約束があてにならないところ

 木槌の音が遠くから響いてくる。風はなく、ムッとした熱気が頬に触れる。草木の汗のような匂いが辺りに充満していた。

 まばらに大樹が聳える大通りを、俺はノーラと並んで歩く。目指すは俺達の小屋だ。明日の朝から、早速に人員募集を始めることになっている。今日はその準備だ。


 暑さのあまり、頭がぼんやりしてくる。

 この高温多湿、砂漠とは違ったつらさがある。


 地面に杭を打ち込んでいるのだろうか。音が近付いてくる。

 この昼日中に誰が……


 思い至って、俺は早足になった。


「済まない、遅くなった!」


 声をあげつつ、俺とノーラは自分達の小屋の前に駆けつけた。


「おーう」


 上半身裸のジョイスが腕で額の汗を拭いながら、応える。


「もうほとんど終わった」


 タウルが淡々と言った。


「悪かった。でも、待ってくれていてよかったのに」

「暇だったし、午後はもっと暑くなる」


 彼らが準備していたのは、明日やってくる参加希望者が並ぶ場所だ。どれくらいやってくるかはわからないが、人数次第では炎天下で待たせることになる。だから日除けが必要だ。

 といっても、立派なものを用意する時間もない。だから、小屋の前に一定間隔で杭を打ち込んだ。あとはそこに斧で切れ込みを入れ、狭間に竿を差す。その竿の天辺を紐で結わえて、天幕代わりの布を渡そうという考えだ。待ち時間に熱中症で倒れられては困るので、普通はこうした準備をするものらしい。


「で、どうだった?」


 フィラックが尋ねる。


「獣人は。やっぱり毛むくじゃらだったのか?」


 そう軽口を叩きながら、ジョイスを見やる。


「この野郎」


 獣人ならここにもう一人いるだろ、サルの獣人が、ということだ。もっとも、ジョイスも冗談込みだとわかっているので、本気で怒ったりはしない。

 すぐ横では、しゃがみこんでクーとラピが作業を続けている。竿の先に紐で布を固定しようとしていた。ペルジャラナンはというと、斧を手に杭に切れ込みを入れていた。ここに竿を捻じ込むというわけだ。随分と雑な工事だが、どうせ何日も使うのでもない。


「もっとゆっくりやってくれてよかったのに……」

「気にすんな。で? いねぇけど、落札できなかったのかよ」

「いや」


 ノーラが頷いて、続きを説明した。


「一万枚で決めてきた」

「うわっ、たっけぇ」

「それが最安値だったのよ」


 フィラックが首を傾げる。


「じゃあ、いないのは?」

「あとで引き渡すって言われた。本当にひどかったから。首輪がついてるのに暴れだして、脇から棒を持ったのが袋叩き」

「おいおい」


 ジョイスが肩をすくめた。


「それじゃあ、売りもんになんねぇじゃんよ。骨とか折れてんじゃねぇの」

「それはなんとかなる」


 俺が簡単に説明した。


「よっぽどひどい怪我でもない限り、獣人は傷が治っていくんだ。ただ、銀やミスリルが弱点になる」

「ふうん」

「檻に入れ直して、引き渡すと言われた」


 タウルが眉根を寄せた。


「他の入札者はいなかったのか」


 フィラックも疑問を口にした。


「誰も手を挙げなかったのか?」

「ちょうど獣人が暴れたのもあって、みんな手控えたみたい」


 だが、彼らは難しい顔をしていた。


「何か気になることが」

「いや……」


 何も言い出さないので、俺は追及をやめた。


「けど、大丈夫か」


 フィラックが深い息をつきながら尋ねた。


「そんなんじゃ、言うこと聞かせられないだろ」

「そこは自信がなかった、けど」

「ぶっつけ本番ね。やってみるしかない。元は取らなきゃ」


 対話を試みる余地はある。少しだけだが、言葉は通じた。精神操作魔術でもやり取りできるだろう。そして、常人よりは強いものの、俺やペルジャラナンには遠く及ばない。足止めだけならジョイスでも十分可能だ。


「それより」


 俺は、汗だくになっているみんなを見渡した。


「あとは竿を立てるだけか」

「ああ」

「じゃあ」


 俺は周囲を見回した。クーとラピに目が向けられる。


「このお金で」


 数枚の金貨を握らせて、俺はお使いを命じた。


「みんなのお昼と、飲み物も買ってきて欲しい。果汁と……できれば椰子酒も」

「承知致しました、ご主人様」


 クーは一礼すると、ラピと一緒に俺達がもと来たほうへと歩いていった。


「さぁ、最後だけだけど、手を動かすよ。ノーラ、僕らだけでやろう。みんなは小屋で休んで」


 本当に最後のオマケみたいな作業だ。オークションのこと、獣人ディエドラが見せたあの態度、いろいろあって、暑さのせいもあってボーっとしていたとはいえ……みんなに仕事を押し付けたままのんびり帰るなんて。

 けれども、申し訳ないと思っているときほど、埋め合わせの機会がないものなのだ。


「いいって。さっさとやっちまおうぜ」


 ジョイスが地面に置かれた竿を掴んで、杭の切れ目に押し込み始めた。


「ささくれに気をつけろよ」


 フィラックも同じようにした。仕方ない。みんなでさっさと片付けたほうが早いか。


「小屋に戻っても、どうせ風がない。暑いだけ」


 タウルも休む気はないらしい。ペルジャラナンも、黙って作業に加わった。

 頭を下げなきゃいけないことがどんどん増えていく。でも、実際に下げたほうがいいかはまた別問題。いろんなことは、胸にしまっておかねばならない。それが人の上に立つということだ。つくづく器ではない。

 恐らく彼らの選択にも、俺が今感じているような、ある種のやりづらさが含まれている。先日のちょっとしたボタンの掛け違いを、特にタウルやフィラックは、気にしているのだ。内心はどうあれ、あえて「忠実で献身的かつ意欲的な家来」のロールを演じている。

 表向きは和気藹々と、内心は気遣いばかり……いや、考えるのはよそう。


 そうして小屋に近いところから竿を立てていく。

 それがほぼ、終わりかけた時だった。


 小さな足音。こちらに駆けてくるのは……クーか?

 最後の一本を押し込もうとしたその手を止めて、俺は振り返った。と同時に、予想通り、クーが大樹の陰から転がり出てきた。


「どうした」


 フィラックが声をかける。クー一人だけ、それも手ぶらとくれば。

 想像されるのは、ラピにちょっかいを出すのがいた、という状況だろうか。しかし、まだ酒を飲むような時間でもないのに、城下町で誰かの使用人に手を出す馬鹿がいるものだろうか? 大丈夫だと思ったが、あり得なくもないか。彼女はムワだから。


「ラピはどうした」


 もしそうなら、ひどい目に遭う前に助け出す。あちらが先に暴力を振るったのなら、こちらも遠慮はしない。久々にこの剣に血を吸わせてやろう。


「いえ、そちらは無事です。酒場で待ってもらってます」

「なんだ」


 フィラックも同じことを考えていたらしいが、その報告に肩の力を抜いた。


「じゃあ、何があった」


 タウルはまだ緊張を解いていなかった。別の何かが起きたと察したからだ。

 しかし、彼より先に、ジョイスが反応した。


「何を見た。短く言え」


 彼は苛立っていた。無理もない。

 詠唱なしに心が読めるジョイスは、もう何が起きたかを察しているのだ。だが、神通力についてあまり知られたくはない。だから、クーの説明を聞いたふりをしないといけない。


「獣人が……」

「わかった。どっちで見た」

「えっ」

「早くしろ!」


 それでクーは曖昧に指差した。それでジョイスは走り出す。俺も無言で続いた。

 走りながら俺は横に追いつき、尋ねた。


「何があった」

「お前らが買ったはずの獣人が、他所に転売されるんじゃねぇかってよ」

「はぁ!?」


 冗談じゃない!

 金貨を一万枚も支払ったんだぞ!


 俺は少し立ち止まり、ジョイスを先行させながら詠唱を始めた。身体強化を済ませておかないと、いざというときに後れを取る。

 後ろからまずペルジャラナン、続いてフィラックが追いついてきた。


「先走り過ぎだ」

「いや」


 準備が済んだので、俺はまた猛然と走り出した。すぐさま二人を置き去りにする。

 すぐジョイスの横に並んだ。そこで彼は短く言った。


「ノーラが見つけた。このまま、まっすぐだ」


 居残ったノーラは、多分、クーの記憶を覗き見たのだろう。そうしてその記憶にある場所周辺の意識を探知。それからその辺の意識に介入して視界を借り、獣人のいる檻を特定した。


「魔術ってのは、便利だなぁ」


 ジョイスは少し走る速度を落とした。


「足止めしてくれるってよ」


 そういうことか。

 大方、馬車に積んで持っていこうという状況なのだろうが、御者の意識をぼやけさせて……つまり『認識阻害』をかけた後、『忘却』を浴びせれば、出発を遅らせることができる。

 とはいえ、腐蝕魔術と違ってろくに道具もない以上、これが彼女の限度だ。いや、ピュリスから今までずっと持ち歩いているあの杖、あれも道具の一種なのかもしれないが。


 オークション会場からほど遠くない一角。舞台裏、緩やかに円陣を組む大樹の日陰に、いくつかの馬車が停まっていた。

 そこに数人の男達が立っている。一見して手持ち無沙汰なようで、暇に飽かせて雑談しているのがわかる。だが、俺の姿を認めると、話をやめて黙り込んだ。


 俺達も追いついたとわかって、声をあげずに歩調を緩めた。そうしてゆっくり歩いて距離を詰める。

 三人の男が前に出て、立ち塞がった。二人は西部シュライ人、一人はそろそろ三十歳近くになるフォレス人だ。その、真ん中にいたフォレス人が口を開いた。


「帰れ。子供は立ち入り禁止だ」

「荷物の確認にきました。通してください」

「いいから帰れ」


 こいつはボスじゃない。ピアシング・ハンドが伝えるところによれば、さしたる能力もない。斬り捨てるのは容易だが、まだ手出しされたわけでもない。

 誰が親玉だ? 確か、獣人を捕らえてきたのはゲランダンという男のチームだったはず。では、こいつらは下っ端で、その奥にいる大柄な男がそうなのだろうか? 通せんぼをする男達の合間から、そっと覗き見る。

 人種はよくわからない。いろいろ混血していて、フォレス人のようでもあり、サハリア人のようでもあり、南部シュライ人にも似ている。年齢は四十代半ばだが、上着の隙間から見える腹筋もきれいに割れている。ヘアスタイルなんてものもないボサボサ頭に無精ヒゲ、だがそれがさまになっていた。貫禄もあるし、なかなか強そうだ。だが、名前が違う。バジャック・ラウトというらしい。

 バジャックは、肩の力を抜いて、何気なくこちらに注意を払っている。やっぱり彼が取り仕切っているのだろう。そのすぐ横には、ハンファン人っぽい背の低い男が控えている。彼の視線は定まらない。こちらを見たり、ボスを見たり、またあらぬ方……ああ、あの馬車に獣人がいるのか。


 俺は前に立つ三人を迂回して、右側から抜けてその馬車へと近づいていった。当然、そのまま通すはずもなく、下っ端の一人が俺の左手を掴んで引っ張った。その瞬間、そいつは逆さまになってひっくり返った。

 その気になれば首の骨をへし折ることもできたが、振り払うにとどめた。それより、馬車の中身を確認する方が先だ。


「おい」


 バジャックが立ち塞がった。

 一方、他の下っ端達は様子見に転じている。俺が何気ない仕草で仲間を投げ飛ばしたのを見て、手強いらしいと察したのだろう。


「聞こえなかったのか。ここから先は立ち入り禁止だ」

「自分の荷物を取りにきただけです」


 彼は首を振った。


「ここにお前の荷物はない」

「あります」

「今日、落札されて積み出されるものしか、ここにはない」

「しらばっくれるな。獣人に一万枚払った。引き渡せ」


 俺は強い口調で言い切った。

 バジャックは、それこそ肌に食い込んでくるような視線で俺をじっと見つめた。やや間をおいて、彼は肩をすくめてみせた。


「何のことだ?」

「金貨一万枚で落札した獣人を引き渡せ。用事はそれだけだ」

「そんな話は聞いてない」


 彼は大袈裟に手を振って、さっきのハンファン人の小男に呼びかけた。


「なぁ、チャック。俺はそんな連絡は受けてないぞ」

「あ、はい」


 甲高い声で、チャックと呼ばれた男も応えた。


「獣人は、カリの商人ペンチュリアンが金貨一万一千枚で落札したんで、はい」

「馬鹿な!」


 あの時、確かにノーラは入札したし、続いて手を挙げたのはいなかった。金貨も先に支払った。どういうことだ。


「オークションなら、たくさん金出した方が欲しいもんを手にできる。だったらお前らは落札できなかったのさ。そうだろ?」


 俺の後ろにいるジョイスなら、こいつらの考えがわかるのかもしれない。少なくとも、チャックと呼ばれた小男の能力からすれば、少しは心の声が聞こえているはずだ。


「先に受け取った一万枚の金貨はどこだ」

「さあ? 俺がオークションを仕切ってたわけじゃない。見てもいない金の事なんざ、訊かれてもわからんね」


 押し問答をしても仕方がない。

 明らかに無法をしているのはあちらだ。もし俺がおかしなことをしているのなら、ジョイスが止めるだろう。


 ……力ずくで片付けるか?


 そう考えた時、後ろから足音が響いてきた。


「お前達! 何をしている!」


 フィラックが固い声色で、そう怒鳴りつけた。

 バジャックは、後からやってきた増援に顔をしかめずにはいられなかった。シュライ人、サハリア人、はいいとして、最後の一人がリザードマンだ。もちろん、バジャックの手下どもも、異様な追手に身構えてしまっている。


「何もしちゃいないさ」


 お手上げ、といったように肩をすくめ、手を広げる。


「この坊主のお守りなら、しっかりしてくれ。ここはガキの遊び場じゃない」


 だが、フィラックは引き下がらなかった。というより、追いかけながら考えを纏めていたらしい。


「無礼であろう! 控えよ!」


 頓珍漢な呼びかけに、むしろ俺が戸惑ってしまった。だが、その理由はすぐわかった。


「そちらの若君をなんと心得る!」

「キトのお金持ちか?」


 やっぱりムワに見えるのだろうか。


「赤の血盟の賓客、騎士ファルス・リンガ様である!」

「なんだと」


 その言葉にバジャックの余裕の笑みが消えた。

 一方、フィラックは大股に歩み寄って、バジャックのすぐ前に立った。


「お前は誰だ」

「フィラックだ。盟主ティズ・ネッキャメルの命により、ファルス様の身辺を守っている」


 バジャックは、完全に沈黙した。


「大森林には、何しに来た」

「説明する必要などない」


 俺の好きなやり方ではない。だが、身分や立場を振りかざすのも、処世術ではある。

 事実、バジャックは、こちらを見下すような態度はとらなくなった。


「荷物を検めさせてもらうぞ」

「その必要はない」


 拒絶に対して怒りをぶつけようとしたフィラックだったが、肩透かしされてしまった。というのも、バジャックは身を翻し、さっきのハンファン人の小男、チャックに向き直っていたからだ。


「おい、チャック」

「は、はい」

「お前、ちゃんと確認したのか?」

「えっ」


 斜め上から重そうな鉄拳が打ち下ろされる。それだけでチャックは地面にひっくり返った。


「ややこしいことすんなって言ったろが」


 返事はない。痛みと衝撃で、それどころではないのだろう。

 こうしてバジャックは、自分の企みを手下の勘違いということにして、悪びれずに笑ってみせた。


「で、獣人だな? わかった。今すぐ運ばせる」

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