入り混じる声

 伝う炎の下に生木が爆ぜる。星も見えない夜、この纏わりつくような闇の中、時折呟きながら揺らめく篝火だけが生命を保っているかのようだった。

 赤い光が照らすのは、宿営地の近くの木の幹だけ。その影の向こうから、じっとりと重く湿った、冷たい風がゆっくりと流れてきている。

 背後からは、ごく控えめに、水の流れ続ける音が聞こえてきていた。ルルスの渡し付近の、あの細長い滝。そこよりは少し高所の一角、森の外れに俺達は陣取っていた。


 俺達はみんな、焚火の周囲に座っていた。一応、交代で見張り番をすることになっているので、早朝に起きる予定になっているアーノとシャルトゥノーマはこの場にはおらず、それぞれのテントの中で寝ているはずだが。それと、ディエドラも今は専用のテントの中だ。そのすぐ外では、ペルジャラナンが丸くなって寝転がっている。

 誰も何も言わなかった。背後では、息を殺して待ち続けるゲランダンとペダラマン、その配下達が佇んでいた。


 この息苦しい時間を終わらせたのは、前方から聞こえてきた小さな足音だった。


 闇の中に、赤く照らされた男達の顔が小さく浮かぶ。だいたい上半身は裸で、手には粗末な槍を携えている。マシなのでも上着があって、腰に鉈を提げている程度。

 離れたところで待ち構えていたケジャン村の連中だ。これから、より奥地で暮らすベルムスハン村の人々を襲撃する。


 不意に沈黙が破られた。

 村の側のリーダーと思しき男、あの竈の前でフィラックに焼けた人間の手を差し出した彼が、いかにも親しげに笑いかけながら、ゲランダンを軽く抱擁した。それからペダラマンにも。


「行けるか」

「いつでも」

「頭数は」

「グルに見張らせた。だいたい二十人くらい。お前が言っていた通りだ」


 彼らは言葉少なに確認を済ませる。


「気付かれているか」

「今のところは大丈夫だ」

「よし」


 どうやら本当にやるらしい。

 これから殺人が行われる。そんなもの、とっくに見慣れているし、大森林に来てからも何人も犠牲になるのを目にしてきた。


 それなのに、この重苦しい気持ちはなんだろう。

 多分、納得していないからだ。


 変な話だが、俺はサハリアで犯した数々の殺戮については、納得できている。俺は怒った。寛容さの欠片も見せず、ミルークを死に追いやったフマル氏族の連中に復讐すると決め、自分の意志で剣を振るった。そこに後悔や罪悪感がないかといえば、もちろんある。ただ、自分で決めて行動した結果が、あれだった。ではその分の罪を償えと言われたら、逃げ出したくなるかもしれないが……それでも、そういう卑怯さも含めて、自分がやったことだとはっきり受け止めている。

 今回はそれがない。なし崩し的に、俺がゴーサインを出す前に、他の二つの班による集落襲撃計画が決定されていた。無論、俺にはそれをやめさせる権限がない。なぜなら、これは他の班の採取活動でしかないから。後方のキャンプを任された他の班が、それぞれの拠点で薬草や財宝を探して獲得する権利は、出発前に取り決めた約束事の中で既に認められている。

 だが、それだけではない。俺も無関係では済まない。見張るのは、先に水中から引っ張り上げた財宝だけではなく、他の班の食料その他の物資も含まれる。仮に彼らが村の襲撃に失敗して逃げてきた場合は、俺もこの拠点を守るために戦わなくてはならない。というか、ベルムスハン村の人間にとっては、とっくに俺は敵の一味だ。


 自分の意志と関係なく、殺人に加担する。

 そう感じているのは、俺だけではないのだろう。焚火の周りにいる仲間達も、みんな俯きがちで、黙りこくっていた。


「挟み撃ちにする。俺は東から」

「正面は任せろ。ただ、わかってるな」


 ペダラマンの確認に、ゲランダンは軽い口調で応じた。


「持ち帰るまでは、徹底するさ」


 何の話だろう? 考えたくもないが。

 感情を押し殺してじっとしていると、すぐ後ろに気配を感じた。


「なぁ、タウル」


 その男、ラーマはしゃがみこみながら、タウルの背中を揺すった。


「やっぱりお前も行かないか。斥候役は、得意だったじゃないか」


 タウルは答えない。まったくの無表情だ。


「昔みたいに……な?」

「俺は行けない」


 するとラーマは俺に矛先を変えた。


「ならファルス、一緒に来ないか。腕があるのはわかってる。ゴイを真っ二つにしたのもだし、ニクシーどもをどうやったのか、あれだけ片付けたのは遠くからだが、見ていた。できる奴が味方にいてくれると嬉しい」

「せっかくですが」


 俺は座り込んだまま、首を振った。


「ここで見張りをしないといけないので」

「そうか」


 俺の不機嫌そうな顔つきに、彼はあっさり引き下がった。

 説得を待っていたらしいゲランダンが促すと、ラーマもあっさり立ち上がった。


「行くぞ」


 その一言を最後に、彼らもまた沈黙した。そして、人数の割に驚くほど小さな足音を残して、闇の中に溶け込んでいった。


 それからしばらく、俺達はそのままだった。

 最初の見張りには、半分が残っていればいい。特に、クーとラピは早朝の見張りをアーノ達と一緒に担当する予定になっている。


「もう寝ろ。クー、ラピ」

「は、はい……」


 気の抜けた返事はしても、彼は腰を浮かせようとはしなかった。しきりに俺達の顔色を窺っている。聡い子だ。大事な仕事があるのだと察している。

 場の空気は悪くなる一方だった。だが、ジョイスも焚火の前から動かない。彼の頭の中には今、黒い煙のようなノイズが渦巻いているのに違いないのだが。


 ついにフィラックが口火を切った。


「どういうことだ」


 矛先はタウルに向けられている。


「どうしてこんなことに付き合わなくてはいけない」

「彼らの自由。口出しすることじゃない」


 タウルは気まずそうに答えた。


「ケジャン村で勝手に請け負ったんだろう。どうして断らなかった」

「断った。この班は参加しない」

「そういうことじゃないだろう。あいつらが負けて戻ってきたら、結局俺達も戦うんだろうが!」


 彼はこみあげる思いをいちいち噛み殺しながら、やっと言った。


「そうなっても心配はいらない。こちらにはファルスがいる。絶対に負けない」

「そういう問題じゃないだろう!?」


 激昂したフィラックは、勢いよく立ち上がった。


「あんな野蛮人どもの都合に、どうしてこっちが合わせてやらなきゃいけない? ああ、いいとも、財宝の見張りくらいはやってやるさ。見つけた金目のものは山分けだ。万一探索が失敗しても、保証金も出す。そこまで譲歩してやっているのに、こんな身勝手まで許すのか」

「どうしろというんだ」


 タウルの声色が変わった。


「お前はこの森の奥で、何を食っている。わざわざ運ばせた資材があるから、移動に集中できた。森の中にも食えるものはある。だけど見つかるとは限らない。中には毒キノコもある。間違えて食べて死んだ冒険者なんか、何人も見た」


 彼もゆっくりと立ち上がった。


「それを探しながら歩いてみろ。まだケカチャワンにも着いてない。それに安全じゃない食べ物なら」


 視線がクーに向けられる。


「毒見役に食わせてから、食べることになる。それでいいのか」

「なんだと」

「大森林は危ないところ。最初にそう言った。嘘は何も言ってない。何の文句があるんだ」

「あんな奴らに、あそこまで媚びる必要がどこにある! 仮にもミルーク様に仕えておいて。ミルーク様が後に残したファルスに、こんな汚れ仕事をさせるのか!」


 俺は口を挟んだ。


「それは構わない」

「構わないことあるか! 赤の血盟の大恩人に、なんてことを!」


 フィラックはサハリア人だ。一般にサハリア人は、プライドが高い。

 戦場での殺人も、森の奥での野蛮な略奪も、俺にとっては変わらない。だが、義理や血縁を重んじるサハリア人にとっては違う。前者は身内を守るための名誉の戦いで、後者は恥ずべき行いだ。

 タウルはゲランダン達に妥協した。その妥協が積み重なった結果、ついには赤の血盟の大恩人、彼らにとっての英雄が、野盗も同然の立場に身を落とした。それを食い止められなかったフィラックは、その恥辱を全身に浴びている。


「むしろ良かった」

「なに!」

「これでルルスの渡しの近くを、現地の人間に狙われることもなくなる。ケジャン村の連中もよくしてくれる」

「あんな奴らなんか!」

「他にどうしろというんだ!」


 珍しくタウルが声を荒らげた。


「俺はファルスが奥地に行きたいと言ったから、一番楽に一番森の深いところに行けるように考えた。ゲランダンもペダラマンもここの顔役だ。これ以上のハンターはいない」

「あれで最高か。ここは本当にクソ同然だな」

「そうだ。それが大森林だ」


 二人がいよいよ険悪になったところで、クーが駆け出して割って入った。


「申し訳ありません!」


 彼は深々と頭を下げた。今にも掴み合いを始めそうだった二人は、気勢を削がれて立ちつくした。


「僕が村に火をつけたからです。だからタウルさんも強く出られなかったんです。僕がもうちょっとうまくやれていたら」


 だが、さすがにクーのあの行動を咎めるのはいない。

 クーの後ろで、ほとんど泣きそうになっている顔のラピが、低い声でいった。


「あの、私のことは、もう」

「二人は悪くない」


 俺がそう言うと、フィラックも頷いた。


「でも、二人を連れていくと、そう言ったのはタウル、お前だ」

「そうだ」

「その結果がこれだ。どうしてくれる」

「もともと死んでもおかしくないところだ。覚悟してついてきたはずだ」


 それはその通り。二人とも、出発前に意志確認はした。ケジャン村で帰そうと思ったが、あの事件があったから、村に預けっぱなしにできないということで、連れていく以外になくなった。

 結局、全責任は俺にある。


「僕が大森林に行きたいと言ったのが原因だ。タウルは悪くない。もちろん、クーやラピも悪くない」


 この場を収めるのも俺の役目だ。静かに立ち上がった。


「フィラック、そろそろ寝て欲しい。クー、ラピも。連中が帰ってくるのが遅くなったら、真夜中に見張りを交代してもらわないといけない」


 彼は頭を振ると、黙って背を向けた。そのままテントに潜ってしまった。

 クーとラピは目を見合わせると、俺に一礼して、それぞれのテントに向かった。


「ノーラ、真夜中の番だ。今のうちに寝てくれないと」

「うん」


 夜間は周辺の警戒のため、ジョイスの神通力か、ノーラの精神操作魔術が必要だ。だから二人を同時に起こしておく意味がない。

 一部始終を静観していた彼女だったが、ゆらりと立ち上がると、そのままとぼとぼと歩き出した。ふと、振り返ると、呟くように言った。


「ごめんなさい」

「何が」

「……役に立てなくて、ごめんなさい」


 それだけ言うと、彼女もまた、ラピの入ったテントの入口をくぐった。


 理解が後から追いついてくる。

 ノーラにはノーラなりの責任感がある。この状況、彼女の存在があればこそだったからだ。


 仮にだが、俺がムスタムでノーラを追い返すのに成功していたとして。人形の迷宮を一人で攻略し、ヌクタットに向かったとする。近くにいるのがミルーク一人だったら、俺はどう動き、どう切り抜けただろう?

 人数が少なければ、ピアシング・ハンドで別人の肉体を得るという方法が出てくる。能力の秘密さえ打ち明けてしまえば、俺はフマルの戦士から肉体と装備を強奪し、ミルークに与えることができた。そのまま何食わぬ顔をしてヌクタットに戻り、そこからタイミングをみて元の体に戻して馬に乗って一気にアーズン城に駆け戻る。或いはジャンヌゥボンに急行して、ラジュルナーズに和平を求める。

 さて、この状況で俺が赤の血盟の味方をする理由があっただろうか? 身内は誰も殺されていない。そしてこれは南北勢力の争いであって、俺の問題ではない。アーズン城にミルークを送り返した場合、俺は一人で西に引き返し、大回りで南方大陸の東岸から大森林を目指すことになっただろう。

 ジャンヌゥボンに向かった場合は、少し予想がつかない。パッシャの幹部が出入りしていたはずだし、バタン攻略時のあの地震と暴風を思い起こすに、アーウィンと鉢合わせていた可能性もある。彼を相手どるとなれば、俺も手段は選べない。ケッセンドゥリアンの魔眼や腐蝕魔術で対抗したかもしれない。俺が敗北する以外で最悪のケースではジャンヌゥボンが廃墟になったし、うまくいけば南北の和解に達していただろう。

 どちらにせよ、俺がミルークの郎党を連れてここに来ることはなかった。関門城に到着した時点で、一人だったはずなのだ。そしてノーラは、俺が肉体を入れ替える能力を持つと知っている。つまり、別人になりすましたり、赤竜の肉体を活用するなどして、簡単に奥地を目指せると理解している。

 歩きに歩いて、ここまで二週間以上はかかっている。だが、一人で赤竜の翼で行くとなればどうか。案外ここまでは一日で到着していたかもしれないのだ。しかも人間の姿をとらなくていいので、王国の法もかいくぐれる。

 わざわざ人間のペースに合わせて歩かなければいけないのは、周囲に人がいるせいだ。その原因の最たるものがノーラ自身だった。だからその分、俺の力にならなければいけない。だからこその謝罪だった。


 重苦しい空気の中、俺とジョイスとタウルだけが、焚火の周りに座り続けた。

 カラン、と薪を足す音が聞こえた。焚火は素知らぬ顔で燃え続けた。


 それからどれだけの時間が過ぎたことだろうか。


「チッ」


 それまでじっとしたまま、静かにしていたジョイスが舌打ちをした。


「よかったな」

「勝ったのか」

「ノーラを起こさずに済む。みんな朝までグッスリだ。寝られりゃあな」


 やがて、足音が森の中から聞こえてきた。出発した時とは違い、誰も隠れる気がない。手にした数々の松明が遠慮なく森の木々の黒いシルエットを浮かび上がらせた。


「ヒャッホー! 戻ったぜぇ!」


 ペダラマンの配下の……あれは、マンガナ村で人足を刺殺した男、シニュガリといったか。結局アワルは処分を下さず、無事にペダラマンの班に復帰したのだが、槍を片手に彼は上機嫌だった。手にしているのは瓶だった。中身は、久方ぶりの酒、らしい。

 それからぞろぞろと引き揚げてきた。人数が増えている。ロープで首を数珠つなぎにして、捕虜をここまで引っ張ってきたのだ。


「よぉ、ファルス」


 ゲランダンが陽気な声で話しかけてきた。


「変わりはなかったか」

「何も」

「そいつはよかった! けど、お楽しみに混ぜてやるには、仕事を……いいや、お宝を見張ってたんだから、仕事っちゃあ仕事か! いいぜ。飲むでも食うでも、なんでも好きにしろよ」


 興味ない。どうせこれからろくなことが起きない。


「仕分けはどうする」

「俺のやり方でいいか」


 ペダラマンの問いに、ゲランダンが答えた。


「任せる」

「よし、女の縄を解け」


 すると女だけ首にかかったロープを緩められ、解かれた。こちらは合計九人。


「じゃ、男どもをそこに転がせ」


 捕虜になった男達は、後ろから槍の柄で足を打たれ、短い呻き声をあげながら、その場に転がった。といっても、生きているのはたった三人だったが。


「よし、女ども、こいつらを踏め」


 いきなりゲランダンが捕虜になった女達に命じた。


「聞こえなかったのか? てめぇらの元亭主どもを踏んづけろっつったんだ」


 異様な要求に、彼女らは目を見合わせた。だが、すぐさま一人が反応した。彼女は迷わず、男の一人に駆け寄って顔を勢いよく踏みつけた。


「よくやった。こいつが一番だ。おら、続け。さっさとしろ!」


 彼が地面に槍の石突を叩きつけると、女達は恐怖に身をすくめた。だが、一人、また一人と前に出て、男達を蹴飛ばした。


「二、三、四……よーし、そこでやめ」


 七人目が男を踏んだのを見届けると、ゲランダンは彼女らを制止した。


「踏まなかった二人を縛っておけ。そいつらはアワルに引き渡す。犯すなよ」

「なるほどな」


 ペダラマンも頷いた。

 俺も納得した。これはゲランダンなりのテストだ。

 いきなり同じ村の住人だった男達を踏む。この切り替えができる女は、度胸があり、機転が利く部類でもあり、忠誠心がない。だから売り物には適さない。買った主人を出し抜くような女を売ると、クレームにもなりかねない。逆に動けない奴は、行動力がない。だから長距離を歩かせて売り捌くのにちょうどいい。ついでにいえば、買い手にとっても都合のいい性質をもっているといえる。


「俺が仕分けたからな。責任もって二番目と三番目は引き受ける」

「お前の好みか? きれいどころを取りやがって」

「ハッ! 穴が開いてりゃどいつも同じさ」


 ペダラマンの冷やかしをゲランダンは軽く受け流す。


「あとは、そうだな、四番目と五番目はケジャン村に寄付するよ」

「ふん」


 軽く悲鳴をあげる女達を、村の男達が乱暴に引っ張り込んだ。


「で、六番目と七番目はペダラマン、お前のところで使え」

「一番目の女はどうするんだ」


 その問いにゲランダンは軽く溜息をついた。


「もちろん、ケジャン村に捧げるのさ。但し」


 彼は急に振り向くと、彼女の頭に手を伸ばし、鷲掴みにした。それから背を丸めて抵抗しようとする彼女を無理やり引き起こすと、首筋に鉈を添え、一気に引き切った。

 短い悲鳴の後、すぐに彼女から目の光が消えた。


「どうせちょいトウがたってたしな。そら、焼いて食ってくれ。久々の女の肉だぞ」

「はっは、なるほどな」


 ペダラマンは軽く笑った。

 ケジャン村の連中も、特に戸惑うことなく、その女の体を引きずって、宿営地の隅で血抜きを始める。


 考えたくもないが、一瞬で理解してしまった。

 この大森林で女が生き抜くためには、裏切りが欠かせない。他の集落に攻め落とされたら、抵抗しても死ぬだけだから、新しい男に抱かれなければならない。勝利した男達としても、そういう裏切りは歓迎するものだ。だが、だからといって、女だからと安全が確保されているのだと、いつでも裏切ればいいのだと、そう考えている女をみると、それはそれで腹が立つ。それに、そういう女はそもそも裏切り慣れてもいる。

 だからゲランダンは、裏切る女を生かしつつ、しかも最も簡単に裏切る女だけは間引くことにしているのだ。ついでにこの仕上げによって、捕虜の女達に恐怖を植え付ける。扱いやすくなるのだ。


「さ、お前ら、仲良く突っ込んでこい。喧嘩するなよ」


 するとチャックが愛想笑いを浮かべながら言った。


「ボス、こういうのはボスからですよ」

「俺はいい。やりたい奴からやれ」

「そ、それじゃ」


 名乗り出たのは、ラーマだった。

 それを見たタウルが、憤然とした表情を浮かべてついに立ち上がった。


「ラーマ、お前」

「な、なんだよ」

「お前、何しにきたんだ」


 既に女を腕に掻き抱いていたラーマは尻込みしながらも抗弁した。


「いいじゃないか、これくらい。やっていいと言われて、何がいけない」

「女神教はどうした。大森林から、こんな肥溜めみたいなところから出てやるんだと、そのために女神教の神官になるんだと、そう言っていた。忘れたのか」


 ラーマは首を振った。卑屈そうな笑みを浮かべて、おどけてみせながら答えた。


「神官になったって同じだ。ここもどこも同じ、世界なんて、どこに行っても同じ。なぁ、タウル」


 彼は両腕を広げた。


「ここはいいところだ! 自由! 何もかもが自由なんだ! 何物にも縛られることはない! なぁ、そうだろ? ここを出たらそうじゃなくなる。みんな嘘でがんじがらめ、思ったことを言うのも難しい。俺は考えを改めたよ。大森林こそ、本当の自由の土地なんだ」

「お前」


 そう叫びながらも、彼の目は泳いでいた。それは恐怖なのか不安なのか、それとも後ろめたさなのか。

 だが、タウルはもう何も言わなかった。黙って背を向けると、そのままテントに入ってしまった。その背中をラーマは複雑な表情で見送っていた。その彼を引き戻したのは、右手に抱かれていた女だった。こちらもまた、形ばかりの媚びた笑みを浮かべると、ラーマの頬に熱いキスを浴びせた。それをまた、ゲランダンの手下どもが囃し立てる。悪くなりかけた雰囲気は吹き飛んだ。

 ラーマはぎこちない動きで女の背中を抱き、木陰に引っ張り込んだ。いや、女に引っ張り込まれた。大木の裏から衣擦れの音がして、やがて嬌声がここまで聞こえてきた。


 ゲランダンがポツリと言った。


「先に女を抱いた奴は、酒は一番最後な」


 これに男達は揃って笑い声をあげた。

 ゲランダンがその場に座ると、彼の配下でも古株連中は近くに腰を下ろした。これから酒宴らしい。


「じゃ、もう一人の女は、監督官に献上するか」


 一方、離れたところからは男達の絶叫が聞こえた。

 捕虜になった男達はケジャン村の連中に引き渡された。彼らは相談の末に、連れ帰って働かせたり仲間に加えたりする代わり、この場で殺して食べることにした。恨みでもあるのか、単に遊んでいるのか、彼らは腹部に鉈を当て、じっくりと皮を剥ぎ始めていた。

 既に最初に殺された女の死体は、火にくべられていた。木の枝で串刺しにされたそれらが、彼らの焚火の中で血と肉汁を滴らせていた。気の早い男はそれに手を出して、もうかぶりついている。


 かくしてこの場には、耳にする者の意識を混乱させる、いくつもの物音が入り混じることになった。飲み騒ぐ男達の笑い声、男を喜ばせる女たちの喘ぎ声、死に至る男達の絶叫……


 俺とジョイスは、同時に立ち上がった。


「ゲランダン」

「おっ、なんだ?」

「僕らはもう寝る。見張りは任せていいな」

「ああ」


 それだけで俺達は背を向けた。

 内心では暴風のような、渦のようなものが、荒れ狂っていた。こいつらはいったいなんなんだ。いったいどうしたらここまで薄汚くなれるのか。


 ふと、また思ってしまったのだ。


 なんという醜さだろう。

 俺にそんなことを言う資格はない。そんなことはよくわかっている。しかも今回、俺は間接的とはいえ、共犯者になってしまっている。それでも……


 果たして彼らは……いや、俺達は、生まれてきてよかったのか、と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る