嘲笑う狂風

 横殴りの風に、体が揺れる。細かな砂塵が袖や襟から入り込む。払い落とす気にもなれない。重い足を引きずりながら、理由も目的も何もなく、ただ歩いた。

 頭上では風が荒れ狂っていた。なのに、俺の内心はまったくの無風、無感動だった。ただ淡々と景色を眺め、足を動かした。


 何のために不死を追い求めていたのか。こういうことを恐れていたから、ではなかったのか。

 スーディアでも、人形の迷宮でも、なんとか命を持ち帰ることができた。だから今回も。そんなわけがない。死ぬときは死ぬ。前触れも何もなく、いきなり。


 やることがなくなってしまった。なぜかそんな気持ちだった。

 限られた視界の中では、目に映るのは平らな砂漠と、そこを舞う砂粒ばかり。変化に乏しい虚無の世界……そうだ、世界が滅んだ後の景色があるとすれば、これではないか。今の俺にとってはむしろ居心地がいい。何に似ているだろう、と思って、前世のことを思い出して苦笑した。すべての番組を放送し終えた後の真夜中のテレビ。まさしく砂嵐、どれだけ見つめても意味のある映像は流れてこない。


 もう何日歩いたかもわからない。

 ミルークを見かけて、追いかけようと言ったのは俺だ。正確には、初日には俺もノーラもほぼ自動的に後を追ったのだが、その日の夜、放置するのも手だと言われ、俺が「納得したい」と主張した。だから、俺のせいだ。

 でも、出来過ぎじゃないか。ヌクタットなんて小さな村で、たまたまミルークと出くわすなんて。


 ……偶然でなかったとしたら?


 使徒が仕組んだ罠だったら。可能性はあるし、それも小さくはない。

 だいたい人形の迷宮でも、どうしてあれだけの仲間と出会えた? 俺の戦力不足を見越した使徒が送り込んだからだとしても、驚きはない。

 では今回は? スーディアと同じ筋書きかもしれない。俺の周囲の人間を殺すだけなら、奴の力からすればごく簡単なこと。だが、あえてそのようにはしない。奴は段取りを大切にしている。俺のせいで大切な人が死ぬ。俺に人間をやめよと、奴はそう言っている。


 それなら、俺は使徒を憎めばいいのだろうか。この件を仕組んだとわかったら、怒りを感じるかもしれない。ただ、まだ証拠はない。だいたい、不確定要素が大きすぎた。もしこの件を厳密に仕切っていたとすれば、奴はずっと俺達の横に控えていなければいけなかった。

 まず、偶然を装ってミルークと出会わせるだけではうまくいかない。もし初日の夜に、俺がノーラの説得を受け入れていたら、すべての準備が無駄になる。それにミルークがすぐさまフマルの連中の捕虜になるのも前提条件だ。彼を逃がした日にノーラが居眠りした件、あれくらいなら使徒の思い通りになりそうだが。

 直接にミルークを殺したのは、赤竜だ。しかし、あれらを憎むのは、話が違う。魔獣の本能に従って外敵に牙を剥いただけ。善も悪もない。


 そんなことをぼんやりと考えながら歩いていると、何かが視界の隅に引っかかった。ここ数日で初めて、地平線以外で輪郭のあるものを見た気がする。

 軽い興味を覚えて歩み寄って、それが何かがわかった。砕けた荷車の車輪だ。繋がれていた馬はいないので、逃げたか連れ去られたかしたのだろう。もはや半ば砂の中に埋まりかけているが、俺はそこに黒い汚れが混じっているのを見逃さなかった。


 してみると、ここから人里は遠くない。ごく小さな興味ではあったが、現状を確認しようと前を向いた。

 最初に目についたのは、焼け焦げた木と、その傍らの崩落した建物だった。日干し煉瓦の家といっても、中に木の柱が使われている場合もある。だから火災があれば、こうして崩れることもある。

 じっくり見つめて、ここがどこかを導き出した。ヌクタットの村の外れだ。あの、ミルークと再会した場所。


 ただの火災? そうではない気がする。俺は慌てもせず、立ち止まりもせずに、淡々と奥を目指した。


 村の外側のガランとした家が目についた。ガレージっぽい雰囲気がある。壁の一面が広く開けられており、中を見渡せるからだ。ここは支柱に木材を使っていないらしく、火災によっても崩落せずに済んでいた。しかし、表面には黒い煤がこびりついている。油をかけられて焼かれたのだろう。

 建物の内側には、黒焦げになって原形をとどめていない車輪らしきものが二、三。それと、これまた完全に炭化した棒のようなものが突き刺さった塊が一つ。思い出した。ここで木工作業に取り組んでいた老人だ。槍に貫かれて死んだ後、家ごと燃やされたのだろう。

 その先には農地があった。冬小麦のための農作業の最中だったが、多くの馬が踏み荒らしたらしく、足下が凸凹になってしまっている。そこに少年の死体らしきものが三つほど転がっていた。胸や頭に矢が刺さったらしい。牛にかけられていた犂は、その辺に投げ出されていた。

 村の中心に近付くと、家が多くなってきた。前に来た時と同じように、どこも窓や戸を開けっ放しにしていた。そのうちの一軒を覗き込む。そこには太った女が仰向けになっていた。もちろん、生きてはいない。胸を刺し貫かれたらしい。そのすぐ隣にはもう一つクッションがあるが、死んだ女の娘らしき人影はどこにもない。近くに綿が乱雑に散らばるばかりだった。


 少し進むと、まだ煙が上がっている家屋が目についた。昔の記憶がかすかに思い出される。あの不快な異臭が鼻をつく。

 大きな一間だけの家だったが、玄関の扉がなくなっていた。そこに火を放ったのだが、燃え切らずに火が消えかけているのだろう。中には燃えにくいものがたくさん詰まっていたので、それも仕方のないことだった。

 若い娘ばかり、二十人ほど。それがぎっしり詰まっていたのだ。みんな半裸で、身に着けていた服は引きちぎられて、きれっぱししか残っていない。奇妙なのはそのポーズだ。殺してから運んだにしては、整い過ぎている。壁に身を預けるようにしてしゃがみ込んでいるのもいれば、壁際に身を縮めて膝を抱え込んでいるのもいる。自分から中に入ったのだろうか。それとも、武器を持った男達に脅されてそうしたのか。

 目立った外傷がないところを見ると、全員、煙に燻されて窒息死したのだろう。


 そのまま、更にまっすぐ進むと、路上に何かが落ちているのに気付いた。

 首だった。まだ十歳前後の、少女のもの。それで思い出した。さっきの太った女の遺体。前にこの村に来た時、彼女の横で綿花の綿毛から種を取り除こうとしていた、あの少女だ。

 死の瞬間は、恐怖と苦痛に満ちていたに違いないのに、その生首は不思議なほど無表情だった。瞼も半ば閉じられていて、どちらかというと眠たげだった。

 脇を見やると、彼女の残りの部分があった。例によって衣類は引き裂かれており、足を大きく開いた格好で仰向けに転がっていた。


 この襲撃はいつ起きたのだろう。水分の少ない砂漠だから、死体もそうそう腐ったりはしない。それでもせいぜい、ここ二、三日のことではないか。

 しかし、ミルークは黒の鉄鎖の動きを察知して、南方に向かったはずだ。してみれば、この村に住むジャニブ氏族も、警告を受け取っていたはずだ。なぜこうも無防備なのか? もちろん、村の男達は出払っていた。アーズン城からの援兵が間に合わなかった可能性もある。だとしても、村人が逃げようとした形跡がみられない。この点はやや不自然だった。


 また一つ、見覚えのある建物が目に入った。

 俺達が泊まった宿と、そのオープンテラスの食堂だ。四方を木の柱に支えられただけの掘立小屋。幸運というべきか、ここには火がかけられず、そのままに残されていた。

 生存者がいれば、と思って足を向けたが、無駄だった。椅子もテーブルも、それぞれ押しのけられたり、横倒しになったりしている。そして真ん中には、一人の中年女性が横倒しになっていた。背中に大きな切り傷がある。

 あの女性だ。ペルジャラナンを目にして驚いていた彼女。だが、しまいには「かわいいかも」などと言い出して、彼の鱗だらけの頭を撫でさすっていた。

 だが今の俺の横には、もうそのかわいいトカゲも、黒衣の少女もいない。


 ノーラは、俺のことを気遣ってくれていた。人形の迷宮を去るときに、目的を果たせなかった俺に、なんと言った?

 こんな無益なことはもうやめろ、なんて言わなかった。俺なんかのおかげで、みんな幸せになれたんだと、手が届いたところには光が差したのだと。

 さすがにわかる。彼女なりに、俺を元気づけようとしてくれたのだ。自分だって相当に苦しい思いをしたに違いないのに。

 そしてこれからも、俺の傍にいてくれようと……それが、そのせいで……


 とにかく、これでわかった。

 ヌクタットは壊滅した。男は皆殺し。女も皆殺し。年頃の娘は残らず強姦。財貨は略奪済み。

 襲撃者は誰だろう? フマルだろうか? しかし、それにしては……


 なんにせよ、こんな場所にこれ以上、留まる意味も必要もない。襲撃者が戻ってくる可能性もある。それならそれで、こちらに刃を向けるなら、殺すだけだが。

 見るべきものは見た。では、次はどこへ行こう?


 アーズン城だ。

 ここから北東の方向にある。一応、多くの人馬が通ったので、この砂嵐の中でも、一応、道の見分けくらいはつくだろう。

 何のために行く? 理由なんてない。なんとなくだ。ただ、本来の目的地だったから。それだけ。


 それでも、ヌクタットで見た光景は、俺の脳裏に刻み込まれた。

 夜、暗くなって砂漠の岩山の上に横たわるとき、あの仰向けになった首のない少女の遺体を思い浮かべた。翌朝、目が覚めると灰色の空が見えた。地平線に目を向けると、踏み荒らされた農地と、転がる少年達の死体も見えてくる気がした。

 先を進む途中に見える岩山は、家屋のようだった。そこには膝を折り曲げた若い娘達がしゃがみ込んでいる。俺がその前を横切ると、火が放たれる。異臭と途切れ途切れの悲鳴、周囲からの嘲笑の声……

 荷物から干し肉とゴブレットを取り出し、飲食すると、あの食堂の女将を思い出す。肘で俺の脇をつついて、笑顔を見せたあの瞬間だ。


 何のためにこんなことを?

 意味などない。ないのだ。この世界に意味はない。殺すことにも意味はない。生きているから殺す。生きているから殺される。殺すから殺す。殺す。殺す。


 そうだ。

 使徒が何を企てていたにしても、黒の鉄鎖の男達全員を一人ずつ操ったはずはない。これは、彼らの意志だ。選択だ。

 ミルークが死さえ受け入れて和平を訴えたのに、あのフマルの戦士長はそれを握り潰そうとした。そしてあれから数日、実際に戦争は始まってしまったようだ。


 やがて、吹き荒れる砂嵐の向こうに、黒ずんだ大きな影が聳え立つのが見えた。

 ここがアーズン城なのだろう。それとわかったとき、急に何かの衝動が突き上げてきた。


 こんな場所を目指したばっかりに。

 どうして貴様はこんなところで何食わぬ顔をして突っ立っていられるのだ。


 無機物でしかない城の静けさに、俺は言い知れぬ怒りを感じた。

 思わず剣を抜き放ち、絶叫しながら振り回す。言葉にならなかった。憤怒、憎悪、悲嘆、悔恨……そのいずれでもあり、すべてでもあり、どれでもなかった。

 俺がどれほど叫ぼうとも、砂嵐はお構いなしだった。ただただ渦巻き、嬌声をあげて、遠くへ遠くへと散り散りになるばかり。何を問おうと答えを返さない。ヒステリックな笑い声がどこまでも続くばかり。

 やがて俺は、無意味に暴れるのをやめ、銀色に輝く刀身をじっと見つめた。それはいつになく、神々しい光を放っているかのようだった。


 何をしよう?

 答えはもう、そこにあった。


 新たな意志が俺に乗り移った。全身に赤黒い血が通い、破裂しそうな蒸気のような力が体のあちこちから噴き出してきた。


 彼らの選択には、それに相応しい運命を。

 心が定まると、俺は改めて目の前に聳える城を見据えた。正面にある門に向かって、俺は一歩を踏み出した。

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