獣人、買われる

 時刻は昼前。風のない日だった。

 周囲には木の柱が立てられ、そこに頭上を覆う布が被せられている。おかげで扇形の客席に直射日光が突き刺さることはないのだが、蒸し暑さだけは如何ともしがたかった。しかもその居心地の悪さに輪をかけたのが虫除けの草だった。大勢の人が集まる場所には、蚊などの害虫も引き寄せられる。そいつらを追い払うために盛んに臭いの強い草が焚かれた。

 じっとりとした汗を額に、背中に、そして固い椅子に腰かける尻にも感じながら、俺はノーラと一緒に、じっと舞台を見つめていた。


 先日、ゲランダンという大森林でも熟練の冒険者が、奥地を探索したらしい。タウルが目的地としたケフルの滝の付近でのことだ。運に恵まれた彼とその仲間達は、獣人と遭遇した。一般に身体能力に優れる獣人は、並の冒険者にとって脅威だ。それでも大勢で押し包んでしまえば、歯が立たない相手でもない。

 多少の犠牲はあったらしいが、こうして彼らは大きな利益を確保して、関門城まで引き返してきた。今日は彼らの収穫をオークションにかけることになっている。

 売り物は獣人だけではない。亜人や獣人は、例外中の例外だ。一般的には奥地で獲得した薬草や動物、魔物などから得られる素材。それに珍しいところでは宝石や金塊などが見つかることもあるという。だが、なんといってもこの市場を特徴づけるありふれた品は……


 競売の司会進行役が声を張り上げる。


「次はこちら! ルルスの渡しで見つかった脱法移民の女! 西部シュライ人ですが、まだ若い! 十七歳、病気らしい病気もなく、五体満足だ! 金貨五十枚から」


 関門城のすぐ近くに住んでいる連中はお目こぼしされているが、奥地に暮らしている人々は、基本的に存在を許容されない。当局に認めてもらって開拓村を形成していればいいのだが、その場合は出自も問われる。実際には犯罪者やら難民やらが紛れ込んでいるのがこの関門城の南側だが、別にそれが合法なのでもない。

 だから無許可で奥地に居座る連中は、そもそも犯罪者同然とされる。その辺の事情は関門城の付近にいる貧民も変わらないが、彼らは使い捨てのマンパワーとして、ナァナァの関係のまま取り残されている。


「五十五枚! 五十五枚! もう一声、ないか!」


 だから探索隊には、許可が与えられている。正式な許可を得て移住している集団以外に遭遇した場合は、そこで略奪し、誘拐して奴隷として売り捌いてもいい。犯罪者も同然の連中なのだから、犯罪奴隷と同じ扱いで構わないのだ。だから探索に出る冒険者達は、自分達にとって友好的な集団か、相手がどれだけの武力を有しているかなどを材料にして判断を下す。

 ただ、獣人などの珍品と違って、やはり普通の奴隷はなかなか売れない。若い女でも、だ。


「おらっ、脱げ! しっかり旦那様方に見せやがれ!」


 進行役の男は、項垂れるその女性の髪を掴んで顔を引き起こし、その体を包む一枚の布を無理やり引っぺがした。


「この通り、きれいな体をしております。出物ですよ! 味わうなら今だ!」


 オークション会場で席を占めているのは、基本的に内陸の交易で稼ぐ商人達だ。ティンプー王国やクース王国の許可を得て、この関門城までやってきて『真珠の首飾り』で売れそうな品を買い取っては海沿いまで運搬する。

 だから奥地で見つかる珍しい薬草や香木には、だいたい買い手がつく。しかし奴隷となると、旨味が今一つだ。なぜなら、わざわざこんなところで探す必要がないから。カリの街にもいくらでも売れ残った人間がいるのだから、よっぽど見栄えがいいとかでないと、港まで運搬するメリットがない。逃亡されたり、死なれたりするリスクだってあるのだから。しかも、美人であればあるほど、だいたいは冒険者達に手篭めにされている。下手に妊娠でもしていたら、商品価値など完全になくなってしまう。

 目の前の女も、決して醜くはない。目鼻立ちはスッキリと通っていて、均整のとれた体つきをしている。それでも、たった金貨五枚くらいしか競り上がらなかった。


「落札! 落札です。いや、これはお買い得、こんな買い物されたんじゃ、こっちが干上がっちまう!」


 進行役の悲鳴は、演技ではなさそうだった。

 一番手軽な戦利品である奴隷……だが、それに対する客の期待度は低い。大方、転売目的でなく、一時的に遊んで使い捨てる目的で買い取ったのだろう。身分は犯罪奴隷相当だから、殺害しても誰も何も言わない。ましてやこの大森林では。

 ただ、彼女は彼女で、生き抜く道が断たれたのでもない。ここで主人に気に入られれば、商人の現地妻、妾の地位に納まるのも不可能ではないからだ。


「さぁさぁ、お待たせしました! やっと本日の目玉! 数年に一度のお宝ですよ! ケフルの滝の向こうで捕らえた獣人! こいつは珍しい!」


 ようやく、か。俺は座り直して意識を集中した。

 舞台の袖から、まず男の姿が現れる。その手には銀色の鎖が握られている。やがて姿を現したのは、薄汚れた若い女だった。


 身に着けているのは灰色のワンピース一枚。ただ、手には金属製の手枷、足にも黒い金属の輪が繋がれており、その先には重そうな鉄球がついている。また、銀の鎖が結んでいる先には首枷があった。

 陽光を浴びてギラギラ輝くそれは、見た目にも物騒な代物だった。首の左右、内側に向かって刃が向けられている。それらが直接獣人の首に触れるようにはなっておらず、猫背になっている分には問題ない。しかし、これでは反抗などできないだろう。いざとなったら男が思いっきり鎖を引くだけで、頸動脈が断ち切られてしまう。

 それにしても目を引いたのは、その毛色だった。ところどころ黒いところもあるのだが、髪の毛はほとんど純白といってよかった。獣人というだけあって、頭の上には猫みたいな大きな耳が突き立っている。女としてはやや大柄で、体つきも華奢とはいえない。この場合、均整がとれているという表現よりは、よく鍛えられたしなやかな体といったほうがいいだろう。


 客席からは、感嘆の声が漏れてきた。

 やがて拍手がポツポツと始まり、すぐさまスコールのように鳴り響いた。それが収まるのを待ってから、進行役の男は声を張り上げた。


「ですが皆様、ご注意ください! 獣人は狂暴です! おとなしくさせるにはこのように、銀の首枷がなくては始まりません。乱暴に扱ってもちょっとやそっとでは死にませんが、銀やミスリルで傷をつければ悶え狂うのがこいつらです。ゆめゆめ油断なされぬよう」


 知っている。魔導治癒の能力をもつ魔物の特徴だ。

 多分、手枷足枷の内側にも、銀の金属板が仕込んであるのだろう。別に銀に触れたからといって、それだけで激痛を味わうのではないが、それによって生じた傷には大きな苦痛が伴う。乱暴に突き倒すだけでも、彼女は簡単には起き上がれないほどの痛みを感じるはずだ。


 俺は身を乗り出して、彼女を注視した。


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 ディエドラ・マカンプティ (15)


・マテリアル デミヒューマン・フォーム

 (ランク6、女性、29歳)

・マテリアル 神通力・鋭敏感覚

 (ランク7)

・マテリアル 神通力・暗視

 (ランク7)

・アビリティ 魔力・怪力

 (ランク4)

・アビリティ 魔力・俊敏

 (ランク4)

・アビリティ 魔力・疲労回復

 (ランク4)

・アビリティ 魔力・超柔軟

 (ランク4)

・アビリティ 獣化

・アビリティ ビーストロア

・アビリティ 魔導治癒

・アビリティ 悪食

・スキル シュライ語  1レベル

・スキル ルー語    5レベル

・スキル 格闘術    5レベル

・スキル 爪牙戦闘   6レベル

・スキル 隠密     4レベル


 空き(0)

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 二つ目の名前がある。つまり、欠けたところのないルーの種族だ。獣人が霊樹から何を得て何を失うのかは知らないが、少なくとも理性をなくすような状態でないことはわかる。人間の言葉も僅かに知っているのは不思議だが、やはりルー語が主要な言語らしい。会話もできそうだ。

 見たことのない能力がいくつかある。一つは『獣化』だ。まさか獣に変身することができるのだろうか? 爪牙戦闘のスキルがあるので、その可能性は高い。それと『ビーストロア』という能力だが、これは想像がつく。咆哮によって相手を竦ませるのだろう。

 それより見慣れているのに見慣れない『魔力』という能力が複数ある。これはなんだ? まるで神通力をそのまま置き換えたような内容だ。


 遠くからではよく見えないのだが、その目は鋭く輝いていた。誰だってわかる。こいつはまだ、反抗心をなくしてはいない。


「近頃は耳長や獣人なんて、滅多に見つかりません! 珍しいだけに、富を誇るなら、一匹くらいは手元に置いておきたいものでしょう。うまいこと躾ければ、人並みの仕事はこなせるようになると言いますよ! さぁ、金貨一万枚からどうぞ!」


 おっと。

 いきなり大きな額で始めたせいか、なかなか声があがらない。


 それはそうだ。ここにいるのは仲買人であって、最終消費者ではない。買い取ったら、売りつけて利益をあげなくてはならない。この商品、額の大きな買い物だけにリスクだって小さくはない。しかも獣人特有の身体能力の高さもあって、反乱や逃亡のリスクは普通の奴隷よりもずっと高い。物珍しさもあるから見物にはきたが、ほとんどは冷やかしなのだ。


「どうするの?」


 俺の横で、ノーラが小さな声で尋ねる。


「どうしようかな」


 俺も声を殺して応える。

 このオークションに席を用意してもらいはしたが、王様からすれば、まさか本気で競り落としにいくなどとは想定していないだろう。あくまで珍しいものを見せてやろうとの親切心でしかない。

 こちらとしても、決して安い買い物ではないし、装備と違って無駄になる可能性もある。安易には決められない。


「まず、知り合いってことはないよ」

「若すぎるってこと」

「そう。せいぜい三十年しか生きてない」


 マルトゥラターレが大森林で捕らえられたのは百年以上も前。だが、目の前にいるディエドラという獣人は、三十年ほど前に生まれている。だから面識はない。


「あとは使えそうかどうかだけど」

「すごい目をしてるわ」

「こっちの目的に手を貸してくれるかどうか」


 俺の気持ちとしては、不老の果実の在り処やナシュガズまで案内してくれるのなら、金貨一万枚など喜んで支払える。そこまでは高望みとしても、道中の安全確保に役立ってくれるのなら。例えば、危険なルートを避けたり、食べられる植物を見分けたりといったところで情報提供してもらえるなら、やっぱり損とはいえない。

 もちろん、この獣人を虐待するつもりもない。協力的になってくれるのなら、いっそ優遇すらしてもいい。用事が済んだら解放もする。

 だが、彼女の内心はどうか。力ずくで自分を捕らえ、一方的に売り飛ばし、服従を要求する連中の話など、聞き入れる気にもなれまい。俺が買い取ってやって、助けてやるから協力してくれ、と言ったところで、彼女からすれば知ったことではない。どれだけソフトな対応をしようが、勝手に捕らえて勝手に恩を着せてくる気持ち悪い奴でしかないのだ。だから説得に成功するかどうかは賭けになる。そこに一万枚の金貨となると、なかなか簡単な決断ではない。


 強気すぎる価格設定のせいで誰も手を挙げないので、進行役の男は沈黙を埋めるべく声を張り上げた。


「さぁさぁさぁ! どうですか? どうしても飼いきれない、扱いが難しいというなら、目を潰すという手もある。ただ獣人は頑丈だから、薬で目を焼いても治ってしまうこともあったらしいです。でも、その辺は心配ご無用。銀の針で目をえぐりながら薬で焼けば、まず大丈夫です!」


 なんということを。

 だが、獣人は彼らにとって、人でも何でもない。というか、人であっても、殺そうが売り飛ばそうがどうということもないのだ。


 観客席から手が挙がった。


「はい! なんでしょう?」

「目を潰したら使い道がないんじゃないのか。耳長と違ってやたらと力があるんだろう? 抱いたはいいが、絞め殺されては話にならないと思うが」


 売りつける相手のアテがあるのだろう。こういう変わり種を喜んで味わうようなのが。しかし、それには獣人の身体能力と獰猛さが問題となる。


「そこはやりようです。一応、うまく取り押さえる方法がありまして、この」


 進行役の男が指さすと、獣人の首輪を持った男が、軽く鎖を引き寄せた。逆らえずにディエドラは引っ張られる。すると男は、手枷を上から軽く叩いた。それだけで、彼女は短い呻き声をあげて膝をついた。


「今、ご覧になりましたか? 獣人は銀やミスリルに弱いようで、昔からこうやって銀の拘束具をつけてきたんですよ。で、ちょっとした突起とか針……本当に薔薇の棘に指先がかするくらいのものでいいんですが、それでもう、痛くて痛くてたまらなくなるらしく」

「ほう」

「だから銀の首輪をつけて、乱暴に引っ張りまわせばよろしい。痛みを繰り返し味わえば、逆らわない方がいいと悟りますよ」

「なるほどな」


 俺は舌打ちした。

 獣人への乱暴な扱いもそうだが……まず、これで買い手がつきそうだ。つまり、そろそろ俺も決断しなければいけない。


 別の仲買人が手を挙げた。


「はい!」

「獣人は、子を産むことはあるのか?」


 それはないはずだ。マルトゥラターレによれば、混血は起き得ない。


「そこははっきりとは言えませんが……そもそも珍しいので、まぁ人間の子を産んだという話は聞きませんね」

「獣人の子を産むことは?」


 あまりにえげつない質問、その意図するところに、さすがの俺も血の気が引いた。


「さぁ、それも例がないですね」


 要するに『父親が人間でも母親が獣人なら獣人を産む』のなら、この獣人の女を飼うのはいい投資になる。こいつ自身を転売するより、次々獣人を産ませて売り飛ばした方が儲かるからだ。

 また手が挙がった。


「はい!」

「そいつは処女か?」


 この質問に、会場は静まり返った。ややあって、最初は控えめに……そして大波が押し寄せるかのように、最後は爆笑の渦に包まれた。


「お客さん、そいつは無茶だ! そういうことは、そこらの野良猫に訊いてください!」


 進行役の男も笑っている。


「まぁ、ゲランダンの探索隊も、こいつには手を出せていないはずです。そこは請け合います」


 思わず手を挙げていた。


「はい、若旦那! なんですか?」

「……言葉は話せるのか」


 俺の問いに会場は静まり返った。

 そんなこと、考えてもみなかったという表情で、進行役の男も、鎖を持つ男も、ディエドラの顔を覗き見た。


 ディエドラは、俺のシュライ語での問いを聞き取れたらしい。黙ったまま、じっと俺を見据えていた。それから、一歩、二歩、よろめくようにしながらこちらに向かって、立ち止まった。

 やがて、地の底から響いてくるような声で、彼女は呻いた。


「コロす……おマエは、コロす!」


 それまで彼女の怒りが誰かに向けられたことはなかった。散々に侮蔑を浴びせられたのに。それがどういうわけか、俺にだけは違った。

 なぜ? と疑問に思う余裕もなく、唐突にディエドラは身を乗り出した。舞台の上から客席の俺まで、少なく見積もっても十五メートルはある。


「うわっ!?」

「バカ!」


 鎖を持った男は、飛び上がった獣人を抑えようと鎖を引いた。首枷の横側の刃が彼女の皮膚を軽く切り裂く。それだけで腰砕けになり、その場に膝をつく。それでも怒りが収まらないらしく、まっすぐ俺を睨みつけて、なおも前へと進もうとする。

 鎖を全力で引けば左右の刃が首に食い込んでしまう。何しろ鎖が首枷の横についているのだから。そうなればこのせっかくの商品が死んでしまい、値打ちがゼロになる。慌てた進行役の男は駆け寄って、客席に背を向けてディエドラの鳩尾を蹴飛ばし、手枷を踏みつけて苦痛を与えた。それでもどうにもなりそうにないと悟って、彼は大声をあげた。舞台の脇から数人の男達が棒を手に駆け出してきて、みんなで彼女を滅多打ちにした。それでディエドラは背を丸めてうずくまり、ようやく大人しくなった。


「え、えー、まぁ、躾も最初の方は、こんな感じです」


 しかし、客席側はというと、獣人の獰猛さを再確認させられたせいか、若干引き気味だった。進行役の男も、少しやりづらそうだった。


「では、そろそろ……入札する方は、いませんかね?」


 座り直した俺は、ノーラと目を見合わせた。

 気難しそうな相手らしい。説得が難しそうなら、やめておくのも手だが……


 ノーラはすっと立ち上がり、手を挙げた。


「はい、ええと、お嬢様、なんでしょう!」

「一万枚、買ったわ」


 これでまた、空気が変わった。


「ええと、入札ですね……はい、他! 他の方、一万枚、声がかかりましたよ! 欲しい方!」


 だが、タイミングが最悪だった。ちょうど今、獣人の御しがたさを目の当たりにしたばかりで、どうして競り上げる気になれるだろう。誰も動き出そうとしなかった。

 もしかして、ノーラは最初からそういうつもりだったのか? もともと高い買い物、だが絶対欲しい、手に入れると決めているなら……


 結局、他からは誰も手が挙がらなかった。

 進行役の男は、不機嫌そうな顔で頭を振るしかなかった。


「気が早過ぎる。無謀じゃないのか?」


 俺が尋ねると、ノーラは簡潔に答えた。


「後悔するよりいいわ。そうでしょ?」

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