別れの作法

 今日も良く晴れていた。碧玉の月も既に下旬に差しかかっている。大森林の天候もそろそろ安定してくる季節らしい。外の世界では初夏だが、この時期、こちらでは少しだけ雨が減るという。

 朝から出発の準備に追われていたが、今は手元も落ち着いてきた。俺とノーラとジョイス、フィラックとタウルで荷造りを済ませた後は、特にやることもなく、見送りのためにぶらついていた。


「準備はいいか」

「ああ」


 男達に声をかけられて、少ない荷物を背中のリュックに詰めたアーノが、不機嫌そうに返事をする。彼を取り囲む送還役の顔にも、緊張の色が見て取れた。それも無理はない。アーノが、そしてワノノマの魔物討伐隊が、どれほど執拗にルーの種族を狙ってきたか、それはお互いがよくわかっている。そして送還役の面々のほとんどがルーの種族だ。河を渡るので水の民が一人、それを助けるのに風の民からも一人。魔物の目を欺くのと、筏作りを担当するペルィも一人。それと、最終的にはアワルがやってくるはずの川岸まで行かなくてはいけないが、そこにはさすがに亜人連れではまずいので、人間も一人。


「アーノさん」

「途中で引き返してすまんな」

「いえ」


 彼は実に残念そうだった。自分の知らない世界を前にして、まだ気力体力とも充実しているのに撤退を選ばざるを得ない。理由には納得しているものの、悔しくないわけではないのだ。


「心配しなくても、アワルにはうまく伝える。魔物の暴走のせいでペダラマンは死んだ。ゲランダンの班にも大きな被害が出たらしい。ファルス達とははぐれた。全滅したとみなして、後方支援は終わりにして、保証金を受け取っていい。これでいいんだろう?」

「はい」


 俺達の方はというと、この先の探索について、ルーの種族の村々の支援を受けて継続することになっている。支援というとなんだか親切にされているように聞こえるが、要はヒモ付きだ。食べるものも寝る場所も道案内も、すべて引き受けてくれる。だが、勝手な行動は許されない。これが俺達に課された条件のうちの一つだ。


「それにしても、すっきりせん」

「お気持ちはわかりますが」

「大方、建前が大事で看板を下ろせなかったのだろう。無様なことだ」


 アーノは憤慨したように言った。

 帝都のイデオロギー、即ち世界の正義とは、女神の下で戦った英雄ギシアン・チーレムであり、反魔王である。だから当然、魔王の種族である亜人も肯定しようがない。なのにその亜人達に事実上の自治領を与えて相互不可侵を定めていたなんて、表向きには言い出せなかったのだろう。


「だが、大森林までやってきたのも、無駄ではなかったな」

「おや、そうですか」


 彼のどこか退廃的な雰囲気を纏うその眼差しが、俺に向けられる。


「その若さで我が太刀を受け切る才能、後の楽しみができた」


 おっと、そうだった。

 大義名分のない殺戮、それも真実を隠した上でのプロパガンダに踊らされて戦うのは御免蒙りたいのだろうが、基本、やはり彼は戦闘狂なのだ。


「そんな機会がないことを祈ります」

「ふん」


 俺がなんと言おうと、彼の内心では既にロックオン済みらしい。リュックを片手に背を向け、彼は送還役の男達の方へと歩いていった。粗末な村の門扉が開かれる。


「そうだ、言い忘れていた」

「なんですか」

「お前のその剣だ。はっきりとは言えぬが、何かよからぬものと見た。でなくば、クガネがあのようにはならぬ」


 あの夜の戦いで、彼の刀は赤黒く輝いていた。女神が鍛えた霊刀なら、女神に背くものを討つべく反応するのだろうから。


「並の邪悪であれば、クガネと打ち合わせただけでへし折れようもの。それがあのように傷一つなかったとなれば、尋常ではない。気をつけるがよかろう」

「心します」


 彼は頷いた。言いたいことはこれですべてだったらしい。


「また会おう」


 それだけで、彼は身を翻して歩き去っていった。


 アーノの出発から少し間をおいて、俺達もまた、ラハシア村を去る。彼とは正反対、南に向かう予定になっている。俺達の方には、奥地からやってきた案内役なんてものはいない。引き続きシャルトゥノーマが引率する。

 出発までの空いた微妙な時間、俺は所在なく立ち尽くして村を眺め渡していた。


「ギギギッギギィ、シュシュウ」

「うん、うん」


 家々の狭間から、ペルジャラナンとクヴノックが話し込みながら歩いてきた。ルー語を多少なりとも理解できるようになった今、二人が何を言っているかも少しは聞き取れる。ルー語は、種族がかけ離れていて発声能力に問題がある場合、いくつかの段階を経て表現を変えることができる。最終的にはモールス信号みたいになってしまうのだが。

 ペルジャラナンの懸念するところは、南方大陸のリザードマンと自分達との相違だ。海辺の火山岩みたいな皮膚をした沼地種と、自分のようなツルリとした肌を持つ砂漠種では、どうにも違いがありすぎる。しかも、アルマスニンら長老達から聞き知った歴史からすると、自分達は過去にイーヴォ・ルーを裏切った側なのではないか。

 だが、結論から言うとその辺は杞憂だった。というより、南方大陸の奥地に辛うじて生き延びているだけのルーの種族には、そこまでの歴史的知識が残っていなかった。魔人ケッセンドゥリアンの名は知られているし、それが西の彼方の戦いで没したらしいという話も残っているが、彼に従った竜人達の運命までは、あまりよくわかっていなかったのだ。

 それも無理からぬことで、どうやらルーの種族は大昔に自分達の故郷を失っているらしい。それがナシュガズなのだろうが……


「おーう、そろそろ出発だな」


 話が一段落すると、クヴノックは笑顔を浮かべて振り返った。


「遠いところから、これまた遠い親戚を連れてきてくれて、ありがとうな」

「親戚、ですか」

「そりゃあそうさ。俺達ルーの種族は、遡ればみんな、始祖の遠い子孫なんだからな」

「始祖?」


 どこかで聞いたような気がして尋ね返すと、クヴノックは両手を広げて言った。


「黒き花嫁さ! イーヴォ・ルーの妻にして娘、使徒達の夫にして父また母。あらゆるルーの種族の上にいらっしゃるお方なんだ」


 そうだ。パッシャが崇めているのも、この黒き花嫁だった。

 しかし妻と夫、父と母、矛盾した属性を当たり前のように兼ねている。どんな格好をしていたんだろう?


「今でも祭りの時には祝詞を唱えるとき、呼びかけてるんだぜ。我らがコラ・ケルンよー、ってな」

「コラ・ケルン、それが名前ですか?」

「あ、いや」


 頬をポリポリ掻きながら、クヴノックは答えた。


「そこんとこ、実はよーわからんのだ。名前なのか、称号なのか」

「ああ、なるほど。偉い人ですもんね」

「そういうこと!」


 あんまり偉い人が相手だと、本名より敬称のがよく使われるので、そちらで定着してしまったりする。で、どうも話を聞く限り、ルーの種族の伝承には欠落があるようなので、黒き花嫁の本名も確かではない、ということになるのだろう。

 俺達が話し込んでいると、別の家の中からバジャックとチャックが慌ただしく出てきた。長い槍が狭い出入口につっかえて、大きな音をたてる。


「おっ? なんだ、アーノの野郎、もう行きやがったか」

「見送られようなんて人でもないので」

「へっ、まぁ、俺らの世界の付き合いじゃ、そんなもんだ」


 俺は気になったので、二人に尋ねた。


「本当についていかなくてよかったんですか。今ならまだ間に合うはずです」

「あ?」


 俺が良心からそう言ったのに、バジャックの反応は鈍かった。


「おい、チャック」

「は、はい?」

「こっから引き返せば、お前、ペダラマンのバカが埋めた財宝掘り返しゃアーノと山分けできるぞ」


 変なことを言うものだ。じゃあバジャックは黄金はいらないとでも?


「いやまぁ、そうなんですけどね」

「はっはは、じゃあ、このまま籠の鳥だな」

「いや、二人とも笑い事では」


 ルーの種族の族長会議では、バジャックとチャックにも立ち入り許可を与えた。但し、二人については特別な制限がかけられている。

 ラハシア村まで来たのは仕方がない。ここから引き返すなら帰還のための支援も行う。だが、あくまで奥地に進むのであれば、ケカチャワン以北、関門城以南の土地に立ち入ることは今後禁じられる。わかりやすく言うと、もう帰れない。

 もしこの約束を破った場合、命の保証はしないと明言されている。ルーの種族の精鋭が暗殺にくるとしたら、人間としてはそれなりに優秀なバジャックでも、安全を確保するのは難しい気がする。

 ちなみに、俺にはそういう制限はかけられていない。いつかマルトゥラターレをこちらに連れてきて欲しいのだろうから、当然だ。


「亜人や獣人のいる村で、死ぬまで過ごすんですよ?」

「俺は別に構わんね」


 だが、バジャックに迷いは一切なかった。


「そうなったとしたって、大して違いなんざねぇよ。どうせ俺はもうじき五十だ。そうなりゃ一線で奥地に挑むこともなくなる。赤の血盟に追われる立場で関門城の内側にしかいられねぇってなら、同じことだろが。第一、もうお前らにバレてるしな」

「どうせならもっと捕まりにくいところに逃げてやれ、と」

「そういうつもりはあんましねぇけどよ。今まで何度も奥地に挑んで、見られなかったもんを見られるんだ。どう転んだって俺に悔いなんざねぇ」


 だが、そう言っておいてバジャックはチャックの背中を叩いた。


「けど、お前はまだ若いだろが。ガッツリ財宝持ってウンク王国なんか出ちまえよ。故郷に帰って贅沢しろ」

「故郷? そういえばチャックさんって」

「あ、はい、一応、東方大陸の出身でして」


 背が低く、冴えない感じの男だが、まだ若い。二十代後半だ。


「もともとは商人の家の出です、はい」

「それが大森林で冒険者ですか」

「ま、まぁ、ですね、いろいろありまして」


 それはそうだろう。訳ありでもなければ、こんな危険で居心地の悪いところに流れてきたりはしないものだ。


「帰れなくなっていいんですか?」

「あ、まぁ、はい、その辺はもう、覚悟の上で」


 はて、どんな理由があってのことか。

 ただ、イーグーみたいなのと違って、直接に俺達への脅威になり得る能力を有しているのでもない。薬物について多少詳しいのと、商売をよく知る点はそこそこ有用だが、言ってみればそれだけだ。


「ひえぇっ、こんなに持っていくんですかい?」


 噂をすればなんとやら。離れた小屋からイーグーの悲鳴が聞こえてきた。


「これくらいはないと、沼地を越えられんよ」

「勘弁してくだせぇや、この草、やたらと臭うんで」

「だから魔物が寄ってこんのじゃて」


 俺達には『人払い』の魔法があるから、魔物を避ける手段はちゃんとある。だが、それに頼り切るのもよくない。ノーラが疲れ果ててしまったら、誰もカバーできないのだ。同じ失敗は二度しない。……いや、厳密にはイーグーなら余裕でカバーできそうなのだが、多分してくれないだろうし。

 大きな籠に乾燥させた魔物除けの草を詰め、イーグーが荷物の横に置く。自分では担ぎたくないらしく周囲をチラチラ見回している。


「ファルス」


 シャルトゥノーマがこちらに歩み寄ってきた。


「ここに残っているのは、みんな南に向かうと確定したと考えていいんだな」

「そうなる」

「じゃあ、進み方を簡単に説明する。明日の昼まで、あるところまでは昼間に移動するが、その後はずっと夜間の活動になる」


 ここから数日ほど、沼地を渡り切る道を進む。だが、日中の行軍はできない。なぜなら、巨大蜂がそこかしこに飛び回っているからだ。連中は、沼地の泥を掘り起こして、土中に巣を構築している。一匹くらいはさほど苦労せず倒せるが、恐ろしいのはその数だ。一度揉めると何百何千と寄り集まってきて大変なことになる。だから、ここを無事に渡り切れるのは、夜目が効くルーの種族だけだ。普通の人間が無理やり夜にここを歩き通そうとしても、うっかり蜂のいる穴に転落するのがオチだからだ。そしてもちろん、ここに潜む魔物は蜂だけではない。

 この説明がどうして今、出発直前になったかといえば、この移動方法を知らせないためだ。危険極まりない沼沢地だが、ルーの種族にとっては外敵の侵入を食い止める防壁でもある。


「ここからは本当に危険になる。順調にいけば五日ほどでビナタン村に辿り着ける。沼地を渡り切るまでは辛抱してくれ」


 説明が終わったとみて、クヴノックが進み出た。


「短い間だったが、会えて楽しかったよ。外の人間と話す機会があるなんて思わなかった」

「こちらこそ、大変お世話になりました」


 初めて見た時には人語を話すゴブリンにしか思えなかったが、マルトゥラターレの言った通りだった。ペルィは陽気で人懐っこく、頭がよくて器用な種族だと。


「ナシュガズに行きたいんだったね」

「はい。それと不老の果実も探しています」

「んー」


 彼は顎に指を触れながら、何かを考える仕草をしていた。


「だとすると、ここへは戻らないかもね?」

「と言いますと?」

「言い伝えでは、ナシュガズは雲を掴める場所にあるんだ。つまり、山の上ってことなんだけど」


 中空に地図を描くようにして、彼は語ってくれた。


「南の高山のこっち側は、だいたい俺達も知ってるんだ。で、そちらには心当たりがない。だから君らが捜す不老の果実ってやつは、その更に南にあるかもしれないんだ」

「はい」

「ってことは、わざわざこっちに引き返すより、いっそ南に抜けたほうが、人間の世界に戻るのなら、近道かもね?」


 そういうと、クヴノックはバジャック達の方に向き直ってウィンクした。


「どうしてそんな」

「なに、俺らに意地悪するんじゃなきゃ、こっちも閉じ込めたりなんてしたくはないからね」


 彼ら二人に課された条件をクリアして、かつ人間の世界に戻るとすれば、大森林を縦断するしかない。それはそうなのだが、いちいちそんなことを教えてやるあたり、底抜けにお人よしだと思う。


「じゃ、そろそろ出発か」


 するとクヴノックは居住まいを正して、俺達に宣言した。


「俺から君らへ……沼地の足跡を、祭りの夜の喧騒を、高峰からの素晴らしい眺めを贈ろう……あとは頼んだ!」


 いきなりの奇妙な言葉に、みんなキョトンとしていた。それは俺も同じだったのだが、どうもどこかで聞いたような表現だと思い、記憶をまさぐる。

 そうだ、これはケッセンドゥリアンの最期の挨拶そっくりだ。


「んん? もしかして知ってた?」

「クヴノックさん、縁起でもない!」

「はっははは!」


 だが、彼は陽気に笑い声をあげるばかりだ。


「俺が風の民ならこんなこたぁ言わないんだけどよ。ペルィの命は短いんだ」


 要するに、俺達がラハシア村を去ってから、無事に大森林を縦断して人間の世界に戻ったとする。それから数年して、俺がマルトゥラターレを伴ってここにやってきても、もうそこにクヴノックはいない。彼はもう十六歳だ。早ければあと四、五年で寿命を迎える。長生きしてもあと十年くらいだろう。これが今生の別れだから、彼は自分の死に際しての別れの挨拶をしたのだ。


「そんな顔すんな。俺ぁ何にも不満に思っちゃいねぇ」

「でも」

「人生、短いおかげで、生まれてから死ぬまで、退屈なんざしねぇで済むさ! はっは、不老の果実なんか食ってみろ。きっと暇で暇でおかしくなっちまうぜ!」


 俺の肩を乱暴に叩くと、彼は言った。


「何を探したっていいけどよ、どうせなら探しもんより道中の景色を楽しみな! 頼んだぜ!」


 こうして俺達は、ラハシア村の人々に見送られて、南の村々への旅路についた。

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