長老達の会議

 非現実的な光景だった。

 カダル村に入って丸一日。夕暮れ時の空が、緑のドームの頂から垣間見える。既に木々は黒いシルエットになり果て、村は木々と広場を取り囲む要塞のような家々に囲まれて薄暗くなっていた。だが、そこに場違いなものが浮かんでいる。ガラス玉だ。

 前世の占い師が使っていそうな水晶球みたいな大きさのが、いくつも光り輝きながら浮遊している。真ん中に霊樹があるので焚火はできないだろうと思っていたら、こんな方法で照明を用意するとは。魔法の力が有り余っているルーの種族の村でしか見られないだろう。

 霊樹を囲んで、いつものあの座席代わりの桟敷みたいなのが、無数に石畳の上に並べられている。俺達はお客様なので、東に陣取る族長達のすぐ右隣りに席を与えられた。


「皆の者、静かに」


 ペルィの族長、トスゴニが杖を振って制すると、すぐ静かになった。

 あちこちの村から、珍しい外部の人間を見ようとやってきたルーの種族、それにこちら側の世界で生きる数少ない人間達が押しかけていた。もちろん、参加者は厳選したのだろう。席がない人はいないのだが。


「喜ばしい知らせがある。まずはビナタン村の同胞ディエドラが無事、人間の世界から帰ってきた」


 短い拍手喝采が浴びせられる。


「また、ラハシア村のアヤオタが一子ストゥルンが、父の遺言に従って我らを訪ねてきた。今日より我らの同胞がまた一人増えたのだ」


 また拍手喝采。


「最後に。こちら、外部の人間であるファルスが、行方不明になっていたアイル村の生き残りの一人マルトゥラターレを人間の街にて保護しているという。今すぐには難しかろうが、数年後にはこちらに連れてくる機会もあるだろう。なおファルスは、ディエドラの救出にも協力しておる。我らルーの種族に助力を惜しまぬ彼らに、感謝の意を。恐らくは縁を結ぶことになろう」


 最後に盛大な拍手が降り注いだ。


「では、煩わしい挨拶はこれでしまいじゃ。これより新たな同胞となるストゥルンよ、皆の盃を受けよ! 作法など気にかけず、気儘に楽しむがよい!」


 歓声が沸き起こる。口笛を吹くのもいる。ここからは無礼講だ。

 ストゥルンが進み出て一礼すると、そちらに視線が集まる。彼は反時計回りに広場を回って酒杯を受け始めた。それを見届けると、トスゴニは静かに立ち上がり、無言で俺に手招きした。みんなが騒いでいるうちに、族長達はこっそりと広場に面した大きな家に入った。俺とディエドラ、シャルトゥノーマも続く。


「皆が楽しんでいるところ、済まぬがな」


 正面にはトスゴニ、その右隣りにはリザードマンの族長、左隣にはワリコタが座っていた。他、風の民や水の民の代表と思しき人物もいた。左側には巨人族の代表がいるために、部屋がやたらと狭く感じる。


「まず、改めて礼は述べておきたい。大金を支払ってディエドラを買い取り、ここまで逃がしてくれたと報告を受けておる。この恩義には必ず報いる」

「こちらこそ迎え入れていただけて幸いでした」

「じゃが」


 愛嬌たっぷりのペルィも、族長ともなればそうそうニコニコしていられないのか、彼は野生のゴブリンさながらの怖い顔で、俺をじっと見据えた。


「お主らの到来は、我らにとっては破滅の始まりよ」

「それは、でも、僕はここのことを誰かに知らせるつもりはありません」


 横からワリコタが言い添えた。


「ファルス殿が信用できぬという話ではない。いずれにせよ、人間達はもう、ラハシア村の目と鼻の先まで迫っておった。時間の問題だったのだ」

「だから、わしらは知らねばならぬ」


 風の民の代表と思しき老人が俺に言った。


「外の世界のことは、シャルトゥノーマを通じて多少は知っている。だが、せいぜい関門城の辺りまでのことしかわからない。ファルス殿は遠くから来たと聞いているが」

「はい」

「率直なところを教えて欲しい。もし、沼地を渡って人間の冒険者達がやってきたら、我々はここを守り切れるのか」


 難しい質問だ。いや、俺はルーの種族の能力も、人間の力も、それぞれピアシング・ハンドで透かして見ることができるので、単純比較なら簡単だ。だから、難しいというのは、どのような状況を想定すればいいかという点になる。


「最初の侵略は、まず間違いなく撃退できると思います」

「最初の?」


 訝しむ長老達に、俺は説明した。


「ルーの種族は優れています。人間の世界の普通の戦士を連れてきて戦わせたとしましょう。多分、一対一での勝負では、どの種族が相手でも、人間が負けると思います。風の民や水の民、それにペルィは魔法を使いますし、獣人族や巨人族、竜人族には、力で及びません。翼人族のように空を飛ぶ能力もありません」

「うむ」

「ビナタン村に至るまでの沼地の道は、簡単には抜けられません。運が悪ければ窟竜にも出くわすのです。もし人間側が大勢の冒険者や軍隊を連れて攻め込んできても、大勢が犠牲になることでしょう」


 この説明に、何人かの長老はほっと息をついた。だが、トスゴニは厳しい視線を向け続けていた。


「じゃが、それでもなお、我らが危険にさらされ得ると、ファルス殿はそう考えておるのだな」

「はい」

「ふむ」


 彼は腕組みして背筋を伸ばした。


「では、やるとしてじゃが、どうやってこのカダル村を攻め落とすつもりか」

「例えば、投石機を使います」


 至極単純な話だ。人間側には圧倒的な力がある。何が圧倒的かって、物量だ。


「少々の岩など、仮に投げつけてもペルィの魔法で弾き返してしまえるぞ」

「知っています。でも、それが一度に何十、何百も飛んできたら?」

「何百だと」


 もちろん、フォレスティアの岳峰兵団がここまで進軍してくるなんて、現実的ではない。ウンク王国にはそれだけの軍備はないし、クース王国にしても、またティンプー王国にしてもそうだ。だが、赤の血盟があと数年かけて戦力を充実させ、南方大陸北部の国々を支配下に置いたとしたらどうだろう? ただ、だからといって大森林に攻め込む理由はないのだが。だからあくまで仮定の話だ。


「例えば、僕はエスタ=フォレスティア王国という、海の向こうの国からやってきました」

「うむ」

「そこには五つの兵団があります。うち、三つには、それぞれ一万人もの兵士がいます」

「一万……では、三万人だと!?」


 ルーの種族は数が少ない。せいぜいのところ各種族の人数は数百、一千人に達する集団はいないだろう。


「それはあくまで国王直属の兵士の数でしかありません。兵士は、女子供、老人を含みません。戦うことしかしない男達のことです。普通の人を合わせたら、もっと大勢がいるのです」

「外の世界はそんなに栄えておるのか」

「それに、騎兵が数千、後方支援や工兵隊……ええと、つまり道路を作ったり荷物を運んだり、それから投石機を飛ばすのにも、一万人以上の人が関わっています」


 合計五万人程度の常備軍、これがタンディラール個人で動かせる軍事力だ。


「更に、王国には四大貴族がいて、それぞれ一万人程度の兵士は集められます。規模の小さな貴族の兵も合わせると」

「十万はいく、ということか。だが」


 いかに個の能力で優れていようと、十万もの戦力がここまできたら。

 とはいえ、すべては机上の空論ではある。


「ただ、もちろん実際にはここまで一国の軍隊が攻め寄せてくることはありません。関門城を守っているウンク王国にも、その北にある国々にも、今言ったほどの戦力はありません」

「そうであろうな」

「また、そういう大国の王が本気になっても、やっぱり攻め込むのは難しいです。まず、それだけの人間が食べるものを運ぶのが難しいからです」


 長老達は目を見合わせる。兵站というものが想像もつかないのだろう。


「更に、大森林を支配する理由もありません。軍隊にとってはルーの種族だけでなく、森に潜む猛獣や大蛇、それに魔物も敵になります。それだけの犠牲を払っても、見返りがないのです」


 何千人、下手をすると何万人もの死者を出す可能性のある、危険な遠征だ。だが、それに見合う利益がない。

 大森林の魅力はその希少な薬草や木材だ。大軍が安全を確保しながら進むとなれば、目の前の森は焼き払いながらということになるかもしれない。しかし、長期的に考えれば、そのやり方は侵攻する意味自体を失わせる。肥沃な黒土の丘が樹木の根に支えられず、流し去られてしまう。すると残るのは不毛な粘土質の沼地だけになる。そんな土地で手に入るのは泥蛙だけだろう。


「では、どうせそんな大勢が攻めてくることはないのだろう?」

「そうじゃ、森の中に今まで通りこもっておれば」

「冒険者くらいなら、我々で打ち倒せる」

「それはその通りですが、しかし」


 そう単純な話でもない。


「村の存在を知られたら、もしかすると帝都が動くかもしれません」

「帝都?」

「魔王に連なるものを許さないとする考え方を持った……その、権威ある大きな街です」


 もっとも、どれほどの動員力があるか疑問ではあるのだが。しかし、最悪の事態が起きないとも言い切れない。


「確かにルーの種族は強いですが、弱点もありますから。おわかりかと思いますが」

「霊樹のことじゃな」


 トスゴニが溜息とともに言う。


「その通りです。あれがあるから、ルーの種族は逃げられない。いくら辛抱強く戦っても、霊樹さえ壊してしまえば、人間側の勝ちです。壊さなくても、それこそカダル村なら、周りを取り囲んでしまえばもう」


 それだけではない。各村にそれぞれの霊樹がある以上、戦力の集中が難しい。どの拠点も一時放棄ができず、守り通せなくてはいけないのだ。しかし、だからといって数を増やすのも簡単ではない。繁殖力が旺盛なのはペルィくらいで、あとは人間と同じか、それより長命な種族ばかり。必然、少しずつしか子が生まれない。また、それぞれの村は黒土の丘の上に構築されているが、その間に広がる沼地も、現在は危険地帯だ。安全な後背地でのびのび数を増やす、ということができない。だいたい、霊樹という制約がある以上、生産拠点を無限に広げることもできない。


「要するに、人間が本気になったら、わしらは生き延びられんと、そういうことか」

「はい」


 族長達は、黙り込んだまま、互いに顔を見合わせた。

 ややあって、巨人族の代表が、地面から響いてくるような重々しい声で言った。


「わかっていたことではないか。そのためにどうするかも、考えておいたはずだ」

「ギィ」


 竜人族の長老も頷いた。

 ワリコタが代わりに口を開いた。


「結局、ここで話し合っていても始まらん。少なくともここ五百年、我々はこの森の奥で、どうにかこうにか暮らしてきただけに過ぎん。今となっては、外の世界を知らねばなるまい」


 トスゴニも渋々頷くと、視線を俺の横に座る二人に向けた。


「シャルトゥノーマ、それからディエドラ。改めてお前達に命じる」

「はい」

「縁を結べ。ファルスと共に人間の世界に向かい、知識を持ち帰るのだ」


 俺は軽く驚いて振り向き、またトスゴニの顔を見た。ワリコタが言った。


「二人とは、もう話し合った後だ。特にディエドラは、どうしても外の世界を見たいと言っておった。村でおとなしく暮らせと言っても聞かぬ馬鹿者は、他で働かせるしかあるまい」

「ということよ。じゃが、うつけ一人に任せるのでは気がかりゆえ、シャルトゥノーマも同行させる。こやつはこやつで、なかなかどうしてはねっかえりなのだそうでのう」


 三十年しか生きていないトスゴニが、三倍近く生きている彼女になんとも辛辣な物言いだが、この辺、どういう関係になっているのかがよくわからない。


「多少乱暴に扱っても構わぬ。苦しいのは承知の役目よ。ファルス、そなたが我らルーの種族を見捨てぬ限りは、こやつらもお主らを裏切らぬ」

「トスゴニよ、その言い方はどうなのだ」


 ワリコタが引き取って改めて俺に頼んだ。


「面倒をかけるが、二人に人間の世界を学ばせてやってはもらえぬか。そこの二人はもちろんのこと、我々も尽力はする」


 そういうことなら……ただ、俺はこの先、不死を得て眠るかもしれないのだが、そこをどうしたものか。


「ワリコタの言った通りよ。ファルス殿、お主がこれでよければ、少々変則的ではあるが、我ら族長が認める形で、縁を結ぶこととしよう。シャルトゥノーマ、ディエドラ、よく尽くせよ」


 彼らの期待を裏切る可能性がある以上、言っておかねばならない。


「少々お待ちください。条件があります」

「ふむ、なんじゃ」

「まず、可能な限り、僕がピュリスで保護しているマルトゥラターレは送り返そうと思っています」

「ふむ?」


 何を言わんとしているかがわからず、長老達は眉を寄せた。


「できれば彼女の目を治してからが望ましいのですが、今のところその見通しも立っていないので、そのまま連れてくることも検討しなければなりません」


 どうしても、ということなら手段はある。

 ピアシング・ハンドで別の人間の肉体をあてがってやれば……でもさすがにそれはナシだ。その選択は、基本的に誰かを殺すということだし、秘密が知られるリスクもある。


「それは嬉しいのじゃが、条件とは?」

「今はやるべきことがあるのもあって、お返しするのにお待ちいただくということと……僕が死んだ場合です」


 これを想定しないわけにはいかない。不老不死を得て永久に眠ることがゴールなのだから。


「その場合、同行している人間、できればノーラか、もしかするとジョイスあたりに、その仕事を任せていいかということがまず一点」

「う、うむ。じゃが、そんなものが条件か?」

「僕自身がどこまで面倒を見られるか、保証できないという意味です。もちろん、生きて動ける状態で放り出したりはしません。最悪、シャルトゥノーマの正体がバレた場合には、金で買った家畜扱いにしてでも手放さないようにはします。ただ、万一のことが考えられるので、その時はご容赦いただきたいのです」


 使徒の話まではできないので、どうしても意味不明な条件になってしまう。俺が不慮の死を遂げる確率は、決して低くはないのだ。


「もう一点」

「うむ」

「僕には目標があります。今回の旅は、かつてのルーの種族の都であるナシュガズと、遥かに昔に存在したという不老の果実を見つけることにあります。ご存じのことを教えてください」


 長老達は目を見あわせ、それから揃って頷いた。


「わしらが知り得ることをすべて伝えようとも」

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