フィアンの事情

 すべては静けさの中で行われた。照りつける昼下がりの太陽の下、誰も何も言わず、周囲の人間が手を貸して、家族を失った同胞のための弔いを助けた。俺もラークの妻と娘を墓穴に横たえ、上からそっと土をかぶせた。それでも去りがたいのだろう。彼はその場に膝をついたままだった。

 一方、ティズはこんな時でも仕事を進めていた。総司令官が呆けているわけにはいかない。彼は矢継ぎ早に命令を下して、まず、元々この場にあった天幕を撤去させた。それから、自分達の天幕を広げさせ、運び込んだ物資を陣地の中央に配した。何人もの兵士が桶に水を汲み、馬に与えた。別のところでは、この水を煮沸している。こちらは人が飲むためだ。

 誰もが無言のままに立ち働くこの静寂が破られたのは、一人の斥候が遠方から馬を駆けさせてきたからだ。


「報告! 報告! ティズ様はいずこ!」


 声を聞いて、俺は我に返った。


「ラーク。俺は行く。お前は残れ」

「いや」


 袖で涙を乱暴に拭くと、彼も立ち上がった。

 俺達の役目は、ティズの横で彼を守ることだ。思うところはあっても、役目を放り出すわけにはいかない。


 周囲に護衛が集まったところで、ようやく斥候がティズの近くに駆け寄り、下馬した。


「何があった」

「はっ! 橙色の旗を掲げる一群が、こちらに向かっております! あれはフィアンのものと」

「なんだと」


 眉毛も髭も真っ白になったタッサルブは、怒りで顔を紅潮させるというより、むしろ蒼白になりながら、呻き声を漏らした。

 ファフルも穏やかではいられないらしい。彼は尋ねた。


「いい度胸だ。迎え撃ってやろう。数は」

「百か、二百か。小勢です」

「我らも舐められたものだ。ティズ様、私の手勢にお任せを」

「待て」


 しかし、ティズは冷静だった。数秒間考えてから、彼は命じた。


「ファフル、手の空いたものに武器を持たせよ。但し、合図があるまで前に出てはならん」


 命令を受けると、彼は身を翻し、大声で呼びかける。それで男達はそれと気付き、きびきびと動き出した。同胞を多数殺された怒りに燃える今、戦意はこの上なく高い。手早く武器を携えると、巻き上がる砂塵の見える南方に向き直って、陣形を組んで待ち受けた。

 そこにティズが騎乗せず、歩いてやってきて、黙って来訪者を待ち受けた。


 こちらに寄せてきた一群の騎兵は、緩やかな斜面の上に布陣するこちらを見ると、離れたところで慌てて下馬した。そして橙色の旗を横倒しにして、足を止めた。

 ティズはわかっていたのだろう。いくらなんでも、こんな小勢で戦いを挑みに来たはずもない。といって、使者にしては人数が多すぎる。となれば、フィアン氏族の中で何か変事があったのだ。


「ファフル」

「はっ」

「あちらの頭領をここまで連れてくるように。手荒な真似はするな」


 それでファフルは馬を進ませ、あちらの集団に駆け寄った。

 しばらくして、代表の一人がファフルに伴われて、俺達のすぐ眼前までやってきて、そこで馬を降りた。


「おお、庇護を求めます。気高きネッキャメルの長よ」

「ハーダーン、このような形でまみえようとは、望んではおらなんだぞ」


 フィアンの代表として駆け付けたその男は、その旗と同じく橙色の長衣を身に着けていた。顔は細長いが、頬が張っている。肌の色はより一層浅黒く、毛深かった。耳のすぐ下から虎髭がみっしりと生えている。そんな黒ずんだ顔の中で、白い眼球ばかりがやけに目についた。

 今の自分の立場を弁えているらしく、ハーダーンはその場で膝をついた。それをティズは助け起こしもせず、見下ろしたまま厳しい口調で続けた。


「恥を忘れた者と交わす言葉などないが、言い分があれば申すがいい」

「我が兄アールンの愚行には、申し開きの余地などございません」


 ハーダーンは、フィアンの今の族長アールンの弟だ。


 フィアン氏族は、ここからさほど遠くない岩山と、その近くのオアシスからなる都市・フィアナコンを拠点に、長らく栄えてきた一族だった。赤の血盟の南西端を守る最前線に位置し、南東に拠点を構えるセミン氏族とはたびたび干戈を交えてきた。必然、赤の血盟における地位も高く、ネッキャメルやニザーンのような大氏族と同等の権威を有していた。フィアナコンは同盟にとっての支柱であり、フィアン氏族は常に名誉に輝いていた。

 だが、その実態は、決して明るいものではなかった。南北の勢力にはそれぞれ三大氏族があるが、フィアンの立ち位置は、黒の鉄鎖におけるフマルのようなものだったのだ。つまり、ニザーンにはジャリマコン、ネッキャメルにもハリジョンという港があり、真珠の首飾りの交易利権などによって大きな富を得られる機会があるのだが、内陸に居を構えるフィアン氏族には、そのようなものがなかった。

 最も貧しい集団が、常に最前線に立たされるのだ。不平不満が溜まるのは自然なことだった。しかし、だからこそ、同盟内では彼らに配慮してきた歴史がある。少なくとも、クリムが盟主を務めていた時代までは、フィアン氏族に対する継続的な支援が行われていた。しかし、その病死に伴って盟主の地位がニザーンに移ってからは、フィアナコンは放り出されてしまった。

 この点、ティズも認識がなかったわけではない。わかってはいても、弱い権威しか持たないリーダーだった彼には、そこまで手が回らなかったというだけだ。


「では、先代が亡くなったのは」

「病ではなく、兄が毒を」

「人倫の道を忘れたか、嘆かわしい」


 既に高齢だった族長を、後継者たるアールンは、わざわざ毒殺した。この動乱の始まる少し前だ。恐らくその時点で既に、フィアン氏族の一部は黒の鉄鎖と内通する準備を進めていたことになる。

 このように考えると、なぜフィアン氏族の戦士達がヌクタットをあのように略奪したのかも見えてくる。要するに、同盟という名の搾取構造に激しい被害者意識を抱いていたのだ。そうした不満を抱えた一部の集団は、アールンの支持者となった。

 しかし、これもティズが予想した通り、すべてのフィアン氏族が黒の鉄鎖に降ることをよしとしたのではない。彼らもまたサハリア人であり、裏切りは大きな恥辱と考える。赤の血盟における待遇には不満だが、さりとて敵に与するなど。まるで臆病風に吹かれたようなものではないか。


「それで、何の土産もなしにここまで逃げてきたのだな」

「お許しください。私の手には余ります。今、フィアナコンの城塞にいるのは、セミンの戦士達ばかりではありません。あのアルハールの四賢者の一人、火のナルーが魔術兵を率いて居座っているのです」


 岩山と城壁に囲まれたフィアナコンには、今、黒の鉄鎖の軍勢が駐留している。攻撃のためにフマルとセミンの戦士達が大量に北に向かったとはいえ、都市を占拠するだけの戦力もまた、残してあるのだ。フィアン氏族の全員がかつての敵対勢力の支配を心から受け入れているはずもなく、これは当然の対応といえる。


「ここまで恥を忍んで参りましたのは、助命を乞うためではありません。この手で武勲を手にして恥辱を雪ぎたいと望んでのこと」

「許さぬ」


 ティズは短く言い切った。


「此度の戦に加わること、まかりならん。もし、なお血の誓約に誠実であろうとするのなら、沙汰あるまで剣を預けて縛につけ」

「そんな」

「受け入れられぬというのなら、フィアナコンに帰るがいい」


 厳しいようだが、まったくまっとうな判断だ。むしろ彼が甘い態度をとったらどうしようかと思っていた。

 今、ハーダーンらフィアンの信用はゼロだ。彼の兄が族長を毒殺してクーデターを起こし、黒の鉄鎖に鞍替えした。でも自分達は赤の血盟に忠実です、なんて言われて、そのままホイホイ信じるのか。

 もちろん、俺が自分の能力を組み替えて、精神操作魔術で内心を探ってしまえば、真実のほどはわかる。わかるが、それで納得できるのは俺だけだ。ここには三千人もの兵士がいるのに、彼ら全員が納得できるはずもない。まして、ここで同胞の遺体を目にしたばかりとなれば。


 しばらく逡巡したが、結局、ハーダーンには拒否する選択肢などなかった。


「……おっしゃる通りに致します」

「ならばよい。従者どもに告げよ。タジュニド、彼らを『穴』に連れよ。天幕くらいは建ててやれ」

「はっ」


 これ見よがしな対応だ。つまり、同胞達が生き埋めにされた場所に彼らフィアナコンからの逃亡者を転がしておく。これがお前達のやらかした罪だ、と突き付けるためだ。


「ファフル」

「はっ」

「明日には会戦となろう。この馬鹿者どもがここまで逃げてきた。フィアンの連中も斥候を出したはずだ。ならばわしらのことも知られていよう。見張りを立てよ。今夜は特に注意するように」


 そういうことだ。準備の整わないフィアナコンを急襲するプランは、もう期待できない。こちらは遺体の埋葬その他で余計な時間を費やしたし、おまけにハーダーン達の逃亡によって敵の視線がこちらに向けられてしまったのだ。ここまで順調だったのに、急に面倒な話になってしまった。


 と考えているのだろう。俺以外の全員が。


「ラーク」


 俺は傍らに立つ彼に言った。


「気持ちの準備はいいか」

「もちろんだ。待ち遠しいくらいだとも」

「明日、フィアナコンを落とす」

「なに?」


 俺の言葉を聞き違えたのかと、彼は首を傾げた。


「外に出てきた連中は一発で突き崩す。そのまま一気に追撃して、街ごと攻め落とす。防備を固める時間を与えると面倒だ。そのつもりだから、自分の体も馬も、しっかり休ませておくことだ。ああ、それと」


 ふと思いついて、言い添えた。


「やっぱりティズから十人くらいは兵を借りておいてくれないか。ついてきてくれるだけでいい。明日は好きにやらせてもらうとも言っておいてくれ」


 それだけ伝えると、俺は手を振ってラークとジルから離れた。俺には俺の仕事がある。


 しばらくすると、例の生き埋めの穴の中に、本当にテントが設営されていた。といっても、そこには悪意が込められている。人間用の天幕ではなくて、家畜を日差しから守るための簡易テントだ。四方に木の柱が建てられていて、その上に布を渡してあるだけ。足下は土だ。裏切り者の片割れなど、畜生と変わらない。そういうことなのだろう。

 そこに百名近いフィアンの男達が、芋虫のように転がされている。手も足も縛られ、武器を奪われた状態で。屈辱でないはずがない。それでも、すぐさま殺されなかっただけ、まだマシなのだ。


 俺は、橙色の長衣を目印に、近寄っていった。


「ハーダーンと言ったな」


 一人、身を起こして座っている彼に、俺は話しかけた。


「教えて欲しいことがある」

「誰だ」


 年少とみて俺を侮ったのか。

 俺は短く詠唱した。その瞬間、激痛に見舞われて、彼は激しく仰け反った。


「プノス・ククバンだ」

「は……なに?」

「フマルに一族を滅ぼされ、やむなくサハリアを去った父、アネロスの無念を晴らすために、赤の血盟に力を貸している」


 意味を飲み込むのに、数秒間を要したらしい。彼は目を瞬かせながら、俺を見つめ直した。


「クッ、ククバンだと!」

「何度も訊くな。それでハーダーン、尋ねたいのはフィアンの城郭の間取りだ」


 また数秒、間を空けてから、彼はやっと答えた。


「もちろん説明はするつもりだ。知っていることを出し惜しみなどしない。そのうち呼び出されて、何もかもを伝えねばならんだろう。だが、なぜお前に」

「これから攻める砦の内部を知っておきたいのは当然だろう」

「明日にも敵がここに寄せてくるだろうに。相手には火のナルーがいるんだぞ。平地の戦いに勝ってからでなければ、意味がなかろう」

「それはお前の考えることじゃない」


 ピシャリと言われて、彼は押し黙った。


「わかった、図面を書こう」

「いや、待て」


 俺は思いついた。


「お前を連れていく」

「なに」

「他の連中は人質だ。明日、寄せてきた敵軍を蹴散らしたら、そのまま一気にフィアナコンを落とす。アールンも明日、捕らえる」


 この大言壮語に、彼はまた、目を瞬かせた。


「ばかな」


 首を振りながら、彼は呻いた。


「フィアナコンだぞ! 岩山に囲まれた、どんな要塞より堅固な我らの街を、たった一日で? 無謀すぎる」

「むしろ一日でなければならない。長引けば厄介なことになるだろうからな」


 聞いた限りの事情が事実なら、アールンには一部の支持者を除けば、人望がない。それでも外敵に囲まれれば、住民は指導者に従う他なくなる。

 戦いが長引き、悲惨なものになればなるほど、その後の報復は苛烈なものとなる。遺恨を残さず、被害も抑え、軽い罰だけで済ませるのであれば、短期決戦が一番だ。

 俺としては皆殺しでもいいのだが、復讐を目的とする以上、黒の鉄鎖に自ら望んで手を貸した連中以外を積極的に殺害したいとも考えていない。それよりは、確実に勝つことが優先だ。


「あのアネロス・ククバンならいざ知らず。いくらその息子とはいえ、その若さでどうしてそれができようか。お前の父、アネロスでさえ、タフィロンを落とすのに二年もかかった。しかもその時にはもう、十八歳だったのだ」

「比べるな。明日、わかることだ」


 俺は手を伸ばし、ハーダーンの襟を掴んで引き寄せた。


「明日、フィアナコンは陥落する。余計なことは考えるな。お前の態度一つで、フィアンは滅ぶ。ティズの許しを期待するなら、俺に従え」


 それだけ宣言すると、俺は呆然とするばかりのハーダーンを放り出し、背を向けた。

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