ルルスの渡しにて

 間近に見えるのはU字型の砂洲。その向こう側には、もはや懐かしさすらおぼえる鮮やかな緑の木々が立ち並んでいる。

 既に俺達は帆を取り外し、櫂だけで前進している。それも、浅くなった川底にぶつからないよう、いちいち確かめながら。勢いを落として、衝突と転覆に注意しながらだ。先頭を引き受けていたゲランダンの班のアフリーは、既に上陸している。彼の誘導に従いながら、一隻また一隻と、砂浜に船首を乗り上げていく。


「よし、こっちだ!」


 指定された方へと最後の一漕ぎ。そのままボートは直進して、やがて竜骨が砂にこすられて減速するのを体で感じる。


「降りろ」


 慌ただしく立ち上がり、ボートの頭に結んでおいたロープを投げ出す。それをフィラックが掴む。ノーラと俺は彼に続いてロープを引いたが、そのまた後ろにいる三人の仕事は、まずは荷運びだ。ボートに満載された物資を陸上に移さなければいけない。それでボートが軽くなってきたのを感じると、俺も手を放して運搬を手伝った。それから全員でロープを引っ張って、ボートを完全に陸上に引っ張り上げた。


「ご主人様!」


 少し遅れて上陸したタウルのボートから、クーは駆け寄ってきた。


「固定は頼んだ」

「お任せください!」


 入り江で停泊するたび、クーはボートの係留を引き受けてきた。タウルから教わったロープワークで流されないように固定するのが彼の仕事だ。

 手が空いた俺達は、今度はタウルのボートから荷物をおろす作業にとりかかった。


 ついに辿り着いた。ここがルルスの渡しだ。


 色濃い影を落とす緑の木々。絡み合う枝葉、這いずる蔓。森の入口には下生えが道を阻むように繁っているが、少し奥を見れば、そこはもう光の届かない森の中だ。これまでの探索で見てきた通り、森の中では普通、そこまで丈の高い茂みに悩まされることはない。鉈で切り拓くべき範囲は限られている。

 視線を移して東を眺めると、そう遠くないところに幅の広い滝が見える。まるで人が作ったみたいに横一列に段差ができていて、そこから青く輝く水が飛沫をあげながら注がれている。落差そのものは十メートルもなさそうだ。ボートを担いで移動する距離も、せいぜいのところ、数百メートルといったところか。

 西へと振り返ると、ただただ茫洋と広がる大河があるばかりだった。南から静かに流れ込む濁流と混ざり合って、こちらはほとんど灰色の世界だった。頭上だけは青い空、白い入道雲に彩られていたが。


「ファルス」


 フィラックが声をかけてきた。


「打ち合わせだ」


 みんなは荷下ろしに忙しいが、俺達は待ち構えていたゲランダンとペダラマンについて、さっき見た暗い森の中へと踏み込んでいく。

 あるところまでみんなと離れ、周囲の安全を軽く確認してから、やっとゲランダンが口を切った。


「本来の予定では、このまま俺とフィラックの班の四隻分、滝の上まで運べば終わりだった」


 肩をすくめ、軽く溜息をつきながら。いかにも「仕方ない」という空気を出しつつ、彼は続けた。


「だが二つも想定外のことが起きた。なぁ?」


 横にいたペダラマンも頷いた。


「ケジャン村の連中に援軍を頼まれた。今夜、相手が備える前に一気に襲撃をかける」


 そのケジャン村の連中は、最寄りの入り江で待機している。夕方になる頃、ここまでやってきて、合流する予定だ。


「ま、それだけなら一日道草するだけさ。ただ、面倒なのはこっち、拾いモンしちまった件なんだよなぁ」


 黄金やら水晶やら、思いもよらず財宝の山を見つけてしまった。他の探索隊が奥地までやってきて、例の人魚どもの歌声に引き寄せられて全滅を繰り返した。その時、船に積まれていたお宝の数々は、川の狩人達の関心を惹かず、捨て置かれた。そうしたことが度重なり、誰も思いもしないところに大金が集積されてしまっていたのだ。


「……引き上げるか?」


 鼻で笑いながら、ゲランダンは言った。


「これだけあれば、あとはベルムスハン村の焼き討ちに成功すりゃ、それだけで探索は成功だ。何も奥地まで行くこたぁねぇ」


 それは困る。金目当てでやってきた彼らからすれば、それでいいのかもしれないが。

 ここに来るまで長距離を歩き、汗と泥に塗れ、虫に刺されてきたのだ。あの苦労をもう一度? 第一、既に十名近い人命が失われてもいる。一方、撤退のメリットも、ないでもない。今度こそ人集めをやり直せる。そうなれば、クーやラピに帰還を命じることもできるだろう。


「俺はどっちでもいい」


 ペダラマンは、感情を覆い隠すような、自信ありげな微笑を浮かべてそう言った。


「そうなると、主催者様のお気持ち次第、ってわけだ」


 これではフィラックが返事をするなどできまい。俺が言うしかない。


「探索は続行したい。引き続き協力をお願いしたい」

「ほう」

「まだ何もしてない。その財宝も、運が良かったから見つかっただけだ。まだケフルの滝にも着いていない。大森林の奥地を探索するといって出てきたのに、これでは帰れない」


 するとゲランダンは長い長い溜息をついた。


「なるほどな」


 肩をそびやかし、彼はその場で足踏みをした。


「だけどな、そうなると問題が出てくるんだ」

「というと」

「俺らはこれから仮眠をとって、ベルムスハン村の襲撃に行く。でも、お前らの班は来ないんだろ?」

「そのつもりです」

「まさかお宝もって勝手に引き返すつもりじゃないだろうな」


 馬鹿な。

 だが、彼らの立場で考えれば、それもあり得る選択か。


「意味がない。今夜、こっそり船を出して戻ったとしても、明日の朝には気付かれる。どんなに急いでも一日の差しかない。それじゃあ、関門城に着いてから、急いで財宝を売り払っても……いや、足下を見られたくなかったら、オークションにかけるしかない。そうすると、結局すぐには捌けないし、そんなことをしても得しない」

「俺ならこうするぜ? 全部のお宝は諦める。目方が軽いのだけ、こっそり小分けして持っておく」

「だったら今、明るいうちに全部並べて数えよう。それぞれの班で記録をつけて、どれだけお宝があるか確認する。今夜一晩はこちらの班で見張る。もしその間になくなったものがあったら、その分は僕が弁償する」


 難しいことは何もない。各班とも、読み書きできる人間がそれぞれいるようだし。うちで、いや、ゲランダンの部下のチャックあたりに目録を作らせて、その写しを各班で共有すれば済む話だ。


「親切なこったなぁ」

「当然のこと」

「けど、もう一つ問題があるんだ」


 ゲランダンの視線がペダラマンに向けられる。


「今夜はいいとして、明日ここを出るときにゃあ、俺らがお宝を持っていくぜ」

「何を言っている」


 ペダラマンは、まったくくだらないと言わんばかりに低い声で応じ、軽い溜息のあとに笑い出した。


「俺達は明後日には船を回して引き返す。アワルの班からの補給を受け取るためにな」

「ああ、そうだろう」

「その時に、奴にお宝を運ばせる。そうすればお前も身軽で済む」


 すると今度は、ゲランダンが笑い出した。


「な? そういうことさ」

「アワルがごまかすと?」

「こいつもな」

「舐めるな」


 互いに笑ってはいるが、目は笑っていなかった。

 これはややこしい。ここでは一切が現物主義だ。信用というものがないから、常に互いに騙されるリスクを負っている。本当に、自由の代償としては大きすぎる問題だ。


「目録で対応する」


 信用があろうがなかろうが、大森林深部の探索をやめるわけにはいかない。


「へぇ」

「ペダラマンとアワルは、目録にある獲得物をなくしてはならない。喪失した分は勝手に分配される分をとったとみなす。それから、ゲランダンとフィラックの班が新たに得た獲得物の分配権を失うものとする」

「ややこしいな」

「この取り決めを、監督官に委ねる。そのためにいるんだろう、ディアラカンは」


 正論ではある。だが、正論でしかない。


「当然、財宝の目録の写しは、ディアラカンも持つ。監督官の権限で不正を確認できる」

「こっちが不利すぎるだろう」


 ペダラマンが不平を鳴らした。


「すると俺達は、重いお宝を必死こいて運んでやるのに、後でお前らから訴えられる」

「そんなことはしない」

「ディアラカンにいくらか渡せば、目録がいつの間にか書き換わる」


 まったく厄介な……


「話が進まない。だったらいっそ、ここでもう財宝の分配を済ませてしまおう。ペダラマンにはアワルの班の分も預ける」

「理屈の上ではそれでいい。だが、無理があるな」

「何がおかしい」

「見つけたお宝はオークションで競売にかけられる。すると、ここで目利きにしくじったら大損だな。高く売れないものを握らされたら、たまったもんじゃない」

「それはお互い様だろう」


 ペダラマンはじっと俺を見つめたが、ふっと力を抜いた。


「わかった」

「どうする」

「いいだろう。目録を作れ。俺を裏切ったら許さん。生きて大森林から出られると思うな」


 脅し、か。だが、彼の立場を考えれば、これは大幅な譲歩だ。


「わかった。こちらも怒らせるようなことはしたくない……では、明るいうちに」


 話し合いを終えて、俺達は茂みから外に出た。


 ゲランダンが号令し、例の川底から回収された財宝の数々が砂洲に並べられた。ざっと見て、なるほど、結構な値打ちがありそうだとすぐわかった。

 まず、黄金だ。特に古代の金貨らしいものが数多く見つかった。現代の金貨より二回りも大きくて、真ん中には誰かの顔が彫ってある。古代ローマの硬貨みたいな横顔ではなく、正面から見た図だ。それも人間の顔とするには少々不格好な代物だった。厚ぼったい唇に大きな鼻、大きな目と、エキゾチックな意匠ではあったが。

 また、黄金製の道具類の残骸も見つかった。コップや皿といった生活用品、腕輪のような装身具もあったが、一番目を引いたのは立方体の金塊だった。そう、立方体で、装飾らしいものもなく、用途がまるでわからない。一応、持ち上げる際に手が滑らないようにするためか、側面には細かいラインがいくつも横に引かれているが、それだけの代物だ。一番大きなものでおよそ二十センチ四方だったが、他に十センチ、五センチと、より小さなキューブもいくつか見つかった。

 宝石類も、いくらかはあった。少なからず河の流れに摩滅して価値を失っていたりもしたが、中には土砂に埋もれることで状態を保っていたものもあった。大粒の琥珀、一抱えもある水晶の原石、それに瑪瑙がいくつもあった。

 奇妙なことに、現代流通しているようなサイズの金貨や銀貨の入った袋も一つあった。見た限りではかなり古そうに感じたのだが、いつの時代の探索者のものだろうか? しかし、ざっと数えて一千枚以上もあった。こんな奥地に大金を持ち込んで探索活動をする間抜けがいたんだろうか? いや、もしかすると、今回のゲランダンのように、近隣の村を襲撃した帰りだったのかもしれないが。


 それより、どうしてこんな遺物があるんだろうか? 大森林のハンター達はせいぜいこのちょっと奥までしか到達できていない。これまでのところ、これといった人工物は見かけなかった。タウルは黒土の丘の上を掘ると、たまに黄金製品が見つかると言っていた。では、その上物は? 建造物は、どうなってしまったんだろうか? 或いはそれらが木造で、熱帯雨林の風雨にさらされて、もはや形を残していないだけなのかもしれないが。

 特に、黄金の立方体についてはまったくわけがわからない。或いはこれは道具ではなく、魔王の時代の金のインゴットに過ぎないのだろうか。


 そこで我に返った。

 男達の視線は、俺とはまったく別物だった。俺は単にこれらの品物の来歴を気にしていたのだが、彼らにとっては金品以外の何物でもない。これらがどれだけの利益をもたらしてくれるか。取り分が公平に分配されないで終わるのではないか。そういった思いが、この場の空気を澱ませていたのだ。


「記録しました」


 チャックが回収物を一覧に纏めた。

 それをゲランダン、ペダラマン、フィラックが立ち会って、一つずつ指差し確認し、全員が納得したところで、チャックはその写しを書きとった。それをまた、各班のリーダーに見せて確認してもらい、一部をディアラカンに手渡した。

 いつの間にか、昼近くなっていた。


「思った以上に時間を食った。ボートの運搬は明日にしよう。今からくたびれたんじゃしょうがない。物資とテントだけ上に運ぶ」


 ゲランダンがそう指示して、俺達は滝のある方へと歩き出した。ここまで持ち込んだ多量の物資を滝の近くの岩場まで運ぶには、何往復かしなければならない。

 四日ぶりに坂道の昇り降りで汗をかいてから、俺達は早々とテントを立てて鍋に食材をぶち込んだ。今夜は全員で眠り込んでしまうわけにはいかない。財宝を見張るためにも、順番に起きていなければならないから、早い時間から仮眠を取っておく必要がある。襲撃に向かう他の二つの班も、夜間の活動に備えなければならなかった。

 そんなこんなで何もかもが前倒しで片付けられ、夕暮れ前には宿営地は静かになった。


 そして、夜の帳が降りた。

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