夜明けの会戦

 馬に揺られて谷間を抜ける。来た時と同じく、砂漠の大地は黄色い光に照らされて、長い影を引いていた。夜明けの空気の流れを感じる。まだ頬に冷たいが、今はそれが心地よい。


 ティズは、土の賢者の包囲攻撃を退けた直後、谷間の入口を塞ぐ傭兵に対して、全力で攻撃を加えた。出口を確保してから短い休憩時間をとり、兵士達には水や食料を食べ切ってしまうようにと命じた。

 彼は勝機を掴もうとしている。どう動くにせよ、備蓄がないこの状況では、じっくり腰を据えて助けを待つなどできない。既に友軍を呼び集めるために人を送ってある。そうして可能な限り多くの味方と合流して、敵を一撃する。仮にフィアナコンまで撤退するにせよ、負けたままで逃げるわけにはいかないからだ。

 その意味で、アルタラバが死んだというのはいい材料になった。アルハールの陸上の中核戦力、魔術兵の指揮官をまた一人倒した。これが兵士達を勇気づけないはずがない。気持ちが立ち直っているうちに覚悟を決めさせる。もう備蓄はない。全力で戦うしかない。そういう状況に追い込む。どのみち、一勝せずには退却すらままならない。


「いっつ」

「平気か」


 馬が揺れて、左の脇腹に引き攣るような痛みが走った。


「済みません、この程度のことで」

「この程度って……穴が開いていたのに、よく言う。それより、俺はプノス様の郎党らしいぞ?」


 俺を馬に乗せてくれているのは、フィラックだ。回復しきっていない俺が一人で馬に乗るなんて無理だ。第一、ここまで逃げてきたネッキャメルの兵には、人数分の馬がない。これはラークが口利きして譲ってもらったうちの一頭だ。


「は?」

「人前だし、そんなキレイな言葉遣いをされると困るな」


 そんな建前に気を配れるほどの余裕はない。だから咄嗟にいつもの丁寧な口調が出てきてしまう。かなり体調がよくなってきたが、やはり槍で貫かれた辺りが、変な癒着の仕方をしたらしい。疼痛がずっと続いている。早いところ、なんとかしなくては。


 すぐ隣をもう一頭の馬がゆっくり駆けている。こちらにはラークと、その背中に寄りかかるジルが跨っていた。

 背中と右肩に石弾の直撃を受けた彼女は、まともに戦える状態ではなかった。俺と違って、すぐに負傷から回復する異常体質など持ち合わせていない。特に右肩がひどく痛むらしく、腕をあげられない。これでは剣も振るえず、矢も放てない。だから、連れてきただけだ。どうせあの場に一人放り出しても、より安全とはいくまい。


 岩場を抜けた。

 ティズは、兵士達がついてくるのを見計らって、左右に命じた。


「角笛を吹き鳴らせ」


 すぐ後ろの岩山に跳ね返されて、角笛の音は遠くまで届いた。


「旗を掲げよ」


 かろうじて手元に残っていた赤の血盟の同盟旗……上が赤、下が白いそれを、兵士の一人が高々と掲げた。

 あとは味方の合流を待つのみだ。俺達は、少し高所になっているこの地点から、昨日の朝まで俺達が布陣していた地点を見下ろした。あれだけ荒らされた陣地だが、今は無人ではないようだ。旗の真ん中に矢を描いたのが見える。あれはフマルの兵だ。先ほど追い散らしたキジルモクの傭兵も転がり込んだらしい。影の長い時間帯ということもあり、蟻んこのような人影が見える。


 ほどなく、遠く左右から砂埃がたつのが見えた。タジュニドやファフルも無事逃げ延びて、兵を纏めていたらしい。それでも全軍が再集結とはいくまい。よくてせいぜい七割か。

 しかも、奇襲を仕掛けられるのでもない。あちらからもこちらが見えている。正面からの対決になるだろう。


 早速、命令を求めて旗の下に駆けつけた二人に、ティズは短く言った。


「すぐに仕掛ける。兵に告げよ。土の賢者アルタラバは我らが討ったと」


 自分達に残された猶予はあまりない。そのことは二人ともよく承知しており、黙って頷いて馬首を返した。ほどなく、ティズはゆっくりと馬を進ませた。同盟旗を持つ男が横に立つ。それに従って、全軍が静かに前進した。


「弓ー、弓ー」


 誰かが歩き回って指示を飛ばし始めた。通常の戦争のセオリー通り、まずは遠距離からのやり取りだ。

 思えば先のフィアナコンではいきなり突撃になったが、あれは例外だった。敵方に強力な火魔術を使うのがいるとわかっていたので、遠間からの撃ち合いに持ち込んでも有利でなかったからだ。ブスタンの時には敵が突撃してきたが、今度は話が逆で、こちらには投石器があり、防御塔もあったので、あちらとしてはとにかくまず距離を埋めたかった。

 だが、今回はこちらがやや高所にいるので、矢の撃ち合いをする意味がある。もちろん、あちらも陣地の柵、つまり遮蔽物を利用できるので、損害覚悟で突っ込んできたりはしないだろう。


 ラークは馬から降り、手を貸してジルを下ろした。彼女は自分の弓に手をかけたが、彼は押しとどめてやめさせ、その場に座らせた。

 俺もフィラックの手を借りて地面に降りた。そこをディノンが弓を手に横切っていく。


「ご安心ください。ジル様の分まで、私が働きますから」


 馬の鞍など、ありあわせのもので遮蔽物を拵えると、彼らはそれを手に前方へと駆け出し、そして斜面を滑り降りて地面に突っ伏した。ディノンの横にはムフタルがつく。射手を守るために盾を持ち、敵が近付けば薙ぎ払うのだ。

 明け方の風も収まってきた。視界も悪くない。沈黙の中で、ついにティズは命じた。


「放て」


 たちまち弓弦があちこちで囀りだした。細長い黒い影が群れなして陣営の向こうへと降り注ぐ……


 その時、風が一吹きしたような気がした。


「伏せろ!」


 思わず叫んでいた。

 俺の直感が当たった。敵の居座る陣地に降り注いだはずの矢が、空中でぐるりと向きを変え、こちらの隊列に向かって突っ込んできたのだ。


「しまった!」


 誰かが叫んだ。

 乗っていた馬の頭部を射貫かれて、ティズが落馬する。ラークが急いで駆け寄ったが、すぐ緊張を解いていた。大丈夫、しっかり見ていた。ティズ本人には矢は刺さっていない。


「何が起きたんだ」


 俺のすぐ後ろでフィラックが嘆息した。


「風魔術……しかも陣地全体を覆うほどの、となれば……あそこには風の賢者が」


 俺は言葉を切った。まさしく陣地の天幕の裏から、くすんだ緑色のローブを身に着けた一団がゆっくりと歩み出てきたからだ。


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 リフ・シャモール (42)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク6、男性、42歳)

・マテリアル マナ・コア・風の魔力

 (ランク3)

・スキル サハリア語   5レベル

・スキル シュライ語   6レベル

・スキル フォレス語   5レベル

・スキル ハンファン語  5レベル

・スキル 指揮      4レベル

・スキル 管理      1レベル

・スキル 弓術      5レベル

・スキル 薬調合     4レベル

・スキル 風魔術     7レベル


 空き(33)

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 一際背の高い痩せぎすの男。ゆったりしたローブを身に着けているのに、それでも細く見える。顔はよく見えない。どのみち頭部はフードとマスクに覆われている。

 彼の左右に、合計三十人くらいの男達が並んで立っている。全員が呼吸を合わせて同一の魔術を行使しているのだろう。恐らく、イフロースが俺に見せてくれた『矢除け』の上位の術、『矢返し』だ。


 その後ろから、弓を手にした軽装の兵士達が走り出て、柵の後ろで矢を番えた。こちらから狙われる心配もないので、まっすぐ立って、体を大きく使って弓を引き絞る。そうして放たれた矢は、こちらの隊列にまで届いた。

 冗談じゃない。つまり、あちらだけがこちらを狙い撃てる。これではいつまで経っても攻め手が掴めない。


 横倒しになった馬の下から救い出されたティズの下に、ファフルとタジュニドが駆け寄ったのが見えた。嫌な予感がして、俺もそちらに向かった。


「突撃の許可を」


 俺が近付くと、ファフルが眉間に皺を作って主張していた。


「近寄れもしないまま時間が過ぎるのはよくありません。兵士達の疲れもあります。犠牲を恐れるのはわかりますが、今、こちらには補給も何もないんです。士気を保っているうちに」

「ふむ……」


 ティズも迷っているようだった。


「お待ちください」


 俺は割って入った。


「風の賢者を除きます。それまで突撃を待ってください」

「何を言い出す」

「突っ込む前にやれることがあると言ってるんですよ」

「作戦に口出しを」

「ファフル」


 そこでティズが低い声で言った。


「プノスに任せてみよう。少しだけ時間をくれんか」

「……ええ、ではあと少しだけ」


 俺はすぐさま身を翻し、挨拶もせず、振り返りもせずに駆け戻ると、斜面に身を滑らせてディノンとムフタルの横に転がり込んだ。


「何しにきやがったんだ、てめぇ」

「風の賢者を片付けに」

「そうですか。でもちょうど今、私がやるところですよ」


 この状況にも、ディノンは落ち着き払っていた。


「どうやらよっぽど強力な魔法で矢を弾き返しているようですが……こういう時、私みたいなのは切り札を持ち歩いているものなんです」


 彼は自信ありげに矢を取り出した。黒く輝くアダマンタイト製の鏃。魔法の干渉を撥ね退ける必殺の武器だ。


「もちろん、当てられなければ意味はありません。ですが、どんなに強力だろうと、魔法は魔法です。当てられさえすれば、こっちのものですよ」

「じゃあ、どうしてさっさとやらなかったんですか」

「誰が魔術師達の指揮官か、よくわからないのです」


 言われてみればそうか。俺はピアシング・ハンドのおかげで区別がつく。この中で突出して能力が高いのはリフだ。だから彼が風の賢者だとすぐわかる。しかし、他の連中からすれば、ただ背が高いだけで服装はみんな同じなので、これと断定するのも難しい。


「あの背の高い男ですよ」

「ああ、そんな気はしていましたが」

「なんでわかんだ、てめぇは」

「ファルス様にはわかるみたいですよ?」


 ディノンは静かに微笑んだ。


「今朝方も、どういうわけか、どこにいるのが土の賢者かを見分けていましたね。タウルに敵の居場所を教えてもらうだけで」

「そんなことはいいじゃないですか」

「はい。的さえわかれば問題ありません」


 そうして彼は、ムフタルが構える盾の横から矢を引き絞り……そして不意に放った。

 矢は、こちらとあちらの陣営の間を突き抜け、まっすぐにリフの胸に迫った。


 それが急に失速し、形を失って落下したように見えた。


「……駄目でした」


 ディノンが唇を噛む。


「今、何が?」

「恐らくですが、矢羽根を叩かれたのだと思います。鏃は風魔術を弾きますが、他は普通の材質ですし……相当な魔力で、かなりの熟練をもってすれば、鏃の後ろの矢羽根だけをへし折ることで、矢の直撃を避けることができるそうですが……あれほどとは」


 アダマンタイトの矢も、必ずしも絶対ではない、か。これがオリハルコンの鏃であれば、むしろ術者に吸い付いたりもするのかもしれないが。

 では、やはりファフルのいうように、無理やりでも突撃するしかないのか? だが、もう夜も明けたこの時間。もしかしたらもう、使えるかもしれない。


「もう一本、あれば」

「アダマンタイトの鏃ですか? ええ」

「僕がやれといったら、すぐ放って欲しい」

「はい?」


 彼は首を傾げたが、大人しく指示に従った。また矢を番え、狙いをつける。

 リフは自分が狙われていることに気付いたが、それでも後ろに隠れようとはしなかった。思うに、アダマンタイトの鏃で狙撃されることなど、とっくに想定済み、対策済みだったのだろう。だが、それが今回は命取りになる。

 簡単な話だ。一日のクールタイムが過ぎた以上、ピアシング・ハンドの使用は可能になっている。急に魔法を使えなくなったら、しかも、集団で行使する『矢返し』の術の中核を占める人物がそうなったら……


「今だ!」


 声をかけられて二、三秒後、やっとディノンは矢を放った。


「お、おぉ」


 ムフタルの盾の隙間から身を乗り出して向こうを見る。まさに長身の男が仰向けになり、緑色のローブがはためいて、すぐ地面にへばりつくさまが目に映った。


「ムフタル、悪いけど走ってティズ様に報告を。まずは矢を」

「おお!」


 俺の横で、ディノンは迷わず矢を放ち続けていた。中心で魔術を展開していた風の賢者が倒れたために、一時的に『矢返し』の効果が消えている。その機会を逃さず、彼は他の魔術師を狙撃し始めたのだ。やがて無防備になったと悟った彼らは、慌てて天幕の後ろへと駆け込んだ。

 その頃には、ネッキャメルの他の兵もそれと気付いて、一斉に矢を放った。再び空を黒く細長い影が覆い、しかし今度こそ、敵の陣営に降り注いだ。


「突撃ー! 突撃ー!」


 遠距離での撃ち合いに勝った。敵が乱れているうちに打撃を加える。今度は口出しする必要はなさそうだった。

 足に力が入らない俺は、いまだに本調子ではない。騎兵が前に出るこの突撃についていくのは難しそうだった。それに、近くには負傷したままのジルもいる。


「あとは任せよう」


 後ろからラークが滑り降りてきた。


「ファルス、俺は行く。ここで待っていてくれ」

「わかりました」


 彼が去ったのと入れ違いに、ムフタルが駆け戻ってきた。


 ネッキャメルの兵は、ここぞとばかりに一斉に高台から駆け下り、陣地の方へと殺到していった。砂塵が巻き起こり、遠くから喚声や呻き声が聞こえてくる。この分なら、この戦い、勝てるかもしれない。

 そう思った時だった。


 岩山の脇から小さな影が走り寄ってくる。小さな黒い蜘蛛を思わせるその姿は、タウルのものだった。


「どうした」


 フィラックに声をかけられて、彼は肩で息をしながらもなんとか答えた。


「伏兵だ。後ろを狙われる」

「なに」


 彼は白い眼をギョロリとまわしながら、早口に言った。


「北の岩山の裏に、セミンの竜騎兵がいたらしい。さっき、回り込んでこっちに向かっているのを見つけた」


 だが、一足遅かった。既にネッキャメルの兵はほぼすべてが元の陣地に向かって突撃を始めている。既に先頭は陣営の中に入り込み、乱戦状態になってしまった。この状態で後背を衝かれるのか。


「わかった」


 少し逡巡したが、すぐに考えは纏まった。

 ここでティズを勝たせないという選択肢はない。俺自身、万全ではない。危険はある。それでも戦わないわけにはいかない。

 なぜなら、今の俺が未知の脅威に直面しているからだ。昨日、俺を追い詰めたあの黒い影……正体もわからない、倒し方もわからない。だが、ミスリルの刃に毒を仕込んだ魔獣なんていないだろうから、あれは人か、人に近い何かだ。奴の目的は不明だが、今でも俺の命を狙っているのではないか。

 だとすれば、味方を減らすリスクは看過できない。ぜひともここは赤の血盟が勝利を収めなくてはならない。


「ディノン、タウル、ジルを物陰に」

「ファルスはどうするんだ」

「セミンの竜騎兵の頭に火の玉をぶちこむ」


 恐らく、それが一番効率的な対応だ。しかし、それで彼らを全滅させるのは無理だろう。


「近付かれたら」

「斬り合いになる。まず指揮官を倒す。そこからはなんとか生き延びるしかない」


 そう長く持ちこたえる必要はない。最初の爆発で、ティズ達も気付くだろう。誰かが兵を率いて後方の敵に当たってくれる。それに期待する以外、ない。


「さあ、隠れて。隠れてください」

「滅茶苦茶だな」


 ムフタルが斧の柄で肩を叩きながら、ボソリと言った。


「ま、一人でフィアナコンを落としたっつう腕を、今度こそ見せてもらおうかね」

「隣にいたら死ぬかもしれない。ムフタルもジルの横に」

「やなこった。セミンのクソども相手に尻尾巻いてどうすんだ」

「俺も行く」


 引き攣った笑顔ではあったが、フィラックもまた意地を張るつもりらしい。

 覚悟があるのなら、それ以上のやり取りは無駄だ。俺は黙って歩き出し、岩の窪みに身を落ち着け、静かに詠唱を重ねた。


「来た」


 手の中で青白い光球が浮かびあがった頃、一軍の走竜の群れが斜めに陣地へと殺到するのが遠くに見えた。

 俺は、集団の真ん中を指差した。北東方向から駆ける敵兵は太陽を背負っていたので、俺が放った火球はすぐ光の中に紛れてよく見えなくなった。だが、それも一瞬のこと。

 爆音が轟き、黒い土砂の舞い上がる様子がここからでもよく見えた。だが、俺は窪みの中にしゃがみ込み、もう一発を浴びせようと急いで詠唱を重ねる。


「気付かれた」

「落ち着け。まだこっちとはっきり見えてるわけじゃねぇ。キョロキョロしてんぞ。頭出すな」


 二発目の詠唱が終わった。


「もう一発ぶち込んだら、さすがにこっちに来る。そうなったら、多分あともう一発で終わりになる」


 宣言してから、俺は身を乗り出して敵の集団を指差した。

 避けるより、近付いてきた火球が炸裂するほうがずっと先だ。またもや何人もの兵士が宙を舞い、巻き込まれた走竜がよろめいて倒れる。

 朝日を浴びる黒いシルエットが遠く、身振り手振りでやり取りしている。それがこちらを指差した。


 もう一発。

 だが、今度はさほどの効果もあげられなかった。どこから撃たれているかを知った今、彼らは適度に散開した状態で、こちらを覆い包むようにして駆けてきている。


「二人とも、覚悟を」

「へっ」


 ムフタルが鼻で笑った。

 赤茶けた岩場をものともせず、走竜の巨躯が大きな影をなす。俺達は静かに岩の窪みから這い出た。そして正面から待ち受ける。

 俺の姿に気付いたそいつは、走竜の歩調を緩めさせた。そして配下の竜騎兵を従えつつ、俺を取り囲む。


「貴様は」

「昨日出会って、今日お別れだな。タリアンといったか」


 一人だけ、黒い革製の鎧を身に着けた竜騎兵。大戦士長のタリアンは、俺を見下ろしつつ、何事かを言おうとして口を開いては閉じた。


「なぜ生きている」


 やっと言った。疑問だらけで、他に言葉が出てこなかったのだろう。


「早合点などするものではないな。これでお前は恥をかいた。手柄なんかなかった」

「ふん」


 昨日のとは別の走竜に跨り、長い槍を手にした彼は、不機嫌を隠そうともしなかった。


「構わん。今日、ここで始末をつければいい」

「そうだな。急がないと、せっかくネッキャメルの背後を取ったのに、意味がなくなる」

「ぬかせ」


 両足で走竜の肩を締め付け、槍を構え直す。


「昨日のあの深手だ。今日まで生きていたのは驚きだが……いや、さすがはあのアネロスの息子か。あの火魔術といい、ただの強がりとはいえ、大したものだ。戦士として、気高く死なせてやろう」


 俺も剣を抜き放つ。

 その瞬間、剣身の白い光が目に映る。途端に意識の何もかもが真っ白に塗り潰された。


「覚悟!」


 地響きをたてつつ、タリアンとその走竜がまっすぐに突っ込んでくる。

 肩の力を抜く。右に体を揺らし、不意に左に身を翻す。走竜の頭突きが袖をかすめる。地面の上を一回転して立ち上がると、同じく走竜の上から投げ出されたタリアンが、慌てて槍を投げ出し、腰の剣を抜き放っていた。


「おのれ!」


 さっきの交叉の瞬間、俺はあっさりと走竜の首を刎ね飛ばしていた。この剣は、そういう剣だ。その気になれば、この世のほとんどのものを、全部纏めて両断することができる。

 しかし、タリアンの剣に関しては、少し骨が折れそうだった。というのも、その剣身は濁った灰色だったからだ。アダマンタイトを含む材質だと一目でわかる。魔術を阻害する性質を備えているようだが、もしかするとこの剣に宿っている腐蝕魔術の力も抑制するかもしれない。


 俺の力量を悟った彼に油断はなかった。にじり寄りながら、少しずつ間合いを詰める。

 敵の竜騎兵は周囲を隙間なく埋めているが、手出しはしてこなかった。おかげでフィラックもムフタルも襲われずに済んでいる。もっとも、二人が俺に加勢したら、こいつらも雪崩れ込んでくるのだろう。彼らが動かないのは、リーダーであるタリアンへの信頼と、その名誉のためだ。


 俺が万全な状態なら、なんてことはない。だが、正直なところ、さっきの走竜の突進をやり過ごすのも、ギリギリだった。袖をかすめる感触に、一瞬、避けきれなかったのではないかとさえ思ったのだ。

 体力もそこまで残っていない。今できる全力で、一撃で決める。


 いつの間にか頭上の藍色は残らず消え去り、いつもの青空に変わっていた。夜明けの風は止み、空気の流れも緩やかになっていた。時の流れまで、止まってしまったように思われる。

 瞬き一つしない。皮膚と空気の境目もなくなって、渦巻く動と沈み込む静が、毎瞬間の可能性を刻みながら流れ去っていく。思考はなく、ただあるがままの答えがそこに置かれる。


 タリアンの剣が、鈍く朝日を照り返した。

 その白い光が目に映ったとき、俺は地を蹴っていた。


 低い姿勢からの予備動作のない薙ぎ払い。にもかかわらず、彼は横ざまに剣を構え、よく受けきった。剣というより空気そのものを打ち据えたような音が響き渡る。

 その時、サハリアの砂漠に君臨するあの竜巻が、俺の身に宿った。


 敵を葬るつもりのない剣などない。いかなる一撃も必殺の意志によって繰り出される。そこに偽りはない。

 だからこそ、この剣は避けられない。


 後ろに残した左足を軸に、俺は身を翻した。竜巻が砂塵を巻き上げるように、命もまた剣に吸い寄せられた。

 手足が伸び切ったと感じた時、その白刃の向こうには無機質な青空が広がるばかりだった。そこに唐突に赤黒い血液が溢れ、撒き散らされる。


 何かが地に落ち、黒い甲冑を纏った大きな体が、初めはゆっくりと、急に勢いをつけて仰向けに転がる。

 その瞬間、誰もが黙りこくった。


 続いて嘆きの声が、怒りの叫びがあがる。

 だが、セミンの兵士達は、誰もが逆上しつつも、混乱していた。


 俺は改めて剣を構え直し、周囲の騎兵が迫りくるのを待った。だがその時、後方から別の騒ぎが巻き起こった。

 異変に気付いた誰かが、手勢を率いて後方の敵に立ち向かったのだ。たった今、指揮官を失ったばかりの竜騎兵達は、何をどうするかの判断も下せないまま、それでもバラバラに目の前の敵に突きかかっていった。


「もう十分だ! 二人とも! 切り抜ける!」

「任せろ!」


 ムフタルが先頭に立ち、盾を掲げて敵勢の薄いところを狙って身を躍らせた。俺とフィラックはそれに続いて駆け抜け、遮二無二剣を振り回した。

 敵もこちらを深追いはせず、しばらくして高台の一角にまで走り抜けることができた。


「見ろ」


 フィラックが遠くを指差す。


「決着だ」


 前後から敵に挟まれる格好になったネッキャメルだが、陣営の背後から、間の岩山を迂回したフィアンの騎兵が迫ってきていた。兵数にさしたる差はなくとも、本陣の方は風の賢者を、援軍もタリアンを失い、統制を失っている。この野戦における結果は、もはや明白だった。


「まだだ」


 俺は剣を腰に納めながら、疲れを感じる足を前に踏み出して言った。


「奴らに逃げ込む時間は与えない。今日こそバタンを攻め落とす」

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