ハルブ砦の戦い

「急げ! 迎え撃て!」


 人馬入り乱れる様子は、波打つ大河の水面のように慌ただしかった。今日、到着したばかりの兵士達は勝手がわからず、余裕のない狭い陣地の中で渋滞を引き起こした。

 頭上をうっすら灰色に染める砂嵐と強風の中、ティズが馬上にあって先頭切って陣地の外へと出ていく。そのすぐ後ろには、同盟旗を手にした騎兵が続く。慌てふためく兵士達も、これで何をすべきかわからないということはなくなった。武器を手に、できれば馬に乗って、なるべく早く総大将に追いつく。些事にとらわれている場合ではない。


「ファルス!」


 余裕がないせいか、ラークはうっかり俺の本名で呼びかけてきた。わざわざ俺の馬も引いてきてくれたようだ。


「追うぞ!」

「はい」


 馬に跨る。そのすぐ横に、人込みを掻き分けて黒衣の少女とリザードマンが駆けつけてきた。


「心配ない。陣地の中で自分の身を守っていれば。ペルジャラナン、ノーラを」

「ギィ」


 二人は自力で馬に乗れない。この敵の急襲に対応するのは難しいだろう。

 一瞬、頭の中に、あの黒い影の襲撃の可能性がよぎったが、ノーラが狙われる可能性は今の時点では低いと判断して、そのまま敵に当たることにした。


「ああ、みんな」


 四人の郎党とジルもやってきた。ただ、戦争も終盤、物資の不足もあって、全員分の馬がない。


「敵だ。ジルとタウル、ディノンは二人の傍に……あとは」

「ああ、行こう!」


 フィラックが、引き連れてきた馬に、やや乱暴に飛び乗った。他の二人もそれに続く。


 陣営を出て、南西方向に馬首を向ける。

 敵の数は決して多くない。一千騎もいないんじゃないか。ただ、こちらも陣容は整っていない。五千近い兵がいるものの、指揮系統があやふやなニザーンの兵はまだ後ろでもたついている。フィアンの兵はそこまででもないが、やはり出遅れているようだ。

 砂塵の向こうには、うっすら灰色の影が見える。あれがジャンヌゥボンの最西端の出城、ハルブ砦だ。もともとアラティサールがあそこを攻めるために構えた陣営だから、敵からも間近い。


「先頭に追いつこう。今日中に砦を落として、ムナワールも捕虜にする」

「せっかちな野郎だな、いっつもだけどよぉ」


 もう、こんな戦争なんて一刻も早く終わらせてしまいたい。本当に嫌気が差している。

 馬の蹄が砂を蹴散らし、大地に印を刻んでいく。その後を追う。遠くからでもティズの真っ赤な長衣は目についた。こちらにとっても目印だが、敵にとってもいい的だろう。


「ティズ様! お下がりください!」


 声を嗄らして呼びかける。そろそろ迫ってきた敵の矢が届き始める距離だ。

 だが、彼はあえてその場にとどまった。陣形も整えられないこの状況だからこそ、下がるに下がれない。指揮官の声など聞こえないのが普通だ。だから兵士達は、その挙動で状況を勝手に想像する。


「最初の一発……」


 横を走るフィラックが尋ねた。


「やるのか? いきなり」

「出鼻を挫く。後に取っておくより、今の方がよさそうだ」


 こちらはまだ、陣地からろくに兵士が出揃っていない。逆にあちらは勢いがある。

 だからこそ、火球を最初にぶち込むメリットがある。要は時間稼ぎだ。しかし、その一発であちらも散開し始める可能性がある。ここにはそれだけの広さがある。そうなったら、二発目ではそこまで大きな戦果はあげられない。


「ムナワールは」

「わからないが、アルハールの族長代理なら、黒い長衣を身に着けているはずだ。見えないが」


 できれば殺したくない。ティズは戦争を終わらせるきっかけを探している。ここで次期族長を捕虜にして、ラジュルナーズに妥協を求める。そういう目的を考えると、敵を纏めて薙ぎ倒せばいいというものでもない。

 だが、こだわっていてはタイミングを逃す。


「やる」


 そう宣言すると、俺は馬上で詠唱を始めた。

 俺がティズの前に出た時点で、既に敵は迫りつつあった。右手の指輪が黄色に染まり、白く輝きだした頃、立ち止まったままの馬の足下に矢が突き刺さる。次の矢が頭上を大きく飛び越えていったところで、やっと指輪は青白くなっていた。

 右手を突き出すと、いつものようにそれは空気を切り裂きながら、こちらに迫る敵の馬群の中心へと突き刺さる。光球が見えなくなった次の瞬間、爆音が轟いて前後左右に敵の馬や人が冗談みたいに打ち上げられ、跳ね飛ばされていく。


「よし、行くぞ!」


 俺達が前へと馬を駆けさせると、周囲の兵士も勝機とみて、バラバラに前へと駆け出した。逆に敵の兵は、この一撃で士気を喪失したらしく、馬首を返すとあっという間に後ろへと下がっていく。これにはさすがに拍子抜けした。今まで見た敵の中で、一番肝が小さい。ブスタンを襲ったフマルとセミンの連合軍ですら……彼らは精鋭ではなかったが、頭上から数発の火球を浴びせられつつも、果敢に攻め込んできた。たった一発で逃げ腰になる相手なんて、これが初めてだ。


「なんだぁ?」


 ムフタルが怪訝そうに声を漏らす。

 この変わり身の早さ、もしかすると罠じゃないかとさえ思う。もっとも罠だったとして、どうやって俺を殺すのか。あの黒い影以外で、本当の意味で俺を脅かした敵など、この戦争ではいなかった。

 フィラックは表情を引き締めつつ、俺に確認した。


「一応、追うか」


 戦果を求める兵士達は、既に追撃に移っており、俺達を追い抜いて前を走っている。


「そうしよう」


 馬を走らせることしばらく、耳慣れない物音に気付いた。

 ハルブ砦はそのままジャンヌゥボンの城市と繋がれている。何によってかというと……水路だ。実はここまで海水が引き込まれている。統一時代に、内陸まで物資を船で輸送するための運河を開発する計画があったらしい。が、それは暗黒時代の訪れによって頓挫し、代わりにこの水路の先端に城砦が築かれた。

 決して大きなものではない。横に太い灯台みたいな形をした石造りの建物だ。ただ、その周囲が丸く濠に囲まれている。南西方向にずっと水路がまっすぐ続いているところは、上から見下ろせばまるで鍵穴みたいな形になっていそうだ。

 アルハールの騎兵は左右に散開し、回り込んでハルブ砦の後ろに駆けこんでいく。そこにも跳ね橋があるのだろう。中に逃げ込むつもりだろうか。


 そこから距離をおいて、ネッキャメルの騎兵が追いかける。なにしろ俺が最初に一発を撃ち込んでしまったせいで、白兵戦になる前に敵が逃げ出してしまった。彼らは濠の近くまで馬を駆けさせてから、直線的にその縁を通って敵に追いつこうとする。

 その時、聞き慣れない轟音が迫ってくるのに気付いた。


「止まれ!」


 思わず叫んでいた。だが、戦場で一人の人間の声が通るなんてことはまずない。騒音の中、誰もが興奮の極みにあるのだ。

 どうして気付けなかったんだろう。一つには、この近辺に来るまで、ハルブ砦がどんな場所かを詳しく把握していなかった。そして既にニザーンの海軍は壊滅状態。となれば、ここに水の賢者を配置しない理由がなかった。


 次の瞬間、歪な手の形をした巨大な水の柱が立ち昇った。それはハルブ砦の塔よりも高く立ち昇った。それが今度は、勢いよく砦の周囲の足場へと叩きつけられる。近くにいたネッキャメルの騎兵は、あっさりと水中に呑まれた。

 最初からこの罠に引きずり込むつもりだったのか。しかし、だとしてもお粗末な結果ではある。これで片付けることができたのは、功を焦った雑兵だけだ。ティズのような指揮官を確実に仕留めたければ、もう少し待つべきだったのに。


 一旦は濠の中に収まった水柱だが、再び大きく立ち昇ってきた。その中心に、小さく人影が見える。暗い紺色のローブを身に纏った一人の男だ。


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 マーノン・スヴ (43)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク5、男性、43歳)

・マテリアル マナ・コア・水の魔力

 (ランク3)

・スキル サハリア語   5レベル

・スキル シュライ語   6レベル

・スキル フォレス語   5レベル

・スキル ハンファン語  5レベル

・スキル 指揮      2レベル

・スキル 水泳      2レベル

・スキル 操船      3レベル

・スキル 商取引     3レベル

・スキル 水魔術     7レベル


 空き(33)

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 最後の賢者が、この最前線を守っていた。


 この水柱に驚いた兵士達は、急いで馬を止めた。そして手持ちの弓を構えてマーノンに向けて矢を放つ。それらは水の障壁に妨げられて、彼を傷つけるには至らない。

 なるほど、人間同士の戦争では、水が豊富にありさえすればだが……これはこれで規格外の兵器であると言える。最後までジャンヌゥボンの防衛に取っておかれたのも納得だ。この圧倒的な力でニザーンの艦隊を薙ぎ倒したのだろう。多分、海に近い場所という条件ありきでは、他の賢者達を押しのけて、間違いなく最強の座を占めていたに違いない。


 だが……


 水柱を構成していた水が、急にそこから剥がれ落ちていく。いきなり空中に取り残されたマーノンは、何が起きたか理解できず、慌てて手足をバタつかせる。が、すぐにおかしなポーズのまま、体を硬直させた。どっちにせよ、支えがないのに浮かび上がれるはずもない。

 そのまま真下の濠の中へと落下する。


 水の賢者が溺れ死ぬとは、なんとも皮肉な話だが、彼は運が悪かった。

 本当は生きたまま捕らえたかった。しかし、最初に投擲した『麻痺』の魔法の矢は、あの水の壁を突破できなかった。思うに、昔キースが霊剣を介して俺の身体操作魔術を薄めたように、魔術の影響を受けたあの大量の水が、こちらの魔力を洗い流してしまったのかもしれない。

 それなら、とピアシング・ハンドで水魔術のスキルを奪い取り、それからもう一度魔法の矢で体を痺れさせたのだ。あの高さからではどちらにせよ重傷は避けられないだろう。魔術が急に使えなくなったことに気付かれて、あれこれ言いふらされるのも嫌だった。


 それにしても、絵面のひどいことと言ったら。

 いきなり水柱が立ち昇ったかと思ったら、急にそれが形を失って、術者が転落して死亡。体を張ったギャグみたいだ。


 あまりのことに、ハルブ砦を囲む兵士達も、呆然として突っ立っていた。しかし、徐々に気を取り直すと、静かに砦を包囲し始めた。

 後ろからティズが馬を駆けさせて近付いてきた。


「また君が片付けたのかね」

「多分、水の賢者だったと思います。中にはまだ、水の魔術兵が残っているとは思いますが」

「賢者がいなくては、あれほどの魔法はもう使えないだろう」

「そう思います。どうしますか?」


 少し考えたティズは、肩をすくめて口角を上げた。


「軽く城壁に君の火の玉を当ててみてくれんかね。そうすれば余計な手間が省ける」

「わかりました」


 言われた通り、砦を粉砕しない程度の火球を、いくつかぶつけてみた。


 それから待つこと三十分ほど。

 砦の頂点に掲げられていたアルハールの旗……青地の上下に黄色い帯の描かれたそれが、静かに取り外された。その意味するところは、誰にとっても明白だった。


 正面の門の吊り橋がゆっくりと下ろされ、そこから力なく項垂れて這い出てくる人々の群れが見られた。その先頭には、黒い長衣を身に着けた、いかにもパッとしない中年男の姿があった。

 その横には、苛立ちと諦めに挟まれた初老の男がいた。タジュニドにも負けないほど髭モジャだが、それらはもう灰色になっていた。目だけが刃のように鋭く輝いていたが、その視線は下に向けられていた。

 その後ろには、よろめくようにして歩く集団が続いていた。


 先頭を歩く男は、今にも泣き出しそうな顔で馬上のティズの前に跪くと、手を組んで涙声で訴えた。


「お慈悲を」


 この戦争の元凶の一人、アルハールの次期族長ムナワールは、こうして赤の血盟に降ったのだ。

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