敵を見逃すことなかれ

「これは……」

「アテが外れたな」


 眉を寄せて周囲を見回すディノンに、溜息をつくラーク。

 こちらにも地震の影響はあったらしく、いくつかの天幕が支柱をへし折られて潰れている。ただ、幸いなことに火災は起きなかったらしく、物資が散乱しているだけだ。麦粥の材料になる小麦の詰まった麻袋も、手付かずのまま、転がっている。

 ただ、戦闘はやはり起きたようで、足下には黒い血の痕が残っている。天幕の裏には横倒しになった馬や兵士の遺体もいくらかは見つかった。


 要するに、右翼の陣営も、左翼ほどではないにせよ、ひどい状態だった。

 ついでに俺もひどい状態だった。毒がまわり続けているらしく、だるくて力が入らない。平衡感覚もなくなって、ずっとクラクラする。自力ではフィラックの背中に縋りつくことさえできず、ロープで固定してもらっている。それでもずり落ちそうになるので、気付いたジルが引っ張り上げてくれる。まさしくお荷物そのものだ。


「これだけの地震だったのに」


 ジルが手で目元を覆いながら、東の岩山を見上げた。


「バタンは無傷……か」


 やはり、これは魔法の力で引き起こされた災害とみるべきだろう。それにしても、なんという規格外な力なのか。いくら人数を集めて儀式で魔法を使ったといっても、これほどの結果を出せるものだとは。みんなは賢者の魔術だと納得していても、俺が納得できない。しかし、そういう引っかかりはあっても、今の俺にはじっくり考えるだけの余裕がなかった。


「風が出てきた」


 タウルが短く指摘した。

 そもそもジルが目元を庇っていたのも、それが理由だ。俺達があの黒い影に襲撃された時点では風がやみ、砂嵐も収まっていたのだが、こうして右翼の陣営に辿り着いたところで、また風が強まってきたのだ。


「こいつぁ、アレだな」


 ムフタルが考えを述べた。


「多分、フィアンの連中は、西側の岩山の中に逃げたんだ。それで敵をやり過ごした。セミンの連中も、後始末がつかねぇんで、ここの荷物も拾わず追っかけてるってことなんだろう」

「そんなところだろうな」


 足場が悪く、障害物の多い閉所に篭って、ゲリラ的持久戦を繰り広げている、といったところか。いったん本陣を放棄してでも、人的被害を避けたのだろう。

 どちらにせよ、この状況では、支援を得るなど考えられない。


「だったらとっととトンズラしようぜ。こんなところいたっていいこたぁねぇ」

「フィアンや他の氏族の兵が戻ってくるかもしれない」


 俺を背負ったままのフィラックが口を挟んだ。

 その指摘に、ムフタルは真顔に戻って数秒間、考え込んでいた。


「あー、そうかもな」

「だったら、この辺で隠れて待つというのも」

「いや。そういうことなら、俺ぁ尚更、他行ったほうがいいと思うけどな」

「それはどういう」

「シッ」


 そのやり取りを、タウルが止めた。

 彼は手を耳元にあて、じっとしていた。それで察する。誰かが近付いてくる。一人ではない。多くの足音、それに……


「クソッ」

「逃げよう」

「もう間に合わん。隠れたほうが」


 岩場から離れたところにある陣地だ。走って逃げたところで、見咎められてしまう。それにどうも、物音から判断すると、騎兵もいるらしい。発見されたら、すぐ追いつかれる。

 この風がなければ、もう少し早く敵の接近に気付けたかもしれなかったが、もう後の祭りだ。


 タウルが、半壊した天幕を指差した。辛うじて這って入ることはできるが、布地がひっつれているところもあり、入口を閉じることもできない。いや、だからいいのか。簡単に見えそうな場所には人は隠れないだろう。誰もがしばしばそう考える。

 全員が中に収まると、タウルは割れた木の板を持ち込んで、小さくしゃがみこむ俺達の手前に、さりげなく立てかけた。こうすれば、天幕の隙間からちょっと覗いたところで、見えるのは板だけだ。調べた気にさせてしまえばやり過ごせる。


 そうしてしばらくすると、聞き慣れない声が聞こえてきた。馬の嘶きに近いが、それよりもっと喉を押し潰したような、それこそ大きなカエルを踏み潰しでもすれば聞かせてもらえそうな、ゴムをガラスに擦りつけたような響きだ。

 姿は見えずとも、これで誰がやってきたかがわかった。セミンの走竜だ。


「止まれ! 止まれ! 全員止まれ!」


 天幕の外で、怒鳴り声がする。それが一言ずつ、俺の頭を揺さぶって、頭痛の原因になる。


「タリアン様!」

「湯を沸かせ! 走竜にもここで食わせろ!」


 声色からして男らしい、低音の力強い声が号令した。


「鹵獲品を数えなくても」

「少しくらい構うまい。今まで狭いところでずっと我慢させていたのだからな。それに走竜の扱いくらい、上はわかっているはずだ。こいつらにはたっぷり食わせんとな」

「ははっ」


 なるほど、セミン氏族の誇る機動兵器にも泣き所はある、ということか。馬より速く、駱駝より強い。けれどもとにかく大食らい、と。もしかすると、それなりの運動量も必要なのかもしれない。


 それから、あちこちの天幕の中を検めるのが物音でわかった。陣中で使う大鍋を探してきては、そこに小麦と水をぶちまける。ガランガランとうるさくやられるのが、とにかく頭に響いた。

 誰かがこの天幕の中を覗きこんだらしい。砂を踏みにじるのが間近に聞こえた。だが、そのまますぐ去っていく。


「お前らも今のうちに食っておけ」

「助かります」

「夜明け前から動きづめだからな……そろそろ一息入れたいところだろう」

「風が強いですが、火がつきますか」

「駄目なら干し肉でも引っ張り出して食え。何も腹に入れないよりはましだ」


 とすると、彼らはネッキャメルの左翼陣営を打破した後、こちらの右翼にとって返して、フィアンを中心とした同盟軍も追い散らしたことになる。

 ニザーンは、アラティサールは何をやっているんだ。盟主なら、せめて友軍を救ったらどうなんだ。


 それから間もなく、俺の耳には、波打ち際の潮騒にも似た物音がワンワン反響しながら轟くのが聞こえてきた。実際には、単に休憩中のセミンの兵士達が雑談しながら食事をしているだけなのだろうが、俺にはそういう風に聞こえたのだ。

 もう、どうでもいい。ここで休憩を済ませたら、どこかに消えてくれ。


 だが、そんな平穏は、けたたましい鳴き声に引き裂かれた。


「どうした!」

「済みません、走竜が」

「誰のだ」

「コティランです。今朝の襲撃で」

「ああ」


 俺達は息を詰めて、外の様子に耳を傾けていた。


「どうした、大人しくしろ」


 どうやらその走竜は人の命令を受け付けないようだ。低い呻き声をあげつつ、荒れ狂っている。


「こらっ、どこへ行く」

「待て」


 さっきタリアンと呼ばれていた、指揮官らしい男の声が、そのやり取りを咎めた。


「済みません、こいつが言うことをきかなくて」

「走竜なら、主以外の言うことをきくはずもない。それより、様子がおかしいな」


 不気味な沈黙が場を覆った。


「好きにさせろ」

「えっ、でも」

「暴れたらその時はその時だ」


 鋭い爪が固い砂漠の地面を引っ掻くのが聞こえる。それがだんだんと近付いてきて……


「グェ」


 俺達のいる倒れかけた天幕のすぐ目の前、その半開きになった入口のところから、走竜の声がした。


「グェッ!」


 次の瞬間、そいつはまっすぐこちらに向かって突進してきた。当然、天幕は走竜の体に纏わりつき、折れかけた支柱は反対方向に捻じ曲がって弾け飛びながら砕け散った。咄嗟にムフタルは盾を掲げ、突進を迎え撃った。

 だが……


 当然の結果だった。

 質量で劣る彼が走竜の突撃を受け止めきれるはずもなく、俺達も纏めて跳ね飛ばされた。裏返った天幕の布は風に舞い上げられてまた地面に落ちる。そして、俺達はセミンの兵士達のど真ん中で剥き出しにされてしまった。

 衝撃を受けて、俺はフィラックの背中から転げ落ちた。いや、彼が大きく弾かれただけだ。なんとも都合の悪いことに、俺が一番、敵から近い場所にいる。


「なるほどな」


 離れた場所から声がした。さっきの指揮官らしい男のものだ。ざっと見て、二十メートルほどか。

 サハリア人には珍しく、彼は甲冑を身に纏っていた。ターバンではなく、兜だ。ドングリを思わせる形状の、革製のものだが、黒光りするその表面は鱗だった。走竜のものを加工したのかもしれない。

 サハリア人らしくないといえば、その体格もそうだった。背が高いのはいいとして、肉付きがまるでルイン人のような逞しさだ。


「父がサハリア人でも、フォレスティアで育ったのでは、知りようもなかったか」


 その大柄な男、タリアンの視線は、俺に向けられていた。他に大人の男はいくらでもいるのに。

 というより奇妙ですらある。この言いざまからして、俺の素性を知らなければ出てこない。だが、フィアナコン陥落の報告が伝わったにせよ、プノス・ククバンを名乗った上での活躍はあれ一度きり。ブスタンの件まで含めて、強い少年戦士の存在自体は知られていたとしても、情報が早すぎる。


「竜騎兵と戦う時の心構えをアネロスから教えてもらわなかったのか? 乗り手だけを倒しても半分だ。走竜は主人に忠誠心を抱く。それに目も鼻もいい。お前は覚えられてしまった」


 今朝の襲撃の時のことか。俺は二人の竜騎兵を討った。そのうち一人は騎手だけを倒して、走竜を奪おうとした。だが、それには失敗し、逃げられてしまった。あれで俺のことを走竜のほうが覚えたようだ。

 あの時、たかが乗騎に過ぎないと見逃したツケ、か。


「しかし、残念だな。ブスタンでの戦いでは、悪魔のような武勇をみせたというが……今朝も我が方の兵士を討ったらしいと聞いているのに、元気がないように見えるが」


 誰かが彼の走竜を引き連れてきた。そしてまた別のお供の誰かが馬上で使う大槍を手渡す。


「或いは、ただの噂か? ふふっ、そうか、なるほど、ティズもなかなかの策士だったか」


 理解が追いついてくる。タリアンは、凄まじい強さの少年戦士の噂を聞いていた。ブスタンに派遣した軍勢が敗走しているのだから、そういうこともあり得るかと考えていた。その後で、フィアナコンがたった一日で陥落した。そしてプノス・ククバンの名前を耳にしたらしい。だから元々、俺を捕らえるか討ち取るかしようと考えていたとしても不思議はない。

 ところが、実際に目の当たりにしてみると、死にかけの少年一人。期待外れに違いない。だが、そこで考えを改めたのだ。プノス・ククバンはただの張子の虎だった。アネロスの亡霊を身に纏うための人形でしかなかったのだと。


 ……では、タリアンは、俺を襲った黒い影のことを知らない?


「いずれにせよ、その首は手柄となろう。弱った子供をつけ狙うのは武人としていかがなものとは思うが、見逃すわけにはいかんな」


 走竜に跨りながら、彼はそう言った。

 どうやら俺は敵を見逃したが、彼は俺を見逃さないらしい。それは戦場では正しい態度だ。


「囲め。邪魔をさせるな」


 既に槍を手にしたセミンの兵士達が、俺の後ろにいるラーク達に殺到していた。


「くっ、ファルス!」


 誰かが叫ぶ。

 だが、俺はろくに身動きさえできない。


「うっ、あああ!」

「バカ、飛び出すな!」


 フィラックか。それをムフタルが止めようとしている。もっとも、地面に突っ伏したままの俺には見えないが。

 このままでは駄目だ。といって、何ができるだろう? 何百人もの兵士に囲まれた数人。いつもの俺なら、それでもどうにかできた。ピアシング・ハンドのクールタイムが終わっていれば、魔眼の力を引っ張り出すという手もあった。

 いや、違う。そうじゃない。


 剣を杖に、俺は力を振り絞った。なんとか立ち上がる。


「ほう、戦うつもりか。いいだろう。我が槍、受けてみよ!」


 手段がある、ない。そういう問題じゃない。

 できようができまいが、できる限りのことをするのでなければ、無駄に死ぬだけだ。つらいとか苦しいとか、言い訳が通用するものか。


 難しいことはない。この剣なら、ただ振り上げて、振り下ろせば敵を両断できる。

 それだけ。


「ハッ!」


 タリアンの掛け声に、走竜が駆けだす。

 動け、動け、動け……


 だが、どれだけ頭で動こうとしても、それが限界だった。急に膝から力が抜け、倒れ込みそうになる。

 その瞬間、左の肋骨のすぐ下に、激痛が走った。宙に浮いたのがわかった。そのまま空中で一回転して、勢いよく横に転がる。見えたのは、敵に取り囲まれた仲間達のブーツだった。

 風穴を開けられた腹部に限らず、全身激痛に見舞われる中、仰向けになったまま、視線をさっきまでいたところに向ける。そこでは、血に塗れた槍を高々と掲げたタリアンが、狂気の滲んだ笑みを浮かべていた。


「セミンの大戦士長タリアン! プノス・ククバン討ち取ったり!」

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