フィアナコン攻略戦
夜が明け、砂漠の固い大地に赤みを帯びた光が差す。足下の目立たない小さな小石が、この時ばかりは背を伸ばす。その横を、冗談みたいに足の長い馬がすり抜けていく。揺らめく影絵の世界、その色彩の妙。世界広しといえども、今、この場所でしか目にできない美に違いない。
けれども、改めて正面に目を向け直せば、そこにはひたすらに現実が広がっていた。
矢も届かない遠く南の地平に、横に広がった大勢の兵士の姿が見える。左右に騎兵、中央には歩兵を配しているらしい。事情は大方想像がつく。機動力に長けた騎兵戦力の多くを攻撃に割り振った。それはヌクタットのような村落を略奪し、アーズン城を包囲し、一部はブスタンにも手をかけた。その多くが討ち取られ、或いは離散した。拠点防衛のために居残っていたのは、フィアナコン都市部に暮らすフィアン氏族の兵だ。
とはいえ、これはどちらにも成り立つことだが、特に敵は多くの氏族の混成部隊だ。こちらがネッキャメルを中核として、あとは小氏族の兵がくっついてきているだけなのに対し、あちらはフィアン氏族とアルハール氏族、セミン氏族がそれぞれ、それなりの戦力を受け持っている。
昨日の時点で、既に敵の斥候が、近くに布陣したネッキャメルの兵に気付いているのは確実だった。それでも既に昼下がりという時間帯もあり、あちらは夜を待ったのだろう。遠路はるばるやってきた敵軍を叩くなら、疲労が蓄積しているその日の夜に奇襲を浴びせるのがいいのだが、ティズは警戒を強化し、篝火をいつもより多く並べてやり過ごした。警戒厳重とみたあちら側は、結局今朝になってからやっと軍勢を動かした。
例によって、駱駝の上にふんぞり返ったティズは、陣頭に腰を据えていた。砂漠とはいえ、縞瑪瑙の月ともなれば、早朝の空気は頬を刺すように冷たい。東から西へと流れていく風に、彼の口髭が小さく揺れる。
「同盟旗を掲げよ」
彼は短く命じた。
会戦といえども、いきなりきっかけも何もなく混戦に至るわけではない。敵を前にして戦意を高め、頃合いを見て激突するものだ。ブスタンではいきなり攻めかかってきたが、よくよく思い出せばあの時だって、突撃に移る前に敵の指揮官が前に立って、訓示を垂れていた。
要するに、敵の士気を挫き、こちらの士気を高めるというプロセスがある。
ティズの命を受けて、何人かの騎兵が身を翻し、後方に声をかける。大勢が居並んでいるのに、辺りはやけに静かだった、そんな中に号令ばかりが響き渡る。
ほどなく俺達の背後には、赤の血盟の同盟旗がいくつも、これ見よがしに掲げられた。上が赤、下が白の長方形。シンプルな図柄は、遠くからでもはっきりと見分けがつく。
「これを見よ!」
段取りが決まっているのだろう。馬上のファフルが声を張り上げた。よく鍛えられた大きな体から、これまた大きなよく通る声が発せられる。
「我ら、麗しき赤を愛す!」
すると兵士達も、昔ながらの手順に従って、決められた通りの言葉で応える。
「おお、我らが求める赤は何処にあろうか!」
ファフルは軍勢の前で馬を行き来させながら、声をかけ続ける。兵士達もそれに応じ続ける。
「それは砂漠の砂の赤か!」
「役に立たない代物だ!」
「それはルビーの赤か!」
「守銭奴にくれてやれ!」
「それは女の頬紅か!」
「軟弱者にはお似合いだ!」
呼びかけのたびに、決まった答えが返される。
「それは谷間の竜の赤か!」
「悪くはないが、物足りない!」
なんとも威勢のいいことだ。
しかし、結論はいつでも決まっている。
「我らの望む赤、それはただ一つ!」
「敵の赤き血! 敵の赤き血!」
矢こそ届かないとはいえ、離れた場所にいる敵側にも、この騒ぎは聞こえている。掲げられた同盟旗も見えている。言葉まできれいに聞き取れなくとも、何を言っているかはわかるはずだ。
昨日、殺された同胞の遺体を弔ったばかりの赤の血盟側の士気は高い。怒り狂っているといってもいい。それに引き換えあちらはどうか。特にフィアン氏族の兵にとっては、これは目にするのもつらい光景ではないか。今までは、このパフォーマンスを見る側ではなく、演じる側だったのだ。
混成部隊を率いるあちら側には、こちらのような演出をする余地がない。指揮官らしき人物が馬上から、配下の兵に向かって何事か語り掛けている。
「ティズ殿」
緑の長衣を身に着けたタッサルブが、馬を駆けさせてきた。
「敵は魔術兵を擁しておる。遠間からの矢の応酬では、恐らく後れを取るであろう」
「大いに考えられることですな」
同意に頷き返すと、彼はようやく望みを口にした。
「この戦、先陣を我らジャニブにお任せくださらぬか」
「いかがなされるおつもりか」
「敵は左右に騎兵を配し、こちらを取り囲む構え。ならば正面を一気に突き破り、囲みを破ってやりましょう。それだけで戦の趨勢は決まるというもの」
確かに、言っていることは間違っていない。ただ、今回に限ってはあまりいい考えとは思われない。
「タッサルブ様、まことに差し出がましくはありますが、考えを述べることをお許し願えますでしょうか」
俺は横から声をかけた。
「ふむ?」
彼は怪訝そうな顔をした。一応、俺の身元については把握している。ククバン氏族の代表として、だが。
俺はすぐ後ろに控える道案内の男を見やりながら、意見を述べた。
「ジャニブの武勇に疑いはありませんが、ご存じの通りですが、このハーダーンの伝えるところによれば、敵方にはあのアルハールの四賢者の一人、火のナルーがいるそうです。魔術兵を伴っているとすれば、恐らく彼らがいるのも、中央の本陣ではないかと考えられます」
「そうであろうな」
「不用意に突撃を行えば、たちどころに火の玉が叩きつけられ、少なからぬ犠牲が出るものと思われます」
「確かに魔術兵を相手取ったことなどないが」
タッサルブは多少の不機嫌を露わにしながら言った。
「魔術がどんなものか知らないわけではない。何十秒もかけて呪文を詠唱し、やっと火の玉を捻り出すようなものであろう。であれば悠長に矢を浴びせあっておっては、尚更にこちらが不利になるばかりよ」
それは道理ではある。俺がいない場合の一般論だが。
「なるほど、こちらも無傷とはいかぬが、要は速ければよい。我らジャニブの馬術はどこにも引けを取らぬ。一気に敵陣に迫ってナルーの首級を挙げてみせよう。御身はその後でゆるりと来られるがよい。心配せずとも、手柄になる首がいくらでもあろうからな」
この老人は功を焦っている。
そう思い、なおも言い立てようとして、あえて口を噤んだ。ティズの険しい表情に気付いたからだ。
「承知した。ではタッサルブ様、我が方の最初の槍になっていただく。ただ、折を見て後を追いますぞ。手柄を欲しがっているのは、あなたがただけではありませんので」
「感謝する」
ミルークが言っていた。サハリア人にとっての誇りは財産だと。
ジャニブ氏族は今回、大きな損害を被っている。ヌクタットを焼き討ちされ、今またこの地で多くの同胞を殺された。それでいて、まだ何の報復もできていない。この戦争で勝てばと言いたいところだが、ジャニブは小勢だ。ネッキャメルやニザーンの尻馬に乗って勝たせてもらったのでは、勝ったうちに入らない。
だからこそ目に見える功績が欲しいのだ。それは身内の犠牲を払ってでも、掴み取らねばならない。戦の趨勢を決めるのはネッキャメルでも、名のある敵の首級を一つでも挙げておかねば、身の置き所がない。
タッサルブの言う通り、素早くナルーを討てるのなら、それはそれでいい。俺は手柄が欲しいのではないから。
だが、彼がしくじったら、すぐに飛び込まなくてはならない。
「ラーク、ジル」
俺は後ろに声をかけた。結局、旗はジルが掲げている。今回、どうしても自分で槍を振るいたいとラークが主張したからだ。その彼の後ろには、十名の騎兵が従っている。それに取り囲まれるようにして、帯剣すらしていないハーダーンが馬上に身を置いている。変な動きをしたら、いきなり殺されるという状況だ。
「ナルーがどんな実力を持った魔術師かはわからない。だが、ジャニブが一撃を浴びたら、すぐ飛び出す。そのつもりで」
眼前を緑色の旗が覆う。ジャニブの騎兵が族長の周囲に集まってきたのだ。
離れたところから号令が聞こえたかと思うと、突如、彼らは前方に向かって駆け出した。と同時に、敵の左右もまた、こちらに向かって動き出したようだ。
突然というべきか、予想通りというべきか。前方から爆音が響いてきた。楔形の陣形で密集して突進していたジャニブの騎兵の集団の右半分が弾け飛んだ。比喩ではなく、本当に人や馬の体が浮かび上がり、捩れながら跳ね飛ばされた。
多分、三十秒も経っていない。だが、威力だけみれば、俺の全力の火球にも匹敵する。
「行きます」
「うむ」
ティズに一声かけると、俺は馬の腹を蹴った。
固い地面の上に倒れ伏すジャニブの男達。だが、先に進むと更にひどいものが目に映る。胴体を真ん中から引き裂かれた馬の死体だ。何をどうすればこんな風になるのか。やはり相当な威力がある。
ふと、視界の隅に緑の長衣が映った。生きているようだが、大怪我を負ったのかもしれない。だが、構っている余裕はない。友軍が助けに来るのを期待して、俺は横を駆け抜けた。
その向こうに、まるで聳える列柱のように立ちはだかる敵軍が見えた。
思った通り、歩兵の多くは槍と弓を手にして、敵の突進を阻もうとしている。その陣形の中央だけが窪んでおり、射線が通っている。その奥に奇妙な集団がいた。
人数にして三十名ほど。全員が緋色のローブを纏い、丸い帽子にベールをかぶっている。顔も垂れ下がるマスクに覆われて、目元しか見えない。それが円陣を組んでいて、中央には大きな甕が据えられている。その前に、一際背の高い男が立っていた。服装は他と変わらない。
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ナルー・オロブ (45)
・マテリアル ヒューマン・フォーム
(ランク5、男性、45歳)
・マテリアル マナ・コア・火の魔力
(ランク2)
・スキル サハリア語 5レベル
・スキル シュライ語 6レベル
・スキル フォレス語 5レベル
・スキル ハンファン語 5レベル
・スキル 指揮 2レベル
・スキル 管理 2レベル
・スキル 槍術 2レベル
・スキル 火魔術 7レベル
・スキル 水泳 2レベル
・スキル 操船 1レベル
空き(34)
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この程度? それであの威力?
いや、人間にしては破格だ。火の賢者という呼び名がハッタリでないくらいには魔術に熟達している。一流の人材といって差し支えないだろう。
しかし、それでもあの威力は出せない。恐らく、周囲にいる同じ格好をした他の連中と呼吸を合わせて一つの魔術を行使したのだろう。ざっと見た限り、能力的にはみんなナルーに及ばないが、全員が火魔術を習得している。
魔法の威力を高める方法としては、触媒を用いるほか、儀式によって大勢の魔力を結集するというものがある。目にするのは初めてだが。
なんにせよ、もう一発を撃たれてはまずい。俺は助かっても、後ろにいる味方は、当たれば死ぬ。
彼らは休みなく詠唱を重ねていた。ナルーの身振りに合わせて声の調子を上げていく。そして第二弾を打ち込もうと、彼は手を掲げた。そこに青白い光の玉が浮かび上がる。術の完成の手早いこと。これには軽く驚かされた。
だが、それが掻き消える。
「食らえ」
俺が手を突き出すのと同時だった。
右手の指先から白熱した火球が射出され、円陣の中央に置かれた甕に衝突する。途端に爆発炎上し、それを取り囲んでいたローブの男達が左右に弾き飛ばされた。
この一発で、ナルーのピアシング・ハンドの表示も消えた。咄嗟に俺の火魔術を防ごうとしたようだったが、どちらにせよ、それは無駄な努力だった。彼の経験は、直前に奪い取ったからだ。
「突き破れ!」
俺は剣を抜き放ち、先頭を切って敵陣に踊り込んだ。先の爆発に巻き込まれて周囲の兵も死傷しており、弓や槍での抵抗が一時的に止まっていたのも大きい。乱戦になってしまえば、もう突撃を止めるも何もない。
ふと、視界の向こう、正面方向に、橙色の旗が見えた。ピアシング・ハンドの表示によれば、あれがアールン、つまりは敵将の首だ。弟のハーダーンとそっくりの顔立ちをしている。最後尾に少数の騎兵と共に陣取っていた。
「捕まえろ! あれを捕まえれば勝ちだ!」
俺が剣を向け、宣言する。
と同時に、後ろから喚声があがった。恐らくはティズが、敵の戦線のほつれるさまを見て、自軍にも突撃を命じたのだ。敵味方入り乱れる中では状況は俯瞰できないが、アールンにはそれが見えていたらしい。彼は顔色を変えて、馬首を返した。
「追え! 今日中にフィアナコンを奪い返す! 続け!」
激戦繰り広げられる両軍を背にして、俺達はまっすぐ走り続けた。地平線の向こうから、フィアナコンの一部をなす岩山が姿を覗かせる。
敵の中央に布陣していたフィアンの兵は恐らく総崩れだろう。もともと士気も低かったはずだ。
だが、左右を固めるセミン氏族の騎兵はまだ健在だ。赤の血盟の側も、別に数的優位があるのでもない。最終的には勝利できるとしても、それなりに時間がかかりそうだ。
だが、会戦に勝っただけでは駄目だ。敗残兵がこの城塞都市に吸収され、今度は住民まで動員して、援軍を待ちつつ抵抗を続けることになる。フィアナコンもブスタンと同じく、フィアン氏族以外のサハリア人が多数居住していることだろう。彼らには積極的に赤の血盟と敵対する理由はないが、上から命じられれば逆らうなどできない。
アールンが族長の地位についてからは日も浅く、その方針にも賛否が分かれている。だからこそ短期決戦だ。態勢を整える時間を与えず、街を陥落させる。一日で形勢が定まれば、そこで戦いが終わる。
「お、おい! ファ……プノス!」
迷うことなくフィアナコンに向けて突っ走る俺を見て、後ろからラークが声をあげる。
「どういうつもりだ! まさか、このまま」
「今日中にやると言った!」
やがて視界は聳え立つ岩山に占拠された。
フィアナコンは、赤竜の谷に似た環境を備えた場所だ。つまり、豊富な石材と湧き水がある。あちこちに林立する岩山は、それ自体が天然の要害となるが、その点在する岩山の間を、石の城壁で結んである。アーズン城とブスタンのいいところを併せ持っているような城塞都市なのだ。
外側には防衛施設が、その内側には住宅地が、真ん中に農地がある。余程のことがなければ、城内で生活に必要な物資をほぼすべて賄えるのも強みだ。欠点を挙げるとするなら、防壁が長すぎ、あちこちに散らばりすぎていることだ。しかし天然の岩山それ自体は登り切れるようなものでもなく、直接に守備する必要がない点を考えると、さしたる問題とも言えない。
フィアン氏族にはここ以外に目立った拠点がないが、これ一つで十分すぎる財産であるといえるだろう。この街があればこそ、彼らは最前線に立たされながら、幾度となく黒の鉄鎖からの攻撃にも持ちこたえてきた。
「いったん止まれ」
目測で、目先の城門までおよそ五百メートルほど。左右を高さの異なる岩山に挟まれた、幅の狭い城壁が行く手を阻んでいる。
「ハーダーン」
「なんだ」
いったいいくつ乗り越えればいいのか、はっきりさせておきたい。
「この先にある城門はこれ一つか」
「……いや、もう二つ、内側にある」
「その向こうにアールンがいるのか」
「いや、門を三つ潜ったら、そこはもう住宅地だ。市民の家がある」
嘘をついても仕方ないところだろう。フィアナコンに立ち寄った経験のある人間からすれば、この程度のことはすぐわかる。
「俺はアールンを捕らえたい。どこにいる」
「わかるわけが」
「立て籠もるだろう場所を教えろと言っている」
少し考えてから、彼は低い声で呻くようにして言った。
「それなら、最初の門を破ったら、道なりに東に回り込んで、もう一つ門を破る。街の東側に大きな砦がある。そこが一族の居城だ」
「外からなら、どこが一番近い」
「あちらだ」
恐らくだが、アールンはナルーがいきなり死んだことは認識していても、なぜ死んだかは理解できていない。遠くを狙ったはずの火魔術が手元で暴発した、というくらいの理解でも不思議はないだろう。アルハールの魔術兵が大掛かりな準備をして放つ魔法を、騎乗している兵が片手で用いるなど、常識の範囲外だから。俺を一瞬で危険人物と考えるより、自分の目を疑うほうが普通だ。
しかし、ハーダーンはといえば違う。武器すら持たせてもらえず、ただ自分の馬の手綱を握るばかり。必然、すぐ傍で俺の動きをじっくり見ることになる。既にして彼は、顔面蒼白だった。
「そういえば、ラーク」
「なんだ」
「さっきは戦いに夢中だったから、ちゃんと見てなかっただろう」
東門の前に回り込み、矢も届かない距離からじっくりと詠唱する。右手の人差し指に嵌められた指輪が、暗い赤からオレンジ色に、そしてすぐ黄色になる。指差す先に浮かび上がる球体は既に白熱し、しかも更に力を増していく。
やがて、指輪と火球は、どちらも青白く輝きだした。
「城壁まで突き破れれば、そのまま一気に行く」
そう宣言してから、俺はそれを投擲した。
急激に速度をあげながら、火球は城門に突き刺さり、それをあっさり貫通した。と思ったら、内側の石壁に衝突したらしく、そこでやっと炸裂したようだ。内側から、門を構成する金属の扉が、ひしゃげながらこちら側に吹き飛ばされて落下する。門の上にいた兵士達も、爆風に巻き込まれたせいか、二、三人が空中に放り出され、落下していた。
「行くぞ!」
背後でラークに従う兵士達も目を丸くしている。本当にこの人数で街を、という気持ちも、今の一撃はなんだ、という思いもあるだろう。構ってなどいられない。
凸凹になった金属の扉が、まるで使い捨てた後のアルミホイルみたいに見えた。その横を駆け抜け、足下に散らばる瓦礫を避けつつ、最初の門を跳び越えた。見れば目の前に大穴が開いている。
「ハーダーン、次の門を目指す必要はあるか」
「いや……」
人が入り込めるほどの大きな亀裂が、城塞の壁の一部に開いていた。そこが街の東を守る砦の最下層を占めている。
普通ならこうはいかない。これほどの威力の魔法を想定していないということもあるが、もしこれが長期の防衛戦に切り替えられていたならば、恐らく城門の裏側に瓦礫を山積みされていたはずだ。そうやって火球の破壊力を吸収し、また門が吹き飛んだ後の敵の突入を防ぐ用にもあてる。敵に強力な魔術師がいるとわかっていればの話だが。
ところが、友軍たるセミンやアルハールの兵を収容する目的もあって、まだ封鎖されていなかった。もちろん、そこを狙ってのことだ。
なお、魔法が当たり前のように用いられていた五百年ほど前なら、もちろんまた違った対策も施されていたはずだ。敵味方に魔術師がいるのが普通だったから、こうした城門も魔法に守られていた。こんなに簡単に爆破されてしまうのでは、防御施設の意味などなかっただろう。
馬を捨てて内部に滑り込んだ。どうもここは、飲料水や酒の保管庫だったらしく、樽がいくつも転がされている。
すぐ右手に灰色の壁と扉があった。開けると、左手に狭い階段が見えた。
駆けつけてくる敵はほとんどいなかった。元々こちらの小勢で何ができるとも思っていなかったのもあり、手薄だったせいだ。今頃、背後の大破した城門の辺りに集まり始めているのだろう。そのうちに後を追ってくると思うが、構うことはない。
階段を登り切ると、そこは広間だった。足下はフィアン氏族のイメージカラーである橙色のタイルで埋め尽くされていた。西に向かって大きく開けていて、広間の下にある広場と、仕切りになっている三つ目の城壁に朝日が差しているのがよく見える。
「どっちだ」
「こちらだ」
苦々しい表情を浮かべつつも、ハーダーンは既に協力的だった。彼はもう、わかってしまったのだ。この戦い、フィアンは負ける。ここで裏切ったら、死ぬのは自分だけではない。
東側に幅広の階段があり、そこを駆け上がると踊り場になっていて、左右とも折り返す形で登りの階段が続いている。
三階に上がると、またも西側に大きく開けた窓があった。そこは既に城壁より高い位置にあり、バルコニーから見下ろせば市街地の家々の屋根だけでなく、緑の農地やフィアナコンの中心を占める湖も見えた。足下のタイルは空をイメージしたのか、それとも豊富な湧水を意味するのか、深い青色だった。
敵兵はまだ、周囲にはいなかった。もう間もなく駆けつけてくるのだろう。一人もいないのは不自然だと思ったが、さっきの爆発を思い出して一人で納得した。異変ゆえにわざわざ駆け下りたのだろう。たまたま入れ違いになったのだ。
「この上だ」
右手の壁に大人二人がすれ違えるくらいの幅の階段があり、そこを登る。踊り場を経由して駆け上がると、古びた金色の扉が見えた。
一瞬、その前で立ち止まり、耳をそばだてたが、すぐ俺は引き開けて、中へと飛び込んだ。
中にいたのは六人の男達だった。
扉の前にいた二人の男が素早く反応したが、腰から曲刀を引き抜く前に袈裟斬りにした。三人の老人は、こちらを見て棒立ちになるばかりだった。
最後の一人、東側の門の騒ぎを窓から見下ろしていたアールンは、俺達の顔を見比べて小刻みに震えていた。驚愕と混乱と、しかし最後に憤怒が彼を動かしたらしい。彼は腰から曲刀を引き抜き、振りかぶった。そこに俺は剣を叩きつけた。ガラスが割れるような音がして、幅広の曲刀が本当にガラスみたいに砕け散った。
「降伏しろ」
「なっ、なっ、なっ……」
「さもないと皆殺しになる。そのほうが、俺としては好ましいが」
「ハーダーン! 貴様! 敵に媚びよって!」
しかし、アールンは怒りに呑まれて、まともな判断を下せなくなっているようだ。
「そんなことを言われたくない! 赤の血盟を裏切って宿敵を街に招いたのは誰だ! もうおしまいだ! こうなっては終わりなんだ!」
ハーダーンはヒステリックに喚き散らした。
彼とて人の子、袂を分かったとはいえ、実の兄を敵に売るのに苦痛や恥辱がないのでもない。しかし、元はと言えばアールンが軽はずみな真似をしたからだ。
「そこまで我らを追い詰めたのは誰だ。ええ? 同盟が我らに何をしてくれた! 矢面に立たせるばかりで、何も報いてはくれなかったではないか!」
「違う! それはこちらの責任でもある! なぜティズを盟主から引きずり下ろした? なぜニザーンなんかに、アラティサールなんかに任せっきりにしたんだ! そこからもう間違っていたんだ!」
最前線に置かれるばかりで、何の経済的な見返りもないフィアン氏族に不満が溜まっていたのは事実だろう。しかし、同盟の中の不公平ゆえに裏切るというのはいかがなものか。公平なリーダーだったネッキャメルの族長を下に置き、あてにならないニザーンに盟主の地位を預けたのは、フィアンの責任でもある。
俺は冷たく言い放った。
「お前達の話し合いなど、どうでもいい。どうせお前はもう死ぬ」
「殺せ!」
「今は駄目だ。その程度のこともわからんのか」
元はと言えば、この馬鹿が寝返らなければ、ティズの下にも黒の鉄鎖の動きを知らせる情報が届いていた。早めに対処できていれば、ミルークも無茶な交渉に乗り出す必要はなく、ああして死ぬこともなかった。その意味では、このアールンは俺にとっての仇の一人だ。
しかし、今殺すと、戦争の着地点が見えなくなる。
「なし崩しにここでお前を殺したら、ネッキャメルの兵はフィアナコンに雪崩れ込んで、皆殺しにするぞ。そうなれば女どもは一人残らず犯され、奴隷に落ちる。族長のくせに、そんなこともわからんのか」
「お、おおお……」
気持ちの整理がつかないのだろう。だったら、無理やりでも落ち着かせてやる。
短く詠唱すると、途端に彼は腰砕けになった。膝をついた彼の頭に手をかけ、ターバンを引っぺがす。髪の毛を掴んで、床に這わせた。
「手間をかけさせるな。そこの年寄りどもを捕らえろ」
俺がそう言うと、ラークに付き従っていた兵達が駆け寄って拘束した。
「下に置きっぱなしにしてきたククバンの旗じゃダメだな……お前達、赤の血盟の同盟旗はまだあるか」
俺の呼びかけに、長老の一人が答えた。
「地下に」
「それを持ち出せ。砦の天辺に掲揚しろ。わかるな」
セミンやアルハールの敗残兵は、それでフィアナコンが既に陥落したと知ることになる。実は市内を制圧なんてできていないのだが、そう思い込む。アールンに反対する市民も少なからずいるだろうことは、彼らも知っているからだ。
下手に籠城されると面倒だから、ハッタリで追い返すというわけだ。
「急げ!」
怒鳴りつけられて、その老人は跳びあがった。兵士が手を放すと、先を急ぐかのように階段を下りていった。
それを見送りながら、膝をついたまま、アールンが俺に尋ねた。
「おっ、お前はいったい何者だ」
俺は手を放し、言ってやった。
「プノス・ククバンだ。黒の鉄鎖に復讐するため、ここまでやってきた」
「なんだと」
「父がタフィロンを攻め落としたように、俺もフィアナコンを落としたというわけだ。残念だったな。この戦、お前が味方した側が勝つことはない」
床に手を突いたまま、アールンはじっとしていた。目を見開き、それでいて何物も見ず、思いをどこかに向けていた。
「そんなはずはない」
「なに?」
「黒の鉄鎖が勝つ。そう信じたからこそ、同盟を裏切ることにした」
「ほう」
それは興味深い話だ。
「なぜそう思う? 役立つ話ができるのなら、無駄だろうが、ティズに助命を嘆願してやろう」
「わからない」
だが、アールンは俯いたまま、首を振るばかりだった。
「わからない。なぜそんなことを思ったのか」
「わからない、だと」
「なぜこんなことを……実の父を、毒で……」
その先は聞き取れなかった。激しい嗚咽が溢れ出て、言葉にならなかったのだ。彼は床に突っ伏し、人目も憚らず泣きじゃくった。
奇妙な言い分だ。黒の鉄鎖が勝つと確信していた。だからフィアンの未来を守るため、跡継ぎの地位にありながら、わざわざ実父を毒殺して、赤の血盟を裏切った。なのに、どうして黒の鉄鎖が勝つのかという理由がわからない。
とすると、これは……
精神操作魔術か、神通力による支配でも施されていたのだろうか? 記憶の改竄がなされた可能性も考えられる。
だが、誰がどうやって? 使徒だろうか? しかし、なんでもかんでも奴のせいにするのは安易に過ぎる。
もしかするとこの戦争、思わぬ黒幕が潜んでいるのかもしれない。
俺は剣を鞘に戻した。
「女神に祈れ。どちらにせよ、もう手遅れだ」
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