金鉱見学
女王陛下の行幸、これ即ち国を挙げての一大行事だ。
遠くには緑の山々が聳えているのだが、手近なところには緩やかな斜面にポツポツと草が生えているだけで、後は真っ白に光を照り返す岩場が続いているばかり。そこをいくつもの輿が一列に並んで、のっそりのっそりと、じれったくなるほどのペースで進んでいる。
まず、陛下が身を横たえる巨大な輿。座るというよりは寝そべって移動できる作りだ。前後左右に仕切りもあるし、なんなら天井の上に顔を出すこともできる。御簾を下ろして外からの風だけを取り入れつつ、日差しは防げるようにもなっている。もちろん、南方大陸らしく、中には香炉まで備え付けられている。この、座席というよりはむしろ部屋といっていい代物を、何十人もの男達が担ぐ。
道中に不便があってはいけない。食物や飲料を手早く供給するための班、簡易トイレを運搬する班、着替えその他荷物を預かる班などが後に続く。
かつ、これらを護衛するために、大勢の傭兵達が後に続く。彼らは先の下僕達と違い、地元のシュライ人ではない。
今回はこれに加え、ティンプー王国の大臣クリルと、彼が連れてきた赤の血盟からの客人達も同行する。そのためにまた、それぞれに輿が割り当てられる……のだが、ここで不手際が発生した。個人用の輿で、今すぐ使用可能なものが不足するのが、今朝になって判明したという。
そういうわけでフィシズ女王は、ノーラに自分と同じ輿に乗ることを許した。どうせ歩いて行くのと変わらない速さなのだから、なんなら俺が輿を譲ると申し立てたのだが、女王はやんわりとそれを拒絶した。とにかく「客人なのだから」の一点張りだった。
なお、今回、女王に同行するのは、俺とノーラ、クリルの三人だけだ。ペルジャラナンとクーは家畜・奴隷であり、ジョイスやフィラック、タウルは平民の下僕扱いだ。俺とノーラだけが騎士身分だから、そのような形となった。
そういうわけで、今、俺はたった一人、自分用の輿の中で胡坐をかいている。
できることなど何もない。せいぜいクッションをずらして寝そべるくらいか。
薄っぺらくてつまらない国だ、と強く感じる。これはティンプー王国にも言えることだ。
文化がない。これに尽きると思う。
宮殿の中では、それぞれのやり方で贅を尽くしている。金銀で飾り立てたり、色とりどりの腰布を身に纏ったり。それはそれで美しい。
だが、それらのうち、どれだけが地元シュライ人の手によるものなのだろうか。伝統がどれだけ生きているのか。実のところは、東西の文化の折衷に過ぎないのではないか。
何より、そうした宮廷文化は、庶民とはまったく関わりがない。裾野がないのだ。だからこそ、カリの中央街にはフォレス風の商館が建ち並んでいたのだし、キニェシの市街地にも、各国風の粗末な木造家屋が乱雑に散らばっているだけだった。
女神教がイーヴォ・ルーへの信仰にとって代わって一千年あまり。新たな伝統や物語は生まれなかった。例えば五百年前の英雄、あの海賊王ルアンクーを称える歌や芝居すらない。それは対岸のサハリア人が嫌がるからというのなら、炎の槍の勇者ナームの物語でもいいはずだ。でも、そういうものは、こちらに渡ってきて、一度も見聞きしたことがない。
何のことはない。上流階級の娯楽も、基本的には舶来品なのだ。
行先は、クース王国自慢の金鉱だ。ちょうどまた新たな採掘地点を拓くところだったということで、今回はわざわざ見に行こうという話になった。
鉱山というと、ひたすら穴を掘って鉱石を運び出すだけの場所というイメージしかない。そんなものを見物して、何が面白いんだろうか。外部の人間にとっての娯楽がないからといって、遠方からの客人を連れ出す場所とは思えない。
多分、女王陛下は暇なのだ。貴金属の輸出しか産業がなく、それも全部人任せなのだから……あとは宮廷内でふんぞり返っているしかない。
一応、彼女には年の離れた弟がいるらしい。してみると、やることといえば、せいぜいのところは政争くらいか。
この怠惰を彼らは贅沢と考えているのだろうが、俺にとっては苦痛でしかない。カリに入ってから、ずっとこんな調子だ。やることがない。能動的にできることが少なすぎる。
そして、暇であればこそ、余計なことを考えてしまう。今、俺の乗っている輿を担いでいる西部シュライ人の男達。彼らは今、どんな気持ちだろう。酷暑の中、休むことも許されず、重い輿を担いで歩き続けなくてはいけない。
ひょっとすると、それでも「恵まれている」と感じているのかもしれないが。なにしろ宮廷のお仕事だ。ここでは下っ端でも、庶民と比べれば立派な身分だ。
それでも、望んでもいないのに彼らに苦役を強いる自分の様子を、それこそ心の目で上から見下ろしてみると、なんともいえない気持ちになる。
ちょうど昼頃、行列は目的地に到着した。
俺達は先導する女王自身の後ろについて歩き、手摺りに囲まれた高台の通路の突き当たりまで進んだ。差し詰め「展望台」といったところか。そこから、現場の様子が一望できた。
ここから遠く見下ろす場所に、ここよりは低い岩山があった。木々はとっくに伐採されて、土は固く乾ききっている。そして、そこに多くの黒い穴が見えた。
それらの黒い穴の斜め上に目をやると、何か通路のようなものがある。その向こうには、木の板を重ねて、何かを堰き止めているように見えるものが必ずあった。そちらのほうはきれいに伐採する必要もないらしく、俺達と同じくらいの目の高さのところには青々とした木々が生え残っていた。
「これら金脈に恵まれた大地こそ、我が国の宝」
もったいをつけた口調で、フィシズは俺達にそう言った。
「とはいえ、いちいち時間をかけて掘り出すようでは、手間暇がかかりすぎる……そうは思わぬか」
この問い、誰が答えればいいのだろう?
彼女は構わず続けた。
「無駄なく、手早く、しかも確実に金を得る……そのための方法が、あれなのじゃ」
彼女が手を掲げると、周囲にいた廷臣が声をあげた。
「開門準備!」
それと同時に、誰かが角笛を吹き鳴らした。すると、眼下に広がる採掘場では、大騒ぎになった。まるで巣穴から這い出るアリの群れのようだ。しかし、半裸の鉱夫達の表情には鬼気迫るものがある。女王はというと、まるで面白がっているかのような顔で彼らを見下ろしているのだが。
「開門せよ」
フィシズは静かに言った。隣に立つ廷臣は、足下をちらと見て、当惑しながら口答えした。
「で、ですが、まだ」
「開門せよ」
すべての作業員が退避を済ませていない。そう言おうとしたのだろう。だが、二度目の催促に、彼は口を閉じた。
「か、開門!」
また角笛が吹き鳴らされた。
その時、採掘場の周囲にあった木製の仕切りが、一斉に外された。
後ろから流れ込んできたのは、大量の水だった。それが予め掘り抜かれた水路に沿って斜め下の黒い穴の中へと滑り込んでいく。逃げ遅れた男達の悲鳴と怒号がここまで聞こえてきた。
轟音、空を裂く雷のような音が鳴り響く。
その瞬間、岩と砂でできていたはずの採掘場の天井が、シュークリームのように膨れ上がった。天地を揺るがすかのような震動の後、採掘場は形を失って、溶けたアイスクリームのように下へと沈み込んでいく。気付けば流れ込む水も止まっていた。残されたのは、巨大な水溜りだけだった。
「どうじゃ、なかなかの見物であったろう?」
言葉もなかった。
だが、この時点では既に、俺はどういう理由でこんなやり方をしたのかを理解していた。
要は川での砂金取りと同じ要領だ。
金を含む岩石といっても、精錬された大きな金塊がキラキラ輝きながら岩の間に挟まっているのではない。岩の中は不純物だらけだ。だから、そこから金だけを取り出す必要がある。それだったら、先に水を流し込んで、その強烈な水圧で鉱脈を圧砕したほうが手間がかからない。それを後から揺り板でも準備して、あの水溜りに踏み込んで、砂金を拾って選り分けたほうがいい。
事前に掘った穴は、金を直接掘り出すためではなく、この水流を導くためのものだったのだ。
そうした作業の理屈はわかる。合理的だ。
しかし、フィシズの振る舞いには眉をひそめずにはいられなかった。まだ作業場に取り残された人達がいたかもしれなかったのに。あんな洪水に巻き込まれたら……なにせ岩盤すら粉々に砕くほどのものなのだから……まず間違いなく、生きてはいられない。
今更ながらに、ティズの、そしてタジュニドの言ったことが実感されてくる。サハリア人は強欲で横暴だ。それに怒りに駆られてすぐ人を殺す。だが、こちらのシュライ人の支配者層は、わざわざ力みもせず、まるで息を吸って吐くかのように民草を虐げ、殺していく。どちらの支配がよりまともなのだろう?
だとしても、なんという暴君だろうか。
いっそ、俺がこの手で……
だが、思考が途中で止まる。
その気になれば、こんな国一つ、滅ぼし尽くすくらいは簡単だ。虐殺するのも不可能ではないが、いっそフィシズ女王の肉体を乗っ取って、国家の方針を大転換してしまってもいい。
ただ、その先がない。では、誰がその後、この国の舵取りをするのか? 民衆が? あり得ない。
ここの庶民も、きっとカリの連中と変わらない。すると何が起きるか。
彼らは哀れな人々だ。けれども、救いを求める人々が、救われるに値するほど立派な人物であるかとなると、大抵の場合はそうではない。サハリア人を追い払ってシュライ人に任せると、サハリア人がいないよりひどいことになる。女王を取り除いて自由にしたら、女王がいないより悲惨な結果になる。
展望台から降りて輿の待つ鉱山の麓まで降りてきた時、大きな木の門の下で、群衆が騒いでいるのが見えた。誰の身なりも粗末で薄汚れている。ひどいのだとくすんだ黄土色の腰布一枚しかない。墨のように黒い肌の西部シュライ人の男達が、何かを取り囲んでいる。彼らの足の狭間から見えたのは、横たわったままの誰かだった。
案の定、逃げ切れなかった人が出てしまったのだ。それでも、体の形を保ったままでいられたのは、ささやかな幸運だったのかもしれないが。
当然ながら、俺はもちろんのこと、ノーラもむっつりして、何も言い出さなかった。この場にジョイスがいなくてよかった。いくら最近、落ち着きが出てきたからといって、この暴挙を目にしたら、さすがに跳びかかっていたんじゃないかと思う。
俺達はしっかり不快になっているのに、女王は面白いものを見せることができたとばかり、得意満面だ。どういう神経をしているのだろう?
だが、本当に怒りを感じているのは、犠牲を出した鉱夫達だ。女王の一行を遠くに認めると、彼らのざわめきが一段と大きくなった。その声が、フィシズの注意を惹きつけた。
「これ」
彼女は足を止め、横に控えた廷臣に声をかけた。
「あの者どもは何を騒いでおるのじゃ」
「先ほどの開門の際、水の流れに呑まれたものがいたようで」
「くだらぬ」
心底そう思っているらしかった。
彼女は振り返ると、近くに控えていた二人の傭兵に呼びかけた。
「ブルーグ! ゾラボン!」
二人の大柄な男が、ヌッと姿を現した。見た限りでは、フォレス人らしい顔立ちだが、背が高いだけでなくガッシリしている。体格からすると、ルイン人の血を引いているのかもしれない。どちらも革の鎧、腰に長剣、手には大きな盾を携えている。兜はつけておらず、固そうな髪の毛が逆立っていた。
彼らは足音もなく、ゆっくりと集団に向かって近づいていった。鉱夫達は、女王側の代表と思しき二人に向けて、より甲高い声で抗議を浴びせ始めた。
それが一瞬で止んだ。
振り抜かれた剣が、容赦なく鉱夫達の喉笛を切り裂いたからだ。
とにかく声をあげようものなら、それが悲鳴であっても謝罪であっても関係なく、見境なしに殺した。やがて男達は沈黙した。
鉱夫達を黙らせるのに成功した二人は、そのままこちらに戻ってくる。
さすがにこれには、俺も呆れて声が出なかった。
ただ、さすがに女王直属なだけあって、この二人はそれなりの腕の持ち主ではあるようだ。恐らくだが、マルカーズ連合国辺りで暴れまわっていた傭兵が、ここまで流れてきたのではなかろうか。
外見はそっくりだが、それぞれ修めた技術には多少の違いがある。
「砂金のままでは売り物にならぬ。この近くで精錬しておる」
フィシズは俺というより、むしろノーラに話しかけているようだった。彼女の視線がこちらに向いていないと気付いた。
案内された先、開けた場所に、作業場があった。
まず、採集された金鉱石を更に細かく砕く。そこから少し離れた場所で、その微細な金鉱石を水や何か他のものと混ぜて、それを皿のようなものの上に載せていた。その皿は、奥の方にある炉へと持ち込まれる。
「このように水銀を混ぜて火にかざせば、混じりけのない金が得られるのじゃ」
女王は自慢げに言った。
だが、俺は目を丸くするばかりだった。
これは、いわゆるアマルガム法だ。金と水銀の混ざりものを加熱すると、水銀は蒸発し、不純物が取り除かれて、より純度の高い金だけが残る。
しかし、いくら炉が水銀の蒸発とその再利用を考えた構造になっているにせよ、完全密閉されているのでもないから、ある程度は炉の外側に水銀の蒸気が漏れてくる。それを吸い込むのは、ここで作業に従事する男達だ。これまでの間、この場所で、どれほどの健康被害が起きてきたのだろう。
そんなのは、そもそも問題ですらないのだ。人間など、雑草を抜くように殺せばいい。ここはそういう世界だ。
こういう独裁者の姿を見てみると、タンディラールがどれほどまともな王だったかと思ってしまう。彼だって即位に際して、一万人近くの人間を死に追いやった。だが、そうして獲得した権力を、彼は何に使っている? 国土の中央にある森林の開拓だ。政局を安定させ、政策実行力を確保する。そうして得た力が、結果として国民に新たな仕事と住居を与えることに繋がっている。
フィシズは違う。彼女の理屈からすると、国民は愚かで弱く、貧しいほどいい。なぜなら、この手の危険な仕事に従事する人間を確保しやすくなるから。それゆえに、国土開発なんかをして、国民を富ませるつもりもない。ましてや教育や職業訓練など、考えもしない。こうして得た貴金属を何かに加工して、更なる付加価値を得ようという発想など、あり得ないのだ。
カチャンは、こんな国からやってきたのか。
『俺達の故郷には「水銀のように生きる」って言葉がある』
そんなことを言っていたっけ。
水銀はどこにでも入り込む。通れないと思ったところでも、隙間を見つけて滑り込む。あれがダメならこれを試す。そうしてなんとしても生き抜いていく。
彼はそれを実践したからこそ、こんな地獄みたいな世界から抜け出すことができた。売り飛ばされたも同然の身分でティンプー王国に行き、そこから何とか船乗りの見習いにしてもらった。苦労に苦労を重ねて、やっとアメジストの冒険者にまでなった。
目の前の、過酷な労働に従事する哀れな境遇の人々を見るにつけても、彼がどれほどすごい男だったのかと思い返さずにはいられなかった。
見学を終え、輿に戻る頃には、この国らしい無気力と諦念が、俺の頭の上に覆いかぶさっていた。
結局のところ、できることなど何もないのだ。
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