シュライ人の人生観

「ではやっぱり、姿勢なんですか」

「はい。ファルス様は飲み込みが早いですね」


 キトに到着した翌日、俺は中庭で、ディノンの指導の下、弓術の訓練を行っていた。それを他の仲間達ものんびりと見物している。


「東方の格闘術の使い手とお話したこともありますが、コツは同じようです。頭のてっぺんから糸でぶら下げられているように、無駄な力を抜いてまっすぐ立つこと。これが大切です」


 包丁だって同じだ。慣れない人ほど力で切ろうとする。実際にはむしろ逆で、これは万事に通じる。いかに無駄な力みをなくして、素早く姿勢を整えられるか。要は自分がよく知る体の形を作ってから、まっすぐに弓を引く。精神も同じだ。同じことを同じように、同じタイミングでやりこなす。すると、安定してくる。

 本来なら練習を重ねなくてはできないことなのだろう。だが、今の俺には自然とそれらが体得できている。


「ただ、ディノンさん」

「はい」

「昔、僕の知り合いの中には、やっぱり凄い射手がいたんですけど、その人はどんな姿勢でも、抜き撃ちできれいに当てていたんですが、あれはどういうことでしょうか」


 彼は目を瞬かせながら、少し考えた。


「その方のことはわかりませんが、ミルーク様なら、型をたくさん持つことだとおっしゃったと思います」

「型、ですか」

「所詮は練習して身に着けるものである以上、慣れていないものはできません。変幻自在の自由な姿勢で矢を放っているように見えて、その実はいろいろな型を自分の中に持っていると、そういうことだと思います。揺れる馬上で矢を放つこともありますが、そのような場合でも、どこまでのことができるか、できないかを把握した上で試みるのです」


 確かに、馬上は揺れるが、それでも命中させる人はきっちり当ててくる。馬の揺れも、まったく不規則ということはない。それに腰から下は制御不能だが、上半身は自分の自由になる。駆ける馬の一定のリズムの中で、どこでどう振舞うかを考え、積み重ねて、実戦に活かす。


「さっき、飛距離を伸ばすコツもお伝えしましたね。ただ、低い位置で矢を番えると、その分、当てにくくなります。弓の作りの問題もあるので、結局は体を慣らす以外にありません。それでもできる、できないはありますので、逆にどこまでのことならできるのかをはっきり自覚しておく必要があります」

「はい」

「では、次はあれを」


 ディノンの合図で、俺はまた矢を放つ。矢は東西方向に長い中庭を横切っていく。林立する彫刻の狭間をすり抜けて、まっすぐに的を貫いた。


「ですが……」


 またもや命中だ。

 異常な結果に彼は目を細め、難しい顔をする。


「……ここまでできるとは、初心者とは思えませんね」

「ああ、これはフォレスティアで暮らしていたとき、少しだけ知り合いから習ったので」


 ということにしてある。ピュリスの冒険者ウィムから教わったと、そういう設定だ。もちろん、実際にはあのフマルの女射手キスカの能力を流用しているだけなのだが。


「これだけわかっていらっしゃるのなら、あとは独習でもいけると思います」

「ありがとうございます」


 とりあえず、一段落。

 俺達は居館の前に並べられたテーブルまで引き返す。


「今更驚きはしないが、いやはや」


 タジュニドが諦めたような顔で溜息をついた。


「こんなにできるんだったら、戦争の時にバンバンやっとけば……ああそっか、火魔術があるもんな」


 フィラックも呆れ顔だ。


「砂漠で敵軍を吹き飛ばすなら火魔術のほうがいいが、密林の中では弓矢の方が役立つ」


 タウルがボソッと言った。

 俺も同じ考えだ。派手に爆発音を轟かせ、周囲の注意を引き寄せながら戦ったのでは、二次被害が避けられない気がする。騒ぎに引き寄せられて、次から次へと魔物が集まってくる。それも、大きな魔物が近寄ってくるだけならいい。小さな虫けら、特に毒をもったのがウヨウヨ湧いて出てきたら。

 だから、能力の組み換えも視野に入れている。しかし、火魔術の有用性も捨てがたい。といって、俺自身には枠がない。だからその辺を、なるべく早くノーラと話し合う必要がある。


「できれば白兵戦も、剣よりは槍の方がいい」

「それはなぜですか?」


 俺は椅子に腰掛けながら尋ねた。タウルは肩をすくめる。


「毒液を撒き散らす魔物もいる。底の見えない水の中から跳びあがってくるのもいる」


 少し想像した。言う通りだ。

 剣でバッサリ斬殺。しかし直後に紫色の毒液が俺の体に降りかかる。小さなボートで川を下っている最中に、いきなり足下から魚みたいなバケモノが出てきて襲いかかってくる。これも剣でバッサリやれればいいが、どんなによく斬れる武器だったとしても、普通、間合いは伸びない。暗い影を水面下に潜ませるだけで、ひたすらこちらの隙を窺っている相手、これを攻撃するなら、両手でしっかり掴める槍、こちらの方が便利だ。


「なるほど」


 タジュニドも頷いた。


「フォレス人の武芸と言えばまず弓だが、同じようにシュライ人にとってのそれは槍だ。やはり土地柄というものなのだな」


 フォレスティアには森が多く、良質な木材にも恵まれている。また、獲物になる野生動物も豊富で、弓矢を使いやすい環境があった。

 しかし、南方大陸では事情が異なる。同じく木材には恵まれているが、彼らが好んだのは槍だ。見通しの悪い密林を生き延びるのに、いろんな理由で便利だったのだろう。

 なお、サハリア人の武芸はというと、まず馬術、続いて体術だ。体術といっても、格闘というよりむしろ飛んだり跳ねたり、とにかく身体能力の底上げに重点が置かれている。


「槍はシュライ人にとっては功名の象徴」


 自身では槍を扱えないタウルだが、そう力説した。


「あのナーム将軍も、槍の使い手だった」


 ギシアン・チーレムに降って魔王討伐に活躍した武将だ。もともとはイーヴォ・ルーに仕える南方大陸の武人だった。その槍術の師匠は、なんと魔人だったらしい。最期は暴虐の魔王との戦いで先鋒を担った。自ら鍛えた槍兵の一隊を率いて突撃し、そこで戦死した。しかし、その武勇と献身ゆえに、彼は現在、帝都では救世十二星将の筆頭に数えられている。死後一千年が経過したというのに、ほぼ世界中の人がその名前を知っているという有名人でもあるのだ。

 なお、ナームはシュライ人といっても南部の出身だ。西部出身のタウルとは、人種が異なる。西部地方の英雄となると、あの海賊王ルアンクーの名がまず挙がるだろう。


「ポロルカ王国には、世界統一以前から伝わる石碑がある」


 歴史の長さだけで比較するなら、ポロルカ王国はワノノマと並んで世界最長だ。なんと、明らかになっているだけで三千年近くも続いている。つまり、黒の龍神ギウナがモーン・ナーと戦ったとされるあの伝説上の出来事より前から存続しているのだ。セリパシア帝国も、フォレスティア諸国も、その後にやっと成立した国々だから、その古さがわかろうものだ。

 とはいえ、その初期においては、魔王イーヴォ・ルーの人治機関でしかなかった。帝国の上には魔人達が君臨しており、そのまた上に魔王がいた。ただ、あまりに古い時代のことは、記録が残っていない。

 タウルが言う石碑というのは、ルークの世界誌でも軽く触れられている程度のものだが、その魔王の支配の時代から伝わるものだ。そこには、国家に対して大きな貢献をした人物の名前が刻まれる。当然、一つの石碑では名前が収まりきらないので、何枚目かのものが最新版になっているそうだ。

 帝都の価値観でいえばどうかはわからないが、南方大陸出身者にとっては、そこに名を遺すことこそが最大の名誉、功名であるという考え方があるらしい。


「石碑には槍で刻むもの、という言い回しもあるくらい」

「そこに名前を残したい、と?」


 すると彼は鼻で笑った。


「夢のまた夢」


 名を遺す基準は、非常に厳しい。それこそポロルカ王国を滅亡の危機から救うくらいの大きな業績がなければ、刻ませてもらえない。歴代の王ですら、即位したというだけでは、その石碑には記録されない。


「でも、この世に残せるものは名前だけ。あとは何もない」


 吹き寄せて去っていく風のように、彼は遠くを見る目でそう言った。


「特に大森林では、どんどん死ぬ。死ぬなんて当たり前。みんなそういう考え方をしている」

「前も言ってましたけど、そんなに怖いものなんですか」


 俺の問いが見当違いだったらしい。

 タウルは首を傾げると、少し考えるような素振りをみせてから、言葉を添えた。


「少し違う。人生はすぐ終わる。何もかも一瞬。何も残らない。何も残せない。死ぬのは怖い。でも、どうせみんな死ぬ。死ねば何も悩まない」


 投げやりな考え方にも聞こえるが……


「シュライ人の頭の中は、サハリアとは何もかも反対。ファルス、お前は真面目にものを考える。そういうのがこちらでは通じない」

「というと」

「キトはまた別。でも、カリから南のシュライ人には、過去も未来もない。死ねば終わり。それで簡単に死ぬ。だから今しか考えない」


 そこまで話して、あれこれ一人で喋りすぎたかと、タウルは周囲を見回して気配りをした。彼の身近にはタジュニドという、あからさまに身分の高い人物がいるのだ。俺とはフラットに喋っても問題ないが、遠慮のない物言いが許されるかどうか、気にならないわけではない。

 視線を受けて、タジュニドは代わりに説明を引き受けることにしたらしい。


「ああ、なんというか……つまりだ、ファルス殿、こちら、南方大陸の人間の考え方というのはだな……例えば、ファルス殿が貧乏で、いい仕事がないと悩んでいたら、どうする?」

「それは、えっと、まずいきなりお金をたくさんいただけるお仕事なんてないので、どこかに弟子入りして鍛えてもらいます」

「そうだろう。街で暮らすフォレス人は、だいたい十歳頃から親方の下で仕事を学ぶ。そうして技を磨いて一人前になろうとする」

「それが普通なんじゃないんですか?」


 すると、タジュニドもタウルも首を振った。


「こちらの人間は、そんな風には考えない」

「じゃあ、どうするんですか」


 タウルが言った。


「弟子入りさせてもらえなかったら、ファルスはどうする」

「それは……なんとしてでもお願いするか、他の親方を探します」

「シュライ人は、諦める」

「諦める?」


 彼は肩をすくめ、次に手刀を作ってものを輪切りにするような仕草をしながら言った。


「この鍛冶屋に弟子入りしないと貧乏になる、じゃあどうするか。弟子入りできなかった。弟子入りしなくていい。鍛冶でなくていいから、何か仕事を覚えないと働く場所がない。働かなくていい。じゃあどうやって食べていくか。今あるところから何かを見つける。見つからなかったらどうするか。飢え死にするだけ」


 トントンと、次々可能性を切っては捨てていく。


「そんな。死んだらどうするんですか」

「死ねば解決」


 無常観、まさにここに極まれり、か。

 少しわかってきた気がする。これ自体は正解ではある。俺自身の悩みにしろ、誰の問題にせよ、突き詰めれば「死」がすべてを解決するからだ。


 この数学の問題が解けないと、受験に失敗する。受験なんかしなくていい。

 大学にいっておかないと、ろくな就職ができない。就職なんかしなくていい。

 就職しないと、お金もないし結婚もできない。結婚も仕事もしなくていい。

 お金もなくて孤独だと、生きる喜びがない。生きなくていい。


 死ねば解決。


 死は避けられない。それをなんとかしようと苦しむ代わりに、あっさり受け入れる。刻一刻と人は死に近付く。一時も留まることはできない。留まらなくていい。留まろうとしなくていい。

 そういう無常観だ。


 要するに、一切の問題を別のレイヤーで解消してしまう。論理的には間違っていない。

 しかし、そこにはまったく意味がない。コロンブスの卵、ゴルディアスの結び目と同じだ。テーブルに叩きつけて下半分を失った卵は、もはや卵としての形状も機能も有していない。これで卵を立てたと強弁したところで何の値打ちがあるのか。

 思考の転換方法としては、ときに有用であろう。だが、これを一般化できるとするならば、必ず大きな問題を抱え込むことになる。


 タジュニドが説明を付け加えた。


「なぜ我々サハリアの豪族が海峡を支配するのか。この辺のことも理由になっている。支配しないほうが、支配するよりひどいことになるからだ。カリに行けばわかることだが」

「気をつけろ、ファルス」


 タウルも言い添えた。


「お前が大森林を目指すとなったら、ハエがたかるようにいろんなのがやってくる。誰もあてにならないから、自分で自分の身を守るんだ。関門城の向こうでは、何が起きても不思議じゃない」


 どうやらこれから俺が旅をする国々は、今までの常識が通用しない土地らしい。

 今から先が思いやられるというものだ。

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