霊樹のある村

 薄暗い森の地面に古代の遺物が横たわる。それは何かの彫刻を施された石柱だ。だが、誰にも顧みられることなく、体の半ばを土に埋もれさせたまま、沈黙している。俺達もまた、足早にその横を通り抜けた。

 不意に視界が広がる。唐突に森が途切れ、多少の灌木と下草を乗り越えた先にあるのは、遮るもののない河原だった。さきほど目にした石柱のような人工物から天然の丸い岩まで、さまざまな石が不規則に足下を埋め尽くしていた。その向こうには勢いよく流れる川があり、対岸には立派な黒土の丘が聳えていた。その丘の周囲もまた、同じような石の土台に固められており、背後にも川の水が流れている。

 雲の多い夕暮れ時だった。丸一日歩いて辿り着いたカダル村は、顔の半ばを影に黒く染め、厳めしく聳え立っていた。


 今のルーの種族にとっての中心的な拠点が、このカダル村だ。罪業の種族であるはずのリザードマンだが、戦士としては最も頼りになる。だから彼らの村を鉄壁の城砦にするのは、理に適っている。

 外敵の脅威、とりわけ人間の侵攻をずっと恐れてきた彼らにしてみれば、防衛線の維持は極めて重要だ。なぜなら、ルーの種族には霊樹という泣き所がある。要するに、彼らは一度根付いた場所から逃げられない。霊樹を破壊されたとしても当人が即座に発狂するわけではないが、次世代から重要な機能を喪失するようになる。だから理性のない魔物によって同胞の一人が殺されるのと、自分達の絶滅を狙って人間が霊樹を破壊しにくるのとでは、当然に後者が恐ろしい。


 今は平時なので、対岸に渡るための木の橋が渡されている。川幅はおよそ二十メートルほどはあり、流れもなかなか急だ。もしこの橋が落とされた状態で人間が渡ろうとしたら、大変なことになるだろう。水の民が援軍に駆けつけた場合、泳ごうがボートを浮かべようが、次々沈められる。

 橋を渡り切った先には、古代の石造建築物の残骸が転がされており、川の流れに丘が侵食されないようにしてある。その先には、最初の城壁が聳え立っていた。高さはそれほどでもないし、ところどころ人が通れる隙間もある。それでも、狭い場所にリザードマンや巨人族が立ちはだかって侵入者を阻むのだ。そうして足止めされているうちに、今度は背後にいるペルィの魔法や風の民の矢が飛んでくる。

 防衛側の人数などたかがしれているが、人間側は苦戦を避けられないだろう。あの沼地を越えるのに、大量の物資を運搬可能な補給線を維持するなんて現実的ではない。ならば奇襲をと考えても、ビナタン村と交戦すればルーの種族の側は敵の接近に気付く。夜襲を仕掛けようにも、闇の中ではルーの種族の方が圧倒的に有利だ。


 俺達の到着は予期されており、今は見張りの番兵を務めるリザードマンが二人、橋の脇に立っていた。だが、その装備ときたら。いぶし銀の胸当てに、これまた金属製の剣と盾。素人目にもなかなかの出来栄えだが、誰が作ったんだろうか?


「ギィ」


 番兵の一人が何事かを口にした。

 こちらのリザードマンは、砂漠の連中と違ってスベスベした肌をもっていない。海辺の黒ずんだ火山岩みたいなゴワゴワした皮膚を備えている。トカゲというよりは、暗緑色のワニが直立歩行しているような感じだ。

 俺達の先頭にはシャルトゥノーマがいるので、基本的にはフリーパスではある。それ以上誰何されることもなく、そのまま村の中心へと……


「ギィィー……」

「ギッ?」


 ……と思っていたら、後ろから興奮した声が聞こえてきた。


 振り返ると、ペルジャラナンが尻尾をバタバタ振りながら、番兵の一人の手を握りしめていた。彼は口を開け、細い舌をだらりと出しながら喜色満面なのだが、手を握られた側はというと明らかに当惑している。


「シュウシュウ」

「シュウウ」

「ギッ! ギッ!」

「ペルジャラナン」


 このままじゃ先に進めない。


「行くよ。迷惑になっちゃう」

「シュウ……」


 尻尾をペタンと橋の床に落とし、仕方なく彼はついてきた。

 嬉しかったのだろう。砂漠を出て、ようやく初めて遠い昔に別れたという自分の同胞に出会えた。サハリアの砂漠にいる仲間達への土産話が、一つ増えたのだから。だが、今、がっつかなくても、この村にはいくらでもリザードマンがいる。


 斜面に設けられた城壁は三重になっていたが、その上の村落もまた、防衛を念頭に入れたものだった。あるのは普段の生活に使う家なのだが、これがまたしっかりしている。人の背丈ほどもある土壁が突き立っており、その内側には二階建てほどの高さのある天井がある。ちゃんと胸壁もあって、高所の利を得られるように作られている。ちらと見ただけだが、庭の内側にはどうやら地下室もあるらしい。夕暮れ時の今、そこは黒い穴にしか見えないが、低いところからこっそり槍を突き出すこともできそうだ。

 こういう家々が広場を取り巻くように配置されている。ここは徹底的に戦うことを念頭に入れた場所なのだ。


 そして、村の中心には……


 誰もが声を失った。

 直感的に理解したのだ。これが霊樹、ルーの種族にとっての命の柱だと。


 石畳の真ん中から、黒く光沢のある柱が突き立っている。あるところまではまっすぐだが、地上から十メートルくらいのところで渦巻き状に枝分かれして、下へと垂れ下がっていく。その細い枝が柱の周囲を取り巻くのだが、その先端では色合いは変わっている。ガラスのように半透明だが、うっすら緑ががっていた。枝の途中から葡萄の房のようなものが垂れ下がっていることもあった。

 そのか細い先端の枝は、複雑な模様を描いて絡み合っていることが多かった。何かに似ていると思って俺は凝視した。蜘蛛の巣、いや、これは……そうだ。タリフ・オリムでノーゼンが送り付けてきたパッシャの紋章にそっくりだった。

 そして、常に内部を光の粒が行き来していた。休むことなくそれらは行き来し、音もなく輝き続けている。


「きれい……」


 ラピがそう呟いた。あとはもう、言葉を忘れて立ち尽くすのみだ。

 近くにはリザードマンの戦士が何人か立っていた。これ以上は近付けない。この霊樹に傷でもつけられようものなら、大変なことになる。俺達のことをある程度は信用しているにせよ、これだけは死守しなくてはならないのだ。


「カダル村の霊樹は、このように見えるところにある」


 シャルトゥノーマが説明した。


「普通は村の近くの目立たない場所に隠しておくものだが、ここは特別だ。どうせ周囲を川と城壁に囲まれている。霊樹が刈り倒されるときは、カダル村の竜人族が全滅するときだ」


 そのような、文字通りの背水の陣を敷いて他のルーの種族を守るからこそ、カダル村のリザードマンはその尊敬される地位を得ている。周囲の他の種族の村も、何かあればここの防衛に駆けつけることが決まっているし、俺達のような来客を迎え、また会議を催す際にも、やはりこの村で会合を開くと定められているのだとか。要するに、このカダル村は、現存するルーの種族にとっての都なのだ。


 背後から控えめな足音が近付いてきた。


「シャルトゥノーマよ」

「はっ」


 背後には、年老いたペルィが立っていた。白くて長い髭を垂らしている。クヴノックのような愛嬌ある感じではない。肉体年齢が三十歳にもなっているので、結構な高齢者だ。どこかの村長だろうか。


「お役目ご苦労であった」

「はい」

「ときにディエドラはどうした」

「今はワリコタ様の預かりですが」


 ペルィは頷いた。


「では、明日の夜にはこちらに顔を出すやもな」


 実は今朝、ビナタン村を出る時から、ディエドラは同行していない。元いた村に戻ったのだから、当然のことだが。

 俺としては、既にルーの種族との友好関係を得られたので、彼女に支払った金貨一万枚の元は取れている。だから構わないのだが、できれば挨拶の一つくらいしてから、ちゃんと別れたい。


「それで」


 彼の視線がこちらに向けられる。


「こちらが、報告にあったファルス殿か」

「初めまして」


 俺は頭を下げた。


「トスゴニじゃ。ダルガ村の長を務めておる」


 彼はにこりともせず、淡々と、しかし歓迎の気持ちを言葉にした。


「まずは我が同胞ディエドラを連れ戻す一助となったこと、お礼申し上げたい」

「いえ、僕も助けられました」

「それと、人間の世界に別の同胞を匿っているとも聞いておる」

「はい、マルトゥラターレというのですが」

「明日の朝、アイル村の生き残りがこの村に着くゆえ、彼らに話してやるがよい」


 それだけでトスゴニは背を向け、歩き去っていってしまった。

 はて、ペルィにしては冷淡すぎやしないか?


「トスゴニ様は、ダルガ村の長というだけでなく、すべてのペルィを代表する長老でもいらっしゃる」

「道理で」


 魔術の才能も凄まじかった。地水火風に加え、精神操作魔術も操れる。レベルは7、魔術核もランク7と、一人だけであのジャンヌゥボンの四賢者を上回る能力を有しているのだから。


「実はトスゴニ様は、外部からの客であるファルス達の立ち入りには反対の立場だった」

「えっ」

「だが、他の長老達が受け入れを決めたし、クヴノックも後押しをしたので、折れてくださった」


 それで、人間達の代表である俺を見極めにきた、か。とすれば、こちらも相応の態度というものがある。

 ザラつく何かの感情を押さえつけつつ、俺は腰帯から剣を外し、シャルトゥノーマに差し出した。


「なんだ?」

「この村に留まる限りは、剣は必要ない。長老に預ける」


 まじまじと俺の顔を眺めてから、彼女は静かに微笑んだ。


「わかった。預かろう。ああ、それと」

「なにか」

「明日の夜は、お前達を歓迎するお祭りだ。それまでゆっくり体を休めておいてくれ」


 剣を受け取ると、彼女は村の奥にある一番大きな家の方へと歩き去っていった。

 それを見送ってから、背後で大きな足音がしたのに気付いた。


「わぁっ!?」


 クーがびっくりして声をあげている。無理もない。

 そこにはアジョユブ……つまり身長四メートルにもなるトロールと、背中に赤い羽根を持つ翼人族、それにペルィが並んでいたのだ。


「おっと、驚かせた」

「おのれの図体を考えい」

「俺は今までペルィを踏んだこともないんだぞ?」


 それぞれの村を代表する人物らしい。みんなシュライ語は達者だ。やり取りをルー語にしないのは、来客である人間達を不安にさせまいとしてのことだろう。

 そのアジョユブは膝をつき、なるべく視線をクーに合わせた。


「どれ、怖がらせたな」

「い、いえ。失礼しました」

「はっは、子供らしくないな。よぉし、じゃあ、ちょっといい眺めを見せてやろう」


 すると彼はその大きな手でクーの体を挟みこむと、一気に頭上へと持ち上げた。


「そぅら、高い高い!」


 巨人族名物、高い高いってか。

 だが、場所が悪い。ここは周囲に丈の高い木々が突き立っている。全然視界が広がっていかない。


「全然高くないぞ」


 隣にいた翼人族の男は、大地を蹴って跳びあがり、クーのいるところまで飛行した。


「落とすなよ」

「誰がそんな間抜けをするか」


 背後からクーを抱きかかえると、更なる高所へと飛び上がっていく。


「わ! わ! わー!」

「どうだ、こっちのが高いぞ!」


 それを下で眺めていたラピが、迂闊な一言を漏らした。


「面白そうだなー、クーばっかり」


 それを聞き洩らさなかったペルィがニヤリとした。


「じゃあ、お前さんにも味わわせてやろう」

「へっ?」

「そぉれ!」


 言わんこっちゃない。こちらのペルィはどうやら力魔術に熟練しているらしい。フッ、とラピの体が浮かび上がった。かと思うと、まるで空に向かって落下するかの勢いでぐんぐん浮上していく。


「きゃーっ!?」


 まぁ、危ないことにはならないだろうが……


「はぁ、こりゃあ見物だな」

「こっちの人達は、毎日楽しそうね」


 ジョイスもノーラも、ノリのいいルーの種族の人々に肩の力が抜けている。


「これは現実なのか」


 一方、衝撃を受けているのはバジャックだった。


「俺は大森林に二十年もいたんだぞ」

「いやぁ、びっくりですねぇ……」


 チャックも、暗い藍色の空に浮かぶ黒い点になった二人を呆然と見上げるばかりだった。

 同じように驚きの表情を浮かべたままのストゥルンだったが、不意に口角が上がる。


「ははっ、こんなところに俺の親は暮らしてたんだな」


 俺は振り返り、彼に尋ねた。


「父母の故郷を見る。願いは……これで叶ったのかな」


 彼も俺に振り返った。


「もちろん」


 俺達が、この地に到着してルーの種族に受け入れられた喜びを噛み締めている間に、悪ノリする連中はどんどんエスカレートしていった。


「ついでじゃ。花火をあげてやれ」

「それは明日にとっとくんじゃなかったのか」

「なぁに、これも練習じゃ。それ!」


 いつの間にか霊樹の近くに並んでいたペルィ達が、一斉に杖を上に掲げた。途端に色とりどりの光の筋が空高く届き、そこで大輪の花を咲かせた。

 クーとラピの悲鳴が、遥か天上から聞こえてくるばかりだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る