悶絶の時間の始まり

「おい、しっかりしろや!」


 激痛で気が遠くなる。ムフタルの怒鳴り声でやっと我に返る。こんな程度の傷で、これほどまでの痛みを感じるのはなぜだろう。


「今、敵に取り囲まれたら終わりですね……」


 ディノンは周囲を見回しながら、そうこぼした。


 あの黒い影に襲われた場所からさほど遠くないところに、大きな岩塊があった。都合よく壁のようにそそり立っていて、西側に向かって「く」の字を描くような形に抉れていた。その窪み、日陰となる場所に俺達は逃げ込んでいた。

 身動きの取れなくなった俺の代わりに、ラークが指示を飛ばす。


「タウル、済まないが、周囲を」

「わかった」


 偵察したところで、何ができようものか。

 フィラックは、とにもかくにも俺の状態を確かめようと、ムフタルを押しのけて俺の袖口に手をかけた。


「うっぐぐぐ」

「我慢しろ」


 少し触れられただけで激痛が更に激しくなる。苦悶の声を漏らさずにはいられない。

 革の鎧越しとはいえ、刃は届いている。傷口を確認しなければ始まらない。それと悟ってジルは手を貸した。俺の鎧を脱がせて、上着を切って傷口を見る。


「なんだ、これは」

「まるで火傷だ。何をしたらこんなに膨れ上がる?」

「ど……どうなって、いま、すか」


 苦しい息を継ぎながら、俺は尋ねた。


「しっかりしろ。傷は浅い。だがどういうわけか、火傷したみたいに傷の周りが真っ赤になっている」


 この異常な痛みと何か関係があるんだろうか?

 いや、待てよ……


 まさかとは思ったが、俺は自分のポーチをまさぐった。


「何をしている?」


 俺を傷つけた一撃がこんなにも痛む理由。あの黒い影がミスリルでできていた、なんてことはないだろうか。ばかげた考えだとは思うが、絶対にないとも言い切れない。なら、この体にセットした『魔導治癒』の能力を外せば、或いは痛みが和らぐ、なんてことはないのか。


「……ふう」


 これまでずっと浅い呼吸を繰り返していた俺が、やっと深く息を吐いた。

 あてずっぽうだったが、まさかの当たりだったらしい。痛みはもちろんあるものの、身動きさえ取れないほどの激痛はなくなった。

 じゃあ、あの黒いゲル状のものは、ミスリルでできていたのか? ちょっと考えにくいが。


「どうした。何があった」

「ご心配をおかけしました。これでもう……」


 そう言いかけて、また急に眩暈が始まったのに気付いた。それにこの倦怠感はどうしたことか?


「なんだ、今度は急に紫色に」

「これは毒!? じわじわと肌が変色し始めた」


 ジルとフィラックが騒ぎ出す。

 その向こうで、ムフタルが舌打ちするのが聞こえた。ラークとディノンは落ち着きなく歩き回り、周囲に目配りしている。


 なんともご丁寧なことだ。ミスリル製の刃物に毒まで用意して、俺を襲ったと。あの黒い塊が?

 結局、あれはなんだったのか。魔物なのか、人間か。それとも神霊か、ロボットか……


 それより、どう対策すればいい? 今までは『魔導治癒』の力で毒がまわるのを遅らせることができていたらしい。だが、それを外した以上、体調の悪化は避けられない。

 こうなれば、ピアシング・ハンドを惜しまず使うべきではある。差し当たっての目先の生存だけ考えれば、別の肉体に乗り換えるという手がある。といっても、人間の体の替えはないし、秘密を明らかにする必要もある。

 毒を無効化する方法は、持ち合わせていない。考えてみれば、人形の迷宮の窟竜、あれは病毒耐性を備えていた。手間を惜しまず能力を奪っておけば。今になって悔やまれる。


「治療できないか」


 ラークが声をかけるも、フィラックは首を振るばかりだ。


「フィアンの陣営にまで運び込むとしても、そこに薬がある保証はない。第一、あのバケモノがどんな毒をもっていたかなんて、わかるわけもないぞ」

「おい」


 ムフタルが頭上から声をかける。


「ファルス。お前、覚悟はできてるよな」

「何の、こと……」

「よく聞け。お前は今、毒で死にかけてる」

「わかって、る」

「薬はない。医者もいない。俺達には助ける方法がない。このままだとお前は無駄に苦しむだけ苦しんで死ぬ。それだけじゃない。お前を抱えて逃げる俺達も、それだけ危険を背負い込むことになる」


 彼が何を言わんとしているかが、やっと飲み込めた。同じく理解に至ってディノンが口を差し挟む。


「ムフタルさん、何を言い出すのですか」

「俺ぁ悪気があって言ってんじゃねぇ。この場合、当然の判断だ」

「モーン・ナーはそのような軽はずみな振舞いをお許しになられません」

「こいつのためを考えてやってんだよ」

「だからって、そんなにあっさり言い出すことか!」


 フィラックが色をなして言い立てるが、ムフタルはそれを軽くあしらい、俺に言った。


「短い付き合いだったが、お前もまぁ、戦友だ。心配するな。痛みは一瞬、一発で済ませる。亡骸だって敵にゃあ渡さねぇよ」

「ふっ」


 思わず笑ってしまった。俺を殺そうと言っているのに。逆に俺は、ムフタルが気に入ってしまったのだ。


「ムフタル、貴様!」

「血相変えんじゃねぇ馬鹿。お前よりこのガキのがずっとかわかってんぜ。見ろ、このツラ」


 確かに、ムフタルの言うことは正しい。助けられる見込みの少ない仲間を庇ってうろつきまわり、そのせいで全滅したのでは。

 別に彼はサボっていたわけではない。俺が黒い影に襲われ倒れた時には、身を乗り出して俺を抱え込み、必死で逃げてくれたのだ。つまり、既に職業戦士としての最善は尽くした。俺を救出するのも最善、助からない仲間を切り捨てるのも最善。そして、自ら汚れ役を買って出るのも最善。

 ただ、俺にはまだ助かる可能性がある。ここで死ぬつもりはない。


「ムフ、タル」

「おう」

「ここに、捨てて、いって、くれないか」

「それでもいいけどよ、お前、苦しむぞ」

「かま、わな、い」


 毒をどう解決するか。残念ながら、すぐには対策など見つからない。しかし、ここで彼らが去ったなら、俺は砂漠に適した赤竜の肉体に乗り換えるという対応を選択することができる。それでなんとか一日を乗り切ったら、次は人間の肉体を奪う。別人の体なら、毒に冒されてはいない。その状態でなんとか俺を治療できる環境を整えて、その上で元の肉体に乗り換えればいい。


「待ってくれ」


 フィラックが割って入った。


「なら、俺はここに残る」

「無駄なことに力を割くんじゃねぇ」

「無駄なものか」


 いや、無駄な押し問答だ。このままでは毒がまわってしまう。早く説得しなくては……

 そう考えていたところで、向こうから二人の人影が近付いてきた。一人はタウルだが、もう一人は、やけに背の高い男だった。それに手足が長く、全身、暗い藍色の装束に包まれている。というか先日、顔を合わせたばかりの男だ。


「なんだぁ? そいつは」

「ご苦労、タウル」


 ラークが前に出て迎えた。


「そちらは」

「ラークさマ、戦場ゆエ、失礼をお許しをバ」

「その話し方は」


 だが、気が立っていたのか、フィラックは曲刀を引き抜いた。


「それ以上近付くな!」


 切っ先を突き付けられて、彼は立ち止まった。さも驚きました、と言わんばかりの身振りで。


「コれはどういうコとですカ」

「お前は誰だ」

「ハビといいまス。つイ昨日、お会いしたばかりじゃないですカ」


 その通り、そいつはハビだ。ピアシング・ハンドの表記に従えば、あの族長会議に出てきたのと同じ、そしてアラティサールと共に右翼の陣営に立ち寄ったのと同じ男だ。


「確かにそういう奴ぁ見たがよ」


 しかし、ムフタルも怪しげなハビに対する警戒は解けないらしい。なにせ顔を覆い隠しているのだから、いくらでもごまかせる。斧を片手に問い詰めた。


「んじゃ訊くが、お前の親分は誰だ」

「ニザーンの族長、アラティサールさマです、ハイ」

「アラティサールはどこにいやがんだ」

「昨夜、突然の地震の後ニ、敵襲を受けまシて、ただいま撤退しながら、敵と戦っておられまス」


 その返答に、彼は舌打ちした。

 今も本陣にいます、みたいな明らかに矛盾していそうなことを言ってくれればよかったのだが。どうやら本物らしい。


「ハビよ」


 ラークが尋ねた。


「お前は何をするためにここにいる」

「ハイ、敵襲の結果、友軍がどうなったカを調べてこいと言われまシて」

「偵察か」

「その通りでございまス」


 述べる限りのところで、おかしな点はない。


「では、こちらを見て欲しい」

「ハイ」


 ラークは、岩盤の上に横たわる俺を指差した。


「医術の心得はあるか」

「イササカなら」

「先ほど、正体のわからぬ魔物にやられた。毒に苦しんでいるらしい。治せるか」


 ハビは、じっと俺を見つめた。


「コれはよくありません。毒がマわっていまス」

「そんなのは見ればわかる。右肩からもう、首元まで紫色に染まりつつある。ハビ、どうすればいいか、わかるか」

「イイエ、残念ですガ、これはもウ」

「わかった」


 実際、こうしてやり取りしているうちにも、俺はどんどん息苦しさを感じていた。

 このままでは本当に毒にやられて死んでしまう。


「お前が見てきた同盟の軍は今、どんな状態だ」

「申し訳ありませン、左翼のネッキャメルの兵の居場所は、これから探スところでス」

「右翼は」

「フィアンの兵を中心に、陣を出て戦いを続けている模様でス」


 では、一つだけ明るい材料がある。右翼の兵は潰走していない。継戦能力を維持できているということだ。


「では、ワたしはこれで失礼しまス。プノスさマ負傷の件も、きっと伝えまス」

「そうしてくれ。無事を祈る」

「皆様にご武運があリますよウに」


 それだけで、ハビは立ち去っていってしまった。

 そして話題は元に戻る。


「よし、行くか」

「待てムフタル」

「フィラック、ここは街の中じゃねぇんだ。割り切れよ」


 力尽きようとしつつも、俺は声を絞り出した。


「フィラッ、ク」

「どうしたファルス」

「みん、なと一緒に、行って、ほしい」

「何を言う」

「ほら見ろ」


 ムフタルは肩をすくめた。


「そいつはわかってる。腹ァくくってんだ。男の覚悟に水差すんじゃねぇボケ」

「お前が臆病なだけだ。その男の覚悟とやらを一人に押し付けて、何をほざく」

「あんだと?」


 フィラックは俺の傍に駆け寄った。


「そういうことなら、お前は面倒を見なくていい。俺が背負う」


 彼がそう言ったところで、ジルも同調した。


「そうだな。私もファルスを守ることにする。フィアンの陣営までもてば、助けられるかもしれない」

「ケッ」


 いったいどうしてフィラックはそこまで俺に肩入れするのか。この前ティズに引き合わされただけで、そこまでしてこだわる理由もなさそうなのに。ジルはまぁ、昔の顔馴染みだし、わからなくもないが。


 こんなことならもう、いっそ化けてしまおうか。赤竜とかに。

 いや、しかしそれだと秘密だけでなく、毒が残り続ける問題が……


 毒をどう乗り切ろうか?

 もしかしたらありふれた毒物かもしれないが、残念ながら、原因があの黒いバケモノである以上、特定は困難だ。魔導治癒のせいで腫れあがった傷口の状態を見ても、医師が正常な判断を下せない可能性はある。となれば、自力で治すほうがいいかもしれない。

 何より、これ以上、論争に時間をかけていたら、本当に俺が死ぬ。


 やむを得ない……


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 (自分自身) (12)


・アルティメットアビリティ

 ピアシング・ハンド

・アビリティ マナ・コア・火の魔力

 (ランク9)

・アビリティ マナ・コア・身体操作の魔力

 (ランク9)

・アビリティ 生命力過剰

・マテリアル プルシャ・フォーム

 (ランク9+、男性、11歳)

・スキル フォレス語   6レベル

・スキル サハリア語   5レベル

・スキル 火魔術     9レベル+

・スキル 身体操作魔術  9レベル+

・スキル 剣術      9レベル+

・スキル 騎乗      6レベル

・スキル 料理      6レベル


 空き(1)

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 生き残りの目があるとすれば、もうこれしか思いつかない。毒そのものを無効化する手段がない以上、体力を強化して乗り切る以外にない。


「しっかりしろ。見捨てたりはしないからな」

「うっ……す、すみま」

「気にするな」


 ロープを絡める。フィラックが俺を背負いやすいようにとジルも手を貸した。

 準備が整うのを見てから、ラークが号令した。


「予定通り、フィアンの陣営を目指す。行くぞ」


 ムフタルはもう一度、肩をすくめた。


「フィアンねぇ……大丈夫かねぇ」


 タウルは何も言わず、一人先行した。ディノンも難しい顔をしたまま、弓を手に後に続く。


 そして俺は……

 フィラックに背負われたまま、一人苦痛を堪えていた。先ほどまでの激痛とはまた違った苦しみだ。体が冷えて、吐き気がする。手足の末端が痺れてくる。これがよくなったり悪くなったりする。

 多分、ピアシング・ハンドで付与した生命力過剰が効果を発揮してくれているのだ。この後、どれくらいで毒を分解しきれるのか、それまで俺の体がもつのか、それはわからない。わかっているのは、回復するまで俺はほとんど力を発揮できないということだけだ。


 油断していたわけではない。

 どうしてこうなってしまったのか。


 僅かな揺れにも気持ち悪さを感じながら、俺はただ、今朝の出来事を反芻する以外になかった。

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