これでは奥深く内部を確かめるなどできない。

 外の陽光に照らされた入口手前の棚に目を向けると、そこには木の札のようなものが大量に置かれていた。札には絵や文字が描かれているようだったが、大半はもう劣化してしまっており、ちゃんと読むことができない。途切れ途切れに言葉を読み取れるだけだ。しかし、大したことは書いてなかった。


『遊んでくれてありがとう』

『外の村で働けるか心配』

『僕も飛べるようになりたい』


 また、表面には何か削った跡がある。

 それでまた思い出した。


『人々は木片を削って印を捧げた』


 これがそうなのか?

 言い伝えに残るほど大事な何かがあったのか。それで俺は扉を開けっぱなしにして、中へと踏み込んでいった。

 左右の棚には、やはり変化がなかった。高いところから低いところまで、同じような木片がぎっしり詰まっているだけ。これがそんなに大切なものだとは……


 視界が暗転した。


 背後の扉が急に閉じたのだ。風でも吹いたのか? リュックで固定しておいたはずなのに。

 とにかく、それとわかって俺は引き返そうとして、すぐ足を止めた。


 後ろに誰かいる。

 流れを止めた空気の中で、俺は確かにその声を聴いた。


「ようこそ、私達の都へ」


 それは吹雪の夜、夢の中で耳にした、あの中性的な声だった。

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