ラハシア村への道
「ここは」
「ウソはついてない」
なんとか歩けるところまで回復したディエドラが前に立って俺達を案内していた。なお、彼女の服は、先の獣化によって裂けてしまったので、今は他の冒険者が持ち込んだ着替えを勝手に拝借して身に着けている。体格が合わず、少しダボダボだが。
そうして彼女に案内されて歩くこと一日。辿り着いた場所は、先日の暴走の前夜、俺とディエドラが戦った場所だった。目の前には川の流れがあり、そこに米粒型の巨岩が突き立っている。
「ココからカワをコえられる」
そこでシャルトゥノーマが前に出て、手をかざして遮った。
「言っておくが、この先に進むのなら、帰れない可能性もある。ラハシア村の判断で、永久にあちらに留まってもらわなければいけないかもしれない。それでいいのか」
念のための確認、というやつだ。無論、言葉の上だけのことではある。俺はもちろんのこと、アーノを足止めするのだって簡単ではない。ただ、常人にとっては意味のある脅しではある。
「……全員、帰る気はなしか」
彼女の視線は、特にバジャック達に向けられていた。三十年前から海賊で、今も大森林で脱法移民を襲ったり殺したりする、まるでモラルのない男だ。
「俺が逆らえると思うのか」
イーグーと同じく、すっかり荷物持ちの身分になった彼が、毒気のない笑顔でそう言った。
したたかだな、とは思う。プライドに縛られず、あっさり膝を屈することができる。だからこそ、彼は赤の血盟の指名手配を三十年もかいくぐってきたのだろう。
本当は連れて行きたくない人間ばかり。特にアーノは厄介だ。
野蛮なハンターとはいえ、バジャックはまだ常人だ。人間としては強い部類とはいえ、ルーの種族の戦士には敵わない。
一方、アーノはそもそも亜人を狩り殺すことを正義だと考えている。本来なら彼女とは水と油の関係なのだが、ラハシア村までは連れて行ってみると言っていた。何か思うところがあるのだろう。
そうなると、最悪の存在はイーグーなのだが、これはもう、俺が何とかするしかない。最悪の場合は種になってもらうつもりだ。
「ふん、まぁいい」
話が終わったと受け止めたディエドラは、その米粒型の岩の根元にしゃがみ込み、そこにあった平たい岩をひっくり返す。
「ココがヌけミチ」
見れば、その下には掘り抜いた地下道があった。入口は、人が何とか通り抜けられる程度の穴でしかないが、下には奥行きがありそうだ。リュックを背負ったままでは抜けられないので、荷物を下ろして、俺が先に中に飛び込んだ。
下まで降りてみると、両手を広げても届かないくらい、しっかりした地下通路になっていた。それが三十メートルほど続いていて、向かい側の出口からは微かに陽光が差し込んできている。
上から受け渡される荷物を受け取っては床に置き、最後に上から次々人が降りてきた。
「こんなところがあったのか」
バジャックは感嘆の声をあげた。
「約束は守らないとな」
俺がそういうと、彼は振り向いた。
「ゲランダンの地下道、なんてどうだ?」
そう言われると彼は笑い出し、声が通路に反響した。
地上に上がると、そこは対岸と同じく森の中だった。
すぐシャルトゥノーマが言った。
「ここからは安全じゃない。よく狂ったペルィが出る。お前らの言うゴブリンだ」
「それなんだけど」
俺は疑問を差し挟んだ。
「同じルーの種族なのに、話は通じないのか?」
これはずっと疑問だった。ゴブリンにもルー語の知識はある。それに集団行動できる程度の知性だってある。だったら対話の余地はないのだろうか。
「霊樹が与えるものは恩恵の力ともう一つの魂だが、代わりに預かるものもある。それが私達風の民の場合は子孫を得る力だが、これは種族によって異なる」
そう言うと、彼女は自分の胸に手をあてた。
「お前達がゴブリンと呼ぶ、小人族の場合は、心が壊れる」
「心が? でも」
「恐怖とか欲とか、そういうものは残る。考える力も。でも、自制心や愛着というものが大きく損なわれる」
そして今度は、指を頭にあてた。
「アジョユブ、人間にトロールと呼ばれている巨人族の場合は、知性が失われる」
言われてみればそうだ。グルービーの屋敷の地下で出会ったのがそうだ。丸太を投げるという簡単な仕事を覚えさせるのも一苦労だったと、彼は言っていたっけ。
冒険者としての初仕事で相手どったのも彼らだった。だが、あの劣化種トロールの家族には、愛着の絆ならばあった。助からないと悟った子供が、最後に父母の傍に近づこうとしたのを思い出して、チクリと胸が痛んだ。
「獣人の場合は、人間の形をとれなくなる」
ということは、あの巨大な獣の格好のままになるのか。
ペルジャラナンを指して、彼女は締めくくる。
「竜人なら、快不快の感覚が失われる」
これは聞いたことがある。アルマスニンもそういう話をしてくれた。
「特に精神に影響を受けると、私達の世界にもとどまっていられなくなる。だから霊樹を失ったら、子をなしてはならない。そうして生まれてきてしまったルーの種族は、魔物になってしまう」
グルービーが飼っていたリザードマンのクパンバーナーのことを思い出す。霊樹との接続を失った竜人が子孫を残してしまい、その子孫は感覚の欠落から正気をなくしていく。人形の迷宮でも聞いた話だが、だからこそ彼らはより好戦的になる。苦痛や恐怖にすら渇望を覚えるようになるから。
「ここから村までは二日ほどかかる。しばらくは飢えながらの行軍だ。ついてこい」
その日は速足で移動した。理由は単純で、もう食料の残りがないからだ。森の中で採取する努力はしてみたのだが、魔物の暴走の結果、周辺はひどく荒らされていて、成果が上がらなかった。補給を受けるためにも、どうせラハシア村への道を急ぐ以外になかったのだ。
それでも一日で到着できる距離ではなく、俺達はやむなく野営した。焚火を取り囲み、最後の食料を無言で食べていた。明日の朝からは、食事は手に入り次第になる。
「おい」
ジョイスが立ち上がって、ある方向に目を向けた。
「気配がするぞ」
彼がついてきてくれたのは、結果として大きな助けになっている。理由は、ノーラの負担軽減だ。敵の探知のために魔術を多用するのは、なかなかにつらいものがある。
ジョイスが指し示した方向には、何もない。こちら側の大きな焚火が火の粉を散らすためか、森の奥は黒一色に染まってしまっている。
「何か見えるか」
俺はシャルトゥノーマに尋ねた。既に『暗視』の能力は彼女に返却済みだ。
「狂ったペルィだ」
立ち上がりながら、彼女は忌々しげに言った。
面倒だが、どうやら撃退しなければならないらしい。とはいえ、ここにいる戦力を考えたら、さすがに並のゴブリンの群れがやってきたところで、相手にはならないのだが。気をつけたいのは、油断からの思わぬ一撃くらいなものだ。
そう思っていたら、森の奥に小さく赤い光が点るのが見えた。
俺はのんびりと「ああ、火魔術を使えるゴブリンの魔術師なんだな」と思い、息を吸って吐くように魔術核を引き抜いた。それだけで、そいつが抱え持っていた火球はひしゃげて四散した。
「ペルジャラナン」
「ギィ」
彼が手をかざすと、そこからうっすら黄色い火球がすっ飛んでいった。離れたところから、甲高い声で騒いでいるのが聞こえたが、やがて遠ざかっていき、完全にいなくなった。
俺達にとってはなんてことない程度の危険だが、そこらの冒険者にとってはこれだけでも生存にかかわる。ましてや暴走の後で、魔物が少ない状況でこれなのだ。ウンク王国の勢力が拡大するとしても、ケカチャワンの対岸を掌握するまでには、まだかなりの時間がかかるだろう。
翌日の昼に俺達は、とある丘の上に辿り着いた。丘の上は大抵平らになっているのだが、その斜面の始まる縁の部分に沿って、石の城壁が積み重ねられている。それも、思った以上にしっかりしたものだ。石の大きさ、形とも綺麗な長方形で、均一だった。
「入口は東側にある。回り込まなくてはいけない」
案内されるままに丘を半周して、その理由がわかった。このラハシア村の東側は狭く、斜面の下は絶壁になっている。攻撃側にとっては不安定な足場になるところに出入口を作った。だが、それにしては門扉の質が、石の壁のレベルと合っていない。木材だけで作られていて、金属の鋲すら打ってないのだ。
「誰か! 開けてくれ」
シャルトゥノーマがそう声をあげると、見張りの男がすぐに顔を出した。だが、後ろに冒険者らしい集団を伴っているのを見ると、怪訝そうな顔をした。しかもそこに、見慣れない明るい色のリザードマンまで混じっているとなると、余計にそうなった。
「少し待て」
彼はシュライ語でそう言うと、足早に城壁から駆け下りていった。
頭上からの太陽にジリジリ焼かれながら待つことしばらく、ようやく木の扉が開かれた。そのすぐ横にはさっきの男が控えていて、手を突き出してきた。
「武器をよこせ」
では、この剣を手放せということか?
一瞬、頭の中に靄がかかったような気分になり、躊躇ったのだが、よくよく考えれば俺がここで戦わなければならない理由などないのだし、と思考を整理した。意識して腰のベルトから鞘ごと剣を取り外し、預けた。
そのまま村の中央にある大きな半球形の建物に連れていかれた。中に立ち入ってみると、右手と左手に階段がある。螺旋状の階段は、球の頂点にまで続いていた。村の中の他の家屋は木造で、これといってみるべきものもなかったのだが、これだけは技術水準が違う。いつ、誰が拵えたのか。
そんなことを考えながら、俺達は勧められるままに床の中央に置かれた板の上に座った。いつかタウルの実家で見たのと同じ、椅子というには丈が低く幅が広いところに、刺繍を施した布が敷かれている。
待ち構えていたのは、白髪の老人だった。肌は浅黒いが、西部シュライ人よりはずっと明るい色をしている。やはり人種が異なるのだ。身に着けている服は粗末な麻の貫頭衣で、ここの生活レベルに見合ったものだった。
「遠来の客と聞いているが、シャルトゥノーマ」
「はい」
「ひとまずお役目ご苦労であった」
この老人の言葉も、シュライ語だった。
それから、彼の視線は俺達に向けられた。一人ずつの顔を眺め渡してから、改めて彼はシャルトゥノーマに尋ねた。
「それで、ビナタン村の馬鹿者を連れ戻す仕事をしたのはいいが」
この一言で、ディエドラの耳が力なく垂れた。
「外部の人間を大勢連れてきたのは、どういうことだ」
「はい。二つお話が」
この老人……恐らく村長なのだろうが、彼に敬意を払いつつ、シャルトゥノーマは説明した。
「一つはこちら、ストゥルンという者、こちらのラハシア村の人間を両親とするそうで、父母の故郷を知りたくここまで参ったとのこと」
「ふむ、その父母の名前は」
ストゥルンは居住まいを正して答えた。
「はい。父の名はアヤオタ、母はオナイブといいます」
「おお」
老人は感嘆の声を漏らしつつも、眉を震わせて悲しげな顔をした。
「その二人は十五になる前に村を捨てて北に向かったきり、便りがなかった。四十年近くも前のことじゃ」
「簡単に言いますと、父母は十年、関門城の外で仕事をして、その後、北に出ました。カークの街より船に乗って海を渡り、帝都パドマに行きました。ですが、一年ほどでその地を去り、結局、関門城の南側に戻ってきたのです」
「おお、なんという」
「その後に生まれました。父は獣と魔物の鳴き声を真似る術と、秘密の言葉を教えてくれました。いつか望むなら、森の奥にあるラハシア村を訪ねてみるがいいと」
「愚かなことを!」
老人は嘆息した。
「許されぬと思ったのだろうな。だが確かに、あれらのせいで、村から人間を見張りに送るのはやめてしもうた」
彼は目元を覆い、俺とストゥルンにだけは説明済みの歴史を口にした。
「もとはといえば、百年以上前にこの近くにあったアイル村が焼き討ちされたことがきっかけじゃった。水の民の棲み処がそこで、どうにもならんかった。そこへワノノマの魔物討伐隊がやってきて、村人を皆殺しにしよったんじゃ」
「ご老人、今、なんと?」
彼にシュライ語はわからない。この問いも、彼はフォレス語でしている。ただ、ワノノマという単語が聞き取れたのだ。
それでタウルが老人の言葉を訳して伝えた。するとアーノは眉間に皺を寄せて言い放った。
「では、ここの人間はやはり、魔物に味方しておるのか!」
今度はアーノの言葉を理解できない老人が眉を寄せる番だった。
シャルトゥノーマの翻訳を耳にすると彼は憤然として、言い返した。
「何が魔物じゃ! 水の民が魔物なら、ワノノマの奴らは人殺しではないか! アイル村が滅んだ時、奴らが何をしたのか知らんのか。一切争おうとせず、もてなしまでして命乞いをした者らを、一方的に殺したんじゃぞ!」
そこから語られたアイル村の最期の様子は、悲惨極まりないものだった。
百年以上前に、ケフルの滝付近から魔物討伐隊が奥地を目指した。その年の夏は降雨が少なく、ケカチャワンの支流も浅瀬ばかりになっていたことが災いして、ゴイの群れに襲撃されることもなく、討伐隊はあっさり河を渡った。そうしてとある丘の上に基地を構えた彼らは、偵察にとある武人を送り出した。
その男はアイル村を発見した。だが、自分達が狙われる存在だと承知していた村民は、とっくに警戒していて、そのワノノマ人を先に取り囲んでしまった。多勢に無勢、本来なら、ここで殺そうとすれば殺せる状況だった。だが、彼を村に連れ帰ってから話し合いがもたれ、結局は客人として歓待し、争いを望まないことを伝えて送り返した。
結果は、容赦ない襲撃だった。それもまず、子供達を人質にとるところから始まった。村長は子供達の助命を嘆願し、村にある僅かばかりの財貨もすべて差し出すと申し出た。ワノノマの武人達は、その首を容赦なく刎ね落とした。
そこからは殺戮と放火、まさに阿鼻叫喚のありさまだったという。見つけられてしまった霊樹は徹底的に破壊された。生き残った水の民は抵抗したが、魔物討伐隊も水魔術にはそれなりに熟練しており、そこまで効果をあげることができなかった。
結局、僅かに生き残った村民の一部は、より奥地の別の村で暮らすようになったという。
「奴らは卑劣な上に凶暴なのじゃ。決して決して許してはおけぬ」
話を聞き終えたアーノは、混乱しているようだった。呆けたような顔であらぬところを見つめるばかりだったのだ。
「だが、ご老人、それは仕方のないことではないのか」
アーノの側にも言い分がある。
「諸国戦争以後の暗黒時代には、亜人どもが関門城を攻め落とし、一時はエシェリクの街まで奪った。亜人や獣人には人間以上の力がある。我々外の世界の人間が安寧を求めるなら、戦わないわけにはいかぬであろう」
反論を聞き終えた老人は頷きながら、しかし厳しい表情で言い返した。
「まるっきり間違った話じゃ。お前達が関門城と呼んでいるトーシクの壁は、もともと我らのもの。外の連中の城はキニェシじゃ。エシェリクの街は大昔、我らが使徒エシェリキアに因んで名付けられた。あそこは我らとそちらの人間とが自由に行き来できる場所に定められておった」
初めて聞いた話に、俺達も目を見合わせる。
「これはギシアン・チーレムと、生き残ったルーの種族との間の盟約によってそうなっておる。我らの領域を侵しておるのはそちらよ」
アーノの顔色が変わる。さすがに彼も冷静ではいられず、語気も荒く言い返した。
「だが、では亜人どもが魔物を引き連れて北に攻め上った件はどうなるのだ! 攻め込まれたのなら、やり返して当然ではないか!」
老人は首を振った。
「そうではない。森の奥に暮らしていた亜人、獣人らは、魔物の暴走に追い立てられて、やむなく北に逃げたのじゃ。それを魔物と一緒にして殺し尽くしたのが、外の人間どもよ」
アーノは俯き、反論をやめた。
だが確かに、辻褄は合ってしまうのだ。
『関門城は何のために建てられたのか』
ギシアン・チーレムとの盟約はあっても、亜人達への敵意は残っていた。彼らを保護するための国境線として、トーシクの壁が建造された。
『世界統一から五百年、関門城の南に冒険者ギルドがなかったのはなぜか』
ルーの種族が自治を敷いており、必要なかったため。
『将軍セイはなぜキニェシに拠点を置いたのか』
生き残った亜人達が再軍備の上、人間側の世界を侵略してきた場合の防衛線として。下手をすると、逆に亜人達への攻撃を帝都として牽制するためだったのかもしれない。
『魔物討伐隊の大森林遠征が禁止されたのはなぜか』
魔物はいるし、暴走も起きるから、関門城を防衛するのはいい。だが、森の奥に暮らす亜人達に対する侵略は許可されていない。
「村長」
シャルトゥノーマが膝をついて、もう一件の話を切り出した。
「伝えなければならないことがもう一つ。こちら、ファルスが、アイル村の生き残りと考えられる水の民、マルトゥラターレを保護しているとのこと」
「おぉ」
険しい表情を一転して緩め、穏やかな笑みさえ浮かべてくれた。
「済まぬが、アイル村の者達の名前を一人ずつ知っておるわけではない。それはカダル村まで行かねば確かめられまい」
「そのつもりです」
「それで、マルトゥラターレはどこにおる」
俺が答えた。
「今はピュリスにいます。西方大陸の港町です。目を傷つけられて光を失っていますので、ここまでは連れてくることができませんでした」
「さもありなん。じゃが、命だけでも無事であってよかった」
一通り話を聞き取った村長は、大きく腹で息を吸って吐いた。
「よくわかった。カダル村まで連絡させるゆえ、結論が出るまで、この村に留まってもらおう」
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