一夜の防衛戦

 それは槍の穂先か、王冠か。険しくそそり立つ岩山、その黒いシルエットの狭間から、暗い茜色に染まった空を見上げる。

 決して広いとは言えない空間に、大勢の男達がひしめきあっている。馬や駱駝も、失わずに済んだ分は一緒だ。日中の戦闘で傷ついた兵が、仲間達から手当てを受けている。空気の流れのないこの狭い岩山の奥には、男達の吐息が充満していた。

 横たわる俺の耳元に、砂利を踏みしめる音がした。視界に赤い長衣の裾が映る。


「生き延びていてくれたか。朗報だね」

「ティズ、様」


 俺は起き上がろうとしたが、彼はそっと手を突き出し、押しとどめた。そうしてその場に膝をつく。


「面目ありません。一日でバタンを落としてやろうと意気込んでいたのに、これでは」

「こういうこともある。第一、これはわしらの戦だよ」


 ティズは穏やかな笑みを浮かべて、そう言った。


「ラーク、それに他の皆も、よくここまで頑張った。なに、勝負はこれからだ」

「よくご無事で」

「念には念を入れておいてよかったよ」


 ティズの大天幕は焼け落ちていた。つまり、セミンの竜騎兵が最初に殺到したのがあそこだったのだ。最初から大将首を獲りにいくのは当然の作戦なのだから。

 しかし、ティズの用心深さが命を救った。夜間の執務が終わると、彼は大天幕を空にして、別のテントの中でこっそり仮眠をとることにしていたらしい。それでまた、夜明け前に大天幕に戻るということを、ここまでずっと続けてきていた。


「ところで、ティズ様」


 ラークは疑問を口にした。


「ファフルやタジュニド様は」

「連絡がつかない。わしの手元に残った兵も、せいぜい三割ほどだ。あの地震と落雷で何もかもが滅茶苦茶になった」


 つまり、ネッキャメルの左翼勢は寸断され、互いに連携することもできず、小さな戦力のまま、個別に敵と相対しなければならない状況に置かれている。


「だが、ここはちょうどいい広さだ。三方をこれだけの断崖絶壁に囲まれていれば、さすがに背後を取られるという心配はない。ただ、入口を押さえられたら袋のネズミだがね」

「それなのですが」


 ディノンが口を挟んだ。


「確かにここは天然の要害……ちょっとした城みたいなものです。ですが、援軍のあてはあるんですか。出ようにも出られないのでは、糧食もろくにないのですから、そのうち……」

「うむ。一応、何人かを伝令として遣わした。それに、ハビも顔を出した」

「ハビ?」


 俺は眉を寄せた。


「もともとはもう少し手前の岩山のあちこちに分散して潜んでいたのだよ。早朝の奇襲でわしらは混乱しておったからね。互いの顔も見えず、仲間を呼び集める余裕もなかった。だが、夜が明けてしばらく、少数の供と共に潜んでいるところにハビがやってきて、もっといい場所があると教えてくれたんだ。それがここで、それから彼はバタンの北の岩山に潜んでいたネッキャメルの兵をここに集める手伝いをしてから、アラティサールに支援を求めに走り去っていった」


 俺を挟んでティズの向かいにしゃがみ込んでいたムフタルが言った。


「するってぇと、俺らと別れた後か」

「聞いている。君らも会ったのだね」

「ああ。あの例の正体不明のバケモノに襲われた後に、タウルが見つけたんだ」


 ティズは嘆息して俯いた。


「ならばハビの報告は事実だったか。まさかファルス君がやられるとは……もうあの様子では助からないだろうと言われていたから、信じたくはなかったのだが……生きている君と出会えたのは幸運だったよ」


 しかし、だとするともう半日ほど経っている。俺との遭遇は別としても、あっさりティズを見つけ、岩山に潜んでいたネッキャメルの兵をやすやすと一ヶ所に集結させたハビが、半日経ってもアラティサールをここまで引っ張ってこない?

 どうにも引っかかる。ではニザーンの軍勢は壊滅したのか。それとも撤退する騎兵に追いつけないだけなのか……


「今、こちらはどういう」


 俺が尋ねようとしたとき、離れたところから大勢の男達の叫び声があがった。


「ふむ、また寄せてきたか」

「敵ですか」

「うむ。傭兵どもだ。キジルモクのな」


 そう言いながらティズは立ち上がった。


 できることなら、ここで力になりたいところだが、今もって俺は回復していない。

 思うにこのトロールの超回復力は、毒によって損傷を受けた臓器を修復はしてくれるのだろうが、毒そのものを浄化する代物ではないらしい。つまり、それによるダメージを受けきるまでは、俺は元通りにはならない。

 それにまた、セミンの大戦士タリアンの槍を受けた腹の調子もよくない。なんというか、疼くような変な痛みが止まらない。恐らくだが、傷口を塞ぎはしたものの、例によって変な癒着の仕方をしたのではなかろうか。どこかで『魔導治癒』に付け替えれば、治せるかもしれない。

 どうしたものかと首を回すと、ムフタルが頷いた。


「んじゃ、俺ぁ行ってくるわ。んで……んー、タウルとジル、お前ら悪ぃがこいつ見ててくれねぇか」


 俺の考えていた通りに仕分けてくれた。この戦い、ティズがやられたら負けだ。どうもアラティサールは頼りにならないし、ハーダーンは一族を守ることを最優先しているので、他が敗れれば降伏を受け入れると思う。


「あっ、おい、御曹司」


 ラークに向かってムフタルが言い放つ。


「あんたも下がっててくれ」

「何を言う。私とてネッキャメルの男だ。前で戦う」

「朝から張り切りすぎなんだよ。自覚ねぇんだろうが、あんたもうヘバってるぜ」


 これはその通りだ。

 ここまで逃げてくるまで、あちこちを経由しながら半日もかかっている。さすがにフィラック一人では俺を背負いきれなかった。代わりに俺をここまで運んだのはラークだ。

 本人はわかっていなくても、そこは経験豊富なムフタルのこと、気付いてしまう。


 横合いから声がとんだ。


「そうしてくれると助かる」


 ラークは顔を強張らせたが、ジルが助け舟を出した。


「ファルスを運ぶのは、私には堪える。それに、下の世話をタウル一人に押し付けるのか?」


 そうやって皮肉まで付け加える。

 やむを得ず、ラークはその場に座り直した。


 さて、相変わらず体の怠さ、節々の痛みはなくならず、力も入らないが、落ち着いて考える余裕が戻ってきた気がする。

 これはどういう状況だろうか?


 おかしな点を並べてみる。

 まずは今朝の奇襲だ。いきなりの地震と雷、そして暴風は、二人の賢者の魔法によるものだろう。しかし、それで結論とするには、威力が桁外れだった。火の賢者も決して弱くはなかったが、ここまでの力があったかといえば、どう考えてもそんなはずはない。といって、自然現象だったとするのもあり得ない。タイミングよくセミンの騎兵が攻め込んできたこととの整合性が取れないからだ。

 次に、あの黒い影だ。最初は、墨の入り混じった水滴みたいなのが岩の影に見えていただけだった。それが、俺が詳細を確認しようと身を乗り出すと、急に大きな膜みたいに広がって、渦を巻きだした。何が不思議だったかといえば、俺が切りつけても手応えがなかったのに、あちらの一撃は俺に突き刺さったところ。ディノンの矢はもちろん、俺の魔法の矢まで素通りした。


 あんな魔物がいるなんて、初耳だ。いや、どう考えてもあれは、この砂漠にもともといた怪物なんかではない。十中八九、俺を殺しにきたのだ。

 もっといえば、あれは怪物ですらない。人間なのではないか? ミスリル製の刃、それに毒。そんなものを魔物が持ち歩いているだろうか。

 だが、誰が何のために?

 使徒ではない。龍神でもない。贖罪の民でもないだろう。そしてサハリアの豪族達に、あんな真似ができる手駒がいるとは考えにくい。


 そして最後にハビだ。

 彼は俺があの黒い影にやられた直後に顔を出した。普通に考えて、黒い影に奴が関与している可能性はある。しかし、そうするメリットがどこにあるのだろう? 実は彼が黒の鉄鎖から送り込まれたスパイということは?


 ハビはアラティサールに仕えている。少なくとも表向きには、赤の血盟を勝たせるために働く立場だ。そして現に、ティズをこの格好の拠点に案内し、ネッキャメルの兵をかき集めるのに貢献もしている。そして援軍を呼ぶためにここを立ち去った。明らかに有用な働きだ。

 もちろん、不可解な点もある。彼がここを去ってからかなりの時間が経つ。少なくとも昼から夕方になるまでのこの長時間、どこで何をしているのだろう? しかし、途中で戦死した可能性もあるし、ニザーンが大敗を喫して散り散りになって逃走している状況であれば、彼も我が身可愛さで一人で逃げ去るかもしれない。

 だが、彼が本当に黒の鉄鎖の側についているのなら、ティズに抵抗を継続させるような、こういう助力はしない。最初の潜伏場所にいる時点で、ムナワールなりタリアンなりに告げ口して、一気にティズの首を取ればいいからだ。もっといえば、ファルスが負傷したという情報だって、いちいち伝えてやる必要はない。


 離れたところから、鬨の声が聞こえてくる。

 戦っているのはネッキャメルの戦士と……アルハールの支族、キジルモクの頭領アルカンだ。彼が率いているのは部族の兵ではなく、あの傭兵部隊だ。少し前までドゥミェコンにいた……すると、運が悪ければ、あの中にキースやガッシュが混じっていたのかもしれない。

 そこまで思い至ったとき、やたらと居心地の悪いものを感じた。やはりというか、何かの作為を感じる。この戦役は、自然と生じたものなのだろうか。


 頭上の茜色が藍色に染まる頃、戦闘も終わったらしい。静けさの中、ディノンが一人だけ戻ってきた。


「どうした? 他の連中は」

「引き続き、谷の出口を見張っています。みんな無事ですよ」

「よかった」


 とするなら状況は悪くない。

 明日の昼くらいまでに援軍が駆けつけないと厳しいだろうが。あの夜襲で糧食の多くを失ったが、右翼に最低限の分量が残されていれば、フィアナコンまで撤退するくらいは賄える。追撃を防ぎつつの撤退戦は過酷だろうが、それも全軍が集結して整然と行えば、犠牲は最小限で済む。

 それまでに、この体が少しでも治っていればいいのだが……


 小さな安心感からか、俺は綿毛のように意識に絡みつく眠気に沈み込んでいった。


 どれくらい時間が過ぎたのか。

 小さな震動が、俺の意識に小さな火を点した。


 暗い夜空はいまや、岩山の王冠の輪郭をもぼやけさせていた。まだ真夜中か、夜明け前だろうか。

 俺のすぐ横に、消えかけた焚火があった。体の上には襤褸布がかけられている。俺が眠ってしまったので、誰かが気を遣ってくれたのだ。周囲にいるジル、ラーク、タウル、ディノンの四人は、器用にも座ったまま眠っている。

 全軍が寝惚けているはずもなく、何人かは南側の谷の出口付近に立っている。


 誰も気付いていない?

 しかし、震動は一瞬だった。昨夜のような地震とは違う。それでも、何か不自然な気がする。


「ジル、ジル」


 俺は起き上がった。まだ体に力は入らないが、身動きできる程度には回復していた。


「起きて。何かがおかしい」

「ん……」


 その時、また小さな揺れを感じた。

 俺は周囲を見回した。南側に小さな出口があるだけの、岩山のど真ん中。天然の要害といえば聞こえはいいが、つまりは岩と土の監獄。


 ふと、脳裏に記憶が甦る。人形の迷宮の深部で、ビルムラールがみせてくれた魔法だ。ギザギザの岩を呪文と触媒で、滑らかな階段に変えた……


「まずい」


 直感した。

 ここは死地だ。


「三人とも、起きろ! 敵だ! 敵がくるぞ!」


 そう俺が叫んだ時だった。

 離れたところから、パラパラ、カツカツと何かが弾ける音がした。


 ヒュッ、と眼前を何かが横切る。足下の岩盤に弾き返されたのは、石の塊だった。


「避けろ!」


 ジルの声がしたかと思うと、俺はラークと共に押し倒されていた。


「うっ、ぐ」


 小さな呻き声がジルの口から洩れる。

 降り注いだ石弾から、咄嗟に俺とラークを庇ったのだ。


「そんな」


 ラークは半身を起こし、信じられないというように彼女を見た。だが、タウルが背後から忍び寄って、ラークを無理やり地面に伏せさせた。


 いつの間にか状況は最悪になっていた。要するに、ここにティズを含むネッキャメルの敗残兵が立て籠もっているのを知ったアルハールの族長代理のムナワールは、南の出口をアルカンの兵で封鎖させつつ、こちらの耳目をそちらに向けさせた。そして裏から土の賢者率いる魔術兵を送り込んだ。

 彼らは、ビルムラールがしてみせたのと同じやり方で、岩山の裏に階段を作って登ったのだろう。つまり俺達は、こちら側からでは這い上がれない密室に閉じ込められた。そこに上から石礫が降り注ぐ。

 いや、それだけでは終わらない。


「見ろ」


 タウルが指差した。


「岩山の形がおかしくなっている」

「なに」

「夕方に見たときより丈が高い。反り返っている」


 魔術兵達が詠唱を重ね、儀式を続けることで、岩山は更に大きくなった。もうあと少しで、この岩山は自重を支えきれなくなるだろう。要するに、ティズを含むネッキャメルの兵は、丸ごとここで生き埋めになる。


「敵は」

「あそこにいる」

「撃ちます」


 ディノンは矢を番え、慎重に狙いをつける。そして放った。

 だが、それは不毛な努力だった。そこには確かに黄土色のローブを身に着けた魔術兵が立ってはいたのだが、そいつは自らの魔法で作り出した土の壁に守られていた。いくらディノンでも、相当な距離があるのに、目だけ出している相手を的確に射貫くのは難しい。


 どうすればいい?

 まだピアシング・ハンドのクールタイムは終わっていない。俺の身体能力も回復していない。魔術なら何とか使えるはずだ。とりあえず、土の賢者だけは倒してしまわなくては。さもないと、岩山の成長が止まらない。このままでは全滅が避けられない。


「タウル」

「なんだ」

「敵がいる場所を、片っ端から教えてくれ」


 ざっと見ても、俺ではすぐに見分けがつかない。仮に暗視能力があっても、そもそも魔術師達は岩山の形を変え、自分の姿を隠しているからだ。だが、誰かがいると認識できさえすれば、ピアシング・ハンドが相手の能力を映し出してくれる。つまり、それが賢者かどうかを区別できる。

 最初の一撃で賢者を葬ることが肝心だ。もしこちらの火力を知ったら、彼らは石弾での攻撃をやめる代わり、一歩下がった場所から岩山に魔力を注ぐだろう。そうなったら本当に手立てがなくなる。


「あれだ」

「次」

「あそこ」

「次」

「こっちにも」

「そいつだ」


 能力を見た。他より優秀で、先の火の賢者とも大差ない。


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 アルタラバ・トゥプロック (43)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク5、男性、43歳)

・マテリアル マナ・コア・土の魔力

 (ランク4)

・スキル サハリア語   5レベル

・スキル シュライ語   6レベル

・スキル フォレス語   4レベル

・スキル ハンファン語  4レベル

・スキル 指揮      3レベル

・スキル 管理      2レベル

・スキル 槍術      3レベル

・スキル 鍛冶      3レベル

・スキル 大工      2レベル

・スキル 土魔術     7レベル


 空き(33)

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 俺は手近な薪を焚火の中に放り込んだ。程なく火はより強く激しく燃え上がるだろう。


「ラーク、ジルをここから遠ざけて」

「何をする」

「火魔術で賢者を倒す。こちらが注目されるかもしれないから」

「わかった」


 焚火でカモフラージュしながら、俺はその場にとどまって詠唱を続ける。手の中に小さな光球が浮かび上がる。指輪の色は暗い赤から橙色、黄色、白と変わっていき、ついに青白い輝きを帯びるに至った。

 もはや敵もこちらが目覚めているので、取り繕うのをやめたらしい。地響きがひっきりなしに続く。岩山は目に見えて成長し、俺達の頭上に届こうとしていた。


 この一撃で倒しきる。

 俺はアルタラバを指差した。その瞬間、指先にとどまっていた青白い火球は、束縛から解き放たれたかのように空を裂いた。


 爆音が轟く。その後では、ピアシング・ハンドの表示は見て取れなかった。


 俺はふらつく足で焚火の傍を離れた。一呼吸おいて、予想通り、そこには石礫の山が降り注いできた。


「タウル、他の敵の居場所を」

「わかった。あっちだ」


 俺達を取り囲む魔術兵は、一人残らず倒す。

 詠唱を重ねると、俺は次の弾丸を叩きつけた。その横で、ディノンも矢を番え、放つ。


 黒い夜空が再び藍色に染まる頃、岩山の狭間には静寂が戻っていた。

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