アワルの夢
「お呼びでしょうか、ご主人様」
ケジャン村の入口にテントを張ってから、一夜が明けた。
朝一番に、アワルの班のヤンが、シャルトゥノーマ他三人ほどを伴って、薬草の採取地に向かって出発した。言うまでもなく、虫除けの材料を得るためだ。
それから朝食後に、アーノが退屈を訴えた。体力気力を持て余した彼は、嫌がるイーグーを連れて無理やり村の外に出た。この近くには森林オオカミが出るというので、それを狩って夕食のオカズにするつもりらしい。なにせ大森林に踏み込んでからというもの、干し肉のきれっぱしくらいしか肉を食えていないのだから。まぁ、あの二人なら、魔物にやられる心配はしなくていいだろう。
あとは休憩なのだが……体は動かさずとも、頭は先々のことを考えるのに使う。それでまず、二人の扱いから決めることにした。
「ここまで一週間ほど歩いてみて、どうだった」
他より少ない荷物でも、二人はへばってしまっていた。クーはまだ九歳だし、ラピも奥の間の侍女でしかなかったのだから、ただのピクニックが数日続いただけでも、限界近かったのだ。
「正直なところを聞きたい。この先はもっと危険で、大変になる」
さすがに、すぐに返事はなかった。
「二人とも頑張ったと思う。でも、そう心配しなくてもいい。この先は、アワルの班に面倒をみてもらおうかと思っているんだ」
「ご主人様、それはどういう」
「心配いらない。こういう考えだ」
まず、クーとラピは、ここに居残るアワルの班の残り四人に合流する。山菜取りの名人ヤン・ビサの下で仕事を受け持ちながら、基本はこのケジャン村の中で過ごす。順調にいけば、アワルは人足を連れて三日後にケカチャワンの河岸に出られる。引き返してくるのに同じだけかかったとして、六日間の待ち時間になる。
その頃には、マンガナ村に残されたアワルの別動隊が、一度関門城付近に引き返し、そこから物資をここまで運びにくる手筈になっている。俺の考えでは、そこでクーとラピは、その別動隊についてマンガナ村、ついで関門城を目指す。
「それは帰れということですか」
「後方支援も大事な仕事だ」
「でも」
「これはタウルも承知している。二人のおかげで出発できた。十分に役目は果たしてもらったと思っている」
二人は目を見合わせた。比較的冷静なクーとは裏腹に、ラピは目に見えてしょげ返ってしまっていた。
「ちゃんと先々のことは考えてある。この探索が終わり次第、二人は奴隷から解放するし、ピュリスかキト、どちらか望む方に行かせてやれる。実績というほどでもないかもしれないが、危険な大森林に同行して、ここまで不満も言わずにやってきた。シックティルにもその点を伝えて、大切に育てるよう命じることができる。でも、それでも心配なら、ピュリスに行くのも悪くない。読み書きをしっかり覚えて、商売のコツを教わるといい。いずれ僕が帰国した際には、商会の重要な仕事を任せることもできる」
言うべきだったのか、よせばよかったのか。
意欲からすれば、止めるべきではない。だが、能力的には、明らかに足りていない。
「わかりました」
クーの決断は早かった。一礼して、彼は宣告を受け入れた。
「済まない」
「いえ、これもご主人様のお気遣いですから」
初日に『人食い』に殺されそうになった件もあるし、サルの襲撃に始まる一晩の騒動もあった。身体能力の不足は如何ともしがたい。自分なりには頑張ったが、そう判断されてしまったのだと、その結果を受け入れた。
なんでもないように見えて、自分の感情をきっちりと管理しきるというのは、すごい能力だ。挫折や敗北を受け入れるのは、いい歳をした大人でも、そうはできないのだから。
ついでにいうと、自ら命令を受け入れることで、気持ちの処理の追いつかないラピまで巻き込める。帰還命令が下されたのは、そうしなければ危険だと判断されてしまったからだ。なのにクー自身が逡巡すれば、ラピも迷うことになる。
俺は内心で舌を巻いた。やっぱりクーは、とびぬけて賢い子だ。
「絶対に報いる。受け入れて欲しい」
だからこそ、こんなところで死なせるのはもったいない。扱いさえ間違わなければ、クーはきっと大成する。
俺は改めて頭を下げた。
それから俺は、他の仲間の様子を見て回ることにした。
村の入口付近の家、その一階の柱の近くに、二人の人影があった。つまり、柱に鎖を繋がれたディエドラと、その見張り役を引き受けてくれているペルジャラナンだ。
本来ならノーラが傍にいるべきなのだが、彼女は今、昨日また気分の悪くなったジョイスの傍にいる。少しすれば慣れるのだろうが、まったく神通力というのは厄介なものだ。
「お疲れ。押し付けて悪いね」
「ギィギィ」
木箱の上で足と尻尾をブラブラさせながら、ペルジャラナンは気の抜けた顔で手を振った。
俺の言葉は通じても、彼の言葉は理解できない。それも承知の上で、彼は気にした様子がなかった。
「で、さて、ディエドラ」
床にしゃがみ込む彼女の向かいに、俺も腰を下ろした。
「もうすぐ河に着く。そうしたら、お前の故郷も近いはずだ。そうじゃないか」
「ダからドうした」
「その首輪を外したい」
彼女は一瞬、ハッとした目でこちらを見たが、すぐ黙り込んだ。
俺がペルジャラナンと信頼関係を築いているらしいことは、さすがに理解している。付き合い方次第で、いくらでも好ましい扱いを受けられるだろうとわかっているのだ。
「ニゲられるとオモわないのか」
俺が立ち上がると、彼女はそう言って挑発した。
「思う」
「フフン」
「でも、お前はまだ逃げない。多分、そんなに間抜けじゃない」
そう言うと、彼女はまた、苛立ちを露わにした。
「わざわざ森を出ようとしたのに、ここで逃げ出したら、うまくいっても元の木阿弥だ。だからお前は逃げない。僕を利用できるうちは」
「フン……」
俺は彼女に近寄り、首にかかった銀の首輪を外した。
もちろん、この場所だからというのもある。三階建ての家々が隙間なく林立し、唯一の出口を除いては城壁の形をなしている。無論、駆け上がるだけの身体能力ならディエドラには備わっているのだが、ここには貧相な梯子がいくつかあるだけだ。モタモタしていれば俺や他の仲間にも見咎められるし、そうそう逃げ切ることはできない。それに、夜になったらまた首輪をかけるつもりだ。
「明るい時間は、この村の中なら好きにしていていい」
それだけ言うと、俺は首輪と鍵をペルジャラナンに預けた。
「揉め事さえ起こさないでいてくれれば、あとは自由だ」
不安はあるが、そろそろディエドラをしっかり懐柔しておく必要がある。こちらが武器を下ろさなければ、彼女もまた敵意を捨てないだろう。リスクをとるべき状況だった。
それからまた、俺は村の反対側に向かって歩き出した。
この村の人々が近くにいない、物置になっている一角に、ジョイスはいた。寝具の材料にするための干し草の上に、彼は大の字になって寝転んでいた。その横には、ノーラが座っている。
「どう?」
「相当に気持ち悪いみたい」
「よせよ。もう平気だ」
そう言いながらも、彼の額にはまだ脂汗が浮いていた。
「ろくでもない場所らしいな、ここは」
「肥溜めもいいとこだ。どいつもこいつもイカレた奴ばっかりじゃねぇか。なんなんだよ」
ジョイスは力なく手を持ち上げて、指折り数え始めた。
「こいつらが何を食ってるか。昨日見たのなんて序の口だ。こいつら、毎年わざわざ挺身隊の連中が来るのを待ち構えてやがんだぜ。関門城まで出ていって、騙して案内して連れ込んで……ああ、数え切れねぇ。殺して捌いて、人間で干し肉こさえてやがんだ、ここの連中は」
森の獣を狩るよりずっと簡単で、現金も持っている。標的としてはちょうどいいのだろう。しかも、警戒している他の村の人間より、ずっと与しやすい。
「だから俺達が村の門を潜ってきた時にも、あいつら俺らのことを食い物を見るような目で見てやがったんだ。それで胸糞悪くなっちまった」
「まさか人間が主食とは、な」
「他所で人殺しをして逃げてきた、なんつうのが当たり前だ。本当の本当に、ここは村ごと焼き払った方がマシなくらいだ」
それも困る。ここにクーとラピを数日置いて、アワルに頼んで関門城に送り返してもらうつもりなのに。
「難しいかな」
「何がだよ」
「いや、タウルとも相談したんだけど、クーとラピを帰したい」
ジョイスは身を起こして頷いた。
「いいんじゃねぇか?」
「ただ、ケカチャワンに出てからアワルがここに戻るまで、五、六日くらいはこの村にいなきゃいけない」
「おいおい」
やっぱりそうなるか。
「人足の連中はともかく、アワルの班自体は割とまともな気がする。アワルがいない間はヤンが仕切るみたいだし、ついていけるなら無事だろうとは思うけど」
「この村に残したら、焼肉になっちまうんじゃねぇか」
「笑えないな」
とはいえ、二人の役目はもう済んだ。好ましくない人間を一人でも連れて行かずに済むように。その目的は達成できた。
なるべく早くに安全地帯に戻したいのだが……
「ちぃっと考えねぇと、逆に危ねぇぜ」
「ノーラはどう思う」
尋ねられた彼女は、しばらくじっと黙って考えた。
「帰さなくていいと思う」
「はぁ? マジかよ」
「帰りたいと言い出すまでは、考えなくていい。二人とも、自分で決めてここまで来たんだから」
ノーラらしい意見だった。
「それで帰るに帰れない場所までついてきたら、それから帰りたいと言い出しても無理になるんだぞ」
「それも自分の責任。子供でも、自分で決めた。散々やめていいと言われたのについてきた。どんなことになっても、自分が決めたようにやりきるのでなかったら、後悔すると思うの」
納得はできる。
だが、問題は命だ。安全だ。
「わかった。一応、二人には帰るようには言ったけど、もう少し考えてみるよ」
となれば、ここはやはり、アワルの意見を聞いてみるべきだろう。そもそも彼が引き受けてくれなければ、二人を帰すというのも絵に描いた餅でしかない。
二人の傍を離れて、俺は村の中を歩き回った。どこかの木陰で休んでいるのだろうかと思って、村の中を一周した。
見たところ、のろのろと畑を耕しているのは、やや年嵩の女達ばかりだった。まったくの無表情で、喜怒哀楽が読み取れない。死にたくないから生きているだけ。そんな絶望と諦念が滲んでいた。一歩間違えば、自分達も食料なのだから。
では男達はというと、こちらは昼間から奔放だった。ここからでは角度の関係で、若い女の手足が時折垣間見えるくらいだが、あらぬ声だけはしっかり聞こえてくる。だが、仮に子供を授かっても、こんな場所では養育も何もあったもんじゃないだろう。
ざっと見渡して、ここの村人の連中の自堕落さに、俺は溜息をついた。まともな奴は一人くらいいないのか? そう思って高所に目を向けたところ、やっと見つかった。
梯子を伝って二階に昇り、そこから別の釘打ちされた頼りない梯子を這い上がって、やっと三階の屋上に辿り着いた。そこに立ったまま、遠くを眺めている男がいる。
ピアシング・ハンドで判別できなければ、もう少し見つけるのに時間がかかったかもしれない。何の必要があって、アワルはこんなところに立っているのだろうか?
「ファルス様か」
「お寛ぎのところ、お邪魔します」
「ふっ、ふっ、ふっはは! お寛ぎ、か!」
丁寧な言葉遣いゆえに、却って場違いに過ぎた。
「何をしておいでだったんですか?」
「別に、ただ西の方を見ていただけだ」
「西? 何があるんですか」
すると彼は、微笑を浮かべてカラッとした口調で答えた。
「もちろん、真珠の首飾りだ」
俺も彼の横に立って西の彼方を眺めてみた。
間近には緑のドームの上部を構成する木々が見える。ただ、すべての木がこの村の外壁より高い位置にあるわけではない。この黒土の丘の下には沼地が広がっており、いじけた低木の類がポツポツと生えている。そのまた向こうには、また緑の丘があった。それらが折り重なるようにして続いており……あるところで青々とした山脈に遮られる。
「あの山の向こうにあるのは、きっとサオーだ」
「はい」
「夢があるんだ」
白い歯を見せて、彼は未来への希望を語った。
「大森林の仕事で稼いで、あちらで商人になる。カリから運ばれてきた薬草とポロルカ王国から届いたのを調合して売る。自分の店を構えて暮らしたいんだ」
現に住民となっている人々なら、どう思うところだろうか。サオーは事実上、サハリア豪族の属国だ。割と最近まではセミン氏族の、今はネッキャメル氏族の支配を受けている。わざわざ海峡の二等市民になりたいのかと。
だが、大森林に留まる人々は、市民ですらない。奴隷も平民もない。法もなければ、明日の生存の保証もないのだ。
「もうだいぶ貯まった。もしかしたら、この仕事が終わったら、出発できるかもしれない」
「伝手はあるんですか?」
「ああ。ヤン爺さん、これでもう何人も見送ってる。本当に頭が上がらないよ」
なるほど、そういうことならやっぱりアワルは信用できる。
将来を考えている人が、しかも堅実に貯金してきたような人が、目先の欲に動かされて無茶な真似をする可能性は低い。
「息子と娘がいるんだ」
「ご結婚を?」
「十二年前だ。女神神殿の口利きで。おかげで先のことを考えるようになった」
そして、彼は危険な大森林の仕事で稼ぎ、妻子を養ってきた、と。
俺の中ではこのところ、女神神殿の株は下がりっぱなしだったのだが、彼のように人生の軸を与えられることもある。
「本当はもうちょっと早く金を貯めたかった。こんなところに自分の子供を慣れさせたくはないよ」
「おいくつなんですか?」
「息子はもう九歳だ。もう、大森林のことは忘れない歳になっちまった」
タウルはその歳から働き始めた。では、彼の子は?
「その、お仕事は」
「女神神殿の学校で、読み書きを覚えさせてる。こっちの連中に染まってほしくない」
世界の底辺ともいうべき大森林のハンター達。だが、そこからでも這い上がろうという意志を持っていれば、彼のように少しずつ前に進むことができるのだ。
「正直、ケカチャワンなんて渡るもんじゃない。一攫千金なんて夢は見ないで、こっち側で丁寧に稼げばいいんだ。そうすれば時間はかかるけど、気をつけて頑張れば、そのうちに金は貯まる。酒を飲んだり、賭け事をしたりしなければ」
「凄いですね。我慢強いです」
本当に凄い。これはお世辞ではない。
前世の日本でも、せっかくの自由時間を酒や娯楽にばかり費やしてしまい、何も残さず無為に過ごしてきた人が大勢いたものだ。なのにアワルは、これだけ大変でストレスの溜まる仕事をしながら、目標に向かって節度を保った暮らしを継続している。
「そうでもないさ。こうして待ちきれなくて、西の方ばっかり見てる」
茶目っ気のある笑みを浮かべて、彼は言った。
「ま、こうして見てたって、早くあっちに行けるわけじゃないんだけどな」
「落ちたら危ないですよ」
「はっはは! 俺がくたばる前に、しっかり稼がせてくれよ、ファルス様!」
それから俺とアワルは、梯子を伝って地面まで降りた。
ちょっとした騒ぎが起きているのに気づいたのは、その後だった。
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