はじめてのペルィ
目を覚ますと、もう日が昇っていた。近頃、久しぶりの安全地帯ということもあってか、気が緩んでいる。
簡素なベッドから降りて、扉を開ける。外に出ると、森の中のみずみずしい空気がしっとりと胸の中を潤す。これが昼になると、とにかくムシムシして不快でしかないのだが、涼しさの残る朝だけは、この湿気がむしろ心地よい。
ラハシア村、その丘の上の城壁の内側にも、外周に近いところには大木が生えている。そしてまた、そういう木々の陰になるようなところに小屋を建ててある。直射日光を避け、涼しく過ごすためなのだが、単に景観目的だと言われても納得してしまうだろう。このところ、毎朝のように聳える木々を見上げている。陽光を透かしている緑の葉が、まるで輝くエメラルドのようなのだ。木々の根元を埋め尽くす苔の深い緑も、これも踏み荒らすのが躊躇われるほど美しい絨毯だ。
この村に来るまで、大森林の自然をそんな風に眺めたことはなかった。森の景色は常に変わらずそこにあったのだが、意識が違ったのだ。
ひとしきり朝の静かな時間を満喫したところで、俺は村の広場へとゆっくり歩いていった。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
俺が挨拶すると、既に起きて働いている村人も返事をしてくれる。
「今日も蒸し焼きですか」
「こいつはやればやるほどいいもんだ。昔から、そう言い伝えられてるからな」
しゃがんだまま、静かに白い煙を漏らすばかりの黒土の山を、その年嵩の男は静かに眺めていた。
「バジャックは」
「いつも通りだ。今日も鉈をもって、連れの……チャックってやつと、沼地まで行ったよ。本当に働き者だな」
「あ、怠けていてすみません」
「いんや、あんたら、お客だからな」
ここ一週間ほど、俺達は何もせず、村の中で食っては寝ての気楽な日々を送っていた。お客だからという理由もあるのだが、そこには俺達に勝手に動いてほしくない村側の思惑もある。
「おっ、噂をすりゃあなんとやらだ。おーい」
東側の門を潜ってやってきたバジャックが、背中に大量の木片を背負いつつ、こちらに手を振った。その後ろにはチャックも続いている。
「おらよ。これでいいか」
「助かる。しばらく蒸し焼きには困らんな」
「そいつはよかった」
二人が自発的に引き受けている仕事とは、沼地の低木を切って持ち帰るというものだ。これは、いくつもの理由から、この村の利益になる。
まず、低木が魔物の隠れ家を提供するので、減らした方がいい。泥蛙みたいなのが身を潜める場所は、少なければ少ないほど安全になる。だが、それだけではない。彼らが持ち帰った木材は、建材や燃料としては期待できないが、別の使い道があった。
「倉庫にぶちこんどいてくれや」
「わかった」
では、この座ったままの村人は何をしているのか? だから蒸し焼きだ。
捻じくれた沼地の灌木など、素材としては役に立たない。だが、それらも周囲の栄養を取り込み、育ってきた植物だ。だからその栄養素を土に還元すれば、この黒土の丘の土壌は豊かになる。要するに、前世の熱帯雨林でも広く行われていた焼畑農業と同じ理屈だ。但し、盛大に火を放って一帯を焼き払ってしまうのは、実は効率が悪い。焼かれる植物の栄養素のかなりの部分が大気中に放出されてしまうからだ。だから、このラハシア村の住人は、昔から自分達の住む村の土の品質を保つため、地面の下で植物を蒸し焼きにして黒土を作ってきた。
この事実に、俺は軽い驚きと戸惑いをおぼえている。なぜなら、こういう黒土の丘は、大森林の広い範囲に連なっているからだ。すると、イーヴォ・ルーが支配していた時代の大森林というのは、実はありのままの大自然なんかではなく、人工的に作られた巨大な農地ということになる。
思えばマンガナ村の丘にしても、丘と丘を繋ぐ古い城壁のような人工物があった。また、黒土の丘の天辺から黄金などの人工物が見つかることがあるというのも、この推測を裏付けている。
だが、そうなるといろいろと辻褄が合わないところも出てくる。
では、今の過酷なこの大森林の環境はどういうことだ? 木の洞に潜む毒蛇くらいならいざ知らず、巨大蟻や吸血虫など、危険な魔物が山ほどいる。イーヴォ・ルーが健在だった時代には、これらの怪物も人と共生でもしていたのだろうか。とてもではないが、まともに暮らせたはずがない。
少なくとも、狂ったペルィ……ゴブリンは、ルーの種族にとっても、このラハシア村の人間にとっても、危険な敵らしいということはわかっているのだが。過去に何かがあったのだろうけれども。
「いよーう、おはよう、ファルス」
後ろから陽気な口調で話しかけてきた。この特徴あるしゃがれた声は、すぐ区別がつく。
「おはようございます」
「おう、おはよう」
振り返ると、俺より背の低い相手が立っていた。貫頭衣を身に着け、頭にサークレットのようなものをかぶっているが、見た目はゴブリンそのもの。くすんだ暗い緑色の肌、大きな目と耳。背が低く、一見貧相で頼りない手足。
だが、彼の表情がすべてを物語っている。俺が今まで相手どってきたゴブリンとは違い、口元には笑いじわができている。彼、クヴノックは……生まれて初めて出会ったペルィだ。
------------------------------------------------------
クヴノック・オキトゥ (48)
・マテリアル デミヒューマン・フォーム
(ランク5、男性、16歳)
・アビリティ 高速成長
・アビリティ マナ・コア・精神操作の魔力
(ランク5)
・アビリティ マナ・コア・光の魔力
(ランク5)
・アビリティ マナ・コア・力の魔力
(ランク5)
・スキル ルー語 5レベル
・スキル シュライ語 5レベル
・スキル 槍術 3レベル
・スキル 精神操作魔術 6レベル
・スキル 光魔術 6レベル
・スキル 力魔術 6レベル
・スキル 薬調合 5レベル
・スキル 料理 5レベル
・スキル 裁縫 5レベル
空き(35)
------------------------------------------------------
まるでゴブリンの王チュタンを思わせる能力だが、こちらにはもう一つの魂もくっついている。だからなのか、彼はやたらと人懐っこく、親切でもあった。お節介焼きともいう。
「飯は食ったかー」
「いえ、まだです」
「なにぃ、そりゃあいかんな。俺の手料理が冷めちまうぜ」
「済みません」
と言っておきながら、彼は俺を焦らせもしない。どこに面白いポイントがあったのかは不明だが、彼は天を仰いで笑い始めた。
「なーに、お前さんらが寝坊助なのはわかっとる。いつもみたいに焼けた石を挟んどいたでな、少しくらい遅くっても構わん構わん。好きな時に食え」
かつてマルトゥラターレが「ペルィは陽気な種族」と言っていたのが思い出される。クヴノックは明るくて楽しい人だ。裏も表もない。
彼は三年ほど前に、奥地からやってきて、このラハシア村に滞在している。もちろん遊びに来ているのではなく、使命を果たすためだ。
ここはほとんど人間しかいない村なのだが、その役割は、危険な沼沢地の向こうに隔離されたルーの種族の村々を庇うことにある。だから、ここまで人間の冒険者が攻め込んでくるなど、異変があった場合には、なんとしても事実を伝達しなくてはならない。
しかし、ここから南には黒土の丘を経由して歩いていくルートがなく、ほぼ沼地ばかりが広がっている。危険地帯でもあり、緊急事態を知らせようにも、使いの者が走り抜けられる保証もない。そこで高度な精神操作魔術の使い手が村に常駐し、何かあれば奥地の村にいる別の魔術師に通信して知らせる。
問題は、人間にはほとんど魔力がなく、また魔術を学ぶ手段も乏しいために、この通信係をこなしにくいところにある。その点、ペルィはその多くが生まれつき魔術師としての才能に恵まれているので、探せば必ずこの仕事をこなせる誰かが見つかる。一応、危険な仕事なので、ある程度歳をとっていて、犠牲になる覚悟のあるペルィが役目を受け持つ。
普通の人間の基準からすると随分と多芸なクヴノックだが、霊樹との繋がりを保っているペルィなら、みんなこの程度はできるらしい。ただ、生まれつき使える魔法の種類は、人それぞれだというが。誰もが頭がよく、手先も器用だ。但し寿命は短い。短ければ二十年、長くてもだいたい三十年ほどで死を迎えるという。
「今日も勉強するのかい?」
「クヴノックがお暇なら」
「なぁに、俺の仕事なんて暇、暇! よぉし、やろう! とっとと飯食ってこい!」
そういって彼は俺の背中を叩いた。
俺が彼に教わっているのは、ルー語の知識だ。デクリオンから抜き取ったきり、教師も得られず困っていたのだが、クヴノックは「古来からの秘密の言葉」を惜しげもなく伝授してくれた。これから更に南の村々を巡るのなら、覚えておいて損はないだろう、と。
実は奪ったスキルのおかげなのだが、そのせいでやたらと習得が早く、彼には「人間のフリをしたペルィ」などと言われてしまっている。
俺達向けの食事は、村長との最初の面会に使われた、あの集会所で供されている。村の規模を考えれば当然なのだが、ご馳走どころか毎度同じようなメニューばかりだったりする。ただ、味は悪くない。
扉を開けて中に入ると、すっと涼しくなった。他のみんなはもう食事を済ませたのか、或いはまだ寝ているのか、そこにいたのはアーノだけだった。
「おはようございます」
声をかけられて、彼は食事を中断し、こちらを虚ろな目で見つめたが、それだけだった。
無理もない。彼の中には葛藤がある。亜人、獣人、ゴブリン、トロール……それらは討伐するべき邪悪な魔物である、と教わってきた。だから大森林に討伐隊が置かれない件についても、上層部の弱腰か、悪くすれば実は生き延びていた魔王の謀略か何かではないかとさえ考えていたのだ。
それがどうだ。彼は今、毎日クヴノックの用意したスープを食べている。
俺も鍋の前に座り、自分の分をよそった。中に入っているのは、トウモロコシ、ジャガイモ、黒豆、その他青野菜……おっ、今日は肉も少し入っている。
限られた材料でいつも同じようなものを作るしかないのだが、飽きるということがない。クヴノックの料理に手抜きがないからだ。
食べ終えて席を立とうとしたところで、アーノが呟くような声で尋ねてきた。
「龍神のことを、どう思う?」
なかなか答えにくい質問だ。
俺は軽く溜息をつき、座り直してから答えた。
「あんまりいい印象はないですね」
「だろうな。連中の言う通りだとしたら、モゥハは罪もない人々を死に追いやってきた」
「いえ」
今のところ、モゥハについては好きも嫌いもない。
「嫌いとすれば、ヘミュービのほうですかね」
「ヘミュービ? なぜだ?」
「贖罪の民ってご存じないですか。ヘミュービに仕えてるんですけどね。正直、使い捨てにされてるのを見ましたから」
それを聞いて、彼は深い溜息をついた。
「生き方を否定されたような気がしてな」
無理もない。アイデンティティそのものが揺るがされているらしい。
武芸を磨いて魔物を討ち、人の世に安寧をもたらす。それを目指せと言われて、厳しく自分を鍛えてきたのに。刀を打ち下ろす先には無辜の民となれば、自分で自分が嫌になりもするだろう。ことにアーノの場合、そればかりやってきたのだから。
「スッケに帰ろうと思う」
あらぬところをぼんやりと眺めながら、彼は静かに言った。
「そうですか」
「もしそこまで来ることがあったら、この先で見聞きしたことを教えてくれ」
もう一つ、彼をがっかりさせている現実。それは、アーノ一人だけがこの先にある村への立ち入りを拒否されたことだ。やはり、アイル村での水の民への虐殺が、相当な悪印象を残しているらしい。両親がラハシア村出身のストゥルンはいざ知らず、バジャックみたいな無法者すら、なんとか許可されたのに、だ。
ちなみにバジャックは、俺達と同行して奥地に向かう許可を得るために、ひたすら土下座しまくった。クヴノックが魔術で事情を説明し、通信した向こう側の村では、かなり会議が紛糾したらしい。結局、条件付きでの立ち入りが許された。
アーノはこのまま関門城に引き返す。ただ、一人ではさすがに危険でもあり、食料その他の物資も不足する。そこで奥地から、彼をケカチャワンの対岸、アワルの班との合流地点まで送り返すため、数人の戦士が派遣されてくる予定になっている。俺達がラハシア村にのんびり滞在しているのは、これを待つためだった。
「もちろん、そのつもりですよ」
「頼んだ」
一人黄昏れたままのアーノをおいて、俺は外に出た。
「キャーッ、スゴい!」
「はっははは、どうだどうだ?」
「どうなってるんですか、これ?」
見れば、地面に置いた手桶の中には水。そこから水の球がいくつも浮いて、円を描いて宙を舞っている。その水球が色とりどりに輝いていた。この手品を見せているのはクヴノック、見せてもらっているのはクーとラピだった。
なんとも平和な光景だ。
「あ、ファルス様」
「クー、いいものを見せてもらったな」
「はい!」
クヴノックが魔術を解くと、水は元通り、手桶の中にボチャンと落ちた。
「魔法って、すごいんですね」
「そうだな」
「ファルス様も、そういえば、できるんですよね」
「あ、あー……ただ、今、見せてもらったようなのは、僕でもできないな」
「そうなんですか」
クヴノックが両手を広げて、いつものしゃがれた声でクーに言った。
「こんなもんで驚くのは早いぞ? これから行く先にある村にはな、もっとすごい奴らがいっぱいいるからな! 世界のどこにもないくらい、それは面白いところさ!」
ただ、そこはこれまで、外部の人間の立ち入りを厳しく制限してきた秘密の場所だったはず。果たして歓迎されるのだろうか……
だが、彼は軽く俺にウィンクして言い添えた。
「俺は嬉しいよ。やっと故郷自慢ができる相手に出会えたんだからね!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます