ティズの疑念

 本当におかしな戦争だと思う。俺が言うのもなんだが、多分、これまでの戦いと比べて、何かのスケールが間違っている。東部サハリアのローカルな紛争なのに、投入されている力の程度というか、基準のようなものが狂ってしまっている。


「突撃用意」


 バタンの城門の前。矢の届かない遠方に、俺達は布陣している。その先頭で、俺は掌の中に青白い火球を浮かび上がらせていた。

 前方を指差すと、いつものように光の球が空気の壁を突き破りながら、あっという間に分厚い金属の扉に衝突する。この一撃で、扉を固定していた蝶番が外れたらしく、派手に左右に弾け飛んだ。と同時に門扉のすぐ上、石のアーチの部分が崩れ、そこに取り残されていた兵士がすぐ下に落下する。


「かかれ!」


 すぐ横にいたティズが号令する。赤の血盟の騎兵……馬を失わずに済んだ幸運な者達は、それを聞くと一斉に前へと駆け出した。既に俺の火魔術によって、敵の射手は城壁の上からほぼ一掃されていた。さしたる抵抗もなく、彼らは城内への一番乗りを果たした。

 居残った歩兵に、タジュニドが呼びかける。


「皆も続け!」


 騎兵だけでは市内の制圧、占領はままならない。最初に騎兵が敵の集団を打破したら、そこを維持するのは彼らの役目だ。

 とはいえ、今となってはもう、大規模な抵抗など不可能だろう。


 南の方、バタンの城市の横を通ってこちらに近付いてくる集団がある。橙色の旗を見ればすぐ区別できる。フィアンの騎兵だ。


「首尾は」

「残念ながら」


 一人、馬を駆けさせてティズの前にやってきたハーダーンは、短く答えて首を振った。


「ムナワールはおろか、アルカンまで取り逃がすとは」

「いや、フィアンの戦士達は勇ましく戦った。恥辱は近いうち、忘れ去られよう」


 まず、アルハールの援軍はほぼ壊滅し、指揮官は撤退してしまった。傭兵を率いていた支族のキジルモクの族長も逃走した。フマルの兵も少数いたようだが、大多数はどうもニザーンの追撃にでも向かったのか、族長ハダーブの姿は、この場には見られなかった。

 要するに、主力をなす竜騎兵が打ち破られた時点で、もはやろくな戦力など残っていない。ブスタンでも、アーズン城でも、そしてフィアナコンでも、大勢の犠牲を出してしまったのだ。残っているのは雑兵と女子供くらいなものだろう。


 普通なら、それでもバタンは落ちない。急な坂の上に聳える城市だ。老兵と女子供しかいなくてもなんとかなる。這い上がってきた敵兵には、熱湯でも浴びせてやればいいのだ。そうして持ちこたえている間に、南からアルハールとフマルの援軍が駆けつけてきてくれるから。

 だが、今回は味方の陣営が態勢を整える時間がない。俺の火魔術によって、城門をこじ開けられてしまったせいだ。戦争と、投入される力のスケールが釣り合っていないとは、こういうことだ。普通なら、寄せる赤の血盟も、破城鎚や投石器を用意して、じっくりとバタンを包囲する。だが、そういう攻城兵器を駆使するにせよ、所詮は人力なので、セミンの側にも防ぐ余地があったのだが。


 そこまで考えて、また一つ、気持ち悪いことに気付いてしまった。あの火の賢者、ナルー。あれだけの火力があれば、アーズン城の門をぶち抜けたんじゃないか? どうしてフィアナコンにとどまっていたんだろう?

 要するに、ムナワールはフマルやセミンといった同盟氏族を信頼していなかった。寝返ったフィアンの兵ともども、ニザーンとネッキャメルの連合軍にぶつけて消耗させる気だったのだ。で、後からやってきておいしいところを奪い取る。そういう腹積もりだったのでもなければ、およそ説明がつかない。


 この状況でもし、あちらに抵抗力が残っているとすれば、あの例の黒い影くらいなものだ。剣も魔法も通用しない怪物なのだから、今、この場にやってきて俺達に襲いかかってきたら、誰にも防げない。だがどういうわけか、奴は姿を見せなかった。


「それで、状況は」


 問われたティズは何も言わず、城門のある方を指し示した。

 ハーダーンは嘆息し、俺の顔を覗き見て、すぐにまた目を逸らした。


「こんな戦は見たことも聞いたこともない」


 ティズは、ただ肩をすくめるだけで済ませた。


 昼過ぎには、市内の制圧も済んでしまった。俺自身、城門をこじ開けるだけの仕事しかせず、あとはティズの横に立っていただけだ。といっても、彼も用事があり、よく本陣を留守にしては戻ってきたりの繰り返しだったが。

 残念ながら、いまだに体調は万全とは言えず、疲労感も少なからずある。それからゆっくり、俺達は城市の内側へと足を踏み入れた。


 大きく破壊されたのは、俺が火球をぶち込んだ入口だけで済んだ。瓦礫の片付けの済んだ門だった場所を通過して、最初の広場を見渡した。槍を手にしたネッキャメルの兵が、血走った目で周囲を監視していた。だがティズの赤い長衣を目にすると、慌てて背筋を伸ばした。

 バタンの城内からすると西の端にある大きな空間だ。この城市の出口は三つしかない。この北門と、外港のサグィに繋がる東側の陸橋と、南側に小さく作られた裏口だけだ。その南の裏口も、すぐ目の前にあるのは断崖絶壁なので、結局は北門のある方にまで回り込まなければ、外には出られない。この広場は、いわばバタンの陸の玄関だ。

 しかし今は、見るも無残な有様だった。南側の壁には、まるで土嚢のように遺体が積み上げられている。ここを守備していたセミンの兵のものだが、金目のものは剥ぎ取られ、血に塗れた衣服だけを身に着けた状態で置かれてある。近くにはセミンの長老と思しき老人が縛られていて、尊大な態度の三人の男達に何事かを問われている。つまり、死体の素性を確認しているのだ。そして名のある人物だと分かった場合には……

 後ろに立っていた二人の男が、死体を引きずって寝かせ、上から斧を打ち下ろした。首を別に除けると、残った胴体をまた山積みにした。


 広場の東側は、大きな石の壁に区切られていた。そこから始まる通りが三つ。但し、騎兵が通れそうな幅広の道は、一番奥に一つあるだけだ。俺とティズ、傷ついたジルを支えるラーク、それと臨時の郎党達は、真ん中の通りに踏み込んだ。日差しが遮られるためか、急に涼しくなる。黒ずんだ巨石でできた左右の壁には圧迫感があった。大人の男がすれ違えるほどの幅はあるものの、天井もあり、薄暗さもあって落ち着かない。

 左右の部屋は、家と呼んでいいのかどうか。天井までの高さは三階建てくらいだが、これはもうアーケードというより、バタンの城塞の土台といっていい。その城塞の一部がそのまま巨石の壁と一体化している。

 しかし、広場に近いこの辺りが商業地域でなかったはずはなく、生活の痕跡が見て取れた。通路の脇には、幅の狭い棚かテーブルでも置きっぱなしだったらしく、石畳がその脚に削られて白くなっている部分が見られる。壁にも看板がかかっていたようで、引っ掛けるためのフックがある。今では扉が蹴破られてどこの部屋も中がよく見えるが、いかにも酒場といった感じの、椅子とテーブルが置かれた部屋もあった。

 しばらく先に進むと、急にまた広場のようなところに出た。といっても、頭上は巨大なアーチだ。そこに採光用の穴がいくつか開けられている。真ん中には大きな井戸がある。南北に開けていて、その向こうに城壁も見える。南側には小さな門扉があった。

 ここまで西側の地区は天井と一体化した四角い部屋が続いていたが、向かいを見ると少し様子が違う。四角いブロックみたいな建物が壁をなしているのには違いがないのだが、その高さが低めの二階建てくらいしかない。では、代わりに何があるかというと、足場だ。背後の壁が天井と一体化しているのに、あちらはその天井が低くなって、そこが通路みたいになっている。そして、その左右に階段があって、この広場と行き来できるようになっている。


「ジル、もう少し頑張れるかね」

「平気」

「ラーク、済まないが、あの階段を登った先に、更に階段がある」

「問題ありません」


 ラークは仮にも頭領だ。本来なら、負傷者の運搬などという雑務をするような立場ではない。だが、今は指揮官の立場からあえて降りているし、それになにより、今回はジルに庇われている。サハリア人の道徳とは、即ち篤い友情だ。それでも普通は、女性の体に気安く触れるものではないのだが、ジルは男の服を着て、戦いという男の仕事に自ら身を置いている。


「では、そこまでわしも行こう」


 先を急がずゆっくり歩きながら、彼は俺に振り返った。


「ファルス君、ここがバタンの中央広場だ」

「はい」

「昔、わしはジャンヌゥボンにいたことがあるのだが、旅の途中でバタンに立ち寄ったこともある。今はこんなだが、なかなか活気のあるいい街だったのだよ」


 言われてみれば、気付くことはある。広場の中には露店がいくつもあったのだろう。折りたたまれた屋台の部品、木のテーブルや日差しを遮る布などが、壁際に寄せられている。普段はここが市民の胃袋でもあり、憩いの場でもあったのだろう。

 だが、ここは敵の街ではないか。なぜそんなことをいきなり言い出すのか。


 広場の東側の階段を登ると、東の街区の陸屋根の上に立った。そこで気付いたのだが、この二階の上の天井は、そのまま東へと続いている。つまり、外港サグィに繋がる陸橋の延長線上にある通路らしい。暗い通路の途切れた向こう、四角く区切られた黒い額縁の中には、こちらでは滅多に見ない茶色い瓦葺きの家々が建ち並んでいるのが見えた。

 脇に設けられた石の階段を登ると、東の市街地を見下ろす二つの塔の片方に行き着いた。開かれた窓からは、雑然とした細かい不規則な通路が見下ろせる。確かに、西側の区域だけではあまりに薄暗くて陰気で、魅力的な街とは言い難い。

 塔の最上階から、西側に向けての渡り廊下が続いていた。それはさっきの中央市場の円錐状の天井の横を通って、長方形の大きな建物へと通じている。何かに似ていると思ったが、あのアヴァディリクの聖女の廟堂にそっくりだった。周囲は石柱に飾られており、天井も四角い陸屋根だ。ただ、あちらのものとは違って、きれいな立方体ではない。すぐ下、土台には三階建て相当の一般の民家があるのだ。それでも高めの天井を備えた立派な建造物であるといえる。

 正面には大きな扉があるが、そちらには立ち入らず、石柱の横を通って右側にある扉に手をかける。木造の、きめ細やかな彫刻の施された美しい扉だ。

 そこは居室だった。天幕を模してのことか、それとも婦人部屋だからか、濃い土色の麻布がかけられていた。


「そこに寝かせよう」


 ようやく目的地に辿り着いたジルは、されるがままに寝台の上に横たわる。


「逃げ場がないような気がしますが」

「既に掃討は済んでおるよ。それに下は騒がしい」


 思うに、この立派な建物は族長のためのものだろう。しかし、そうであればこそか。仮に市街地に寝かせておいたら、うっかり殺気立った一般兵に見つかって、乱暴されないとも限らない。みんながみんな、ジルの顔を知っているのではないから、それこそ人をずっと張り付けておく必要が出てきてしまう。

 ラークはジルに言った。


「何か必要なものはないか」

「ない」


 それで彼は寝台の横にある水差しに手を伸ばした。中には水が残っていた。


「もう一度沸かしたほうがいいか。食べる物も必要だろう」

「済まんがラーク」


 ティズが横槍をいれた。


「これからいろいろと後始末がある」

「はい」

「兵がやり過ぎんよう、お前にもやってもらわねばならん仕事がある」


 それでラークは不承不承、手を引いた。


「済まんがタウル、ディノン。お前達がジルの世話を。ムフタルとフィラックは、念のためだが、塔の出入口を見張っていてくれ」

「あの、僕は」


 するとティズは、無言で俺を差し招いた。仲間達をおいて、俺とティズだけが石柱の脇の通路を引き返し、この建物の正面の扉から中に入った。

 そこは広々とした謁見の間だった。南北方向にはいくつか窓があり、壁面の下半分はクリーム色の石材で、そこには走竜達の姿が美しい浮き彫りにされていた。正面には、なかなか立派な拵えの椅子がある。族長の座だろう。


「そこに座りたまえ」

「えっ?」

「椅子が一つしかないからね」

「それならティズ様が」

「いやいや」


 それで俺は逆らわず、族長の椅子に腰かけた。なんだか急に偉くなったような気がしないでもない。


「今回も大活躍だったね」

「いや、今回ばかりは醜態をさらしました」

「おや?」

「正体不明の黒い影に襲われて……正直、手助けがなければ、死んでいたかもしれません」


 ティズは頷いた。


「三十年前の戦争と比べても、今回は普通ではないようだ」


 彼は太く丸い人差し指をたてた。


「まず、こんなに魔法が戦争で大規模に使われたことはない。君のあれはなんだね? 火の玉をぶつけて城門を叩き割る……あんなのを当たり前にやられては、城やら何やらこさえるだけ無駄というものだね」

「そう、ですね」

「魔法と言えば、敵も普通ではなかった。あの地震と雷もそうだったが、岩山の中で生き埋めになりそうになったり、陣地全体を覆う魔法で矢を跳ね返したり……こんなのは聞いたことがない。いや、今より魔法が普及していた暗黒時代の戦争でなら、実際にあったことらしいのだが」


 今から四、五百年ほど前の話だ。偽帝に始まる大乱の時代からしばらくは、世界中にまだ魔法の知識が行き渡っていた。だから戦争にも、魔法が大々的に用いられていた。


「フィアンの裏切りも、驚くべきことの一つだ。確かにそれぞれの一族が利益を異にすることは珍しくなかったが、しかし……わしはあのアールンとも見知った仲だった」

「そうなんですか」

「サハリア人なら当然のことだがね……彼もまた、家族には深い愛情を抱いていた。それに誇りを大切にする男でもあった。いくら同盟の中での扱いに不満があろうとも、それに黒の鉄鎖が有利だからといって、そうそう寝返ったりするとは思えなかった。疑念はあっても、そうと断じるまでには、ずっと躊躇があったのだよ」


 どうも要領を得ない。俺が眉根を寄せると、ティズはもっと変なことを言い出した。


「で、座り心地はどうかね」

「眠り込んでしまいそうなくらい心地よいですが、それはどういう」

「バタンを君にやろう」


 その一言で、族長の椅子は針の筵になった。跳ね起きて降りようとしたが、ティズはそれを押しとどめた。


「その代わり、教えて欲しいことがある」

「なんですか」

「心当たりはあるかね?」


 奇妙な質問に口篭ると、彼はなおも言った。


「君がこの戦争に参加した理由は?」


 ここまで言われて、うっすらと感じた。

 ティズは俺のことまで疑っている!


「……身内を殺されたからです。いえ、フマルの連中に直接殺されたのではなく、逃げ場がなくて谷の洪水に巻き込まれたせいですが」

「ふむ、身内とは?」

「ミルークさんを別としても、収容所仲間のノーラと、リザードマンのペルジャラナンを」

「リザードマン?」


 目を丸くしたが、そこは大した問題ではないと整理をつけたらしい。


「本当にそれだけかね」

「他に何があるというんですか。言い足しておきますが、ノーラはピュリスでずっと僕のことを待ってくれていたんですよ」


 彼は頷きつつも、一気に言った。


「もし君が利益を得たいと思っているのなら、このバタンとサグィ、それに対岸のサオーの利権もすべて譲ろう。ネッキャメルの支族の族長、つまり頭領の地位もつけよう。これで君も貴族と対等の身分になれる」

「いりません」

「それだけの働きはしてくれた。物惜しみはしない」

「いらないと言ってるんです」

「その代わり、誰がこのサハリアに戦争をもたらしたのか。それを教えてくれないか」


 ティズは真剣だった。いつものゆったりとしたあの穏やかな空気は、いつの間にか失せていた。


「……僕が誰かの回し者だと? タンディラールとか?」

「できれば無条件で信じてあげたいところだがね。勝ったからそれでよしとするには、今回の戦はあまりにおかしい。第一、ムナワールはともかく、あのラジュルナーズが再び戦を引き起こそうなどと考えるはずもない。そしてアルハールの族長が首を縦に振りもしないのに、こんな戦は起こりようがないのだ」

「そんな」

「わしは一族の者達をバケモノ同士の喧嘩に巻き込ませて無駄に死なせたくはない」


 と言われても、俺にもまったくわけがわからない。


「そんな何かがあるのなら、こっちが教えて欲しいくらいですよ」

「よく考えたまえ」


 それだけ言うと、ティズは赤い長衣をはためかせて、謁見の間から立ち去っていった。

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