大地の覇者
仲間の傍を離れ、緑のドームの途切れる場所まで駆け下りると、荒れ狂う夜の暴風雨に直にさらされた。横殴りの生ぬるい風に吹かれて、大粒の雨が頬を打つ。防具の隙間から忍び込んだ雨水が、既に汗だくになった体を冷やしていくのがわかる。きつく縛ったはずのブーツの口から水が溜まったのか、足が重い。
ときどき空が青白く明滅する。間を置かず地を揺るがす轟音が響き渡る。衝動のままに一心に北を目指す魔物達。俺の頭上を巨大コウモリがよろめきながら飛んでいる。生あるものも、命のない空や大地も、何もかもが狂っていた。
だが、この天候はともかく、魔物の暴走については、どうやら抑えられないものではないらしい。俺はそれに気付いた。
だいたい奇妙ではないか。ゴキブリをどう調教したって「北にある人間の拠点を攻撃する」なんて命令は理解させられない。サルはともかくコウモリにも難しいだろう。ゴブリンやキュクロプスはいいとしても、泥蛙や蟻にも同じことが言える。
あの集団だが、微妙な挙動の違いがあった。ゴキブリ、サル、コウモリは、俺達を襲うことにそこまで頓着していなかった。どちらかというと、後ろからやってくるより強力な魔物から逃げているように見えた。逆にしつこかったのは蟻以降の魔物だ。わざわざ足を止めて後列にいたラーマ達を取り囲んでいた。
しかし、それだけでは何とも言えなかった。暴走が起きる原因が、大森林深部の資源不足によるものだったとしたら? 蟻は飢えていて、目についた餌に襲いかかっていただけかもしれない。だが、その後に押し寄せたキュクロプス、グリフォン、そしてトレントは、互いに争う様子を見せなかった。これが自然界の動物かと疑うくらい、一方的に俺達人間をつけ狙った。
極めつけが舞い降りたあの窟竜だ。あれでようやく得心がいった。
この魔物の暴走は、誰かが『魔獣使役』のスキルを行使した結果ではないのか?
以前、人形の迷宮の深層で、リザードマンの王レヴィトゥアが窟竜を使役しているのを見ていなければ、このことには気付けなかったかもしれない。
そう考えると矛盾がない。キュクロプスはグリフォンやトレントが敵対しないことを知っている。だから背後をとられる心配をせずに俺達に集中できた。そして、人型のゴブリンやキュクロプスには残らず『破壊神の照臨』がついていた。連中は恐らく『魔獣使役』で支配されているのではなく、別のロジックで動いている。だが、とにかく動員命令には従っているのだろう。
それ以外の魔物が、使役者の命令で人間の拠点を攻撃するために北上している。人間を殺せという命令だから、途上にいる俺達にも襲いかかる。だが、仲間同士では傷つけあったりしない。
となれば、この暴走を終わらせるためには、その使役者を倒すのが近道だろう。あの場所で持ちこたえようにも、あれがもし丸一日以上続いたら、さすがに耐えきれない。食事も睡眠もなし、休憩も交代要員もなしだ。だから、決断は早ければ早いほどいい。
問題は、誰がその使役者なのか。
イーグーではないだろう。彼にもその能力はあるが『魔獣使役』に限っていえば、レヴィトゥアよりレベルが低い。たった6レベルで窟竜まで操れるものだろうか? だいたい、俺達と行動を共にするメリットもない。もしそのつもりがあったのなら、森の中であえて俺達とはぐれてみせたはずだ。一時的にはタウルだけが同行者だった状況もあったはずで、その時であれば簡単に行方不明になれた。
だから俺は……あの森の中から響いてくる、角笛のような異音が、その命令の合図ではないかと考えた。
この暴風雨の中、音の発生位置を正確に特定するのは難しい。それでも、大まかな方角は間違っていないはずだ。とはいえ、途切れなく鳴り続けているのでもない。ここまで来たが、行き過ぎてはいないか。逆にまだ遠くなのか。
そう思い悩んでいると、さっきより近い場所から、またあの野太い音が聞こえてきた。これ幸いと走り出す。
踏み込んだ先は、形の定かでない、崩れかけた低い丘だった。足下は一応黒土で、生えている木もまっすぐ上に伸びる大木ばかりなのだが、周囲を湿地に取り囲まれており、地盤沈下でも起こしたような状態になっている。俺達が陣取っていた場所に比べると水はけも悪いらしく、ところどころに水溜まりがあった。
シャルトゥノーマから奪った暗視能力をまだ本人に返していなかったのが幸いして、視界は悪くない。降りしきる雨のせいで遠くまでは見通せないものの、星明りも届かない雨天の下、木々の輪郭もはっきり見えている。
さて、肝心の使役者はどこに……
だが、それらしい影はどこにも見当たらなかった。
ここではないのかもしれないが、ではもう一度、角笛の音を聞くまでは、ここに待機したほうが……
そう思った時だった。
急に足下が不安定になるのを感じた。揺れている。この暴風雨に、魔物の暴走に、地震まで?
違う!
俺は強引に横に跳んだ。揺れる地面を足場に跳んだのだ。着地などできない。それでも、ここに留まってはいけない。
頭をすぐ近くの大木に打ちつけた。俺は無我夢中になってその木にしがみつき、一気によじ登った。
その直後だった。
地震というより、すぐ足下が爆発したような衝撃が巻き起こり、俺がしがみつく大木ごと宙に浮いたのを感じた。と同時に、すぐ下から生木の裂ける音が聞こえてきた。
身体強化していなければまず足を折る高さから投げ出され、俺はなんとか着地した。
地面の揺れは収まりつつあったが、振り返ってもといた場所を確認すると、大樹が根元から真っ二つに割れていた。特に根の方が激しく砕けている。それで察した。
敵はこの地面の下にいる!
理屈はわからないが、だとすると相性が悪いどころでは済まない。ピアシング・ハンドは現在、クールタイムを終えて使用可能になっている。だが、認識できない相手に行使することはできない。そうでなくても、常に地面の下に留まって、一方的に攻撃を浴びせてくる相手を、どう倒せばいい? 恐らく剣も槍も届かない。もし使えても、火魔術も当てられない。
「くっ!」
立ち止まってはいけない。俺は走り出した。
精神操作魔術を使えば『意識探知』で相手を探しやすくはなる。だが、大森林では効果が薄い。なぜなら、土中にも数多くの生命がいるからだ。泥蛙とこの敵を区別できるだろうか?
俺の知る中で唯一有効性の高い能力は、ジョイスがもつ『透視』の神通力だろう。あれがあれば、少なくとも敵の居場所は確認できる。確か、バクシアの種のどれかにも納められていた。だが、今から能力を組み換えると、ピアシング・ハンドのクールタイムがまたここから一日。意味がない。
俺が立ち去ったすぐ後ろ、震動と共に泥の柱が噴きあがるのが見えた。やっぱりそうだ。俺を認識して、土中から一方的に攻撃を浴びせようとしてきている。
だが、これは恐らく「当たり」だ。今まで、こんな攻撃を仕掛けてくる魔物はいなかった。泥の中に潜むだけなら泥蛙もできたし、連中は落とし穴を仕掛けてきたが、あんな風に大木を根元からへし折るほどのパワーはなかった。これが使役される側の魔物の能力なら、とっくに俺達に向けられていたはずで、そうでないということは、高い確率でこいつ自身が使役者なのだ。
俺は走りながら、唐突に右に左に跳ねまわった。そうでなければ、足下にいる敵を攪乱できない。どうも土中での機動力は低くないらしく、走る俺に追いついてくる。フェイントがきいていなければ、一撃で体を持っていかれてしまう。
こんな状況は想定していなかった。黒竜の肉体でも取り込んでおけば……腐蝕魔術の用意があれば。だが、ないものねだりをしても仕方がない。
どうすれば、どうすれば。
このまま避け続けるのに成功しても、反撃には繋がらない。空を飛べれば、相手も業を煮やして出てくるかもしれないのに……
空?
何かが閃きかけた。いや、今の俺は飛べない。でも、何かできることがあるような気が……
逃げ惑いながら、俺はとにかく闇雲に走った。敵の攻撃は凄まじく、俺の立っていた場所から一メートルほどしかないところにあった大木が持ち上がり、簡単に引き裂かれた。その一瞬、鋭い牙のような、角のようなものが見えた気がする。折れた樹木は、あらぬ方向へと倒れていく。
どこへ行けばいいのだろう?
そうだ。貯水池は? あの四角い池だ。水の中なら、奴も土中に潜ったままでいるわけにはいかない。問題は、俺自身の水泳能力が特にないことだ。水魔術の力もない。動きが不自由になる水面、または水中、それも岸辺から遠く離れた場所まで行き着けなければいけない。では仮に、あちらに何か水魔術などの攻撃手段があったらどうなる? うまくやれれば誘い出せるが、しくじれば大変なことになる。
では、どうすれば?
とにかく、数秒間があればいい。二、三秒ほどの間、相手を視認できるような余裕が。
すぐ後ろで、また大木が爆裂した。
その勢いに投げ出されて転倒する。慌てて起き上がるが、次の攻撃はすぐには来なかった。もてあそばれているのだろうか?
だが、いちいち立ち止まって考えるべきではない。俺はまた、無心に走り出した。
走って逃げた先に斜面が見えた。別の黒土の丘だ。坂道を登るべきか、それとも迂回するか。だが、丘の下には泥蛙もいるかもしれない。急いで逃げるのに、丘の上に登るのは……
その時、言葉にならないイメージが、頭の中に閃いた。新たな川の流れによって分断された、あの丘。ディエドラに案内されたあの場所。
それに何の意味があるのか、自分でも説明できないままに、俺は力を振り絞って丘の上へと駆け上がった。
木々の狭間を抜け、丘の中央の平たい一角に落ち着くと、さすがに俺も力尽き、膝に手をついて息を切らした。身体強化していてこれだ。もう、ほとんど余力はない。
それでもすぐ呼吸を整え、後ろに目を向ける。すると、案の定……
大きな影が無数の木々をへし折りながら、まるで暴走列車のようにこちらに向かってくるのが見えた。
何に似ているかと言われれば、巨大なサイと答えるしかない。体表は明るい黄土色で、鼻先から頑丈そうな角がそそり立っている。顔の両側には目元を覆うマスクのようなものが反りかえっていた。トリケラトプスのエラのような、固い鎧の役目を果たす部分なのだろう。
足は四つあり、いずれも象のように太く、皮膚も分厚かった。前足にはショベルのような爪がついていた。縦に長い体をしていて、振り上げた尻尾の先には固く結晶化した連接鎚矛のようなものがついていた。
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<ベヒモス> (25)
・マテリアル モンスター・フォーム
(ランク7、両性、251歳)
・マテリアル 神通力・念話
(ランク3)
・マテリアル 神通力・探知
(ランク3)
・マテリアル 神通力・暗視
(ランク3)
・アビリティ 剛力無双
・アビリティ 超回復
・アビリティ 痛覚無効
・アビリティ ビーティングロア
・アビリティ マナ・コア・土の魔力
(ランク9)
・アビリティ マナ・コア・力の魔力
(ランク8)
・アビリティ 火の魔力耐性
(ランク4)
・アビリティ 水の魔力耐性
(ランク4)
・アビリティ 風の魔力耐性
(ランク4)
・アビリティ 土の魔力耐性
(ランク4)
・アビリティ 力の魔力耐性
(ランク4)
・アビリティ 身体操作の魔力耐性
(ランク4)
・アビリティ 精神操作の魔力耐性
(ランク4)
・アビリティ 破壊神の照臨
・スキル メルサック語 4レベル
・スキル 土魔術 9レベル
・スキル 力魔術 8レベル
・スキル 爪牙戦闘 7レベル
・スキル 魔獣使役 8レベル
空き(3)
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そいつは、俺を押し潰そうとして、肩を怒らせ身構えて咆哮し……消滅した。
それを見届けると、俺も力尽きて、その場に膝をついた。仲間達のことが気にかからないわけではないが、立ち上がる力が湧いてこなかった。
あの時の閃き。やっと理解が追いついた。
あの魔物は、土魔術の力で土中を遊泳する能力を持っていたのだろう。だが、石とか金属といったものまで透過するのは簡単ではなかった。それが不可能かどうかはわからないが、少なくとも遊泳速度が落ちるなど、動きを制約する要素があったのかもしれない。だから追撃を浴びずに済んだりもした。
この黒土の丘の下には、石で組み立てられた基礎がある。あれだけ大量に、しっかりと石を積み上げた場所があると、あの巨体ではすり抜けるのが難しい。だからこうして姿を現して、直接地上で俺を轢き潰すことにしたのだ。
あの魔物が俺のピアシング・ハンドのことを知っていたとは考えにくい。単に土中に留まることが有利だったから、いつも通りそうしていただけだ。といって、陸上の戦闘に弱みがあるのでもない。だからああして出てきた。
気付けば、いつの間にか風が収まりつつあり、雨も小降りになっていた。空が白み始めている。
やがて、朝の到来を告げる小鳥の鳴き声を耳にして、俺はようやく危機を乗り切ったのだと悟ったのだ。
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