防衛戦の終わり
高台の上に立ち、今日も静かに沈んでいく夕陽を見送る。彼方には赤竜の谷が小さな黒い塊になって見えている。他にももう少し手近なところに小さな岩山がポツポツあって、その天辺で赤い光を照り返していた。そして黒く長い影を落としている。今の状況を考慮に入れないのであれば、雄大で素晴らしい眺めだ。
濁った色のアーズン城に変化はなく、それを取り囲む敵の陣営もひっそりと静まり返ったまま。天気も毎日同じなので、時が過ぎた実感すらない。今日を昨日と言われても頷いてしまいそうだ。
嘆息するのは俺もラークも同じだが、心の中に感じる失望はまったく別物だった。
「遅すぎる」
ポツリと漏れてくる不満。ニザーンの援軍がいまだに駆けつけてくれないのは、さすがに計算外だった。
俺がハリジョンを海上封鎖していた敵の軍船を海に沈めてから、およそ一週間。既に縞瑪瑙の月に差し掛かっている。
------------------------------------------------------
(自分自身) (12)
・アルティメットアビリティ
ピアシング・ハンド
・アビリティ マナ・コア・火の魔力
(ランク9)
・アビリティ マナ・コア・身体操作の魔力
(ランク9)
・アビリティ 魔導治癒
・マテリアル プルシャ・フォーム
(ランク9+、男性、11歳)
・マテリアル 神通力・暗視
(ランク5)
・スキル フォレス語 6レベル
・スキル サハリア語 5レベル
・スキル 火魔術 9レベル+
・スキル 身体操作魔術 9レベル+
・スキル 剣術 9レベル+
・スキル 騎乗 6レベル
・スキル 料理 6レベル
空き(0)
------------------------------------------------------
おかげで能力を大幅に書き換える時間も取れた。これだけはよかった。奪った赤竜の肉体を試しに使ってみたが、有用な半面、どうしても人間に戻ったときの不便さが大きい。もう少し能力の枠に余裕がないと厳しい感じがあった。
だが、こうなってくると内心、どうしても焦れてくる。せっかく敵陣の水や食料を汚染してやったのに、影響が出ていないのだろうか?
「今夜あたり、ちょっと様子を見に行こうかと思うのですが」
「また一人でか」
「もし敵に見つかっても、僕だけなら逃げきれます。味方を危険にさらすのは避けたいですし」
偵察、と言いながら、俺は夜襲でもいいかと思っている。いざとなったら威力偵察と言い張ろう。
今の俺なら、余程の重傷を負うか、ミスリルの武器で傷つけられるかしない限り、まず死なない。視界の利かない夜間、それも自分一人なら同士討ちの心配もない。
だいたいティズに大見得切って敵陣に毒を盛りました、なんて言っておいて、相手方の被害がゼロでは申し訳も立つまい。それならせめて、敵陣に忍び込んで大将首を挙げてやろう。
「戦場に来ているのだ。危険などあって当然」
「それでもラーク様を連れていきたくはないです。ここにいる百人からの兵士達の指揮官じゃないですか」
「ままならないな」
空を掻き毟るようにして彼は腕を振った。
「一日も早く敵を破って先に進みたいのに、何もできずにいるというのは、あまりに」
「常に動いていればいいというものでもありません。何もしないことが最善ということもありましょう。人の上に立つのなら、尚更です」
「む……」
とはいえ、気持ちは俺も同じだ。
能力の入れ替えが済んだ今、これ以上グズグズする理由もなくなった。
「それよりブスタンのほうは」
「ああ、今日も二人、こちらに追いついてきたのがいる。今のところ、敵の襲来はないそうだ」
敵の損害そのものは、そこまで大きくなかったはずだが、やはり指揮官らしいのを最初に爆殺したのと、夜襲で馬や物資を失ったのが大きかったのか。あれから十日以上経つのに、立て直しには手間取っているようだ。
「なんにせよ、時間がかかればかかるだけ、相手にも立ち直る余裕ができますよね」
「その通りだ。今頃、バタンかフィアナコンに再集結しているんだろう」
「なら、やっぱりこのままというわけにもいかないでしょう」
俺は左の手首から、黄金の腕輪を引っぺがした。
「それに僕が恥をかくんですよ」
「なぜそうなる」
「今頃、あの軍勢は退いているはずなんですから。言いましたよね?」
俺は腕輪を彼に突き出した。
「これは預けていきます。ご安心ください」
彼は腰に手を当てて、また大きく溜息をついた。
「わかった。だが、一人では駄目だ」
「どうしろと」
彼の視線は、俺の頭上を通り越して、その後ろに向けられる。
「ジル、とか言ったな」
彼女は、まるで命のない枯れ木のように俺の近くにいた。ハリジョンから戻ってから、ずっとそうだ。
「なんだ」
「ファルスが敵陣の偵察に行きたいと言っている」
「ああ」
「無茶をしないか、横で見ていてくれないか。手柄より、とにかく安全なうちに引き下がるようにして欲しい。謝礼は支払う」
「別にいらない。だが、仕事はする」
本当ならラークは自分で動きたいのだろう。そうでなくても、俺につける誰かは自分のよく知った人物にしたいところだ。
しかし、どうもジルはファルスと縁のある人物らしいと承知している。そのファルス自体、彼にとっては得体のしれない少年だ。ただ、先のブスタンでは確かに奮戦してくれた。となれば、信用しない理由もない。
彼は静かに腕輪を受け取り、頷いた。
「功を焦るなよ」
「ありがとうございます」
いつもと変わりなく、この日も夜の帳が降りた。ジルを連れているし、能力の組み換えもできないので、敵陣の近くまでは馬で行く。
いよいよ歩いて行けるくらいの距離になったところで、二人して馬を降り、馬に銜を含ませた。それから足音が響かないよう、ゆっくりと歩く。
「ジルさん、馬を預かってもらえますか」
「私はお前のお目付け役なんだが?」
「僕だけ見ていても仕方ないでしょう。敵をちゃんと見ておかないと」
遠くには篝火が見える。その下、逆茂木と柵の切れ目に二人の守衛が立っている。傍目には、特に異変は見て取れない。
「確かめたいんですよね」
「何をだ」
「一週間前に敵陣の水と食料にたっぷり毒を混ぜてきたのに、ピンピンしてるのが不思議で」
「そんなことをしていたのか」
目を丸くした彼女だったが、すぐに落ち着きを取り戻した。
「案外、毒が効いてなかったか、最初の数人を死なせた時点で気付かれたとか、そんなところじゃないのか?」
「いや、飲んでもすぐ死ぬ薬じゃないんです。むしろじわじわと効いてくるはずなんですが……実戦で使うのが初めてなので、自信がなくて」
俺の目は今、闇をも見通す。数百メートル先には二人の見張りが立っているが、特に彼らがふらついているとか、弱っているとか、そんな様子はまったくない。だが、あちらからはこちらは見えていないだろう。篝火の明るさのおかげで、間近なものは見分けられるものの、逆に離れた場所はより一層暗く見えているはずだ。
「なので、ちょっと中に入ろうかと」
「どうやって」
「一人を痺れさせて、もう一人は殺します」
こともなげにそう言う俺に、彼女は険しい表情を浮かべた。
「すぐ気付かれるぞ」
「だから馬を確保して欲しいんですよ。僕が逃げてきたらすぐ乗れるように」
「追撃はどう振り切るつもりだ」
「火の玉をぶつけるだけです。正直、僕は簡単には死にませんが、ジルさんのほうが危険ですね」
「舐めるな」
再認識した。周囲に人がいればいるほど、俺は弱くなるらしい。
「とにかく、中を見なきゃ始まらないんですよ。なので、そこだけは譲れません」
「なら、援護くらいはする」
「危なくなったらでお願いします」
馬の轡をジルに預けると、俺は一つずつ丁寧に詠唱を始めた。まず自分の身体能力を強化、それから『麻痺』の呪文を唱える。掌の中に黄緑色の小さな鏃が浮かび上がり、高速で回転しはじめる。
「……いきます。一人痺れさせたら、もう一人も気付くでしょう。それを駆けよって仕留めます」
「射殺すのはどうだ。一応、篝火も見えている。もう少し近付けば、やれるかもしれないが」
「一矢で仕留められますか」
俺は首を振った。
「倒しきれなかった場合、悲鳴をあげたり、敵襲を告げたりするでしょう。絶対当てられるのならいいですが、夜間で視界もいまいちよくないし、射手が一人しかいない以上、外す危険もあるのでやりたくありません」
「だが、お前は魔法で一人を痺れさせるんだろう? どうせ気付かれるのでは」
「ほとんどの人は魔法に馴染みがありません。仲間が横倒しになった時点で矢傷を探すはずです。が、何もなければ、数秒間は戸惑う」
「その間に駆け寄って一撃、か」
「まあ、見ていてください」
俺が念じると、ふっ、と半透明の鏃が手元を離れ、音もなく闇の彼方へと消えていく。
一秒経ったかどうかで、槍を手にした守衛の一人がいきなり膝をつき、うつ伏せに倒れる。俺は足音を殺して駆け出した。
篝火の下で、もう一人の守衛が驚いて、倒れた男の肩を揺さぶる。だが、やはりというか、傷口がどこにも見えないせいか、大声で仲間を呼んだりはしていない。
間近に迫った。俺はもう、足音も気にせず、全力で走り出した。守衛がこちらに気付く。
身構え、槍を取り上げた瞬間、そいつもまた地面に突っ伏した。赤黒い血が流れ、固い砂漠の岩盤の上に、外れたターバンがよろめきながら少しだけ転がり、パタンと倒れる。
俺はそのまま、麻痺して動けない相手の首も手早く刎ねた。魔術を使う奴がいるなんて情報が洩れて、得することなど何もない。
俺は振り返り、小さく手招きする。ジルは馬の手綱を引いたまま、おずおずとこちらに近付いてきた。
「少しだけ中を見ます。でも、危なくなったら一人で逃げてください」
「馬鹿を言え」
「すぐ戻ります。戻ってきたら馬に乗るので」
彼女がこちらに来るまでの数十秒間、俺は周囲がやけに静かなのに違和感をおぼえていた。いくらなんでも手薄過ぎないか?
それで俺は、堂々と陣地の真ん中を貫く通路を歩いた。やはりそうだ。他の見張りがいない。もしかして……
何食わぬ顔をして、俺は近くの天幕の裾を引っ張った。そっと布の間から中の様子を窺う。途端に聞こえてきたのは、小さく咳きこむ声だった。さっと天幕から身を引きつつ、他のテントも確認しなければと適当に中を覗いてみた。まったく同じだった。
要するに、ごく一部の兵士だけが、俺の汚染した古い食料や水を口にせずに済んでいた。体調が悪化した兵士が大勢出たことで、恐らく指揮官も気付いたのだろう。毒か、疫病か、どちらかははっきりしないものの、水や食料が原因の可能性もある。それで飲み食いするものも別とし、元気な者は見張りなど、敵から見える場所に立たせることにした。
なぜか? 現在、黒の鉄鎖は、相手の倍の兵力でアーズン城を包囲している。遮るもののない平地での決戦では、兵数が多い方が圧倒的に有利だ。互いにそう考えているからこそ、均衡が保たれている。積極的に動かなくても、堅固な城塞に攻めかかるメリットは薄いのだから、不自然ではない。この窮状における時間稼ぎとしてはちょうどいい理由になる。しかし、こちらが半病人と知れてしまったのでは、城内からネッキャメル氏族の軍勢が出撃してくる。
要は兵士達が健康になるのを待とうというつもりだったのだろう。何も起きていませんよ、というフリをしていただけ。
じゃあ、何かあったと知らせてやらないといけないな。
俺はほくそ笑むと、踵を返してジルのところへと引き返した。
「ジルさん」
「こんなところで話など」
「病人だらけです。問題ない」
それだけ告げると、俺は振り返った。そして、じっくりと時間をかけて詠唱を始める。
手の中に拳大の火の玉が生まれる。白熱した球体がかすかに青みを帯びて、宙に浮かぶ。
花火だ。
受け取れ。
前方を指差すと、火球は勢いよく飛んでいき、陣地の中央に建てられた木製の櫓を突き倒した。直後、真昼のような光が周囲の小屋を照らし、砂塵を巻き上げる爆風が天幕の裾を揺らした。
周囲の小屋は、燃え上がるというより爆散し、少し遅れて付近の天幕に火が移った。小さな悲鳴や怒号がここまで聞こえてくる。
「行きましょう」
ジルが差し出す馬に身軽に跨りながら、俺は確かに笑っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます