第三十三章 神秘の地へ
ゲランダンの正体
やけにおとなしい太陽だった。それは傷口にそっと触れるガーゼのようで、いつものあの、頭上から熱と光を容赦なく放射する姿とはまったく別物だった。薄くなった雲を足下に置いたまま、遠い山々の向こうから、どこかぼやけた朝日が静かに丘の上を照らしていた。
樹齢数百年という大木が、そこかしこで倒伏している。根を引っこ抜かれたのもあれば、幹の半ばをへし折られたのもある。おかげで丘の上には、微かに橙色を帯びた光が満遍なく届いていた。なるほど、人は光を求めるものだが、ときに朝の光というものは、好ましくないものまで遠慮なく映し出す。俺達の宿営地だった場所がまさにこの場合で、そこは嘆息するしかないほど散らかっていた。
まず目につくのが突っ伏したまま動かない巨人の遺体。美味と評判のグリフォンのものもあったが、猛毒に侵されて死んだために、その鋭い嘴から紫色の体液を漏らして横たわっている。そうした大きな死体の狭間を、潰されて原型をとどめられなかった肉塊が埋めている。そこにトッピングのように、千切れ飛んだ巨大な蟻やゴキブリの足だけが散らばっていた。
当然、俺達が背にしていたテントもとっくに押し潰されている。そこに集積されていた物資も踏み荒らされ、或いは食いちぎられて、せいぜいのところ残骸が散らばっているだけに過ぎない。ここから使えるものを拾い出すのは、なかなか大変な作業になりそうだ。
「おはよう」
やっと俺が宿営地に帰り着いたとき、ノーラは落ち着いた声でそう言って迎えてくれた。
彼女もそうだが、生き残った他の人達も、みんなぐったりしていた。それでもジョイスとタウルは、俺を見るとなんとか立ち上がって、作業を始めた。とにかく一晩中戦い続けたのだ。何はともあれ、休養が必要だった。死骸の下からテントを引っ張り出し、なんとかもう一度、立て直そうとしている。この際、汚れには目をつぶるしかない。
「おはよう」
俺も返事をして、周囲を見回した。
「助かったのは」
「私達は無事。私達、だけは」
「ああ」
彼女の後ろには、無念にも持ちこたえられなかったペダラマンの遺体が転がっていた。彼の本来の能力であれば、なんとか生き残る目もあったはずなのだが、やはり直前の負傷が大きかったのだろう。ずっと後ろの方には、奇跡的に頭部だけ残ったラーマが転がっていた。その死に顔は不自然なほど穏やかだった。彼の後ろにいた女達も、どうやら残らず魔物の餌になってしまったらしい。
俺が抜けた穴を埋めきれなかったのだ。とはいえ、あの魔物を倒さない限り、暴走がここで止まることもなかった。
「魔物を動かしていたのは、やっぱりいたの?」
「ああ、そういう化け物がいた」
「そう」
多くを語る必要はなかった。
根掘り葉掘り確認するような気力など、今の彼らにはない。俺にも説明する元気などない。
俺の班の人間が誰も死なずに済んだのは、幸運でしかない。ディエドラのような負傷者も、クーやラピのような非戦闘員に至るまで、生き残ってくれた。ストゥルンも無傷だ。
そして、彼ら以外にもなんとかこの危機を乗り切ったのが二人……
「それで」
俺は彼女の足下を見た。
「もう縛ってあるのか」
せめてもの情けなのか、彼らがしゃがみ込むその一角だけは、魔物の肉片が散らばっていたりはしなかった。ゲランダンとチャックは縛り上げられ、地面に直に座らされていた。
「仕方ないじゃない。ジョイス達に何をしたか」
「何をしたんだ。想像はつくけど」
「この場所から南東のルートを案内して、断崖絶壁の上から、二人を突き落としたのよ。下は河で、そこにはゴイ、あの気持ち悪い人面魚がたくさんいたのに」
やっぱり、か。
「だからってすぐ殺すのも……魔物と一緒に戦ったのもあるから、だけどそれで帳消し、というのも虫が良すぎるじゃない」
「そうだな」
「まぁ、それを言ったら」
彼女の視線を感じてか、遠くに立って朝日の向こうに目を凝らしていたアーノが振り返る。
「ん? なにかな」
「話は聞いたわ。ディエドラは斬る、ファルスにも襲いかかる。好き放題してくれたみたいだけど」
「仕方があるまい。監督官の命令であれば、逆らうわけにもいかぬ」
「口実でしょ、それは」
悪びれないアーノと、嘆息するノーラと。
殺すぞ、と脅しても無駄な相手だ。強いからではなく、戦い抜いて死ぬことに迷いがないからだ。そして、こちらとしては何かと縁のあるヒシタギ家の名前を背負った人間をやすやすとは殺したくない。
「別に、死をもって償えというのなら構わんぞ。縛られずとも、逃げも隠れもせん」
「その代わり戦わせろというんだろう」
「よくわかっているではないか。ファルス、あれだけの剣を見てしまっては、欲が出ても仕方ないというもの」
これだから。
この手の人間、一番理屈が通じない。
「処分はあとで考える。面倒臭いからさっさと寝てくれ」
怒っても無駄な奴だ。
俺がシッシッと手首を振って追い払うと、彼はつまらなさそうな顔をして、ジョイスとタウルの手伝いに向かった。
「で、あとはこの二人か」
「一応、理由は尋ねておいたけど、嘘は言ってないと思う。それで話し合って、処分はファルスに決めてもらおうってことになった」
「結局、こいつらは何をしていたんだ」
タウルからも話を聞けていなかったので、俺がストゥルン達を連れて別行動していた間、何が起きたかを正確に把握できていなかった。
ノーラの説明によると、俺やジョイスが出発した日の昼前に、ノーラが四人で炊事の準備のため、丘を降りて燃料になる小枝を探していたところ、アフリーがいきなり武器を片手に追いかけ回してきた。ラピが捕まって首根っこを押さえられたので、やむなくノーラは『変性毒』で彼を殺害した。さっきまで自分達がいた宿営地に異変があったと悟って、そのまま三人を連れて森の奥に潜伏することにしたという。
本来ならゲランダンはこの日の昼にケフルの滝まで物資の回収に向かうはずだった。だが、何かがあって、急に予定変更をしたという。既に出発したトンバやプングナのところにグルを派遣して、ジョイスとフィラックの殺害を企てた一方で、アーノには監督官の指示ということで、ファルスの処分を命じた。
つまり、ゲランダンの態度の急変ゆえに、ジョイス達は襲撃を予期できなかったのだ。トンバとプングナは、出発時点では二人をサポートする立場という認識だった。それがグルからの指示を受けて、急遽二人を後ろから襲ったのだ。崖の傍に立たせたところで、グルが小型のナイフを投げてフィラックの足を傷つけ、ジョイスはフィラックを庇いながら戦うもさすがに多勢に無勢。そこでやむなく、彼を抱えて自ら川に飛び込んだ。
水中ではゴイの群れが早速襲いかかってきたのだが、ジョイスは神通力を駆使して、水中を移動して目立たないところで陸地に上がって難を逃れた。一方で、幻影を用いてゴイに食い殺される自分達の姿をトンバ達に見せておいたのだが。それから、フィラックを守りながらなんとか宿営地付近まで引き返し、反撃の機会を窺っていた。
では、タウルは何をしていたのか?
ゲランダンの立場からすると、タウルには必要な役割があった。ディアラカンは既に買収済みだったが、それだけでは弱い。ファルスやフィラックが私欲のために大森林の奥地で同行者を危険にさらし、大勢の冒険者を死に至らしめようとした、という事実を証言する人物が必要だったのだ。ゲランダンの配下に取り囲まれた彼は、拒否すれば死ぬと思い、その場では頷いた。
だが、俺の力を知っている彼が、そこであっさり寝返るはずもない。このままゲランダン達と行動を共にして、ファルスから裏切り者認定されたら、まず間違いなく助からない。というのも、ファルスは甘い人間ではあるものの、ノーラをはじめとした身内に手を出されると、手が付けられないほど激昂することがある。先の戦争がいい例ではないか。だからタウルは、居残っていたイーグーを連れて、とにかく宿営地から逃走した。
最初に合流できた相手はノーラだった。そこで軽く話し合った結果、ファルスへの救援は後回しで、まずジョイスとフィラックの回収をするべしと決まった。ノーラは引き続きクーやラピを保護しながらペルジャラナンと交代で休みを取りつつ待機し、タウルは森の中から食べられるものを少しだけ採取して四人に分け与えた後、南の支流の探索に向かった。
「じゃあ、ディアラカンを殺したのは?」
「俺じゃない」
ゲランダンは首を振った。
「ペダラマンだろう。死んだから押し付けてるんじゃない。俺には殺す理由がなかった。むしろ死なれたら困る」
確かに、せっかく買収して俺やフィラックの殺害を正当化してくれるようになったのに、その後で処分してしまったら意味がない。
「じゃあ、あとは任せていい?」
「ああ。休んでくれ」
するとノーラも背を向けて、たった今、ジョイス達が完成させたテントの中へと引き返していった。
この場には、俺とゲランダンとチャックの三人だけが残された。
「それで」
俺は力みもせず、ゲランダンに尋ねた。
「どうして僕らを殺すことにしたんだ」
「それは簡単だ。殺されるくらいなら殺す」
「僕らがいつ、お前を殺そうとした」
「最初からだ」
「最初から?」
俺が訊き返すと、彼は俺を見上げた。
「追われていると思ったからだ。ファルス、お前は赤の血盟のティズ・ネッキャメルのお気に入りだと言ったな」
「そうだ」
「サハリア人は執念深い。恨みがあれば、何十年でも追いかけてくる」
「それでバジャック・ラウトか」
俺がその名前を出すと、彼は頷いた。
「お前のことを、追手かもしれないと思った」
「考えすぎだったな」
「ああ」
俺の言葉に、皮肉な笑いを浮かべる。
「どうせもう同じことだ。ごまかす理由もない……三十年前の戦争で、俺は黒の鉄鎖について戦った。一度はハリジョンに上陸して、街に火を放ったりもしたもんだ。あの頃は若かった。まだ十五、六だったからな。後先考えてなかった」
「さぞかし武勲を挙げたんだろうな」
「シュライ人には珍しくない。ましてや俺にはムワの血も入ってる。上にいけなきゃ生きてる意味もない。なんでもありだったのさ」
そうして大暴れしたせいで、戦争が終わってからもつけ狙われることになった。黒の鉄鎖との停戦はなったものの、海賊同然の身分だったバジャックは保護されなかった。
「仕方がないから、俺は仲間達と一緒に東に逃れた。東方大陸の西岸を荒らしまわる海賊を、ま、十年くらいは続けた」
「根っからの悪党か」
「悪いことはしたさ。けど、そうでもなきゃ生きられなかった。が、そのうち、また赤の血盟の暗殺者に狙われてな。昔ながらの仲間は、そこで全滅だ。今度こそしょうがねぇってことで、大森林まで逃げてきた。あとはずっと」
顎を振り、ヤケクソになって肩をすくめ、冗談めかして言った。
「二十年もこんなド田舎で冒険者の真似事だ。何にもありゃしないところで燻るだけの人生。お宝なんざ見つけても、使い道も限られてる。歳も歳だし、頑張ったって王様になれるでもない。正直、気が狂いそうだった」
事情がだんだんと明らかになってきた。
「これは尋ねても仕方ないが、ペダラマンはなぜ襲いかかってきたと思う」
「お前らのせいだな」
「なに?」
彼は肩を竦めた。
「お前が余計なことを考えたりしないで、俺を頼ればよかった。普通の場所なら問題にならないことでも、ここでは問題になる。考えてみろ。一つの探索にボスが二人。お互い目障りな相手だったんだ。そこでお宝まで見つかった」
「なぜそのことを説明しなかった」
「お前らを信用できるのか? 元々俺のことを信用できないから声をかけた相手が牙を剥きますって言ったら、寝首を掻かれるのはどっちなんだかな。でも、対策はあった。だから俺はグルを連れて滝近くに戻ろうとしていたんだ。あいつがいれば罠を仕掛けておけるし、最悪の事態は避けられると考えていた。何もなければないで、それが一番だったしな」
だが、疑問がまだ二つだけ残されている。
「わからないことがある」
「いいぜ。なんでも答える」
「まず、お前の仲間達は、お前の正体をどこまで知っていた? 今回の探索の目的を理解していたのか?」
「いいや」
胡坐を組んでいた足を開いて、彼は力を抜いた。
「俺が奥地に行く権利を要求して、取り分を減らすのに同意した件じゃ、トンバやプングナには、かなり文句を言われたな。どうして儲けを減らすんだ、と。俺はペダラマンが信用できないから、とか適当に言い訳したが、もちろん、お前らが俺の命を狙っているかもしれないから、こっそり殺すためだったなんて、そんな話はできない。そんなことをしたら、奴らが俺を赤の血盟に売るからな」
「じゃあ、どうやって僕やフィラック達を殺すことを正当化したんだ」
「簡単だろう。お宝の取り分を増やすためだ。そういう理由をつければ、簡単に納得する。ここはそういうところだ。ペダラマンだってそうしたろう?」
なるほどと頷いて、俺はもう一つの、より核心的な問題について尋ねた。
「それで、結局、直前まで僕らを殺すかどうか、決断できてはいなかったみたいだが」
「当然だ。お前らが本当に赤の血盟の回し者かどうかなんて、わからなかった。可能性はある、ってだけで殺したら、逆に勘付かれかねない」
「じゃあ、どうして決断できた」
「そいつは」
ゲランダンは首を起こしてキョロキョロし、一点を見つめてから、振り返って言った。
「あいつがそう言ったから」
「あいつ? ラーマ?」
「ああ」
どういうことだろう? 俺は返事をしなかった。
「バジャック・ラウトを知っているなんて、言わなかった」
「ああ、俺も最初はそう聞いたんだ。だから、不安はあったが、とりあえずしらばっくれたままでいようかと思っていたんだが……お前らが出かけた後、ラーマがもう一度報告に来てな」
「なに?」
話した覚えはないのに?
とすると、彼の創作か。
「とりあえずは、相手は騎士だし、逆らわずにファルスに協力すると言ってしまった。バレたら怖いから言えなかったが、実はゲランダンがバジャックであることを知っていて、どこかで始末するつもりなんだと。あいつは俺にそう言った」
そういうことか。
ゲランダンは、俺達の目的を確かめる上で、昔からの仲間を使うわけにはいかなかった。自分の正体を知られたら裏切られかねない。といって、トンバやプングナは貴重な戦力だし、アフリーやグルにも一芸に秀でたところがある。それはここに残ったチャックも同じで、それぞれ役に立つからこそ、本当のことを言えなかった。
ラーマのようなどうでもいい奴だからこそ、仲間に引き入れ、便利に使った後、始末することもできるのだ。そういうつもりで、俺への探りを入れるのに彼を使おうと決断した。だが、ラーマはラーマで考える。バジャックって、実はゲランダンのことじゃないのか? ここまで神経質になるということは、命の心配をしているのでは? そう結論付けて、よりバジャックに気に入られようとして、そんなことを言ったのだ。
つまり、俺がノーラを使って精神操作魔術で彼の報告内容を精査した後で、ラーマが勝手に想像を膨らませて、作り話を吹き込んだ。疑心暗鬼に陥っていたゲランダンは、それを本気にしてしまった。だから俺の側もゲランダンの心変わりを察知することができなかったし、ゲランダンも誤報に惑わされて、とんでもない決断を下してしまったのだ。
これは、俺にとっても反省点だ。結局、精神操作魔術の力に頼って判断を誤ったのではないか。ゲランダンの頭の中は推測しても、間に入ったラーマのことは見落としていたのだから。
「さすがに、殺さないでくれとは言えないな」
何もかもを自白した後、彼はポツリと言った。
「とにかく、そういうことだ。チャックも何も知らなかった。俺に手を貸したのは確かだが、責任はない。殺すなら俺だけにしてくれ」
諦めがついているのだろう。彼はある意味、潔くそう言い切った。
俺はチャックを縛っているロープを解くため、彼の後ろに回った。その間にゲランダン、いや、バジャックは、思ったことを口にした。
「ただ、それはそれとして、ファルス」
「なんだ」
「だったら、お前は何しに大森林に来た?」
なるほど。自分を殺しにきたのでもないのなら、どうしてこんな秘境までやってきたのか。その理由が空白になる。
「もう説明した」
「覚えてないな。なんだったっけ……奥地のルートを開拓する?」
「違う。不老の果実を見つける」
俺が言い切ると、彼の目が点になった。
「お前、本気か?」
「ナシュガズという古代の都も探してはいる。ただ、最大の目的は、ルークの世界誌に記録されている不老の果実だ」
彼は口を開けたまま、俺をじっと見つめていた。
「そんなもの、本当にあるのか? いや、話に聞いたことはあるが」
「わからない。でも、あっても不思議はない。今まで、常識ではあり得ないものをいくつも見てきた。だから探す」
「見つけてどうするつもりだ」
「疑問に思うことか? 不老不死を願わない人間がどこにいる?」
数秒間、バジャックは俺の顔を呆けたように眺め続けた。やがて頬が緩み、それから弾けたように笑い出した。
「ファルス! ファルス! それは面白いな!」
「気が狂っていると言われても仕方ない」
「いいさ、いいさ! いいじゃないか。なぁ、頼む。俺も連れて行ってくれないか」
殺されそうになっているのに、なんと図太いことか。
「立場をわかっているのか」
「金は要らない。下働きでいい。信用できなきゃいつ殺してもいい。俺は帰らない」
今度は俺が呆ける番だった。
「多分、ペダラマンがルルスの渡しに財宝を隠しているはずだが」
「そんなものいらない。おい、チャック」
「は、はい」
いきなり呼ばれて、チャックは目を回していた。
「お宝は全部お前にやる。一人で帰っていいぞ」
「い、いや、そんなこと言われましても」
滅茶苦茶なことを言われて、彼は呆けた顔でなんとか返事をした。
「こんなところ、どうやって一人で生き延びて帰るんですか……」
俺は大きく溜息をついた。
「もういい。お前らの処分は、寝てから考える。その辺で勝手に寝てくれ。まったくアホらしい」
毒気を抜かれてしまった。
なにかもう、いろいろどうでもよくなって、俺は二人に背を向けた。
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