フィシズ女王との謁見
翌日の昼前には、キニェシの城壁が近くに見えてきた。しかし、これまで見てきた城塞都市と比べると、なんとも貧相な見栄えだ。石造りの堅固な壁ではなく、セメントづくりだ。そこから木の柱がいくつか突き出ている。人が乗り越えるには難しい高さだが、本格的な軍隊が攻城兵器を携えてやってきたら、この程度ではひとたまりもない。
城門も、みすぼらしいといっていい代物だった。黒ずんだ木の柱が左右に建てられていて、その間に一応、木の扉を設置することはできるのだが、日中は開けっ放しだ。その扉は城壁の裏に立てかけられていた。一応鋲が打たれているものの、強い日差しや雨にやられて、とっくにボロボロになっている。
ティンプー王国の特使がやってくる件は伝わっているのだろう。軽装の門番達はジロリとこちらを見ただけで、足止めも誰何も何もせず、俺達を素通りさせた。
市街地に入ると、馬車が小刻みに揺れるのが感じられた。大通りには一応、石畳が敷かれているらしい。ただ、それ以外の場所は剥き出しの地面のままだ。
俺達は、馬車の窓から街の様子を眺めた。
「意外と普通? じゃないのか」
クリルはろくな宿がないとか、不安にさせるようなことを言っていたが、こうして眺めてみた限りでは、別に普通の街だった。
建物の多くは木造だった。良質な石材が豊富に得られるような土地ではないのだろう。高温多湿のこの国だから、こうやって拵えた家々も、多分そんなには長持ちしない。別に木材には不自由しないだろうから、建て直せばいいだけだ。
それでもじっくり見ると、少し違和感がある。立ち並ぶ家々の様式がまちまちなのだ。フォレス風のものもあれば、ティンプー王国の宮殿の正面みたいに、どことなくエキゾチックな雰囲気の色合いや形のものもある。それらがごちゃ混ぜになって建ち並んでいるのだ。共通しているところがあるとすれば、どれも風雨にさらされて、塗装が色褪せてしまっているところくらいか。
ざっと見て、飲食店の比率が高い。表通りにあるのは、ほとんどそうだ。では、宿屋はあるのだろうか? そう思って目で探したが、こちらは一軒も見つけられなかった。
通りには結構、人がいる。昼間から何をしているのか、みんなブラブラと所在なさげに歩いていた。ちょうど昼休みだろうか? この暑さだし、汗水たらして働いても、見返りは小さい。
その人種が気になる。西部シュライ人だけではない。明らかにフォレス人とわかるようなのもいる。もちろん、サハリア人やハンファン人もいる。まるでこの街の建物と同じだ。キニェシは多国籍都市なのか。ただ、それにしては、どこか引っかかる感じがあるのだが。
その引っかかりの理由に、しばらくして気付いた。出歩いているのはほぼ男ばかり。そして、例外なく腰に剣やナイフを提げている。武装していないのはまずいない。
「ジョイス」
「あん?」
「この街の連中、もしかして傭兵ばっかりなんじゃないのか」
ということは、このみすぼらしい城壁と宮城の間にある市街地は、王家の防衛戦力か。こんな程度の武力しかないのでは、本気で赤の血盟あたりが攻め込んでこようものなら、あっさり攻め落とされそうだ。それでも、現地の貧しい農民達にとってはかなりの強敵に違いない。
つまり、このクース王国というのは、何から何まで金尽くしの国なのだ。金鉱がある。そこを貧民に掘らせる。そうして得た収益で贅沢をする。その富は金で雇った傭兵で守る。どこまでも人工的な街だ。
してみると、なるほど、クリルの言う通り、ろくな宿などないかもしれない。飲食店の需要はあっても、宿屋など必要ないからだ。一般の商人がここまで来ても、採掘された貴金属の買い付けなど、させてもらえない。
やがて目の前に大きな城壁が迫ってきた。今度はちゃんとした石造りだ。壁の高さも比べ物にならない。青白い石材が整然と積み重ねられている。
さすがにここで、車列の先頭が停止させられた。鎧を着た衛兵が槍を手に駆け寄り、それが馬車の中のクリルから何か言われると、すぐさま頭を下げて門を開くよう声をあげた。
俺達の到着以前に、既にカパル王が前もって使者を送っていたのだろう。居室の割り当ては実にスムーズに進んだ。中庭まで馬車で乗り付けると、そこからは腰布に上着の男達が現れて、手早く俺達を奥へと案内した。
一つ好ましかったのは、けばけばしいティンプー王国の宮廷人と違って、こちらはもっと地味な服装をしていたことだ。腰布は茶色だが、下の縁のところに白いラインが入っている。上着は白一色だが、これは職掌によって変わるものらしい。そして頭には黒い帽子、そこに赤い布が巻き付けてある。この布が身分を示すのだとか。
彼らは静かな声でボソボソと喋り、すぐ先に立って歩き出した。
中庭からの渡り廊下は、それだけで雰囲気があった。立派な木の円柱は朱色に彩られ、それが長い廊下の天井を支えている。そんな通路が蛇腹のように折れ曲がりながら続いている。最初の中庭から、建物の狭間を抜けて先に進むと、今度は蓮の花が浮かぶ池も見えた。周囲にはまっすぐに伸びた木々があり、水面に鮮やかな緑の影を落としている。
開けた場所から別の中庭を挟んで向かいの建物を見上げると、そこには明るい黄土色の瓦屋根が見えた。この美的感覚は、言葉にし難いものがある。前世で言うところの東洋的な要素も含みつつ、しかもそれだけではない。たまに極彩色が目に飛び込んでくる。壁が一面、原色で塗り潰されていたりもする。その違和感にはまた、ハッとさせられる。
「素晴らしい宮殿ですね」
思わず俺は、誰にというわけでもなく、そう声をかけた。
クリルは俺に振り返ったが、返事をしたのはあちらの宮廷人だった。
「この宮城はベッセヘム王国のものを受け継いでいるのです。ですが、起源はと申しますと、更に昔に遡ります。かの英雄の世界統一の際、ここには重要拠点が置かれました。大森林の脅威を退ける最前線が今の関門城とするなら、ここはその本拠地だったのです。皇帝の幕僚だったセイ将軍が、ここに基礎を置いたと伝わっております」
そして、そんな南方大陸北部の重要拠点を都とする我が国は、北部三国の盟主である、と言わんばかりだ。
だが、その辺の意地の張り合いには興味がない。俺は笑顔を浮かべて適当に頷いた。
「陛下との会見は明日になります。それまではこちらにて、ごゆるりとお過ごしください」
割り当てられたのは宮殿の一角だった。ガランと広い四角い空間で、家具が点在している。一つ、気に入ったのは、靴を脱いで上がり込むような板間があったことだ。そこには麻でできたカーペットのようなものがあり、裸足で踏むとなんとも涼しげで、心地よかった。大きな窓が開いていて、これでは虫が入り放題だと思ったのだが、窓の外は相当な高さになっており、これでは下から蚊が飛んでくることはなさそうだった。それに室内には例によってお香が焚かれており、また簾を下ろすことができるので、その辺はどうにかなりそうだった。
また、部屋の外には風呂桶というには広すぎる小さなプールがあった。水道を通じて常に水が流れ続けているらしい。そうでもしないと蚊が涌いたりもするので、これは必要な作りだ。
全員が同室ではなく、細かく別の区画を割り当てられた。俺とジョイスは同室だった。が、同じようにフィラックとタウルも二人で一つの区画を与えられた。問題なのは残りの三人で、クリルがあれこれ話し合った結果、ノーラだけ一人部屋、ペルジャラナンとクーは召使相当ということで、また別室を割り当てられることになってしまった。
長く留まるつもりもないので、この辺は小さなことと割り切った。
翌日、部屋で朝食を済ませた後、宮廷人がやってきて俺に告げた。
「女王陛下との謁見に備えて、身を清めていただきますよう」
それで俺とジョイスはそれぞれ、デパートの屋上に据え付けられたプールみたいな水場で、体を洗い清めることになった。
しかし、なんとも落ち着かないものだ。頼りない柵の向こう側には、距離を置いて濃い緑の木々が背を伸ばしている。たまに鳥の声が聞こえ、羽ばたきと同時に枝が小さく揺れる。天井も何もなく、分厚い入道雲が行ったり来たりするたび、頭上が明るくなったり薄暗くなったりする。そしてここは、俺にとっては露天風呂というよりプールなのだ。
「冷たくて気持ちいいな」
水に浸かりながらジョイスは暢気にそう言った。
「毛深いのが女王様に嫌われるんじゃないのか?」
「剃ったほうがいいのか、コレ」
「今からじゃ、間に合わない」
すると彼は笑った。
「だよなぁ」
とにかく、仮にも相手は一国の王なので待たせたくない。身支度もほどほどに、俺達は手早く宛がわれた礼服に着替えて、宮廷人の迎えを待った。
謁見の場として選ばれたのは、先のカパル王のそれと違って、もう少し落ち着きのある空間だった。
それはまるで、渡り廊下の突き当たりのように見える場所だった。ただ、一応女王が腰掛ける椅子もあり、それはちょっとした台座の上に置かれていた。またその左右には大きな香炉が鎮座していた。脇には護衛兼侍女達が、腰に曲刀を手挟んで、両手には大きな扇を持って立ち並んでいた。
正式に玉座の置かれた場所ではなく、もっとプライベートな場所を選んでくれたらしい。或いはあちらも、正式な謁見というイベントにするのが面倒だったのかもしれないが。ティンプー王国にとっての赤の血盟は直接的な支配者だが、クース王国にとっては違う。顔を出したのは隣国の大臣と、貴人に目を掛けられた程度の少年騎士だ。してみれば女王の選択は、むしろ適切だったといえる。
「ようこそ参られた」
椅子の上から、女王は声をかけた。
「カパル王の客人を預かって、この地まで参りました。陛下のご厚情には深く感謝申し上げます」
先頭に立って跪き、口上を述べるのはクリルの仕事だ。俺達はただ、目を伏せて立っているだけ。なお、下僕・家畜相当の二人は、この場にはいない。
「よい。大森林に挑んで女神の威光を明らかにせんとの志、若年にして見事である」
自分の話題なので、俺はそのままの姿勢から一度、深く頭を垂れた。もちろん、勝手に発言はしない。
まじまじと見るのは失礼にあたるので、そっと盗み見た限りだが、クース王国の支配者、フィシズ女王は、どこか妖しげな雰囲気を漂わせる美女だった。肌は浅黒く、その眼差しは刺すようだった。髪は直毛で、黒く垂れ下がっている。それが肩に触れないくらいの長さにきれいに切り揃えられていた。女性としてはやや大柄で、肉感的という表現がしっくりくる。ピアシング・ハンドの表示によれば二十五歳らしい。
身に着けているのはシンプルな白い貫頭衣だったが、頭には上品な金のティアラが、腕にも金の腕輪が輝いていた。
「ファルスとやら」
「はっ」
しばらく間を空けての問いかけに、俺はまた目を伏せた。
「大森林の奥地を目指すとのことじゃが」
「その通りでございます」
「それはそなたが一人で行くのか」
「いいえ」
俺は身を起して、背後にいる仲間達を手で指し示した。
「彼らを伴っていくつもりです」
すると彼女は、一瞬、眉根を寄せた。
だがすぐに穏やかな笑みを取り戻すと、重ねて尋ねた。
「では、そなたの後ろに立つ、その少女も共に行くと、そういうことか」
「はい」
もちろん、やめてくれるなら、それに越したことはない。
「勇ましいことよの……これ、そこの少女、名を何と申す」
「はい」
ノーラは進み出て、膝をついた。
「ノーラと申します」
「見ればまだ若い……若すぎるほど。どうしてそのような無謀な振舞いを致すのじゃ。そなたの親も悲しもうに」
「陛下、私に親はおりません」
「なんと」
女王が説明を待っていると察して、ノーラは身の上を語った。
「元はフォレスティアの貧農の娘にございます。それが奴隷として売られたのち解放され、ファルスに引き取られました」
「はて? しかしファルスもいまだに若かろうに」
「当時、ファルスはエンバイオ家の家僕でございましたゆえ」
「なるほどの」
顎に手を当て、フィシズは少し考える素振りをみせた。
「では、今はどのような身の上なのじゃ」
「はい。ファルスの財産を預かりまして、ピュリスにて商会を営んでおりました」
「商会を?」
「はい。総督のムヴァク閣下のご厚意もあって、至らぬ身ではございますが、なんとか務めを果たせておりました」
この答えに、女王はしばらく沈黙した。表情が消え、その視線が鋭くノーラに突き刺さる。
なんとなくだが、俺はそれがどうにも落ち着かなかった。フィシズの表情や態度といったものから、どことなくうすら寒いものを感じた。
「ふぅむ」
しばしの沈黙の後、そこで女王は俺に視線を向け直した。
「のうファルスよ」
「ははっ」
「せっかくこの黄金の国まで参ったのじゃ。どうせなら、見るべきものを見ていこうとは思わぬか?」
俺は、どうにも薄気味悪いものを感じていた。それに、黄金なんかに興味はない。
だが、女王の誘いを無下にするのも、大変な失礼にあたるだろう。いくらティズの後ろ盾があるといっても、今の俺の身分は一介の騎士でしかない。
「それはさぞ珍しく、素晴らしいものなのでしょうね」
「なに……富を得るための営みに過ぎぬが、上から眺める分にはなかなかの見世物でもあろうて……のう、クリルよ」
「はっ」
よってこう答えるしかなかった。
「では、陛下のご厚意、楽しみにしております」
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