憎悪に捧げられた一族

 東側の岩壁すれすれの場所に、兵士達が列をなしている。彼らの手には赤々と燃える松明がある。多くの光に照り返されて、視界の向こう、闇の中に赤黒い城砦の姿がぼんやりと浮かび上がる。

 タフィロンの城砦からの矢がぎりぎり届かない位置だ。ここから、俺達を先頭に一気に城を攻め落とす。敵も眠っているはずはないから、矢も降り注ぐ。それを掻い潜りつつ、城門を突破する。事前に火球を叩きつけて城壁の上の敵は一掃するつもりだが、複雑な形をした城壁もあるから、完全に敵の迎撃を抑え込むのは難しいだろう。


「ムフタル」

「おう」


 先頭に立つのはムフタルとペルジャラナンだ。二人とも盾を掲げて、敵の矢を防ぐ。キスカほどではないにせよ、フマルには弓の名手が多いらしい。気をつけないと命取りになる。


「では」

「始めてくれ」


 俺の横にいたティズが頷いた。それで俺は、ゆっくりと詠唱を重ねる。右手の人差し指に嵌めた指輪が赤から橙、黄、そしてすぐ白く染まり、やがてそこに青みを帯びていく。同時に俺の手も、同じ色の輝きを放ち始めた。拳大の光球が浮かび上がる。それから俺は、そっと前方を指差した。

 瞬間、雷が落ちたかのように、真っ白な光にタフィロンの城砦の姿が照らし出された。同時に破砕音が響き渡る。これで城門は砕けただろう。しかし、まだあちこちに射手がいるはず。めぼしい城壁の上に、それぞれ火球を撃ち込む必要がある。その都度、真っ白な光が辺りを照らし、吹き飛ばされた瓦礫が派手に散らばる。だが、これくらいにしておいた方がよさそうだ。あまり破壊してしまうと、俺達が駆け登るべき足場までなくなってしまうし、敵に捕らわれたジルまで焼き殺してしまうかもしれない。


「行きます」


 目配せだけで、先頭を任された二人は盾を構え直し、腰を落として走り出す。そのすぐ後ろを、俺やラーク、ノーラが続く。後詰めはフィラックとタウルだ。その後、少し距離を置いて、ネッキャメルの兵が続く。

 距離にして、だいたい三百メートル強か。城門のある岩山の麓まで、一気に駆け抜ける。俺達は松明など持っていない。あちらは多少、炎上しているようだ。ほとんど爆風で吹き飛んだので、大規模な火災には至っていないが、しかし、目先で燃える火の光のせいで、こちらは真っ暗に見えているはずだ。それでも、ぽつぽつと矢が飛んでくる。ただ、狙いは見当外れだ。盾にかすりさえせず、俺達からずっと離れた横の地面に突き刺さるばかりだ。

 岩山の下に辿り着くと、城門の状態が見て取れた。熱量と貫通力がありすぎたせいか、扉がきれいに吹き飛ばず、ひしゃげてめり込んでしまっている。城門までの階段の上には、爆発によって撒き散らされた石の破片が散らばっていた。足を取られないよう、気を配る必要がある。

 まだ、ここまで降りてくる敵兵はいなかった。


「おっし、こっから突っ切るぞ」

「先頭を行く」


 矢の雨を恐れる必要のあったさっきまでと違って、ここからは白兵戦が中心だ。俺が前に出たほうが、何かと手っ取り早い。

 一人ずつしか通れない潰れかけた城門を潜る。最初の城郭は、大きなガランとした大部屋があるばかりだった。中には、城門を守っていたらしい敵兵の骸が転がっていた。最初の一撃に巻き込まれて死んだのだろう。壁の煉瓦も崩れ、割れて足下に転がっている。

 ノーラが無言で差し出す松明の先を握り締めて点火すると、俺は迷わず右手に道を取った。正面にはまた別の部屋があるようだが、そこまで調べる必要はない。後ろからくる兵が踏み込んでくれるだろう。背中は任せておける。駆け抜けるだけだ。


 一人分の幅しかない短い通路の向こうには、屋根のない階段があった。左手はすぐ崖で、矢が飛んでくる恐れはない。ただ、上からはこちらがよく見えないとはいえ、落石には注意すべきだ。狙いすましての攻撃はなくとも、そういう嫌がらせならできる構造になっている。

 途中の踊り場まで駆け上がったところで、最初の敵兵に出くわした。目を丸くして、急いで曲刀を振り上げる。俺にとっては遅すぎた。絶叫をあげながら、そいつは右手の崖の下へと落ちていく。


「急げ!」


 ムフタルは俺の考えを理解したらしい。左側に盾を掲げつつ、後ろに声をかける。


「行け!」


 今の声に気付いて、敵が上から石を落としてくるかもしれない。全員が急いでその場を走り抜けた。

 こういう踊り場がところどころにあるのも、防御施設としての設計上の考えがあるのかもしれない。高所から敵を迎え撃つポイントは、多ければ多いほどいい。ただ、ここは防御側には不利な場所だ。右手で武器を振るう人間のほうが多いので、右手の岩壁に動きを制限される。しかし、次の城砦を抜けると、左右が入れ替わる。白兵戦が本格化するのは、この後だ。

 ふと、キースのことを思い出した。右手でも左手でも自在に剣を振るう彼は、こういう不利を最小化することも織り込んできたのだろう。


「やれ!」


 次の城砦に飛び込んだとき、そこは待ち伏せの巣だった。灯りも点さず、闇の中から曲刀を突き出す。

 運が悪かったのは、最初に踏み込んだのが俺だった、ということだ。彼らの満を持しての奇襲もすべて見えていた。おまけに、真正面から剣を振るえば、受け止める曲刀ごと相手を両断できてしまう。ものの十秒で、ここも制圧できた。


「油断するな」


 後ろからフィラックの声がとぶ。わかっている。もしここにあの黒い影がいたら。

 今思えば、あの黒い影の攻撃は、避けられないほどではなかった。それでも、相当に鋭い動きだったように思われる。或いは闇に溶け込んでの攻撃もあるかもしれない。暗視能力を備えた状態で戦っている俺からすれば、そんなものは奇襲にはならない。それでも、こちらがあちらを傷つける手段がない以上、出てこられたら対応は困難だろう。心しなければ。

 二つ目の城砦にはまだ奥行きがあるようだったが、そちらの確認はあとから来る兵に任せる。俺はすぐ、左手にある通路から上への道をとった。


 一歩外に出ると、赤々とした松明の光に照らされた。反射的に身を伏せる。頭上を矢の雨が飛び越えていった。背後のペルジャラナンも警戒はしていたらしい。盾に矢がぶち当たり、或いは食い込むのが音でわかった。

 どうやら敵は、踊り場のところに待ち受けて、こちらに矢を降らせる対応をとったらしい。だが、それは分の悪い勝負だ。

 火球をぶつけようかと考えたところで、敵兵の一人がグラリと体を揺らして、左手の崖下に転げ落ちていくのが見えた。俺の中の正気の部分がズキンと痛む。またノーラに人殺しをさせてしまった。用いたのは『変性毒』だろう。一人、また一人と脱力して膝をつき、その場に突っ伏していく。

 敵の抵抗がなくなったので、俺はそのまま階段を駆け上がり、次の城砦に飛び込んだ。


「かかれ!」


 男の声が聞こえた。だが、左右から俺を挟み撃ちにした二人は、逆に糸が切れたように倒れ込むばかりだった。


「なっ!?」


 その男は、俺の動きに驚いたらしい。


「これほどとは、この小童が」

「お前は」


 俺にも、その男の顔には見覚えがあった。


「アサール、か」


 そうだ。背が低く、横にガッシリとした体つき。反り返った黒い髭が特徴的なその顔。


「そういう小童めは、プノス・ククバンだったか。この恥さらし、一族の裏切り者めが」

「それは偽名だ」

「なに?」


 思えば、この男には責任がある。最後まで戦争を止めようとしていたミルークを死に追いやった。彼がこちらの話を聞いてくれたからといって好ましい結果に繋がったという保証はない。しかし、それでも彼は間違いなく、可能性の一つを潰した。大勢の人が死んだこの戦争を後押ししたという点で、免責などされ得ない。


「お前達フマルの臆病者どもが怖がると思って、そう名乗っただけだ。ククバンとは何の血縁もない」

「なんだと」

「ただのミルークの縁者だ。それ以上でもそれ以下でもない」


 彼は思わず口篭ったが、すぐ気を取り直したらしい。アサールは悪意を込めて言った。


「それで? 貴様らも復讐しにきたんだろう」

「最初はそのつもりだった」


 俺は剣を向けて、彼に尋ねた。


「お前は死ぬ。だが、その前に確かめておきたい。なぜお前は、我が身を差し出したミルークを許さず、この争いを引き起こした? そのせいで今夜、フマルは滅ぶ。どれほどの罪か、わかっているのか」

「ふん」


 だが、彼には余裕があった。


「貴様らも大勢死んだんだろう」

「それがどうした」

「我らフマルは、貴様らに復讐するためだけに、この三十年を生きてきた! 貴様らの誇りを踏みにじり、傷つけることができたのなら、死んで本望よ!」


 そう言い切ると、彼は左手の部屋に向かって呼びかけた。


「お前達、出てこい!」


 奥の部屋から、数人の男達が姿を現した。雑兵が何人いようと、俺の相手ではない。

 だが、その後ろから引っ立てられてきた姿に思わずラークが叫んだ。


「ジル!」


 見られた姿ではなかった。露わな肌にはところどころ痣ができている。直前までこの男達によって凌辱されていたのは疑いようもなかった。


「きっ、貴様ぁ!」


 すぐ後ろでラークが激昂する。だが、俺の中ではそうした衝動は一瞬だった。なんとか生きていてくれた。もう間に合わないなんてことはない。


「はっははは! その顔! その顔を見たかった! どうだ? お前達のミルークの、その娘を……我らが存分に嬲ってやったぞ! これに勝る喜びがあろうか!」

「馬鹿なことを」


 思わず溜息をついた。


「どこが馬鹿なのだ」

「あえて傷つけず人質にして、少しでも有利な講和を申し出るという手もあっただろうに」

「たわけめが!」


 俺の言葉を、アサールは嘲笑った。


「ハダーブ様もご承知の上よ! 我らが貴様らネッキャメルに許しを請うなどあり得ん! 一人残らずタフィロンを枕に死に絶えるのみ!」

「お前は」


 さすがの俺も、少し唖然とさせられた。


「ミルークがお前に言ったことを忘れたのか。お前にも妻子がいよう、と。赤竜の谷で殺すべきところをあえて見逃されたのは、そのためだったのに」


 戦争になれば、女も子供も関係ない。みんな殺される。これまで、いやというほど目にしてきた。


「お前がネッキャメルを、ミルークを憎むのはまだわかる。だが、そのために……一人残らずここで死に絶える、だと?」

「そうだ」


 妻子を犠牲にしてでも、一族が滅んでも、なお戦争を選ぶと。こいつは狂っている。


「気違いだな」

「おおよ、正気になど戻れん。貴様らへの屈辱で、夜も眠れん。何を食べても味などせん。喜びなどこの世にない。風が吹けば風を憎み、太陽を仰ぎ見れば太陽を恨む。貴様らが死に絶えるその日まで、この苦しみは終わらん!」


 俺は剣を構え直した。


「仕方がない。どうあれ、お前は死ぬ」

「ふん」


 死を宣告されても、アサールはせせら笑うばかりだった。

 背後の男達が、ぐったりしたジルを後ろから羽交い絞めにする。


「これでも一応人質にはなるぞ。踏み込んでみるがいい。お前達の目の前で八つ裂きにしてやろう」

「そうはならない」


 俺がそう呟くと同時に、彼の配下達は次々とその場に倒れ込んでいった。


「なっ」

「終わりだ」


 俺が腕を打ち振ると、剣は彼の胸を縦に裂いた。それだけで彼は突っ伏し、起き上がることもできずに体を痙攣させる。


「ぐっ……お、おのれ」


 流れる血が床を汚し、アサールは事切れた。


「ノーラ、ジルを」

「うん」

「ラーク」

「あ、ああ」


 彼はジルを助けに来た。だが、凌辱された娘はもはや一族の一員たり得ない。こうなってはどんな顔をすればいいのか。自分の中の常識では整理をつけられないのだ。


「先に進もう」

「わかった」


 しかし、戦場でいちいち逡巡していても仕方がない。俺の声に引き戻されると、彼は後ろについて、次の階段へと向かった。

 五つ目の城砦に至るまで、抵抗らしい抵抗はなかった。それが南側に聳え立つその城砦の中に、やたらと大勢の兵士が集まっているのが見えた。最終防衛ラインのつもりらしい。だが、密集してこちらを待ち受けるなど、愚策でしかない。

 俺は再び剣を鞘に戻し、詠唱を重ねると、火球を投擲した。逃げ場のない石の壁の中で、大勢が肉片を撒き散らした。


「……くそっ」


 何のために。自分の中に疑問が浮かぶ。勝敗はもう、とうについているのに、無駄に殺し合いを続ける。なんという愚かさか。

 そして俺は、勝ち目のない彼らを一方的に虐殺する。これの何が功名なものか。


 撒き散らされた臓物の臭いの立ち込める中に踏み込む。それで南側に開いた通路を見て、彼らがどうしてここを選んだのかがわかった。


「水場、か」


 そこはタフィロンのシンボルともいうべき場所だった。長方形の貯水池は、白い大理石の枠に囲まれていた。列柱が建ち並び、その頂点はこれまた白い梁によって結ばれていた。その外側を、椰子の木が囲んでいる。その周囲には、黒い人影が見えた。フマルの女子供は、ここに集められていたのだ。

 ここを突破された以上、もうフマルにはろくに抵抗する力など残ってはいまい。


 そしてついに、七つ目の頂上の城郭に辿り着いた。

 岩山の頂点を占めるこの場所には、たった一つの部屋があるばかりだった。入口を除く三方に大きな窓が開いている。見ればもう、東の空は白み始めていた。


 部屋の中央にはただ一人、年老いた男がいるばかりだった。若い頃は逞しい戦士だったのだろう。骨太な体は、また大柄でもあった。黄色の長衣を身に纏う彼は、よく日焼けした顔とは対照的に、真っ白になった髪と髭の持ち主だった。しかし、そこに老人ならではの穏やかさはまるで見て取れない。血走った目には、何か狂気を感じさせるものがあった。


「ハダーブだな」


 ラークは話しかけた。


「降伏しろ。もうすぐ下にネッキャメルの兵が迫ってきている。水場に匿った女子供も、このままでは殺されるぞ」


 だが、彼は答えなかった。


「迷っている場合か! グズグズしている暇はないぞ。今なら私が命令すれば」

「いらぬことよ」


 静かな、しかし凄みのある声で、ハダーブは答えた。


「フマルが赤の血盟に屈することなどない。最期まで戦うのみ」

「私達の姿が見えないのか。ここまで上がってきたということは」

「そうだな。一つ確かめたい」


 体を揺らすと、彼は薄気味悪い笑みを浮かべて、ラークに尋ねた。


「誰か一人でも降ったか? 死を恐れる裏切り者はいたか?」

「……いや」

「そうであろう。いや、それならば問題はなかった」

「何を言っている」


 もはやハダーブの眼差しからは、正気の欠片さえ見いだせない。


「憎むべきネッキャメル相手に、死ぬまで戦った! そうであればよいのだ」

「なぜだ。一族が滅び去ろうとしているんだぞ」

「それの何が悪い?」


 気持ち悪かった。ひたすらに。


「悪いも何も! 皆殺しにされたいのか! 元も子もなくなるぞ!」

「貴様らに命乞いするくらいなら、滅びたほうがましだ」


 ハダーブは、六十近い老人だ。先の戦争も知っているし、参加もしていたはずだ。そして三十年前の戦争は事実上、黒の鉄鎖の敗北で終わった。その戦いの記憶の中には、ミルークによってフマルの軍勢が足止めされたという屈辱も含まれている。

 それだけでも悲惨だったのに、それから十年も経たないうちに、今度は支族のククバンの生き残りによって、このタフィロンが陥落した。同盟氏族の助力もあって奪還には成功したが、惨めさは更に募った。

 黒の鉄鎖の大氏族の中では唯一、海峡の交易に携わることができず、細々とドゥミェコンを経由した陸上交易の利益を手にするしかなかった。それゆえにどこよりも貧しく、情けない思いをしてきた。赤の血盟におけるフィアン氏族のように、残ったのは恨めしさだけだったのだろう。


「そ、それでも族長か! 一族を守らずして、何の族長だ!」

「我らフマルは、お前達赤の血盟に復讐するために存在するのだ。そうであろう」


 先の戦争から憎悪を募らせたハダーブは、フマルの存在意義を復讐とした。敵を殺すために、ただそれだけのために生きよ。他のことは些事である、と。


 だが、俺にはその気持ちが理解できてしまう。ノーラの生存を確認するまでの俺は、何を考えていた? 殺戮だ。とにかくひたすらに。バタンもタフィロンもジャンヌゥボンも、一つ残らず鳥の巣にしてやるつもりだった。あれは少し前の俺自身の姿だ。

 俺は、曲がりなりにも人の領域に留まることができた。だが、ハダーブと、彼に従うフマルの戦士達は……


 ハダーブは腰の曲刀に手を添えた。


「先に散った戦士達に続かねば」


 ラークもまた、剣を構えた。言葉が通じない相手だという現実を、受け入れるしかなかった。

 ハダーブの表情には、複雑なものが渦巻いていた。彼とて勝利を願っていたに違いない。だが、敗れる今となっては破裂しそうな怒りでいっぱいになっている。と同時に、敗北ゆえに自らの命を惜しまずに済む開放感がある。だから嬉しそうに怒り狂っていた。


「さぁ……死ね!」


 彼は勢いよく曲刀を振り下ろした。だが、それは空を切った。ラークに届く前に、彼は武器を取り落とした。


「悪ぃけどよぉ」


 重々しい金属音が石の床に響く。

 脇にいたムフタルが、横合いから手にしていた斧を投げつけたのだ。それはハダーブの腹を深く切り裂いていた。


「あんた、戦士としちゃ、三流だわ。勝つために戦うのが戦士ってもんだろがよ。それがこの人数相手に考えなしに……これじゃ、あんたの下で死んだフマルの戦士どもも、浮かばれねぇなぁ」

「お、おのれ」


 腹を抱えたまま膝をつき、ハダーブは下から俺達をねめつけた。


「おのれおのれおのれおのれ……!」


 死が迫ってなお、彼の中にあったのは恐怖ではなく、悲嘆でもなく、憎悪だった。怨恨だった。


「今、楽にしよう」


 ティズから命じられたのはハダーブの説得だった。だが、今となっては助かる見込みもなく、もはや討ち取る以外にない。


「笑わせるな」


 よろめきながら、ハダーブは後ずさる。立っていることができずに尻餅をつき、這いずりながら窓際に向かう。


「ネッキャメルなど滅んでしまえ」


 呪いの言葉を吐き散らし、床に血を流しながら。彼は窓枠に手をかけた。


「貴様らを殺せないのなら、フマルなど滅んでしまえ」


 眼光だけは凄まじく、今も俺達に炎のような氷のような視線を浴びせてくる。


「サハリアなど滅んでしまえ。世界など滅んでしまえ。女神も龍神も滅ぼされてしまえ!」


 彼の憎悪は、世界の一切を塗り潰した。


「魔王よ、魔王よ、もしいるのなら……我らがフマルの死を糧にせよ! どうか何もかもを無に」

「なんということを」


 ラークが畏れて呟く。

 そんな彼を、ハダーブは嘲笑った。


「……一足先に、幽冥魔境で待っておるぞ」


 そう言い残すと、ハダーブは最期の力を振り絞って、窓から身を投げた。


 俺達が五階に降りる頃には、すっかり夜が明けていた。

 一応、虐殺を最小限にとのティズの意向を受けて、俺達は例の貯水池に駆けつけたが、すべてが終わった後だった。


 やけに赤い朝焼けだった。山の端から差し込む光が、黒々とした椰子の影を引き伸ばす。女達のスカーフが、マントが、毛布が、何もかもが赤く染まっていた。貯水池の水まで、赤く濁っていた。

 今回、ネッキャメルの兵に強姦された女はいなかった。兵士達が迫ったとき、彼女らは我が子を手にかけ、続いて自ら命を絶ったのだ。


 俺が以前、その絶滅を願ったフマル氏族は、こうして絶えてしまったのだ。

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