裏切りの仕込み

「なんとも不甲斐ないことよ」


 天幕の下で、絨毯の上に座るその男は、遠慮なく苛立ちを吐き出した。

 とげとげしい灰色の髭が目立つ顔だが、今はその眼光から目が離せない。ただ、爛々と輝くというよりは、むしろ泣き腫らした後のようにも見えるのだが。


「こうまで情けない思いをしようとはな」

「身の程を弁えてはどうかな」


 頭上から、冷ややかなティズの声が降り注ぐ。


「アルカンよ。今からいくら威張ったところで、もう降った身ではないか」


 この一言に、彼はもともと赤い顔を、もっと紅潮させた。憤怒と羞恥が混じり合い、言葉も出せなくなる。

 キジルモク氏族の族長、アルカンだ。ドゥミェコンで傭兵を掻き集めていたのも彼だ。


「わしも兄に倣って礼を尽くそうと思うが、構わんかね」

「恥の上塗りだ」

「ラーク、縄を解いてやれ」


 このやり取りの間も、俺は油断なく周囲を見張っている。すぐ近くにはノーラも、ペルジャラナンも控えている。ムナワールを捕らえた今、戦争は事実上、終結したも同然だ。だからこそ、危ない。


「さぁ、気を静めるがよい。清らかな乳は内なる汚れを洗い流すだろう。焼かれたばかりのパンは凍えた心を温めるだろう」

「ティズ……いや、ティズ殿」

「なにかな」

「わしは一度許された身。それが三十年の時を経たとはいえ、もう一度弓を手にしたのだ。歓待を受けるには相応しくない。この首を討ってはくれまいか」

「ならん」


 顔色も変えず、淡々とティズは拒否した。

 諦めたアルカンは、しぶしぶ皿の上のパンに手を伸ばした。


「聞かせて欲しいことがいくつかあってな」

「ジャンヌゥボンの守りについては、何も言えん」

「そんなことではない。そもそも、この戦を始めようと言い出したのは誰か。ラジュルナーズ様ではあるまい」


 するとアルカンは、コップの中のミルクで喉を潤してから、ぽつぽつと語り出した。


「ムナワールだ。しかし、この戦が始まるまで、ろくに言葉を交わす機会もなかった。見ないうちに大物になったと聞いていたのだが」


 三十年前の戦争で、アルハールの族長ラジュルナーズは息子達を次々失った。男児で生き残ったのは末のムナワールだけ。しかし、当時まだ十歳の少年でしかなかった。だから今回のを除くと、戦争に直接参加した経験はない。

 先の戦争が終わって間もなく、ミルークが一族の下から出奔する前、ティズは南方に遊学する覚悟を決めた。ハリジョンからバタンを経由して、ジャンヌゥボンまで行き、そこで高名な詩人でもあったラジュルナーズに師事した。要は勉強に行きますというのは建前で、ティズの本当の仕事は外交関係の修復にあった。

 ムナワールが帝都に留学する前の話なので、当然、ティズは彼とも面識がある。しかし、甘やかされて育ったムナワールは、ティズの目からしても評価に値しないものだった。この父に対する礼儀も弁えない彼に呆れ果てたティズは、より謙虚な態度を選んで、あたかも子が父に仕えるかのようにしてラジュルナーズに接した。

 ただ、ティズにしてもムナワールと直接に顔を合わせたのはこれが最後で、それから十数年もの間、風の噂を耳にするだけだった。


 だから、ムナワールがアルハールの族長代理として、数々の改革に着手しているという話は、俄かには信じがたいものだった。特に驚かされたのは、四人の優れた魔術師が、彼の人徳を慕って進んで仕えることを決めたという知らせだった。

 しかし、年月は人を変える。ムナワールも或いは立派な男に育ったのかもしれない。そう考えていた。


「戦が始まる前、ほぼ二十年ぶりに話をしたとき、どうも変だと思った」

「というと?」


 ジャンヌゥボンの城市の奥、数多の王城と比べても遜色ないその謁見の間で、アルカンは彼と四賢者を目にした。しかし、その非礼っぷりときたら。

 高齢とはいえ、いまだに族長の地位にあるはずのラジュルナーズは、族長の椅子ではなく、その脇にある別の椅子に座らされていた。ムナワールは自ら族長の椅子に身を置いて、左右に侍る四賢者の意見ばかりを聞いている。頭領達の顔には不満の色が浮かんでいるし、高齢かつ病にも悩まされていたラジュルナーズにしても、それをオロオロしながら見守るばかりだった。


「あの時、確信した。ムナワールは何も変わっていない。確たる覚悟や深い考えがあって戦を起こそうというのではない。相変わらずへりくだることを知らず、見栄ばかりにこだわる、くだらない男だった。四人の賢者どもは、口では何度もムナワールの人徳を褒め称えるのだが、わしの見る限りではまったく実が伴っておらん。あれは賢者どもが奴の人徳を慕って集ったのではなく、いいように操れるから仕えているのだと、そう思った」

「なぜ止められなかった?」

「圧倒的な力があった。賢者達の魔術は本物だった。ティズ殿も見ただろう。あのマーノンの凄まじい大波の魔法を」


 ムナワールと彼に従う四賢者の専横を止められなかったのを、アルハールの頭領達の怠惰と片付けることはできなかった。最初、四人は単にムナワールの鶴の一声で登用された魔術師に過ぎなかったのだが、次第にその並外れた力量が知られるようになると、その発言には重きが置かれるようになっていった。

 しかも、彼らは決して狭量ではなかった。ジャンヌゥボンの有り余る財力を背景にしてのことだが、彼ら四賢者はアルハール氏族の若者にも、惜しみなく自分達の秘術を伝えた。彼らがムナワールに仕え始めてからの十年間で、大勢の若者がそれなりの魔術師に育っていったのだ。

 四賢者が育てあげた魔術兵の軍団は、実際に模擬戦を通して頭領達に無言の圧力をかけていった。戦士達が矢を射かけても跳ね返されてしまう。自慢の海軍も強力な水魔術によって簡単に足止めされてしまう。火球が石の壁を撃ち抜き、土魔術のおかげでジャンヌゥボンの城市の強化計画は想定以上に早く片付いた。


 ラジュルナーズとしては複雑だったろう。最後に残った、たった一人の息子。自分の見る目が正しければ、どう考えても君主の器ではない。しかし、現に優れた人物が集まって、彼を支えている。もしかしたら、自分の目が曇っているだけで、ムナワールは優秀な人物になりつつあるのではないか。そんな願望を捨てきれなかったとしても不思議はない。

 いずれにせよ、彼の男児はムナワール一人。廃嫡など、最初から選択肢になかったのだが。


「そんな優れた配下がおっても、あれが使うのでは宝の持ち腐れだったわ」

「ふむ?」

「これも目の前で見ただろうに。すぐさま撤退したのはいい。もともとマーノンの水魔術で決着をつけると、そういう作戦だった。だが、あれは本気で怖気づきよった。砦に駆け込むやいなや、マーノンにすぐ相手を追い払えと、気狂いのようになって喚き散らしよった」


 それが理由だったか。本当に雑な使い方だと思った。しっかり敵を引き寄せてから、狙いすまして指揮官を討ち取れば、どんなにか良かったろうに。

 アルカンもそう進言したのだろうが、恐怖でおかしくなってしまったムナワールには通じなかったのだろう。


「フィアナコンにいたナルーからアーズン城との連絡が途切れたとの手紙を受け取って、ムナワールはやっとジャンヌゥボンを出て、バタンまで出てきた。そうして到着してみれば、フィアナコンまで落とされているというではないか。他の族長達を前に、わしは恥ずかしくてならなかった。奴の謀略なんぞ、結局、底が知れておったのだ。それでいて、バタンでも総大将の顔をしておきながら……いの一番に尻尾を巻いて逃げ出した!」

「謀略と言ったが、アルカンよ。確かめておきたい」


 ティズは膝を寄せた。


「では、アールンを口説き落としたのはムナワールなのか」

「そうとも言えるが……実際には四賢者だろう」

「彼らがフィアナコンまで出向いて説得したと」

「いや、人を遣わしたんだろう。詳しいことは知らん。ムナワールは、密書を手に入れたとはしゃいでおったが」


 想定通りだ。

 つまり、アールンを動かしたプレイヤーは他にいる。


「では、アラティサールのことは」

「それも聞いている。信じられなかったが、不戦条約を結んだとか」


 だからフマルも戦うふりだけをして、ニザーンを見逃した。


「そうなると、では、我がネッキャメルにも」

「それは」


 その時、背後の天幕の入口が乱暴に引き開けられた。

 淡い光が差し、砂埃の混じった風が吹き込んでくる。大柄な男が、入口に影を落としていた。


「ティズ様」


 そう言いながら彼は歩み寄ってくる。


「おめでとうございます。もはやラジュルナーズは屈する他ありますまい。東部サハリアのすべてを、我がネッキャメルが掌握したのです」

「ファフルよ」

「その力はもはや、大国にも引けを取りません。ポロルカ王国とも、フォレスティア王国とも! 対等以上にものを言えるようになったのです」


 ティズが立ち上がり、彼を制するが、ファフルのほうではまるで遠慮も礼儀も忘れてしまったかのようだった。目ばかりが奇妙に血走っている。


「あとはニザーンとフィアン、これももう、滅ぼしてしまいましょう! そうだ! それがいい! そうしたら次は……ムスタムも支配下に収めましょう。ティンプー王国も、その向こうも……東岸地域の都市国家も、この際すべて平らげましょう」


 夢物語のようなことを、とめどなく語り続ける。


「ああ、でも」

「ファフルよ、気に病むことはない。夢など忘れてしまえ。わしはまだ何も聞いてはおらん」

「やっぱり。もう知られてしまったのでは仕方がない」


 その刹那、彼は腰に手をやり曲刀を引き抜いた。

 と同時に、ガラスが割れるような音が響き渡る。引き抜いたばかりの曲刀の刀身は、俺が引き抜いた剣によって瞬時に砕かれていた。


「お、おお」

「正気に返れ、ファフル」

「ファ、ファルス、ファルス、そうだ……私につけ! 私につけば、お前は……何が欲しい? 貴族にしてやろう! 気前のいい男の下につけば、お前も」


 そろそろノーラの出番らしい。

 天幕の入口に、彼女とペルジャラナンの影が差した。


「難しいみたい。相当強力な暗示がかかっているわ」

「解けそうにないか」

「時間をかければ、なんとか」

「じゃあ、殺さず生け捕りにしよう」


 取り囲まれているのに、ファフルは逃げるでもなく、体をワナワナを震わせ、口から泡を噴きながら、なおも笑みを浮かべていた。


「さぁ! さぁ! ファルス、私と世界を」


 そこで言葉が途切れた。意識をなくして倒れ込む。

 ノーラが強制的に眠らせたのだ。


「滅茶苦茶だ」


 思わず俺は呟いた。

 赤の血盟の三大氏族、そのそれぞれに内通者がいた。フィアンでは族長の嫡男だったアールン、ネッキャメルでもティズの次に族長の椅子に近かったファフル、そしてニザーンに至っては族長自らが。

 こんな状態で戦うのだ。なるほど、黒の鉄鎖が負けるはずはなかった。


 すべてが予定通りに進んでいたら、何が起きていただろう? アーズン城でフマルやセミンの兵は消耗し、後からやってきたアルハールと賢者ナルーがそこを占拠する。ブスタンは誰の手に落ちるかわからないが、ハリジョンは一時的にニザーンのものになっていただろう。

 ムナワールは南北の戦争を勝利で終わらせた立役者となり、黒の鉄鎖の盟主として東部サハリアに君臨する。だがその内実は、四賢者の傀儡だ。

 つまり東部サハリアは、実質的には四賢者の背後にいる黒幕の支配下におかれていたはずだった。


 ティズはアルカンに言った。


「ジャンヌゥボンを焼き払うつもりはない」


 アルカンは、今起きた異様な出来事に目を白黒させながらも、身を起こしかけた。


「講和を申し出るつもりだ。このような戦は、これで終わりとする。戦の後には、やるべき仕事もあることだろう。それまで死に急いでくれるな」


 それだけ言うと、彼はこちらに向き直った。


「では、様子を見に行こう」

「はい」


 ファフルを二人に任せて俺達が向かったのは、別の小さな天幕だった。

 薄暗い中にいたのは、ムフタルとタウル、フィラックの三人。そして彼らに見張られ、縛られたままのハビだった。


「おヤ? どうカなさいまシたカ?」


 拘束されているというのに、ハビは調子外れの明るい声で応じた。

 誰も返事をしなかったが、俺は顔をあげてムフタルに尋ねた。


「あれから動きは」

「ねぇよ」

「そうか」


 ここで殺してしまおうかと思わないでもない。だが、確かめるべきことがある以上、先走った真似はしたくない。いっそやるなら、もっと早くやっておくべきだった。


「しばらく不自由をさせるが、よいか、ハビよ」

「もちろンでございまス」


 飼い主に懐く犬のような声色で、彼はそう答えた。

 その時、天幕の外から足音が近づいてきた。


「ティズ様!」

「なにか」


 駆けこんできたのはラークだった。


「大変です! 捕らえておいたムナワールが!」


 見張りはつけておいたはずだったのに。その思いが頭をよぎるが、後の祭りだ。俺達は急いで駆けつけた。

 到着したときに、手遅れなのはすぐわかった。ムナワールは個人用の小さな天幕の中にいて、周囲を警護の兵に守られていたのだが、喉笛を真一文字に掻き切られていた。もちろん、自殺ではない。刃物などはすべて取り上げてあったし、この天幕の中にもない。兵士達にも殺害などはもってのほかと厳命してあった。

 だが、どういうわけか、何者かがここに侵入し、ムナワールを始末していった。


 ティズは首を振りながら深い溜息をついた。

 大事な人質は失ってしまったが、それでもこれから、かつて師と仰いだラジュルナーズに、講和を持ち掛けなくてはならないのだ。

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