頭領達の会議は紛糾する

「なんということをしてくれたのじゃ!」


 すっかり髭も髪も真っ白になった老人が、甲高い声で喚きたてる。だが、俺はぼんやりとその様子を眺めていた。天辺がキレイにハゲている。こいつの顔はコメ粒型だなぁ、と思いながら。


「仮にも軍使を斬るなど、非常識にもほどがあろう!」

「あちらが襲いかかってきた」

「嘘をつけ!」

「信じなくていい。どうせ殺すつもりだった」


 アーズン城の奥の間、作戦会議室といったところか。内城の奥、外に繋がる窓のない密室だ。

 普通、サハリア風の居室となると、椅子ではなく座布団があり、絨毯が敷かれているものなのだが、ここでは機能性を考えてか、背凭れのある椅子が長方形の机の周りに並べられている。真ん中のお誕生日席にはティズが腰掛け、残りは家臣の主だった人物が席を占めている。俺はティズの向かいに突っ立っていた。


「勝手なことを」

「シジャブよ」


 居心地悪そうにしていたティズが、ようやく低い声で割り込んだ。


「今はそれどころではあるまい」

「むっ、しかしですな」

「どのみち、フィアンとセミン、フマルの兵が近々、こちらに殺到する。使者を斬ろうが斬るまいが、降伏せねば戦いとなる」


 仮にも族長の言葉だ。年長とはいえ、家臣の立場では強くは出られない。

 しかし、ティズにしても、とてもではないが威厳溢れる様子とはいかなかった。堂々と背を伸ばしていればいいものを、くたびれた様子で斜めに背を曲げて凭れこんでいたのだ。


「タジュニド」

「はっ」

「どれくらい集まった」

「それが……」


 顎から鼻の下から、ヒゲというヒゲがすべて黒いタワシのようになった顔の男が、申し訳なさそうに言い澱んだ。


「……半分もおりません」

「よい。だが、それではどちらかを諦めねばなるまいな」

「そんな!」


 末席にいるラークが悲痛な声をあげる。


「私を行かせてください。一人でも多くの同胞を、せめてこの城に」

「逃げたい者は逃げればよい」


 反対側の上座にいる若い男が、傲然と言い放った。一際体が大きく、見るからに筋肉質だ。目が細く、髭を剃っている。


「ネッキャメルも落ちたものだ」

「わっ、私はそんなつもりなど!」

「なんだ? 本気でここに戻ってくるつもりだったのか」


 挑発するような口調に、ラークは目の色を変えた。


「口を慎め! ファフル!」


 最初にやかましく騒いでいたシジャブと呼ばれた老人が、その発言を咎めた。

 ティズが首を振る。


「どうあれ、これでは同胞の救援に割ける兵力はない。そればかりか……」


 タジュニドも、腕組みして頷いた。


「今の我々の戦力では、この城か、ブスタンか。どちらかを守り切るだけで精いっぱいでしょうな」


 ネッキャメル氏族の大きな拠点は三つ。このアーズン城、そして近くにある東部サハリア北部のオアシス都市ブスタン、最後に東の海峡に面したハリジョンだ。しかし、そこにしか部族の人間がいないというわけではない。

 ヌクタットのような小規模な村落のほか、小さな水場や草地があり、氏族の者達はそうした場所を転々としながら、家畜を養っている。彼らの多くは天幕の下で暮らす。平時であれば、ティズ自身、年の半分以上はそういう生活をしているはずだ。そのような点在する小さな拠点にも、同胞やその家族が少なからずいる。できれば騎兵を送って保護し、この城に連れ帰りたい。

 だが、何もかもが後手に回った今となっては難しい。それどころか兵士の集まりが悪く、拠点防衛に必要な人員も確保できていないようだ。


「ブスタンを見捨てるという選択はない」


 ティズは言い切った。


「ハリジョンはどうなさるのです」

「いずれにせよ、ここからでは救援は間に合わん。当面はあちらに持ちこたえてもらう以外にあるまい」


 タジュニドの問いを切り捨てた彼に、シジャブが嫌味を込めたかのような口調で呟いた。


「アルハールの艦隊が寄せてきますな」

「ジャリマコンから支援があろう。それまでの辛抱だ」

「間に合えばよいですが」


 なんとも嫌な空気が漂っている。

 もともと、南北の勢力は、ぎりぎりのところで均衡を保っていた。北部を支配する赤の血盟は、ネッキャメル、ニザーン、フィアンの三大氏族を中心としている。そのうちの一角が、まともに戦線を支えもせずに敵に降ってしまった。戦力比で対等だったはずが、単純計算で倍の相手になってしまった。しかも準備を整える余裕もない。ティズは、配下の兵を掻き集める時間すら与えられないでいる。

 だが、どうもそれだけではないような……


 そうだ。ミルークはティズの立場がいかに難しいかを語っていた。

 本来なら家臣の地位にとどまるべき三男坊が、これといった功績もなしに一族の長になった。他に選択肢がなかったとはいえ、ネッキャメルは同盟内の他の氏族の尊敬を失い、盟主の地位も明け渡してしまった。

 要するに、政権基盤が弱いのだ。ティズは表向きには至上の決定者だが、とっくに死に体と化してしまっている。彼自身のせいではないのだが、結果として失敗続きと評されているのだ。


「そちらはそれでいいとして」


 椅子にふんぞり返ったまま、ファフルと呼ばれた逞しい男が、傲然とした態度で、口先だけ敬語を使ってティズに尋ねた。


「ブスタンはどうするんですか。この城を捨てて、あちらまで駆けつけますか?」

「仕方があるまい」

「反対です」


 こともなげに彼は異を唱えた。


「このアーズン城より優れた拠点が他にありますか? ここを失ったら、取り戻すのにどれだけ苦労するか」

「同胞の命と比べられようか」


 だが、ファフルは肩をすくめた。


「だからですよ。ここを捨ててブスタンを守り抜きました。こっちで戦うより犠牲は大きくなりますよね、勝ったとしても。じゃあその後はアーズン城を取り戻しましょう……どうやって? 攻めるんでしょう。その時、またどれだけ死ぬと思ってるんですか」


 命を大切にして、どうせ命をなくすんじゃないか。そういう大局を見るのも、確かに指導者の務めではあるが。


「逆にあっちには多少の人員を送って済ませればいいんですよ。時間稼ぎさえすれば、風見鶏になっている連中も、顔を青くして駆けつける」

「間に合えばよいがな、それも」


 重々しい口調で、黒タワシのタジュニドが割り込んだ。


「散らばったままの一族の男達が、ブスタンが攻められるまでに集まればよいが。いや、それでもうまくはいくまい」

「何が心配ですか」

「ろくな指揮官もおらず、兵站の用意もない。それでどうして戦えると思う。第一、おぬしが言う通り、ブスタンは守るに向かぬ」


 彼は滔々と道理を述べた。


「それに、犠牲にするものが他にもある」

「なんですか、それは」

「ティズ様が、民を守らなかったと誹られれば、この後の戦を勝ち抜けまい」

「守れないだけでしょう?」

「これ」


 どうも血の気が多いのか、白髪のシジャブがまた腰を浮かせて叱りつけた。


「だからそこの……ファルスとかいったか。こやつが余計な真似を」

「シジャブ、もう済んだことだ」

「あそこで軍使を斬らねば、まだ助かる道はあったのです。それが」


 ファフルも頷いた。


「このままだと、笑い話にもならないな。ハリジョンを譲れば、少なくともアーズン城とブスタンは確保できた。あとはあの鼻持ちならないニザーンを取り囲むだけでいいのなら、悪い取引でもなかったろうに」

「ファフル」


 今度はティズが彼をたしなめた。


「それでも、それは許されん」

「へぇ? なぜですか? やけにこの少年の肩を持つんですね」

「そうではない。フィアンの裏切りにやすやすと膝を屈すれば、我らは物笑いになろう」

「もう、なってませんかね?」

「これ! ファフル! そちはさっきから!」


 忙しい爺さんだ。シジャブはあからさまな無礼に顔を真っ赤にした。だが、ティズは手をあげて抑えた。


「わしのことは構わぬ。だがファフル、たとえ我らが降ろうとも、先などないぞ」


 ティズはとっくにフィアンの裏切りを想定していた。だから、使者から手紙を受け取る前から、降伏するか抗戦するかをずっと考えていたのだ。


「お前達が今、わしの弱腰を責めるように、一族の他の者達もまた、そうするだろう。するとどうだ。あちこちで勝手に揉め事を起こすのも出てくる」


 太い指でテーブルの上の地図をトントンと叩きながら、彼は続けた。


「どのみち、理由をつけてこの城は取り上げられてしまう。一度屈すれば、拒絶もできなくなる。そうこうするうち、水場の争いも始まって、どんどん皆が困窮する。最後はブスタンを枕に死にゆくだけのこと」


 彼は戦いを、政治も含めて見通していた。一度にすべてを奪い去る必要はない。一歩後退させるだけでいい。勢力の衰えを知れば周囲の支持もなくなっていく。そうして少しずつ力を削いでいく。戦わずして敗れるように仕向ける。ミルークが「誇りは財産」というのも、そういうところにある。要はナメられたら終わり、ということだ。


「じゃ、戦うしかないと」

「そうだ」


 頷くと、ファフルは薄ら笑いを浮かべてティズに言い募った。


「で、どうするんですか。私は城を捨てるのは反対です」

「ファフル、その物言いはどうなのじゃ」

「無礼なら頭くらい下げますが、今はそれどころじゃないでしょう。シジャブ様、ではどちらがいいと思いますか。城を捨ててブスタンに兵力を集結させるか、それともこの城を守ってニザーンの支援を待つか」

「……ぬぅ」


 言葉遣いはどうあれ、城を放棄することについては、どうやらシジャブも賛成しがたいらしい。


「ブスタンは守るには不向きです。やたらと広いのに、ろくに城壁もありません。見張り用の塔がいくつかあって、一部にだけ砦がありますが、あとは」


 それ以上説明するまでもないと思ったのか、彼は肩をすくめただけで済ませた。


「士気の問題があろう」


 さっきから沈黙していたタジュニドが重々しい口調で言った。


「戦は城がするものではない。人がするものだ。同胞を見捨てる族長の下で、誰が死力を尽くすものか」

「士気ですか? 城を捨ててきました、と言われて、ブスタンの同胞が喜ぶと思うんですか。ハッ!」

「ぐっ」


 にっちもさっちもいかない、か。


「評決をとりましょう」


 族長を差し置いて、ファフルは言い放った。


「僭越ではないか」

「じっくり考える時間があるんですか」


 ティズも頷いた。


「それも道理だ。では、ブスタンの救援に赴くべきと思う者は、挙手せよ」


 そう言いながら彼は手を挙げた。それに従ったのは、タジュニドとラークだけだった。


「城を守るべしと考えるのは」


 ファフルやシジャブ、その他発言せずに会議の行く末を見守っていた他の幹部達が手を挙げた。


「三対六。もちろん、最後に決めるのは族長ですが」

「そんな」


 ラークが苦しげに俯いた。


「どうした。不満でもあるのか」

「仲間を見捨てるんですか!」

「そんなに助けたいのなら、一人で行けばよかろう」

「なに」


 そこでティズが席を立った。


「ではこうしよう」


 ティズはラークを指差し、命じた。


「ラークよ、準備出来次第、百騎を率いて、ブスタンに向かえ。一人でも多くの同胞を救うのだ。そのためであれば、何をしても構わん」

「は、はっ」

「無理に戦わずともよい。不名誉も失態もすべてこのティズのもの。だが、救った命はお前の手柄だ」


 この非常時だ。現場で迷いが生じるのが一番よくない。ティズは全権を委ねると言ったのだ。

 状況なら、いくらでも想定できる。例えば、敵に物資を渡さないため、拠点を与えないために、街に火を放つことだって考えられる。或いは街を無傷で引き渡す代わり、女子供を退去させるという交渉とか。それも好き勝手にやっていいという意味だ。

 しかし、その舵取りは難しい。ブスタンはネッキャメルの所領だが、そこに住まうのは何も同胞だけではない。同盟氏族の人間もいるし、大氏族の一員ではない、一般のサハリア人もいる。同胞だけを救って街を焼き払えば、それはそれで恨みも残るというものだ。


「あとの者は、防備を固めよ。タジュニド、お前には物見の指揮を任せる。ファフル、城の四方を固めさせよ。シジャブ、残りの糧食、その他物資の在庫を再確認せよ。それとニザーンには使者を送れ。以上」

「お待ちください」


 シジャブが口を挟んだ。


「何か」

「まだ、その者の処分が済んでおりませんぞ」


 突っ立ったままの俺を指差して、この老人は執念深く申し立てた。


「ファルスのことか」

「勝手にやってきて勝手に敵を斬ったのです。我らの行く末を勝手に決めておいて、どうして捨て置けましょうか」

「シジャブよ」


 ティズは暗い表情を浮かべて、頷いた。


「この者のことは、わしの預かりとせよ。問い質すこともあるゆえ」

「そうおっしゃるのなら、今はこれ以上は申しませんが」


 苦々しい表情で、老人は引き下がった。


「では、早速取りかかれ」


 それで幹部達は全員、席を立った。

 その向こうでティズが俺に手招きした。

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