宿営地の異変
木々の黒いシルエットが、右に左に流れていく。下生えを跳び越えて、足を止めずに駆け抜けていく。
一日かけて歩いた道を、俺は全力で引き返していた。疲れはあるが、今、急がなければならない。夜が明けるのを待つわけにはいかない。
一つには、夜が明けると同時にシャルトゥノーマが行動を再開するだろうから。暗視能力を奪われた以上、彼女も危険を冒してまで夜間に活動することはない。こうして距離を稼いで彼女の襲撃を回避するなら、今をおいてほかはない。
だが、もっと重要なのはアーノの件だ。彼は監督官から討伐命令を受け取って俺を追いかけた。実のところは、本気で従うつもりもなかったようだが……しかし、ではその命令を下した理由は? ディアラカンに俺を殺すだけの必要性があったかといえば、当然にあり得ない。
そうなると心当たりは……やっぱり、ゲランダンだ。
材料は不足しているが、彼が赤の血盟と何らかの関わりがあるのは、ほぼ間違いない。恐らく追われている。黒の鉄鎖に味方して、暴れまわったことがあるのかもしれない。だからこそ、俺がティズの関係者だと知ると、あっさりと獣人を手放した。
だが、やはり彼は疑心暗鬼になったに違いない。常識的に考えて、俺みたいなのがやってくる方がおかしいからだ。大森林でも一攫千金できなくはないが、そんなのは貧乏人の夢だ。事実、キトの税収を我が物とする俺にとって、経済的合理性は何一つない。そんな人物が、配下の連中に豪華な装備を持たせてやってきた。
だから、別の目的があるはずなのだ。またそうでなくとも、ゲランダンという名を名乗るこういう人物が大森林にいた、という情報が赤の血盟に渡るのも困る。彼が俺達のことを、復讐目的の暗殺者だと想定するのも、無理からぬことではある。
その確認のために、ラーマを使った。俺達の内情を確かめたいからこそ、何の取柄もない男を仲間に引き込んだ。
だが、俺はバジャック・ラウトの存在を知っているとも、知らないとも言わなかった。あの場にいたのはラーマだけだ。だから、俺がどう認識しているか、いきなり変なことを言われて硬直しただけかもしれないという点まで含めて、まだゲランダンにとっての材料は、不足しているはずだった。
それもあって、彼が行動を起こすとはまだ考えられなかった。ラーマがあの時点で、決定的な報告をしていないことは、ノーラを通じて確認済みだった。だから大人しく偵察に出向いたのだ。それが……
何が彼にとっての引き金になったのかはわからない。
というより、ディアラカンによる討伐命令が彼によるというのも、現時点では俺の想像でしかない。だから、現地に引き返して事実を確かめる。
いろいろ取りこぼしているのはわかっている。ストゥルンの行方もわからないし、傷を負ったままのディエドラの安全も確認できていない。シャルトゥノーマとの敵対関係を打ち消す方法もまだ、見つかっていない。アーノについても放り出したままだ。
それでも今は、仲間の安全を確保しなければ。
密生する木々の狭間を抜け、昨日通った空中の道路の前に出た。
夜明けを迎えたようだが、相変わらず周囲は薄暗い。頭上には分厚く灰色の雲がかぶさっており、朝の風に吹き流されていく様子もなく、重く垂れこめるばかりだった。
まさかとは思うが、こんな通路の上で奇襲を浴びたら大変だ。俺は周囲をよく確認してから、そこを足早に渡った。
何事もなく対岸の丘、宿営地のあるところまで戻ってくることができた。
相変わらず緑のドームの下は薄暗いが、木々の間を抜けて記憶にある場所へと向かうと、そこには出発した時と同じように、テントが林立していた。
もっとも、そこに俺の味方がいるとは限らない。何かの事情で、ゲランダンの配下しかいない状況になっていることも考えられる。構うものか。ただの殺し合いなら、油断さえしなければ、こちらが後れを取るなど、まずあり得ない。
だから俺は、身を潜めることもなく、堂々とまっすぐ宿営地の真ん中に向かって歩み寄った。無論、物陰からの飛び道具を警戒しながらだが。
「ゲランダン! 出てこい!」
あえて大声で呼ばわった。だが、どうも反応がない。
もしかして、もう誰もいない? でも、なぜ?
妙に空気の動きがない。息が詰まる。
俺はテントの入口を、片っ端からひっくり返して中を検めた。誰もいない。だが、備品の多くが置きっぱなしだ。持ち去られているのは水と食料だけ。昨夜からろくに飲み食いできていないので、それが一番欲しかったのだが。
とにかく、着替えその他荷物がそのまま置き去りになっているということが、一つの事実を示している。つまり、計画的な移動ではなかった。突発的な事件があって、慌ててこの宿営地を放棄したのだ。だが、その割に、死体の一つも見つかっていないのだが……
と思って、とあるテントの入口をくぐったら、最初の死体が見つかった。ディアラカンだ。
見事に首が一刀両断にされている。多分、体を拘束された上で、背中から一撃を受けたのだろう。その生首は、恐怖の表情に歪んでいた。
他のテントには、何もなかった。誰の死体も転がっていない。
しかし、不可解だ。では、ノーラやペルジャラナンは何をしていた? アーノが俺を殺しに行くと知ったら、黙っているはずがない。いや、彼女は精神操作魔術で他人の心を読むことはできるが、リーダー達の打ち合わせに出席できるわけではないから、事情を把握するのが遅れたのだろう。だとしても、タウルはその場にいたはずだ。
では、タウルはこの決定に異を唱えなかった? 同意した?
とすれば、フィラックとジョイスの安全もまた、脅かされているはずだ。
いや、いくら関係が近頃悪化していたとはいえ、まさかそんな短絡的にタウルが裏切るなんてことがあるだろうか?
ないと思う。ないと信じたい。
だが、ラーマがどれだけタウルと接触していたか。いや、でもタウルはラーマに不快感を表明していたではないか。あのベルムスハン村の襲撃の後、真っ先に女にありついた彼に対して。でも、あれがわざとということはないのだろうか?
こんなことなら、前もってノーラかジョイスに頼んでおけば……違う、違う。人の心なんてわからないのが当たり前だ。わからないことを前提に、どうすべきかを組み立て、決断するべきなのだ。
ディアラカンのテントから出て、周囲を見回すと、丘の下から登ってくる三人組が見えた。
身なりがみすぼらしい。顔に見覚えもない。とするとあれは……ケジャン村の連中だ。手には粗末な槍、上着はなく、ズボンか腰布だけという格好だ。
ばったり出くわしてしまったので、俺もあちらも身を隠す時間がなかった。だが、彼らに躊躇はなく、何事かを言い合いながら俺を指差し、そのまま流れるように身構えた。
彼らがここにいるということは、ペダラマンもここまで来た?
では、ゲランダンはそこまで既に手回ししておいたのか?
どこか辻褄が合わないと感じつつも、俺は剣を抜いて彼らを牽制した。
「なぜここにいる」
質問に対して返されたのは、槍の穂先だった。それがストンと切り落とされる。
驚いて確認するその一瞬で、彼の人生は終わった。肩甲骨の向こうまで、しっかり剣身が食い込んで、ずり落ちる。
「答えろ」
思わぬ手強さを悟った彼らは、既にして逃げ腰だった。いつか見た、フマルの戦士達とはわけが違う。こいつらは、自分が有利と思えば戦い、そうでなければ逃げ腰になる。
「待て」
二人揃って背を向けた。追いすがって後ろから袈裟斬りにして片付ける。もう一人に『行動阻害』を浴びせて転倒させ、背中から踏みつけにした。
「答えろ。お前らはケジャン村の人間だな」
「そ、そうだ」
「どうしてここにいる。ペダラマンに連れてこられたのか」
「う、ああ、そ、そう」
やはりそうか。
となると、既にこの近辺にペダラマンの班もやってきていることになる。
「何のためだ。目的は」
「こ、殺せと言われた」
「誰を」
「お前らを」
「何のために」
「わ、分け前をもらえる。それに、食っていいと」
あと一つだけ、確かめておきたいことがある。
「お前らの仲間はどこにいる」
「北、ここより二つ手前の丘に」
一気に後頭部に剣を突き込んだ。切り離された頭部がゴロンと転がり、ゴムボートから空気が抜けるみたいに血液が噴出した。
生かしておいても無駄だ。いつでも裏切るし、嘘もつく。なら、一人でも減らしておいた方がいい。
それより、こいつらの仲間がくるかもしれない。こんな雑魚が何人いようが恐ろしくはないが、仲間にとってはそうでもない。特にクーやラピみたいな非戦闘員にとっては。だから、敵を狩るより先に、やはりここは仲間との合流を優先すべきだ。あとは、食料の確保か。
そう考えて、丘を下ったところで、早朝の灰色の光に照らされた遺体をもう一つ、見つけた。近づいて顔を確かめる。これは、アフリーとかいう、ゲランダンの部下だ。ムワ、つまり黒髪に白い肌の南方大陸北部出身の男だが、今、その肌は紫色に染まっていた。
これは一つ、安心材料だ。大森林の魔物にやられた可能性もあるが、恐らくこれはノーラの『変性毒』だろう。つまり、何かあってノーラを襲撃しようとして、返り討ちにされたのだ。全身を猛毒に侵されて死んだので、大森林に生きる動物も食べるに食べられず、このままに放置されている。近くにクーやラピの遺体がないところを見ると、恐らく彼らも無事だ。もし殺されていたら、合理性を重んじるノーラなだけに、泣く泣く遺体を諦めて逃走を優先するはずだからだ。もっとも、ケジャン村の連中が食ってしまった可能性も否定はできない。
これでいくつか情報が得られた。
ノーラはゲランダンの配下に攻撃され、逃走した。その際、アフリーを殺害している。近くにペルジャラナンやクー、ラピがいるかどうかはわからない。だが、彼らがノーラの傍を離れる可能性は低いだろう。
タウルの行動は不透明だ。考えたくはないが、ゲランダンに同調したのか、それとも逆らって殺されたか、或いは逃亡したのか。その場合、ノーラと同行しているのか、別行動なのか。なお、イーグーについては、考えるだけ無駄というものだ。
ジョイスとフィラックの安否が気がかりだ。二人はゲランダンの部下のトンバ、プングナを連れていた。そいつらが予め命令を受け取っていて、いきなり背後から二人を襲ったとしたらどうだろう? ジョイスには心を読む力があるが、普段はなるべく封印している上に、相手の能力が高ければ高いほど、精度が下がる。とにかく今、二人は行方不明のままだ。
ディアラカンを殺したのがゲランダンなのか、ペダラマンなのかは明確ではない。
ただ、ゲランダンがディアラカンを通じて、アーノに対してファルスへの追討命令を出したのはほぼ確実だろう。アーノは納得も同意もしていなかったが、一応言われるままに俺を追ってきただけだ。ただそこで、イレギュラーが起きた。それがディエドラとの戦いであり、俺の剣に彼のクガネが反応したことだ。あれで、彼は命令によってではなく、自分の考えに従って俺に敵対した。
ペダラマンがケジャン村の連中を連れてケフルの滝までやってきたのは間違いない。問題は、それがどのような動機に基づくか、だ。ゲランダンとの共謀によるものなのか? それとも、ペダラマンの独断だろうか? それぞれに可能性がありそうな気がする。
シャルトゥノーマは、俺を排除することにしたらしい。もともとディエドラの救出が目的だったのは間違いないだろう。すぐに逃がさなかったのは、関門城が近かったためだ。人間側にとっての奥地に到着してから逃がした方が、リスクも小さい。だが、俺が妙に友好的な態度をとること、またペルジャラナンを従えている点などを見て、彼女は悪い方に考えた。
昨夜、俺の背後をとって奇襲を浴びせようとしていたのは、そういうことだ。抵抗できない状態にしてから、尋問するつもりだったのだ。
結果は最悪だった。ナシュガズ、霊樹、スヴカブララール、ルーの種族……身内だけが知るはずの言葉を知る、外部の人間。自分達についての知見を人間の世界で拡散されてはたまらない。だから俺を殺すしかないと思い詰めた。
今、彼女は焦っているはずだ。自分の正体を知られてしまった。人間側に、これこれこういう亜人が紛れ込んでいますよ、と伝わってしまったら。だから、俺が大森林を去る前に、彼女はこちらを捕まえなくてはならない。
ディエドラは無事だろうか? これはもう、わからない。ストゥルンについてもそうだ。申し訳ないが、放り出すしかなかった。彼らの安否は不明のまま。
その上で、どうしよう?
ゲランダンとその手下どもは、殺しても構わない。だが、一応真相を聞き出してからにする。ペダラマンについても同様だ。
ノーラのことは気がかりだが、恐らく、最優先にするべき対象ではない。彼女が現在有している戦闘能力、それに加えてペルジャラナンという護衛までついているとなれば、仮にゲランダンとペダラマンが協力して集中攻撃を浴びせたところで、負けるのはあちらだろう。ノーラを倒し切るのに数秒かけただけで、仲間が次々死んでいくのだから。
タウルのことも、今は保留だ。彼が裏切ったのなら、そのうち事実が明るみに出るだろうし。
そうなると救出したいのがジョイスとフィラックだが……彼らを助けるには、別の問題がある。俺とは別方面に出発したので、単純に遠い。そして俺は道を知らない。つまり、迷子になって時間をロスするだけになる可能性も小さくない。
今後の探索のことを考えるなら、シャルトゥノーマかディエドラ、或いはその両方を生きたまま確保する必要がある。だが、こちらもできることはあまりない。生存より優先するわけにはいかない。
そうなると、実は案外、俺の状況がよくない。
一晩眠らず動き続けていて、水も食料もない。だが、さっきの宿営地でも補給を得られなかった。ポーチの中の僅かな干し肉と、水筒の中の残り僅かな水が俺の生命線だ。そして俺には、この大森林で生き延びる上での知識がない。
具体的には、食料だ。仮にも料理人である以上、こういう場所で不用意に茸に手を出してはならないことくらいは弁えている。では、どの草なら食べられるのか? 事前知識がない場合、ほぼ一日かけて対象の植物の毒性をテストすることになる。その方法も一応は知っているが、今、この状況でそんな悠長な真似はしていられない。
つまり、さっき聞きだした情報が重要になってくる。二つ向こうの丘の上に、ケジャン村の連中が宿営しているのなら……そこから奪う。
およそ体感で一時間ほど後、完全に朝になってから、俺はその場所に着いた。
見張りがいるだろうと予想して、気配を殺して近づいたのだが、無駄な努力だった。大樹の陰からそっと様子を窺ってみたのだが、大きなテントが三つほど立ててあり、出入口は大きく開け放たれたままになっていた。無人ではなく、中には人がいる。だが、していることといえば。
溜息がついて目元を覆った。仮にも殺し合いをしているというのに、ここに残った五人の男達は、同じ数の女達を相手に朝から楽しんでおいでのようだ。
呆れ果てつつも念のため、周囲を見回して、誰かに追跡されていないかを確かめた。問題なさそうと判断して、俺は静かに詠唱を始める。そうしてできた藍色の鏃を、そっと投擲する。一糸纏わず女の上に絡みついていた男が、動かなくなった。あまりに静かな死に様だったせいか、女の方も変だと思いつつ、叫び声もあげない。
その隙に、もう一度詠唱を重ねる。また、別の男に向けて『即死』の魔法をくれてやった。今度は身を起こしていたので、盛大に突っ伏した。理由はわからないながらも、急に気絶したか、死んだかしたと悟った相手の女は、絶叫した。
ところが、その叫び声に誰も反応しなかった。何があったかを直接見ていなかったせいもある。大方、男の側が女に乱暴な真似をしたのだろうと、その程度の認識なのに違いない。おかげで三つ目の鏃を投擲することができた。
だが、そこまでだった。
仰け反ってひっくり返った男は、他二人の男の近くにいたのだ。全裸のまま、情欲に耽っていた二人の男も、さすがにこれでは吹き矢か何かの可能性を疑う。即座にお遊びをやめ、すぐ下に置いた槍を拾い上げた。ただ、警戒する方向が見当違いだったが。
俺は横から飛び出していった。一人がこちらに振り返る。既に刃が届く場所だった。駆け抜けると同時に首を叩き落とす。気付いたもう一人が、槍を逆手に持ってこちらに向けるが、投げつける前に俺は右にステップを踏み、左手に剣を持ち替えて、これまた軽々と首を刈った。
数秒遅れて、女達の悲鳴があがった。
「黙れ」
剣を向けてしばらく、やっと彼女らは沈黙した。
「水と食料を出せ」
情報はもう、必要ない。
この宿営地の様子をみて、疑念が確信に変わった。彼らはペダラマンとは協力関係にあるかもしれないが、ゲランダンの指示では動いていない。もしそうなら、こんな場所に離れて陣取る理由がない。普通に合流すれば済むからだ。
では、彼らは今、殺し合いをしている?
女達は目を見合わせると、木桶の中の水を差しだした。やっと思う存分、水を飲める。それはよかったが、食料の方が問題だった。
一人がおずおずと、骨付き肉を差し出した。
「これは? 他にはないのか」
彼女は怯えた顔で、首を小さく振った。
理解が追いつくと、俺は手を振ってそれを突っ返した。
どういう理由かはともかく、ペダラマンはケジャン村の連中を動員してケフルの滝に向かったゲランダンを攻撃することにした。
だが、もともと探索隊の食料は、自分達の最低限を満たす量しか運べていない。彼ら自身、本来ならまた河を下ってアワルの班から補給を受けねばならないはずだった。それをあえて東進して、今ある物資で活動を継続する。となれば……
これは、この肉は、あの時分配された、ベルムスハン村の捕虜達の遺体の一部なのだ。殺された一人の女と三人の男だけでは、きっと足りなかった。ここに五人しか女がいないのも、つまりはそういうことで、他はバーベキューになったのだろう。
だが、そうなると物資を持っているのはゲランダンかペダラマンということになる。
連中を見つけて殺せば、食料を奪える。それだけのことらしい。
俺は女達を放り出すと、また南に向かって丘を駆け下りた。
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