首輪を外す
雷が落ちたような破砕音で目が覚めた。パッと起き上がり、テントの外に転がり出る。
突然の騒ぎに鳥達が羽音を立てて飛び去っていくのが見えた。
陣取った森の周囲の景色を眺める。そこに変化があったのに気づいた。
「あれだ」
あとから追いついてきた仲間達に、俺は指し示した。
「念のため、あの大木を避けておいてよかった」
アーノは軽い溜息をついた。
「反対方向に倒れてくれた、か。まったく」
魔物退治にきたつもりが、相手どるのはほとんど自然環境の困難ばかり。これではせっかくのクガネを役立てる場もない。
大した出来事ではなかった。宿営地のすぐ傍の老木の内部が虚ろになり、ついに自重に負けて倒伏した。根元近くでへし折れている。
こうした木の幹はそのまま大森林の大地に飲み込まれ、地中を這いずる蛇や小動物、虫達の地下通路になる。そこをうっかり踏み抜けば、運次第で毒蛇に噛みつかれる。また、テントを立てる場所をよく考えず、ああいう木の根元に居座ってしまうと、それだけで圧死することもある。ここでは不注意は突然の死に繋がる。それだけのこと。
周囲を見渡して、更なる危険がないことを確認すると、俺達はいつも通りの朝の支度にとりかかった。
このところ、好天が続いている。
ルルスの渡しを去ってから三日目の朝。初日の昼近くに吸血虫の襲撃を受けて以後は、一転して長閑な旅路となった。魔物が現れることもなく、天候の急変に悩まされたりもしなかった。ただ、こうなってくるとまた、別の苦労が発生する。
「さぁて若旦那、今日も運びますかね」
「悪いな」
「なぁに、それがあっしの仕事でさぁ」
たった三日で、ケカチャワンの川幅は信じられないほど大きく変化した。初日に出発した際には、左右の河岸の砂洲に水がひたひたと押し寄せていた。だから楽に船出することができた。だが、それからずっと上流域で降雨がなかったのだろう。日に日に川幅が狭まり、川底に転がる丸い石が露出するようになった。
さて、そうなると、せっかくのボートがとんだお荷物になってしまう。この前、ルルスの渡しで過ごした夜みたいに、一晩で一気に増水することもあるので、河原に宿営するのは厳禁だ。だから毎度毎度、森の縁まで移動して、そこにテントを張るしかない。河まで距離があっても、毎度ボートを運んでは陸上の丈夫な樹木にしっかり係留する。
昨夜も雨が降らなかったらしく、川幅がありえないくらい狭まっていた。
「笑うしかねぇなぁ」
ジョイスが呆れて笑い出した。
あれだけあった大河なのに。河原がほとんどになって、水が流れているのはせいぜい五メートル程度。水深もごく浅い。
「ボートには乗れない。引いて進む」
タウルがそう宣言した。
「やっぱりか」
「荷物を背負わなくていい分、まだ楽」
それから俺達は荷物を運び、ボートを運んでそこに荷物を満載した。そして、痩せ細った河の左右に立ち、舳先やその他船体に繋いだロープを曳きながら、上流に向かって歩き出した。
しかし、これが楽なようで楽ではなかった。川底に適度に土砂が積もってくれている場合もあったが、ところによっては丸い石が突き出ていたりする。足場は常に凸凹で、気を抜くと足首を挫きそうになる。
風は微弱だったが、帆を立てておけば船の重みはごく僅かだった。全員で引く必要もなく、交替しながら半分は周辺をただ歩いた。
いつになく暑い日だった。荷物の重さはなくとも、日差しの強さは避けられない。足場も悪いのもあって、俺達は少しずつ疲れを感じていた。
「喉が渇いたな」
フィラックがそうこぼした。
「川の水はそのままでは飲んでは」
「わかってる」
休憩をとるにしても、森の木々の下でというのも難しい。ボートがうっかり流されたらいけないので、ここから離れられない。
「ちょっと休もうか」
同じことを考えていたのか、先頭を進むアフリーから声がかかった。ちょうどいい。クーやラピの体力的にも、そろそろ限界だった。
俺達はロープを石の下に挟んでボートを固定した。とにかく日差しがきつかったので、テントの支柱を立てて頭上だけでも布を渡した。
「石もあっちぃじゃねぇか」
「座るところが他にない」
休憩しても、あんまり休まらないな、と俺は溜息をついた。
そんなとき、前のボートからタウルがディエドラを連れてきた。
「ファルス」
「なにか」
「こいつが首輪を外せと言っている」
見れば彼女は、あからさまに消耗していた。かなりつらそうで、息も絶え絶えになっている。ラピでさえもう少し元気なくらいなのに、どうしたことか。
「何があった」
「ヤケド」
苦しそうに彼女は言った。
「クビがアツい。イタい」
理解した。直射日光をそのまま浴びた銀の首輪が、相当な熱を持っているのだろう。そして銀に接触している状態でそこが傷つくと、かなりの痛みを生じることになる。魔力を流し去ってしまう銀やミスリルの性質から考えると、その他の魔力、つまり筋力などを強化する能力も、マイナスに作用しているに違いない。
「わかった。外すが、逃げないな?」
「ニげない」
「よし」
「ファルス」
咎めるようにタウルが声をかけてきたが、俺は構わず、膝をついて待つ彼女の背中に回って鍵を外した。
首輪を外し、手に取る。低温火傷を起こしそうな熱さだった。
「気付かなかった。済まない」
聞こえているのかいないのか、彼女はその場で小刻みに震えていた。だが、拘束を外した効果が目に見えてわかった。赤く火傷気味になっていた首筋なのに、だんだんと色が元通りになっていく。
「やっとウゴける」
信用するふりをしながらも、逃げ出したりはしないかと思っていたのだが、見た限りそんな様子もなく、当たり前のように近くの石に腰かけた。
「逃げずにいてくれるなら、これはもう二度とつけない」
とはいえ、こんな奥地でいきなり逃走されたら、もう追いつけないだろう。
「欲しいものがあれば、できる限りは差し出すつもりだ。探索が終わってからだが。だから、奥地の案内を引き受けてくれないか」
いつの間にか、アーノやシャルトゥノーマもこちらに来ていた。
「ナニがシりたい」
おっ?
これはいい兆候だ。ようやくディエドラも俺と交渉する気になってくれたということか。
「ルーの種族の真実を知りたい」
「ナニ?」
「前にも尋ねた。ナシュガズを知っているか」
この質問に、彼女は首を傾げた。
「ダレもイったことがナい」
「じゃあ、あるらしいことは知っているんだな」
「シっているのはモリのナカだけ」
こちらは空振り。仕方ない。
ではもう一つ。
「なら、不老の果実は知っているか」
「フロウ?」
「ああ、つまり、そういう……生命にかかわるような……そういう樹木があるとわかるなら、それでいい」
彼女は首を傾げたが、何かに思い当たるところがあったらしく、表情を強張らせた。
「どうした?」
「シらない!」
急に態度を硬化させた。
かと思うと、また表情が穏やかなものに変わった。
「モリのナカならわかる。ツれてイけるところには、ツれてイく」
「それだけでも助かる」
樹木、という言葉に反応したのかもしれない。
多分、霊樹を破壊しにきたのではないかと、そこを心配したのだとすれば、無理もない反応だからだ。
しかし、そうとなれば逆に、特に彼女にとって好都合ではないか?
逃げ出したはいいが、俺が間違って霊樹に辿り着いて、何も知らずに破壊してしまったら。少なくとも、それとわかっていて、わざとそうするなんてつもりは毛頭ないのだが、ディエドラからすれば、そんなの信用ならないわけだ。といって、この前の力比べからして、俺に勝てないことはわかっている。まして周囲は人間だらけだ。だから事前に殺すという選択肢もない。であるなら、案内人の立場をとりつつ、俺達をそれとなく、大事な秘密から遠ざければいい。
「おマエ、これハズしてくれた。アンナイする」
「よかった」
そして、そのように形ばかりでも協力的な態度をとることのメリットを理解したのだ。
別に霊樹を壊しにいく旅ではないのだから、それでも構わない。ただ、不老の果実をつける樹木が実は霊樹だった、なんて話でなければ、だが。
ただ、彼女が不老の果実を生すいずれかの樹木と、霊樹を混同したことが、今度は気になった。
もしかして、霊樹の何かを侵すことが、不老の果実獲得の条件だとしたら? つまり、この混同が勘違いではなく、事実に基づくとしたら? イーヴォ・ルーが提供していた何かの利益や権能を不当に利用することでしか不死に至れないとすれば、どうだろう?
すると俺は、ディエドラやシャルトゥノーマと敵対するだけでなく、マルトゥラターレのことも裏切らねばならなくなる。
だが、この思い付きが現実である可能性も、またあるのだ。気になるエピソードがある。ルークの世界誌に記述された緑竜の襲撃だ。不老の果実まであと一歩のところまで辿り着いたルークと元王子だったが、そこで不運にも緑竜によって計画実行が不可能になってしまった。案内人を引き受けた元王子は命を落とし、ルーク自身も仲間と物資を失って、命からがら逃げ帰った。この事件が、偶然ではなく、必然だったとしたら?
だが、そこで俺は推測に推測を重ねるのをやめた。
今、ここで彼女らと対立するのは避けたい。それより、まず先に真実を把握することだ。霊樹を犠牲にすることでしか不死を得られない、と決まったわけでもないのに、下手にあれこれ思い込みで行動して、無用な争いを招いたのでは馬鹿馬鹿しいではないか。
軽く食事を済ませてから、俺達は歩き出した。銀の首輪を外されたディエドラは、打って変わって元気そのもの、足取り軽く、一人でボートを運ぶ勢いでどんどん先に進んだ。逃げ出したりすることもなく、タウルの指示にも従っているようだった。
夕方、ゲランダンの指示で宿営地が決まった。いつものように森の外れにテントを立てていると、声がかかった。振り返ると、そこにいたのはグルと呼ばれている男だった。ゲランダンの配下の一人だ。
「済まんが、何人か手伝ってくれんか」
もう五十になる高齢の南部シュライ人の男だ。小柄で人の好さそうな顔をしている。よくみれば、細い目の眼光の鋭さに気付くのだが……ルルスの渡しでのあの胸糞悪い夜にも、酒だけ飲んで寝ていた。
「何か」
「ボートを運びたい」
「どこへ」
「もちろん河じゃよ」
俺が周囲を見回すと、手の空いていたペルジャラナンとディエドラがこちらに気付いた。
「じゃあ、僕らが」
「足りるかのう」
「獣人は力があるので」
身体操作魔術でこっそり自分達を強化して、俺達はあっさりとボートをまた河岸に運び込んだ。グルは河の上流と下流にそれぞれ目を向けて、少し考えこんでから、ある場所を選んで指差した。
「そのボートを、そう、ここ、ここに置いてくれんか。近くの石は取り除いて、ちょうど縁のところがちょっとだけ河の水面より高くなるように」
ボート自体はもっと長さがあるので、まともにやったらかなり川底を掘らないといけない。だが、そこはグルも考えていて、少しだけボートを傾けることで対応した。下流に向けて、船の縁が傾いている格好で落ち着けることにした。
「これでよし」
「なんですか? これは」
「簗のようなものじゃな。どれ、この調子なら急な雨もなさそうじゃし、日が暮れるまで少し待つとしようかの」
全員でここで待つ? それも無駄なような気がする。
「あの、僕らは」
「ああ、後でもう一回来てくれればいい。ご苦労さんじゃの」
いかにも好々爺といった感じで、彼はそう言った。
それから三十分は経ったろうか。明日の飲用水などの用意を途中までして、俺達はまた、ボートを陸地に引き上げるために戻ってきた。
「いいところに来た。これから夕飯の準備かね」
「そろそろかと」
「じゃあ、これを」
彼は傾いたボートの中を指差し、それから自分でその中へと踏み込んでいった。中には銀色の輝きがいくつかあり、時折動いたりもしている。
「えっ?」
「面白いじゃろ。この辺の上流の河には魚が少ない。じゃが小さな滝なら小魚は飛び越えようとするもんじゃでの。その癖をうまく使って、こうやって飯の足しにするんじゃて」
これが経験というやつか。今はゲランダンの班にいるが、年齢からして、ここでの経歴はもっと長いはずだ。能力を透かしてみれば、罠スキルが6レベルにも達している。加えて大森林を知り尽くしたその経験、ここでなら自由自在に活躍できるのだろう。
宿営地に戻り、なんとか一人一尾程度の魚が食べられると伝えられると、みんな歓声をあげた。
夕食の後は片付けだ。誰もが慌ただしく立ち働く。既に周囲は暗くなり始めており、西の空は暗い藍色の雲の中に僅かな残照が混じっているだけになっていた。河岸の左右の木々の枝も、黒いシルエットにしか見えない。
あとはテントの中に入って、自分の体を濡れた布で拭ったら寝るだけだった。
「今、いいか」
ところが、急に後ろから声をかけられた。
振り返ると、そこにいたのはラーマだった。
「何か」
「ちょっと話をしたい」
今更、何の用があるのだろう? 彼についてはいいイメージがない。女神教の神官になりそこね、ゲランダン達のような実力派のチームにもなかなか混ぜてもらえず、かと思いきやいつもいつも彼の傍にいてご機嫌取り。それでいて、いざ略奪から帰ったら、真っ先に女を抱いていた。
「だ、大事な話だ。頼む。時間は取らせない」
いかにも必死そうだったので、俺は胡散臭さを感じつつも、彼に身振りで示して、森の奥へと誘った。
「それで、何を」
「近くにプングナはいないか? トンバもいないだろうな」
二人ともゲランダンの班の戦士だ。出発前の会合で、ゲランダンから紹介された。どちらもかなりの腕前だと聞いている。
「誰もいないかと思いますが」
「じゃ、じゃあ、その……な、なぁ、ファルス」
「はい」
「ゲランダンのこと、どう思う?」
急に何を言い出すのかと思いきや。
「頼りになる、経験豊富な冒険者、いや、ここではハンターと呼んだ方がいいのかもしれないですが」
「で、でも。見ただろう? あいつは平気で人を殺す」
「何を言ってるんですか」
俺は冷たい目で彼を見た。
「あなたも手を貸したくせに」
「ち、違う!」
大声を出してしまってから、彼は慌てて口を噤み、左右を見回した。
「俺は金がいるんだ。もう、こんな大森林なんか出ていきたい。だけど、森の浅いところでチョコチョコ頑張っても何十年もかかる。アワルを見たか。二十年頑張って、やっと小金が貯まった」
確かに、その意味では理解はできる。とするなら、彼の行動もおかしくはない。稼がせてくれるゲランダンには逆らえない。
ただ、それが本当とするなら、ずっと金持ちの俺に媚びたほうがいい。そんなところか。
「金が欲しくて僕に声をかけた、と」
「ちっ、ちが……あ、いや」
「正直に言ってくれた方がいいです。あなたは僕に何を伝えたいんですか」
「あ、あ……」
彼は目を泳がせた。
「あんたは、サハリアの、ティズ・ネッキャメルと親しいんだよな?」
「親しいというか、まぁ、後援者のような方ですが」
「そ、それじゃあ」
近くに誰もいないのを再確認して、低い声で言った。
「耳を」
俺の耳にぴったり口をつけて、彼は囁いた。
「バジャック・ラウトという男を知っているか」
なぜそれを?
思ったことが顔に出たらしい。
「し、知ってるんだな。や、やっぱり」
俺は反応に迷った。知っているふりをするべきか、しらばっくれるべきか。
「頼む。俺は何も見てないし、聞いてない。この話は聞かなかったことにしてくれ」
「ちょっと、そっちから話しかけておいて」
「俺はまだ死にたくない」
そう言うと、彼は下生えを飛び越えて走り去っていってしまった。
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