沼地渡り

「見えるか」


 俺達は低木の茂みの中に身を伏せていた。すぐ下はべとつく粘土だが、構ってなどいられない。

 シャルトゥノーマがそっと指差す先に、小さな黒い影がいくつか浮かんでいた。


「あれが蜂だ」

「大きい」

「普段は泥の中にいるワームを狩っている」


 人形の迷宮にもいたワームだが、こちらにもいるらしい。多分、微妙に種類が異なるのだろうが。そういえばムーアン大沼沢にも「ムシ」がいたが、きっと同類だろう。


「あの蜂は、地面に穴を掘って巣を作る。見えるか、あの盛り上がったところがそうだ」

「大雨が降って洪水になったら、溺れるんじゃ」

「成虫は飛んで近くにある木の上に止まる。幼虫は……むしろ水の中にいないと生きられないと聞いたことがある」


 なるほど、変わった生態をしているらしい。まるでトンボみたいだ。


「奴らは肉食だ。獰猛で、とにかく目がいい。だから昼間は動けない。だが、夜はあまり目が利かない」


 目がよくて肉食、か。ますますトンボじみている。


「じゃあもしかして」

「そう、今夜はこのままここで寝る」


 なんてこった。こんな灌木の茂みにじっとしていたら、あっという間に全身、蚊に刺されてしまう。


「例の草を」


 後ろにいたイーグーが、あからさまに嫌そうな顔をする。だが、背に腹は代えられない。

 分量はあっても目方の軽い虫除けの草。乾燥させてあるから、尚更軽い。だが、とにかく臭いがきつい。ツンとくる。ましてや着火すると余計に……


「ウッ」


 ラピがあまりの臭いに呻き声をあげてしまう。だが、どうしようもない。


「やれることはない。夜までここで横になるだけだ」

「ギィィ」

「湿気が嫌だって? 竜人のくせに変なことを言うものだな」


 シャルトゥノーマの常識ではそうなのだろうが、砂漠種のリザードマンであるペルジャラナンにとっては、どうやら最悪の五日間になりそうだった。


「一気に焼き払ってしまえればいいんだけど」

「やめておけ。戦い始めると、何千匹も寄ってくる。それに臭いも付けられる。どこまでも追ってくるぞ」


 面倒臭い魔物らしいということだけはわかった。

 その蜂達だが、どうやら不完全な神通力を有している。ジョイスの透視能力の劣化版らしいが、『土中視覚』……つまり、地中だけ透過して見られるのだろう。だからこうして灌木に身を伏せている俺達には気付けない。


「見ろ」


 その蜂達が、ある場所に十匹以上、寄り集まる。そうして近くの灌木に止まって、地面の一点を囲む。そうしてから、一斉に羽を震わせ始めた。ここまでシャクシャクと何かを振るような特徴的な音が聞こえてくる。

 不意に蜂達が取り囲む場所の泥土が盛り上がった。かと思うと、そこからワームの頭が顔を出す。そいつはどうにも混乱したような感じで、何かを掴もうとして首を振っている。だが、その僅かな時間が命取りだった。

 ずっと体の大きいワームの横に、蜂が静かにとりついていく。そうして遠慮なく尻尾の針を突き刺していく。苦痛にワームは身をよじるが、もう遅い。次々と蜂がとりついては毒針を突き刺し、地中に戻ることもできず、やがて力尽きて横倒しになる。その上に蜂が覆い被さる。

 先日の魔物の暴走に比べれば、なんてことない自然の営みに過ぎなかったが、クーやラピにとっては刺激が強すぎたらしい。恐怖から自然と黙り込んでしまった。


「あの」


 だが、クーはすぐ可能性に思い至ったらしい。


「あの、ワームっていうのが、このすぐ下から出てくるってことはないんですか」

「いい質問だ」

「ヒッ」


 蜂はよくてワームはいい、なんてことはない。


「あのワームには、固い岩を噛み砕くだけの力はない。この泥の下には、ちゃんと岩がある。だから大丈夫だ」

「どうしてわかるんですか」

「何度も行き来している。これを覚えられないと、一人では奥地の村から出てこられない」


 言い換えると、もし仮に人間の冒険者が俺達の真似をしても、このだだっ広い沼地を越えるのは困難、ということだ。蜂に見つけられないために夜間の行動を選んでも、夜目は利かないし、こういう場所を知らないと、寝ている間にワームが地面から襲ってくる可能性もある。


「それでも絶対安全ということはない。他の魔物もいるから、用心するんだ」

「はい……」


 さて、夜間行動ということなら、俺も夜目が利く状態でなければなるまい。ルー語のスキルはいったん片付ける。それにまた、俺が持ってきた弓は、あの暴走の夜にシャルトゥノーマが使い潰してしまった。替えの弓がないので、これも不要だ。

 というわけで、実は昨日、ラハシア村を出発した時点で組み換えは済んでいる。


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 (自分自身) (13)


・アルティメットアビリティ

 ピアシング・ハンド

・アビリティ マナ・コア・身体操作の魔力

 (ランク9)

・アビリティ 超回復

・マテリアル プルシャ・フォーム

 (ランク9+、男性、12歳、アクティブ)

・マテリアル プラント・フォーム

 (ランク6、無性、0歳)

・マテリアル 神通力・暗視

 (ランク5)

・スキル フォレス語   7レベル

・スキル シュライ語   6レベル

・スキル 身体操作魔術  9レベル+

・スキル 剣術      9レベル+

・スキル 格闘術     9レベル+

・スキル 隠密      6レベル

・スキル 料理      6レベル

・スキル 病原菌耐性   5レベル


 空き(0)

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 あの魔物の暴走を引き起こした怪物から奪った『超回復』をつけておいた。どの程度の効果があるか、どんなデメリットがあるかはわからないが、少なくともミスリルに過剰に反応することはないはずだ。あとは暗視能力も持っておく。それにしても、つくづく枠が足りない。


 それからシャルトゥノーマは、ゴロンと仰向けになると目を閉じた。慣れたものだ。

 彼女を見習って、俺も寝ることにした。


 夕方遅くに、俺達は目を覚ました。

 ルーの種族の多くは暗視能力をもっているため、こういう準備はあまりしなくていいのだが、今回は特に気をつける必要がある。ロープを用意して、そこに一定間隔で輪と結び目を作る。全員、それを左手で掴んで歩くことになった。夜間は頭上に雲がかかっていることが多いため、地上にはほとんど光が差さない。この状況で視界を得られるのはシャルトゥノーマとディエドラ、あとは俺くらいなものだ。


「絶対に放すな。ディエドラが先頭を行くから、全員遅れずついてくるように」


 完全に日が沈むと、沼地の上を舞っていた蜂達が、破裂した瞬間の泡みたいな形をした自分達の巣に潜り込み、動かなくなった。それを見計らって、ディエドラが立ち上がった。


 物の輪郭も定かでない中、ひたすらに泥を踏みにじる音だけが聞こえてきた。誰も余計なことは言わない。ただ、前を行く人のロープに引かれるまま、ついていくだけ。

 最後尾にはジョイスについてもらった。なお、火を点すのは厳禁だ。滅多にないが、稀に光に吸い寄せられて、蜂が飛んでくる場合もあるらしい。だから松明で視界を得ることはできない。俺はいいが、完全な闇の中をひたすら歩くだけの他の仲間達の不安は計り知れない。


 どれほど歩いたことだろうか。足下の音に小さな異変が混じった。気配に気付いて、足並みが乱れる。


「まっすぐ」


 前からシャルトゥノーマの声がする。いちいち些細なことに気を取られるな、と。見えないから不安になるのもわかるが。

 今、沼地の道をひたすらに歩く俺達のすぐ近くには、無数の巨大ゴキブリがいる。それと、まだ近づいてきてはいないが、頭上には巨大コウモリも少しいる。昼間の地上は蜂が支配する世界だが、夜にはもう少し格の落ちる魔物が這い回る。数はいるものの、人間の群れを見て襲うかどうか決めかねて、ついてきてしまっているのだ。


「わ! く、くそっ!」


 すぐ後ろにいるチャックが、左腕を振り回している。袖にゴキブリが食いついてしまったのだ。

 魔宮モーでやられたから俺もよくわかっている。こいつらはとにかくしつこい。


「じっとしていろ」


 そんな虫けらは、この剣で切り落としてしまえば済む。だが、肝心のチャック自身がバタバタと腕を振り回して引き剥がそうとしているおかげで、下手に動けない。うっかりすると、彼の腕まで吹っ飛ばしてしまう。


「くっ、この」

「何をしている!」


 前からシャルトゥノーマの叱責が飛ぶ。


「わぁっ!」

「チャック!」


 そのまた後ろのバジャックが叫ぶ。

 不注意にも、チャックは縄を手放してしまった。ゴキブリを引き剥がそうとするのに、邪魔だったから。だが、その瞬間、頭上からコウモリが彼に襲いかかった。そして彼は泥に足を滑らせ、盛大に転倒した。


 俺は剣を抜き放ち、とりあえず頭上を飛び回るコウモリを乱暴に叩き切った。だが、その間にも、転がったチャックに無数のゴキブリがたかる。彼は追い散らそうとナイフを振り回し、それが手からすっぽ抜けて離れたところに転がった。


「じっとしてろ!」


 バジャックが槍の穂先で慎重に足下を確かめながら、感触だけでゴキブリを特定し、刺し貫いて始末していく。俺もその横で次々ゴキブリを踏み潰した。


「さっさと進もう。グズグズしてるとワームが出るかも」

「す、すみません。あ、でもナイフを」


 ゴキブリに取り巻かれた際に落としたナイフを拾おうとして、彼はよろよろと暗がりに踏み出した。

 その時、最後尾にいたジョイスが叫んだ。


「バカ! 待て! そっちは」


 その瞬間、チャックの体が縦にスライドした。足下の泥を踏み抜いて、まるで落とし穴に嵌ったかのように、真下に滑り落ちていったのだ。

 多分、透視能力を持つジョイスには、そこの地面が薄く、危険なことがうっすら見えていたのだろう。


「チャック! クソ!」

「バジャック! 待て!」


 バジャックはロープを手放し、迷わずチャックが滑り落ちた穴へと飛び込んでいく。


「何やってるんだ! 見えないくせに!」

「ファルス!」

「ジョイス! そっちは頼んだ!」


 俺は少し遅れて急な泥のスロープを滑って降りた。

 結構な深さだ。五メートルくらいはある。ただ、真下に落ちるのでもなかったから、視界もあって気をつけて降りる分には、怪我をする余地はなかった。だが、足下ではチャックが呻きながら転がっている。バジャックも着地に失敗して、膝を打ってすぐには動けなくなっていた。

 恐らくここは、蜂が居座っていた巣穴だ。但し、とっくに使われなくなって放棄されている。その理由は……


 背後にいる仲間達とは反対方向に向かって、なだらかな下り坂が続いている。その通路の向こうに、身を縮めた巨体が小さく紫色の炎を口から漏らした。

 こんなところに窟竜とは。


 だが、それで終わりだった。俺に対して、強さというものは、部分的な意味しか持ち得ない。

 黄色い種が泥の上に音もなく落ち、それですべてが終わった。


「おい! 大丈夫か! しっかりしろ!」


 穴の上からシャルトゥノーマが呼びかける。種を拾った俺は、急いで駆け戻った。


「ロープを垂らしてくれ。済まない。チャックが少し体を打ったらしい」

「だ、大丈夫、です」

「一人ずつ引き上げてください」


 思わぬ収穫だった。多分、この前の暴走に参加しなかった……つまり、動き出す前に終わった個体だったのだろう。今は巣穴でゆっくり眠っていたところだった。穴掘りが得意な竜でもあるから、普段は地上に興味を示すこともなかったはずで、俺達が落下しなければ、出会うこともなかった。

 にしても、随分と身近に大きな危険があったものだ。


「まったく、慌てるな。何かあったら落ち着いて助けを求めろ。私達がなんとかする」

「はい」


 説教されて、チャックは俯いた。


「行くぞ」


 とはいえ、グズグズはしていられない。シャルトゥノーマはすぐに前を向き、俺達は再び行進を始めた。


 沼地越えの初日にこうした大きなミスがあったせいか、この後は大きなトラブルもなかった。

 歩き続けること四日、誰もが疲労困憊していたが、ようやく沼地を抜けて、次の目的地、ビナタン村まで一日の場所まで辿り着いた。

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