夜の散歩は要注意

 緑の梢に囲まれた小さな頭上の穴の向こうには、藍色の空が垣間見えた。黒々とした地上に、赤々と燃える焚火。ビナタン村中央の石畳の上で、俺達は車座になっていた。


「あの、シャルトゥノーマ」

「なんだ」

「ルーの種族の村には、食器はないのか」


 彼女は肩をすくめた。


「種族による。獣人の場合は、普段は必要ないからな」


 だから、実に大味な料理が供される。肉の塊を適当な大きさに切って木の串に刺し、直接焚火で炙るだけ。野菜も栽培はしているが、量も種類も限られている。彼らは普段、生のまま食べるそうだが、来客にそれではまずいだろうということで、一応水洗いして切ってくれた。味付け? 小皿に貴重な塩が盛られている。この小皿以外だと、各人が飲む水を満たしたコップが唯一の食器だった。これすら普通の家には置いてない。村長の家にある来客用の道具だというから、畏れ入る。

 それでも、みんなの顔は明るい。シャルトゥノーマの保存食に比べれば、ずっといい。

 これでディエドラの奇妙なテーブルマナーの理由がわかった。彼女はスプーンやフォークを使ったことがなかったのだ。ただ、そういう食器の存在自体は一応知っているので、意地を張って無理やり真似てみたのだろう。


 彼らが昔からこうだったのか。答えは……否、だ。

 ラハシア村で聞いた話からすると、ルーの種族は大昔、それもギシアン・チーレムの世界統一後のどこかの段階で、もう一度大きな打撃を受けている。魔物の暴走がそれで、大勢が大森林での生活を断念して、北に逃れざるを得なかった。だが、そこで人間側からの攻撃を受け、大勢が命を落とした。

 社会の規模が大きく縮小し、今ではいくつかの村が点在するばかりとなった。種族の存続だけでも精一杯、という状況だ。しかも外部との通商も不可能。必然、文明レベルは下がる。

 ワリコタは言い伝えをよく覚えておいてくれたと思う。クヴノックはルー語の文字を教えてくれたが、これだってすごいことだ。彼らの生活水準からすると、既に文字の必要性はほとんどない。にもかかわらず、今に至るまで伝承する努力を継続しているのだから。


 なお、この場にはディエドラはいない。ワリコタにしょっぴかれて、どこかに姿を消した。勝手な遠出について説教を浴びせられているのだろう。


「おいっしー! 生き返る!」


 ラピが満面の笑みで喜びを表す。ノーラもその横で黙々と肉を食べていたが、表情も淡々としていた。


「脂で手が汚れるわね。あの、メニエと呼べばいいのか、それとも」

「シャルトゥノーマでいい。こちらが本名だ。で、どうした?」

「この村には、水浴びできるようなところはあるのかしら」

「ある。蛭もいない安全な池がある。わかった、あとで案内する」


 それは嬉しい。俺達は泥だらけの沼地を越えてきたのだ。それに、あの酷い臭いの草を焚き続けてきているので、体もベトベトするなんてものじゃない。多分、相当に不潔な状態だと思う。肉に野菜に寝床、そして水浴びまで……ビナタン村が大好きになりそうだ。


「ジョイス」

「おっ?」

「覗きには行くなよ?」

「俺だって水浴びくらいしてぇよ」

「後でな」


 それにしても、俺達が知った事実は、既に外の世界の常識を塗り替えるものだ。

 亜人、獣人は人間の世界を害する怪物であり、昔は関門城を突破して暴れまわったという話。事実は、大森林のどこかで起きた魔物の暴走など、予期しない問題によってやむなく故郷を去った難民だった。龍神トゥー・ボーについてもそうだ。まさかイーヴォ・ルーの最初の使徒、黒き花嫁の手によって滅ぼされ、そこからリザードマンが創造されたなんて、誰も信じないだろう。

 これは箝口令を敷いておくべきかもしれない。迂闊にこんなことを言いふらしたら、女神教から睨まれること間違いなしだ。

 だが、まだ不明点が残っている。では、世界統一後のどこかの時点で、大森林の奥地に魔物の暴走が起きたとするなら……当時は、現在のような危険がない森だったということなのだろうか? では、誰がこの森を危険地帯に変えたのか? それはまた、どんな目的で?


「あれ? チャックはどこに行った?」


 フィラックの声で、我に返った。そういえば、いつの間にか焚火の前から姿を消していた。

 俺は立ち上がった。


「探してくる」

「大丈夫?」

「平気」


 先日の沼地越えの際にセットした暗視能力がまだ残っている。もうすぐ外すつもりだったが、ちょうどよかった。

 このビナタン村はほとんど獣人の棲み処で、彼らは全員、揃いも揃って戦士だ。だから沼地からの魔物が近付いても、迎え撃つだけの武力がある。その分、平和でもあるはずなので、一人で出歩いたところで、さほどの危険もないとは思う。それでも、不慮の事態を思えば、俺以外に任せるよりはよさそうだった。


 しばらく探し回ったところで、チャックが見つかった。焚火からかなり離れた場所で、木々の生い茂る斜面にいた。


「どうしてこんなところに」


 俺が声をかけると、彼は気まずそうな顔をした。


「いや、その」

「なにか」

「久しぶりにまともなものを食べたので、お腹がビックリしちゃいまして」


 ああ、そういうこと。なら、さっさと戻るだけ……


「手、手を洗えるところ、ないですかね?」


 ないはずはない。近くに水場くらいはあるだろう。でなければ村落を維持できない。


「丘の周囲を歩けば、水場くらい見つかると思う」


 それで俺達は森の中を歩いた。

 ちょうどいい。チャックにいくつか尋ねたいことがあった。


「そういえば」

「はい?」

「少し気になっていることがあって」

「なんでしょう?」


 まず、その言葉遣いだ。


「チャックさんは、どうして大森林にいるのかなと」

「は?」

「確か東方大陸出身だとか。でも、腕自慢というのでもないし、こんな危ないところにわざわざ来る理由がなさそうだなと。言葉遣いからして、育ちも悪くはなさそうだし」


 まともな教育を受けたまともな青年が、どうしてこんな危険な場所に興味を持ったのか? 最初はゲランダンの腰巾着という目でしか見ていなかったが、どうにもそれでは納得できなくなったのだ。


「あ、ああー、それはですね」


 頭を手で掻こうとして、すぐやめた。手を洗う場所を探しているのだと思い出したからだ。


「うちはもともと親父がオムノドに店を構えていまして。それが自分が子供の頃に、死んじゃいましてね」

「それは大変でしたね」

「火災もあって薬の材料も全部焼けたんで、一文無しですよ。幸い、父の友人の、まぁ、薬問屋の方がうちの弟妹の面倒も見てくれるっていうんで、私も下働きになりまして」


 ここまでは納得のできる話だ。ただ、この先どうやって大森林と繋げるつもりなんだろう?


「だいたい十五年くらい、ご奉公しましたっけね。弟が仕事を覚えて、まぁ多少借金はありますが、店を構えまして。妹もなんだかんだ片付きまして」

「苦労なさったんですね」

「で、まぁ、弟の店を出すのと妹の結婚で、ケチケチしながら貯め込んだ金も全部なくなってしまいまして……それじゃあ一攫千金、大森林に挑んでみようかと」


 待て待て待て。どうしてそうなる?


「そこ、飛躍しすぎてません? お金が欲しいはいいとして、どうしてそこで大森林なんですか」

「いや、だって真面目にコツコツ働いても、また自分の店を出せるくらい稼ぐには、十年はかかりますよ」

「そうかもしれませんが、だからって大森林にきても稼げるアテなんかなかったでしょうに」

「まぁ、でたとこ勝負ですよ。けど、これが運がよくって、ゲランダンの旦那に拾ってもらえましてね」


 はて、どうして彼がチャックを拾ったのだろう? だが、今度の疑問にはスッキリできる答えをもらった。


「ほら、ここは腕自慢の男ばっかりじゃないですか。でも、そこへいくと自分は読み書き計算、なんでもござれです。せっかく大森林の奥地で金目のものを見つけても、高く売れなきゃしょうがない。銭勘定のできるのが入用だったんですよ」

「でも、よく選んでもらえたなぁと」

「そこはもう、最初はタダ働きもしましたよ。他の人には使われたくないです、大森林で一番の人の下につきたいです、と散々泣きつきまして」


 なるほど、なかなかの立ち回りだ。

 確かに、大森林でのキャリアが五年ほどしかないのに、彼はゲランダンの班の常連メンバーになりおおせた。その利用価値は、ひたすらに便利という一点に尽きるのだが、チャックは自分の技能を最大限生かしたのだ。


「我ながらうまくやったものだと思ってますよ」

「で、でも、いや、待ってください」

「はい、待ちますよ」

「じゃあ、それじゃあ辻褄が合わない。ラハシア村から引き返せば、今回の揉め事の原因になった、ほら、ペダラマンが隠したはずの黄金を探すことだってできたはずで」


 金目当て、一発逆転で大森林を目指したのなら、あれを取らないなんてあり得ない。帰り道はルーの種族の護衛がつくのだし、ここは大人しくアーノと一緒に撤退すれば丸儲けだったはず。逆にラハシア村から南進した場合には、厳しい条件が課せられる。もう二度と関門城以北には立ち入ることまかりならぬという約束だ。クヴノックは、大森林を縦断すれば人間の世界に帰れるといったが、それが簡単なはずはないし、もしできたとしても、あの黄金は諦めざるを得なくなる。


「まぁ、そこは、男ってことですよ」

「はぁ? 男?」

「あれでゲランダンの旦那は、面倒見がいい親分ではあるんです」


 はて、そうだろうか?

 最初の出会いを思い出すと、ドチンピラにしか思えないのだが。


「初めにお会いしたとき、獣人の販売代金を二度取りしようとして、バレそうになったらあなたを殴ってたのに」

「ああ、あれはあれでいいんですよ」


 なんでもないかのように、彼は肩をすくめた。


「たった金貨一万枚で競り落とされたらどうなります? 取り分を十人で均等割りしたら一人一千枚で終わりです。まったく競り上がらなかったんだから、仕方ない。でも、これを倍額で売れたら二千枚ですよ。まぁ、下っ端の私の取り分は、五百枚が一千枚になるだけなんですが、でもこの違い、大きいでしょう?」

「確かに」

「あそこで儲けに走らなかったら、親分失格ですよ。で、しくじっても自分が一発殴られるだけ。何も間違っちゃいません」


 自分を含めた仲間の稼ぎを倍にするか、一発殴られるリスクを避けるか……という二択となれば。下っ端でも金貨数百枚の差が出るのなら、当然の判断か。


「結構、人使いは荒い感じだったけど」

「そりゃ、できない奴、怠けてる奴には厳しいですよ。でも、あれで、ちゃんとやってる奴には報いる人でしたから」


 そこで彼は肩を落として、呟くように言った。


「庇ってもらったりもしちゃいましたからね……」


 言われてみれば、そうだった。

 少なくとも、バジャックがチャックを庇った場面を、俺は二度ほど目撃している。一つは、あの暴走直前の夜の乱闘だ。トンバは裏切って剣を向けてきたが、チャックはずっとバジャックの後ろにいた。そしてもう一つは、先日の沼地越えだ。あの時も、チャックが足を踏み外して蜂の巣穴に落下した時、バジャックは身を乗り出して降りていった。

 バジャックは、悪人だ。悪人だが、悪人なりの道理もあるのかもしれない。


「おっ、水音が聞こえましたよ」


 話しているうちに、黒土の丘の麓近く、大きな岩壁の脇に俺達は立っていた。


「じゃ、さっさと手を洗ってきます」


 そう言うと、チャックは足取り軽く、岩壁の向こう側へと走り出していった。

 やれやれ、手を洗いたいとか、そんなくだらないことで……ただ、俺も本来は料理人、彼も薬屋だ。手が不潔なことには耐えられない。気持ちはわかる。ある意味、運がよかったのかもしれない。バジャックのいないところでなければ、こういう話もできなかっただろうし……


「ひゃあああ!」


 と思っていたら、離れたところからチャックの悲鳴があがった。

 まさか魔物!?


「どうしたっ!」


 俺は慌てて岩壁を回り込み、彼のいる方へと駆け出していった。

 そこは、ちょっとした岩棚から滝になって水が降り注ぐ場所だった。そしてそこには、数人の獣人族の若い女性が……


 二十分後、俺とチャックは、村長の家の前で土下座しながら釈明することになった。

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