知らない心

「納得できるご説明をいただきたい」


 珍しくティズが固い口調で言った。

 バタンの謁見の間。そこに族長の数だけ椅子が運び込まれた。アラティサールは先日俺が座っていたあの椅子に腰かけているが、あとは扇形に配置されている。ジャニブの族長タッサルブはこの場にいないので、あとは俺含め五人が彼を囲んでいる格好だ。


 なお、俺達の背後には従者がいない。よってアラティサールの後ろにも、ハビの姿はない。どこへ消えたのだろうか?


「我々はこの場に踏みとどまって奮戦し、なんとかバタンを得ました。しかし、それは結果だけのこと」

「いや、見事であったぞ」

「その間、ニザーンは何をしていたのですか」


 返す言葉もない。

 その間、アラティサールが何をしていたか。あの地震と雷の夜、一番奥に布陣していたニザーンの被害は軽微だった。にもかかわらず、彼は早々に撤退を決め、一路フィアナコンに向かった。道中、フマルの追撃を受けたようだが、それも決定的な損害を受けるには至らなかった。

 だが、彼は反転攻勢に出たりはせず、フィアナコンに入城させよと訴えたという。これを耳にした守将のシジャブは激昂した。病床のタッサルブもまたそうだった。

 赤の血盟に臆病者は不要だ。そう言い切ったシジャブは自ら手勢を率いて救援に出かけることにした。アラティサールは背中を押されるようにして、またバタンまで引き返さざるを得なかった。


「自軍を立て直すのに手間取っていただけのこと。退却は恥辱ながら、意地を張って全滅しても意味はなかろう」

「他の一族は皆、その場に踏みとどまって戦いましたが」


 ティズだけでなく、他の族長達からも声があがる。


「今頃になってサグィにもニザーンの艦隊が到着したようですな」

「おや、セミンやアルハールの艦隊は守らなかったのですか」

「それが影も形もなかったとのことで」


 つまり、今回の戦争で、ニザーンには手柄らしいものは何もない。ハリジョンの前方に布陣していたセミンの騎兵を追い返しただけで、こちらもろくに戦闘は発生していない。


「いずれにせよ、ここバタンでの戦利品の分配も終わっております。なさることはもうおありではないかと」


 ティズがそう指摘すると、アラティサールは不機嫌そうな顔をした。だが、これについては言い返せない。働いた者が利益を得る。当然のことだから。


 だが、俺にとっての問題はそこではない。

 ニザーンは既に疑わしい。臆病とか弱いとか、そんなのはどうでもいい。


 ハビはティズとネッキャメルの兵を、あの岩場の奥に集結させた。そこを土の賢者に狙い撃ちされた。これは偶然だろうか?

 それに、彼の能力は一度見ている。多くの神通力に目覚めているのは素晴らしいが、では彼をそこまで鍛えたのは誰だ? 正体不明の能力も身に備えていた。今考えれば、疑惑の塊ではないか。

 次に見かけたら、ぜひとも奴の魂に植物の種を植え付けてやろうと思っていたのに。


「度重なる不名誉は承知しておる。それより先の話をしたい」

「先とはなんですか」

「知れたこと。この機に乗じて黒の鉄鎖を完全に討ち滅ぼすのだ」


 ついさっきまで戦線を放棄して逃げ出していたリーダーの言うことだろうか。


「賛成できませんな」

「なに?」

「ここまでの戦で、我が方も大きな損害を蒙っております。幸い、それなりの捕虜を確保するのに成功しましたので、これと引き換えに賠償金を取り、今回の戦に幕を引こうと考えておりますよ」


 ティズは講和を主張した。今なら頭の中も理解できる。ファルスという強力な武器があるからイケイケで利益を取ろう、なんて言っている場合ではない。得体が知れないのはあちらも同じ。規格外のバケモノが暴れ狂う横で一般の兵がバタバタ死ぬ。こういうわけのわからない事態は一刻も早く収拾し、終わらせてしまいたいのだ。

 しかし、そこまで考えの及ぶ者達ばかりでもない。


「それはどうであろうな、ティズよ」

「おかしなことを申しましたか」

「さすがは武勇で鳴らしたネッキャメル、素晴らしいとしか言いようがない。フィアナコンはたったの一日で攻め落とし、バタンもただの二日でこの有様だ。だが、少し強欲が過ぎぬかな?」

「何をおっしゃる」


 ねっとりとした、いやらしい視線を向けつつ、アラティサールは言った。


「この戦で得をしたのはティズ、お主だけということか。それで済ませよと」

「そのようなつもりなど、まったくありませんが」

「フィアナコンに続いてバタンまで独り占め。これをどう説明するのだ」

「自ら勝ち取ったものに文句をつけられる筋合いがありますかな」

「いやぁ」


 せせら笑いながら、彼は周囲を見渡した。


「それなら、今度は我らの取り分のために頑張ってくれてもよい……そうは思わぬか、ハーダーン」

「私は」


 それ以上、彼は何も言えなかった。

 フィアンは奮戦した。しかし、城門を打ち破ったのはこの俺、ファルスだし、名の知られた部将、竜騎兵のタリアンを討ったのもそう。そして真っ先に市内に突入して族長らを討ったのはファフルだ。

 今回の活躍は、フィアンの汚名を雪ぐには足りるが、故地に代わる新天地を得るには足りなかった。もしフィアナコンを返してもらえないのなら、喉から手が出るほどバタンが欲しい。だが、くれと言ってもらえるものでもない。

 なら、パイを大きくするしかない。征服地を広げて、どこかで分け前に与るしかない。


「何より、今に勝る好機が他にあろうか。アルハールは四賢者のうち、三人までを失った。サグィを守るだけの艦隊もない。フマルもかなりの兵を失ったはず。これを見逃せば、また奴らは力をつけて、我々に報復しにくるぞ。先の戦の失敗を忘れたのか」


 残念ながら、これは説得力がある。三十年前、赤の血盟は優勢なままに戦争を終結させた。その過去が今回の反攻を招いた。


「それでも反対ですな。既にこちらはバタンを落としたのです。これでセミンが滅んだわけではありません。しかし、この上なお兵を向けるとなれば、フマルもアルハールも、滅ぼされるかもしれないと考えるでしょう」

「攻め滅ぼしてはいかんのか」

「そうなれば彼らは覚悟を固めてしまいますぞ。何をしでかすかもわからない。今、力で押し潰すのは得策ではないと考えますが」


 ティズが理路整然と異論を述べるのに、アラティサールは溜息をついた。だが、いちいち反論はせず、ただ問題を片付けることを選んだらしい。


「決を採ろう」

「タッサルブ様がおいででないですが」

「いないものは仕方あるまい。ではまず、戦に反対の者」


 ティズは手を挙げた。俺も手を挙げた。だが、他は沈黙した。


「……率いるべき一族を持たぬ者が、一票を投じる資格を持つものか?」

「勲功では、抜きんでておりますが」

「まぁいい。では、戦を続けるべしと考える者。手を挙げよ」


 そう言いながらアラティサールは手を挙げた。一人、また一人と手を挙げる。ハーダーンもおずおずと手を挙げた。遅参に逃走と、アラティサールのやってきたことには納得していないが、ここで戦が終わるのも好ましくない。


「三対二。では、進んで敵を破るべし、だな」

「そこなのですが」


 ハーダーンは口を挟んだ。


「なにか」

「一つ条件があります」

「言ってみよ」

「次の戦は、ニザーンが陣頭に立つべきです」


 これには他の族長達も頷いた。今までろくに血を流していないくせに、何を偉そうに、と。


「もちろん。もちろんだ、ハーダーン。攻めるに難く守るに易いあの要害、ジャンヌゥボンを攻めるのは、我らニザーンだ。そこは約束しよう」


 この回答に、族長達は複雑な表情を浮かべた。

 確かにアルハールの本拠であるジャンヌゥボンは、難攻不落の要害だ。水路に囲まれた大都市で、その城壁は幾重にも重ねられている。あの海賊王ルアンクーも、ここを攻め落としてはいない。圧力をかけて屈服させ、事実上の属国にはしたが、それだけだ。

 しかし、同時にここは東部サハリアで最大の都市であり、つまりはもっとも旨味の大きい場所でもある。そこをニザーンが攻める。手強い四賢者のうち、三人が死んでから。海上を守る艦隊をネッキャメルが打ち破ってから。ずるいとしか言いようがない。


「二手に分かれよう。他はタフィロンを目指してもらいたい。あちらも落とすとなれば、それなりに大変なところにあるからな」


 このままでは会議が終わってしまう。俺は口を挟んだ。


「アラティサール殿」

「なにか」

「今回の戦いでは、ニザーンはともかくハビには助けられた。結果として土の賢者の奇襲を受けはしたが、左翼の陣営は彼のおかげで合流できた。一言、礼を言っておきたいが、今はどこにいるのか」


 すると、アラティサールは首を振った。


「ここにはいない」

「今はどこに」

「一足先に南方に向かってもらっている。敵情を調べよと命じておいた」


 姿をくらませた、か。

 いよいよ怪しい。


 誰もが無口なままに謁見の間を出た。俺は外で待っていたラークに案内されて、ノーラ達に割り当てられた宿舎に向かった。

 頭上の陸橋のおかげで、この大通りに日差しが直接差し込むことはない。色濃い影に染まった石畳を並んで歩いた。


「どうだった」

「戦争は継続のようです」

「じゃあ、望んだ通りということか」


 そう言われて、俺は思わず立ち止まった。


「どうした? フマルを滅ぼしたいんじゃないのか」


 俺の怒りの理由は、主としてノーラやペルジャラナンが巻き込まれたことにあった。ミルークの死も許せるかと言われればそんなことはないのだが、彼は彼の責任を果たしただけともいえる。彼は半ば公人であって、それゆえに生じる負担や犠牲は受け入れなくてはならない立場だ。

 身勝手だ。そのことを恥ずかしいとさえ思う。でも、正直な気持ちだ。俺はノーラ達が命を落としたことに怒り狂っていた。それが今、彼女達の無事を確認してしまうと、宙ぶらりんになってしまったのだ。振り上げた拳を下ろすこともできず、さりとて殴る理由もない。


「わかりません」

「五日前にはあれだけ殺したがっていたのにか」

「僕が戦争に参加すると決めたのは、身内が殺されたからです。でも、その殺されたはずの身内が戻ってきてしまったら、どんな顔をすればいいのか」


 本当に、どんな顔でノーラと向き合えばいいのか。

 俺は、俺の都合で、ただの怒りで、この怪物のような力を振るった。大勢殺した。


 ミルークの死を、公人としての責任、必要な犠牲とみなすのであれば、俺はどうだろう?

 この異常な力を身に宿して生まれてきたことに対する責任はないのだろうか。しかし、それは誰に対する責任かと言われると、途端にぼやけてしまう。ミルークの権威はネッキャメル氏族としての集団的な決定に基づくが、俺の力は、別にこの世界の誰かの合意によるものではない。


「身内というが、ファルス、尋ねていいか」

「なんですか」

「あの、ノーラという少女は、姉妹なのか?」

「いいえ? どうしてそう思うんです?」


 ラークは俺の答えに混乱したようだった。


「いや……二人とも、随分と目鼻立ちが整っているし、黒髪で肌は白い。似通っているところがあるから」

「確かに僕もノーラも、フォレスティアのティンティナブリア地方の出身です。でもノーラはヌガ村の生まれで、僕はリンガ村。ヌガ村はかなり離れた場所にあります。父親も、詳しい説明は省きますが……ノーラの父親はおおよそわかっていますが、僕が生まれた頃に近所にいたとはちょっと考えにくいですし」

「じゃあ」


 彼が確認したいことが他にあるらしい。不思議でならないというように、両手を投げ出しながら彼は訴えた。


「どこが身内なんだ?」

「同じ奴隷収容所で育ちました。ミルークさんのところで」

「それだけか」

「僕にとっては、そうでした。でも」


 そう、本当ならそれだけで終わり。すれ違って終わりの人生だった。


「ノーラは僕と生きるつもりだったみたいで。三年半後に、彼女を買い取った人が亡くなって自由になってから、僕の住むピュリスまでやってきて、また少しの間、一緒に暮らしました」

「少しというのは?」

「一年ほど、ですか。それからまた、僕は旅に出てしまったので。帰国できないかもしれないほど遠くに行くので、彼女に全財産を預けていきました」

「全財産? どれくらいあったんだ」

「預けた財産で再開発されたピュリスの中心街の土地を全部買い占めてしまいまして、よりお金持ちに……」

「はっ!?」


 あちらの事情を詳しく知らなくても、これだけでどれほどの金額が動いたのか、想像してしまったのだろう。


「僕は言ったんです。これからも危ないところに行くことがあるから、僕のことはほっといてくれと。財産も何もかも、全部譲るからと」

「い、い、いやいやいや、いったいいくらになるんだ、それは」

「でも、ノーラは……僕が残した財産も、穏やかな暮らしも、何もかもを捨ててここまでついてきてしまいました」


 そこまで言うと、ラークは押し黙った。それから、静かな口調で言った。


「つまり、ノーラにとっての身内、か。それはそうだな。そこまで大切に思われれば、誰だってその人のことをなくしたくないと思うだろう」

「いいえ」

「いいえ?」

「僕は嫌われてもいい。憎まれてもいい。軽蔑されてもいい。二度と会えなくてもいい。誰と結婚してもいい。何もしてくれなくてもいい。財産も全部渡す。だから、ノーラには今すぐピュリスに帰って欲しい」


 そこまで言い切るのを聞いて、また彼は黙って俺を見つめた。


「どうかしましたか?」

「いや」


 ラークには、よくわからなかったようだ。言葉の意味も、俺の気持ちも通じたはずだが、だからこそ、それをどう位置付けたらいいのかがわからない。


「なぜなんだ」

「なぜって、何がなぜなんですか」


 口篭った彼に、俺は容赦なく指摘した。


「ジルですか」

「……そうだ」


 低い声で、彼は認めた。


「私にはわからない。彼女の気持ちが、まったく想像できない。わからないといえば、君もそうだ。ただ、今の話はかろうじてわかった」

「何がわかったんですか」


 問われると、彼は悩ましそうな表情になった。


「その……なんというか、つまり、ノーラとは血の繋がりはない」

「はい」

「だけど、ずっと傍にいた」

「ずっとではないですが」

「不幸になって欲しくはない」

「ええ」


 彼は決して愚かではない。ただ、求められている言葉が、彼の中にない。それで、何をどう言えば表現できるのか。それがわからず、困っていた。


「私は……」


 額に手をやり、俯き加減になりながら、彼は言葉を絞り出す。


「私は、何不自由なく育った。父は頭領で、母も良家の娘だ。幼い頃から温かな天幕の下で育った。ネッキャメルは偉大な一族で、誰もが強く勇ましいのだと、そう教えられた。私もそんな一族の一員として、強く大きく育つべきだと」

「結構ではないですか」

「今までそれを疑ったことはなかった。運悪く父は早くに亡くなった。私が成人する前、帝都に留学する少し前に。母も、帰ってみると病気になっていた。それでも私のために妻を見つけてくれた。なんとか生まれたばかりの娘の顔を見せてやることができた。でもその後、すぐに息を引き取った」


 俺は頷いた。


「人の生き死にはどうにもなりません。あなたはできる限りの親孝行をしたんです」

「そうだ。父母は死んだが私は生きている。あとは私がネッキャメルの男として、相応しくあればよい。そう思っていた」

「何も間違ってはいないかと思いますが」


 だが彼は首を振った。


「私のどこが男らしいのだ。私だけではない。ネッキャメルの男達もだ……無論、私とて、武芸を磨いたことがないのではない。留学中にも帝都の四大迷宮に挑んだし、有名な剣士の教えを請うたこともある。それもこれも、逞しくなって一族を守れる男になるためだった。父母に恥じない男になりたかった」

「ラークさん、結果が伴うこともあれば、そうでないこともありますよ」

「ああ、誤解させるようなことを言った。そうではない。才能の差は埋めがたい。私は君みたいにはなれない。でも、それを気に病んでいるのではない」


 彼はガランとしたバタンの市街地に視線を向けた。


「戦とは、こんなにも醜いものだったのかと。必要な犠牲だと言い聞かせながら、娘達が凌辱されるのを眺めているだけだった。同胞の女達の遺体を見たとき、とりわけ妻の遺体を見たときには怒りが燃え上がった。絶対に奴らを殺してやろうと」

「自然な気持ちです」

「バタンの南の崖の下には、今もセミンの女達の屍が野晒しになっている。あれが我々の男らしさなのか」


 どうもラークは自分の中で、感情も論点も整理できていないらしい。


「ああ……それでもない。それも大切だが、何より悩ましいのは、ジルのことだ」

「ジルがいることは、ラークさんのせいではないですが」

「君は知っていたのか。ジルが誰の娘であるかを」

「はい。ミルークさんと本人から聞きました。ウォー家の令嬢ベレーザと、ミルークさんの間の娘です。不運な恋の結果ですね」


 手篭めにされたわけではない。最終的に父母が殺し合ったとはいえ。


「これがわからんのだ。私は父母から愛された。同胞から愛された。だから同胞のために働く。戦う。それこそが愛だと思っていた」

「何がおかしいんですか?」

「なら、ジルのことはどう考えればいい? 敵の娘だから殺すのか? 同胞の娘だから愛するのか? でも君は……さっき言った。ノーラとは血の繋がりもない。妻でも婚約者でもない。なのに憎まれてもいい、軽蔑されてもいい、それでも全財産を譲ると。安全なところにいて欲しいのだと」


 彼は頭を抱えてしまった。


「私の知っていた愛とは、いったいなんだったのだ」


 彼は今、価値観をかき混ぜられてしまっている。


 この戦争が始まったとき、彼の頭の中はごくシンプルだった。黒の鉄鎖の連中が、また攻め込んできた。同胞を殺す悪い奴らだ。だから自分は武器を手に取って、同胞を救うために戦う。

 だが、そこにイレギュラーが紛れ込んできた。フィアナコンでも、またここバタンでも、同胞たるネッキャメルの男達は、自分達がされたのと同じことをやり返した。自分の妻が凌辱され、生き埋めにされたことをあれほど嘆き恨んだラークだったが、影の下に躯をさらすセミンの女達を目にしても、気は晴れなかった。むしろ、敵と同じ残虐行為に手を染める同胞の醜さを直視させられた。


 これだけでも「ネッキャメルは誇り高い一族だ」「一族に尽くすのが自分の愛」という認識を揺るがすのに十分だったろう。けれども、そこに俺とジルの存在まで付け加えられた。


 彼にとって、ファルスはギリギリ理解可能なイレギュラーだ。ノーラが殺されたから、その復讐のために戦う。血縁はないが、親しい間柄なのだろう。ここまではいい。

 だがそのファルスは、ラーク自身がやり取りしてきたような交流を望んでいない。つまり、ラークは父母を含めた一族から愛情のこもった援助を受け取り、だからこそ彼もまた、恩に報いる形で奮闘する。ところがファルスは、ノーラに全財産を譲るのに、ノーラからのお返しを欲しがっていない。これはノーラも同様で、せっかくもらった財産や快適な暮らしを投げ出して、つまりはファルスからの援助を一切拒否しつつ、しかもファルスを助けようとする。


 ジルに至っては、完全に理解不能だ。というより、認知することを拒否したくなるのだろう。

 一つの体の中に、敵と味方が入り混じっている。体だけではない。ジルの精神は、明らかにラークを嫌悪していた。にもかかわらず、彼女は二度も彼を救った。しかも二度目には、自ら傷を負って。

 ファルスのそれは、まだ想像できる。血縁はないが、自分の知る愛を拡張していけば、こういう形になるのかもしれない。しかしジルには、ラークの知る愛がない。


「……普通の人は、そんなことを考えなくていいんですよ」


 俺の言葉に、彼は怪訝そうな顔をした。


「月の光を浴びて、静けさの中に佇んでいればいい。愛されるから愛する。愛するから愛される。その中に留まっていればいい。そうじゃないですか?」


 だが、目を背けるという選択肢は、もはやないらしい。

 納得できないまま、彼は俯き、無言のまま、先に立って歩き出してしまった。

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