タフィロンの山城の麓にて

 聞きしに勝る絶景だった。


 赤竜の谷の向かい側に広がる峡谷の果て、その南端に位置するのがタフィロンだ。その城郭は、折り重なる赤黒い岩山の上に積み重ねられていた。これは本当にそうとしか表現できない。段々になっている岩山、そのそれぞれにへばりつくように城壁が築かれている。遠くから見ると、それがまた、別の階段によって、より高い位置にある砦に接続されているのがわかる。七層に渡って積み上げられたその姿は圧巻だった。

 建造に要した労力はどれほどだろう? まず、途方もない手間をかけて岩山を平らに均し、重量のある石材を積み重ねられるようにする。そうして最初の段に砦を築いたら、今度は次の足場に向かって階段を掛ける。そうしてまた、同じことを繰り返す。

 その中層、南向きの一角に緑が垣間見えた。あれが恐らく、フマルにとっての至宝、貯水池なのだろう。伝え聞いた限りでしかないが、この岩山の中央を古代の給水管が貫いており、それがあの高さにまで水を供給しているという。古代の施設にありがちだが、給水管もそのバルブも頑丈で、いまだに水流を自在に制御できるのだとか。なんとなく、あの人形の迷宮にあった水道に似たものをイメージしてしまう。


 なお、この岩山の南には、城下町とでも呼ぶべき住宅街がまた別にある。その中央には水路が通っているが、今は水が流れていないらしい。この住宅街、もちろん平時にはフマルの人々も住んでいるのだが、戦時となれば彼らは山の中に篭ってしまう。取り残されているのは、ほとんどがフマルに由来しない従属民のような立場の人々だ。ブスタンにいた、ネッキャメル以外の人々と同じだと思えばいい。

 彼らの生業は、更に南方に広がる農地にある。この岩山の巨大な給水管が街全体に生活用水を供給し、かつその下流にある農地をも潤しているのだ。


 これから攻めるのかと思うと、その困難に気が遠くなる。一方で、ただの建造物としてみるなら、破壊するのは惜しいとも感じる。


 しかし、堅固な要塞の割には、アネロスにも攻め落とされているし、どうにもならないほどの難攻不落というのでもないらしい。じっくり考えると、その理由もわからないでもない。

 一つには、やはり兵糧攻めが可能ということだ。岩山の上の砦の出口は一ヶ所だけ。そこを塞いでしまえば、補給を絶つことができる。時間はかかるが、単純でやりやすい攻略法だ。ただ、今回はこの手でいくとなれば、やや骨が折れそうだ。こうなる可能性を考慮したからこそ、フマルの族長ハダーブは、アラワーディー……最寄りの村の水源を汚染した。一応、間の宿営地の水場もあるとはいえ、あれしきの量では、大軍が必要とする水を長期間、供給し続けるのは難しい。まして城下町の人々もまた、水不足に喘ぐのだ。

 また、砦の一つ一つは決して大きくないので、投石器のような防衛装置を設置するのに制限がかかる。一方、麓から取り囲む側は、なんなら最初の砦からは死角になる位置に設置してもいい。そうして最初の城門を突破したら、あとは狭い階段を駆け上がるだけ。岩山に沿って設けられた通路には投石器はおろか、上からではろくに弓矢の射線すら通らない。あとは個人の武勇に秀でたアネロスが、立ちはだかる敵をどんどん切り伏せてしまえば済んだ、か。


 それなら、今回も同じように攻略可能だろう。今度は俺が先頭に立てば、いちいちこちらから攻城兵器を仕立てるまでもなく、最初の砦を吹っ飛ばせる。とはいえ、仮にも城攻めだ。今は、今日中に到着する見込みのティズを待っている。

 当面のところ、指揮を執るタジュニドは、この城下町に対する略奪を厳しく禁じている。彼らは基本的に非戦闘員であり、ここで虐殺でもしようものなら、後々この地を統治する際に面倒なことになる。既にジャンヌゥボンはほぼ無傷なニザーンによって陸海から挟撃される状況にあり、アルハールの援軍はやってこない。勝算の大きい戦であればこそ、禍根を残すような行為は慎むべきなのだ。


 こちらの陣営は、二手に分かれて設営されている。北側と南側だ。左右に聳える岩山の西側にあるのがタフィロンの城砦で、当然反対側にも岩山は続いている。そうなると、城砦の正面に陣地を設営した場合、高所からの矢や石が降り注いでくる恐れがあった。しかし、なんとも落ち着かない陣地の構えではある。北側は、まず敵の援軍が駆けつける見込みはないとはいえ、タフィロンの城と背後の通路に挟まれる形になるし、南側も、すぐ目の前に城下町がある。既に一度、タジュニドの兵が内部を占領し、これから始まる戦闘に干渉しないよう釘を刺してはいるが……


「険しいな」

「そうですか?」


 隣でラークが嘆息する。


「できれば真正面から戦いたくはない」

「最初だけ、大変でしょうね。でも、いつものように、あの一番下にある城門、あれを吹っ飛ばせばいいんですよ」


 すると彼は肩をすくめた。


「ブスタンのときもそうだったが、デタラメだな。普通は投石器を組み立てて、運び込んで、撃ち合いだ。弓矢も降ってくる。それなのに」

「僕も、今となってはフマルを滅ぼす理由がなくなってしまいましたが、やるとなったらやりますよ。ただ」

「ああ」


 ラークは頷いた。


「水は不足しがちだが、アルハールの援軍がまずないことを考えれば、補給も不可能ということはない。アラワーディーは使えなくても、ヌクタットやフィアナコンがある」


 遠方からの物資の輸送は、とにかく効率が悪い。特に飲食するものとなれば、尚更だ。なぜなら、そうした輜重部隊も資源を浪費するからだ。その意味では、戦争における略奪には大きな利益がある。敵地で見つけた米一袋は、味方の拠点に積まれた車一杯分のそれに勝る。

 まして戦争は危機の継続であり、でき得るなら一秒でも早く決着させるべきものだ。局面も頻繁に変わる。輸送先の拠点が失われる可能性だってあるし、この世界に無線機なんかないので、そういうトラブル一つ一つが物資の無駄遣いに繋がる。


 ただ、今回に限っては、ちょっと無理をすればゆっくり戦うという手もとれる。援軍がまず来ないとわかっているからだ。

 フマルに援軍を送る可能性があるのはアルハールだけだが、彼らは海軍のほとんどを失い、かつ魔法部隊も四つのうち三つを失っている。残っているのは、精鋭と呼べない程度の同胞の兵と、キジルモク支族がかき集めた傭兵の居残り組、それに水の賢者だけ。

 そこに襲いかかるのは、ほとんど無傷のニザーン氏族の軍勢だ。合計一万近くにもなるほぼ全軍を動員したらしい。海上では迎撃にまわる敵兵などほとんどおらず、海側の防壁以外に難所はない。陸上でも、兵数では軽く倍以上になる。

 しかも、トゥワタリ王国やポロルカ王国も、この状況を静観しているらしい。真珠の首飾りの都市連合に至っては、完全に風見鶏だ。要するに、こちらに援軍が駆けつける可能性もない。ジャンヌゥボンは東部サハリア最大の都市であり、出城もいくつかあるらしいが、今回ばかりは東西から押し潰されてしまうのではないか。

 ただ、そこはアルハールもやられっぱなしでは終わらないだろう。反撃によって力を誇示した後、賠償金か、どこかの利権か、何かを譲って和平交渉という可能性もある。


「けど、正直、納得いかないな」

「何がです?」

「まぁ、ネッキャメルも君一人に勝たせてもらったようなものだが、それでも最初から最後まで、ずっと戦い抜いてきた。それに比べて、ニザーンはなんなんだ。ずっと正面から敵と戦わないで、都合のいいときだけしゃしゃり出てくる。で、最後に一番立派な場所をかすめ取ろうっていうんだから」

「その辺は」


 今度は俺が肩をすくめる番だった。


「ティズ様と相談してください。僕は戦争の手伝いはするといったけど、ネッキャメルを儲けさせるとは一言も言ってませんから」

「ははは、確かに」

「バタンも、本当にいらないので、そっちで好きに処分してください」

「おいおい」


 ティズはどこで手を打つつもりなんだろうか。

 ニザーンがアルハール相手に小さな勝ちを重ね、こちらも包囲の末にフマルが音を上げてくれれば、そこで戦争は終わる。ハダーブが講和を申し出た場合、アラワーディーはネッキャメルのものになるだろう。ティズからすれば、正体不明の怪物同士の争いに巻き込まれるリスクを避けるのが第一だろうし、利益を出した上での妥協なら、簡単に応じるのではなかろうか。


「気は抜かないほうがいいとは思うが……そろそろ、この戦争も終わりだな」

「そうですね」

「ファルスはどうするんだ? 本当に南方大陸に?」

「そのつもりです」


 彼は、笑みを消して溜息をついた。


「そうか」

「どうしたんですか」

「いや、ちゃんと目標があるんだな」


 俺にとって、この戦争は寄り道でしかない。不老不死の手がかりを得るための旅なのに、今までも何かと面倒ごとに巻き込まれてきた。今回も、使徒のしかけた罠に見事に引っかかってしまった。


「ラークさんは?」

「私は……考えが纏まらない」


 タフィロンの城砦というより、何もない青空の向こうを見つめるような目で、そう呟いた。


「全部片付けば、やり直せますよ。その……奥さんと娘さんのことはお気の毒ですが」

「ああ」

「そこはティズ様も考えているはずです。こう言って失礼でなければいいのですが、きっと良縁を探してきてくれるでしょうし、働きに応じて褒賞もいただけるんじゃないかなと」

「ああ、そこは疑ってない。ただ」


 明るいはずの未来に、彼は興味を抱いていなかった。


「まさか亡くなった奥さんや娘さんのことを思って泣き暮らすつもりですか? 僕が言えた話じゃないですが、それは」

「そんなことはしない」


 ゆっくりと首を振る。


「もちろん、二人のことは忘れない。死んでも妻だし、娘だ。この先もずっと私に責任があるものだと思っている」

「ええ」

「ただ、これから何をするべきなのか。それが頭から離れない」

「と言いますと?」


 周囲に目配りしてから俺を見下ろし、彼は小さな声で言った。


「私は、恥じている」

「恥? ですか?」

「私は恵まれていた。今までずっと。今回も不幸なことはあったが、きっとまたティズ様が面倒をみてくださる。それでいいのかと」

「使えるものは何でも使えばいいのでは」


 彼は受け付けなかった。


「それでは駄目だ。私はまだ、何もなしていない。私は受け取りたいんじゃない。与えたいんだ」


 彼は聳え立つ城砦を見上げて、ポツリと呟いた。


「ここで私にできることは、なんだろうか」


 その日の夕方、ようやくティズの率いる後続の軍がタフィロンに到着した。兵士達に簡単に夜食を取らせると、早々に主だったものを自分の大天幕に呼び集め、会議を始めた。議題はもちろん、タフィロンの攻略だ。

 しかし、話し合いが始まるやいなや、ハーダーンは顔色を変えて席を立った。


「ここまで来ておいて、何をおっしゃるか!」


 蝋燭の火に照らされた彼の額には、汗の雫が浮かんでいる。


「フマルの奴らは、街を見放したのです。いっそ彼らを使って投石器を組み立てさせ、城門を打ち破りましょう。今度こそ我らフィアンにお任せください」

「七層に渡る城砦を見たであろう。攻めるとなれば、一筋縄ではいかぬ」

「何をおっしゃいますか。二十年近く前にも一度陥落した城ですぞ。ましてや今回は」


 そう言ってから、彼はチラリとこちらに振り返り、言葉の勢いを少し和らげた。


「いや、今回は我々でやり遂げてみせますが」


 俺の力を使って攻め落としたら、フィアンの手柄にならない。ハーダーンは、失ったフィアナコンの代わりとなる土地を得なくてはならないのだ。またプノス・ククバンの手柄ではありがたみがない。


「では、こうしよう」


 ティズは人差し指を立てて、穏やかな口調でハーダーンに申し出た。


「ハダーブの説得をフィアンに任せよう」

「今更、何の意味があるのですか」

「見返りはこちらで用意させてもらう」


 その言葉に、ハーダーンだけでなく、この場の全員が反応した。


「ティズ様、それは」


 タジュニドも慌てている。

 族長の言葉は重い。タフィロンと引き換えても惜しくないほどの何かを寄越すと、そういう意味になる。


「そういうことなら」


 大きな報酬を分捕ってやろうと、ハーダーンは心に決めてしまったらしい。あっさり引き下がり、椅子に落ち着いた。


「それよりタジュニド」

「はっ」

「到着してまだ把握しきれていないが、陣地の詳細を知りたい。どこを押さえてある」

「はい。まず、北の通路。万一にも黒の鉄鎖の援軍が背後からやってきてはいけませんので、そこは手厚くしてあります。それと谷を出て南西側、城から死角になる辺りにもう一つの陣営を置きました。街の中は一通り調べましたが、見えないところに敵が潜んでいないともわかりません。仮に街からの襲撃を受けても対処できるよう、今夜は見張りを厳重にします」


 常識的な回答だ。敵の襲撃のありそうなところはカバーしている。

 ティズはじっくりと考えたが、何も思い浮かばないらしく、やや不機嫌そうに首を振った。


「わかった。だが、気をつけよ。ハダーブも承知しておるはず。援軍などない。といって、あちらから降りたいという使者もいまだにやってきておらん。何かあるかもしれんぞ」

「はっ」


 そうしてその夜の会議は締めくくられた。

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