第二十九章 慟哭の谷、叫喚の嵐

朧な夕陽

 馬車が大きく揺れた。

 後ろの幌は、しっかりと閉じられている。周囲は薄暗かった。まだ日中なのに、日が翳っている。


 出発から数日が経った。右手に赤竜の谷をなす、あの屹立する岩山を遠目に眺めるまでは、これといって変わったところのない、ただの観光旅行だった。けれども、このところは毎日のように砂嵐が続いている。おかげで旅程も遅れがちで、御者は残りの水と食料の心配をしている。最悪、駱駝達には何も与えなくてもなんとかなるのだが。

 荷台といったほうがいいような後部座席には、俺とノーラ、それにペルジャラナンしかいない。荷物も決して多くはなかった。


 想定より二日は遅いが、そろそろヌクタットに到着するはずだ。

 話に聞いた限りでは、これといって特徴のない小さな村らしい。オアシスといえるほどではないものの、井戸を掘れば一応水が出る場所だ。そこからそう遠くないところに、アーズン城がある。ネッキャメル氏族が支配する城塞だ。

 ならばヌクタットもネッキャメル氏族のものかといえば、そうではない。ジャニブ氏族が支配しているそうだ。ジャニブもネッキャメル同様、赤の血盟に属する氏族集団なので、同盟関係にある。


 これは東部サハリア特有の事情による。

 フォレスティアみたいに湿潤で肥沃な土地が広がっている国とは違い、土地を面で支配することの意味が薄い。地域のほとんどが不毛な砂漠で、岩か砂しかない。そんな場所に所有権を主張しても無駄だ。誰でも通過できてしまうし、敵対勢力だけでなく、ワームやリザードマンも出没する。

 だから土地の利権というのは、即ち水場の利用権となる。オアシスや井戸水が得られる場所ばかりでなく、家畜を養うに足る草地なども同様だ。そういうのが点在していて、ほとんどモザイク状に各氏族の権利が割り当てられている。同じ氏族の中にも分枝があり、それら支族ごとの権利というのもちゃんとある。それが譲ったり譲られたり奪ったり弁償したりで、パッチワークみたいになってしまっている。


 そういうわけで、ネッキャメル氏族の拠点も、あまりわかりやすくはない。アーズン城にティズがいなかったら? 後を追いかけるにしても、どっちに行ったらいいか、わからない。一応、北東方向にブスタンという大きめのオアシスがあり、そこは規模の大きな都市で、郊外には果樹園もある。そこにいてくれればいいが、いなかった場合、ちょっとアホらしいことになる。

 もう一つ大きな拠点があるのだが、それは海沿いになる。真珠の首飾りの北西端を占める港湾都市ハリジョンがそれだ。しかし、そこを目指すのなら、最初からみんなと一緒にムスタムに行ってから、船で直行するほうが楽になる。

 東部サハリア人には、定住の概念がない。もしくは希薄というべきか。あのタマリアの養父になったサラハンも家を捨てることに躊躇がなかったが、実際彼らはさまざまな理由で移動をし続ける。それは多くの場合、商売のためだが、ティズみたいな権力者だと、自分の支配地を定期的に見て回る必要がある。利権が入り組んでいる地域のことだから、どこかしら、行けば必ず陳情や相談が待っている。そういう小さなトラブルは、早期に摘み取ってしまわなくてはいけない。万が一、流血の事態にまで至ろうものなら、そこは世界一プライドの高いサハリア人のこと、引くに引けず、いくところまでいってしまう。


 幌の向こうに眺める景色でもあればまた違ったのかもしれないが、こう薄暗くては見物も何もない。幌をめくりあげるだけで砂埃が舞い込んでくる。自然、話題もなくなって、ただ馬車に揺られるだけになる。

 最初、ペルジャラナンだけは目を輝かせていたのだが、それは別に旅行先に興味があったのではなく……砂漠は彼にとって、見慣れた環境だから……人間の世界の乗り物にときめいていただけだった。今ではすっかり新鮮味もなくなり、尻尾を丸めて座り込むばかりだ。


 さて、ここ数日悩んできたのだが、そろそろ切り出さねばならない。


「ペルジャラナン」

「ギィ」


 実におとなしいトカゲだが、彼を本当に連れて行っていいものか、俺はまだ悩んでいた。


「何度も繰り返したけど、これが最後の確認だ。僕の旅はすごく危ない。死ぬかもしれない。それでいいんだね?」

「ギィ」


 何を言っているかわからないが、あちらは人間の言葉を聞き取れるので、やり取りはできている。短い返事だけで何のアクションもないのなら、同意ということだろう。


「もう一つ。僕と一緒に来る以上、行先は人間の世界だ。扱いは、だから……ペット、または家畜になる。それがどういう意味かは散々話したけど、これもいいんだね?」

「ギィ」


 大丈夫とは思いながらも、だんだん心配になってきた。

 何を話しかけても「ギィ」しか言わないし。


 既に御者には、俺のペットだと伝えてある。完全に調教済みで、人間の言葉で命令を下すこともできると言っておいた。最初は恐れられていたが、次第に何もしない、おとなしい奴だとわかり、今ではまったく忘れ去られている。


「見た瞬間に人間が襲いかかってくるかもしれない。だけど、うっかり殺したら」

「ギィ」

「わかってるならいいけど」


 彼は頷いた。

 ここまでの話は、先日、簡単にしておいた。すべて覚悟の上だと。


 しかし、彼にはもう一つだけ、大きな問題がある。


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 ペルジャラナン (17)


・マテリアル デミヒューマン・フォーム

 (ランク5、男性、17歳)

・マテリアル 神通力・高速治癒

 (ランク1)

・アビリティ 破壊神の照臨

・アビリティ 熱源感覚

 (ランク3)

・アビリティ マナ・コア・火の魔力

 (ランク3)

・スキル メルサック語  5レベル

・スキル ルー語     2レベル

・スキル サハリア語   2レベル

・スキル フォレス語   2レベル

・スキル 剣術      5レベル

・スキル 盾術      4レベル

・スキル 格闘術     4レベル

・スキル 火魔術     5レベル


 空き(5)

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 生まれつき強いリザードマンの中でも、若さの割には優秀な部類といえるだろう。しかし、このリストには、気持ち悪いモノが一つ、くっついている。『破壊神の照臨』だ。

 どこでどんな風に暴走するかもわからない能力が付与されているのは、まったくもって不安としか言いようがない。こいつのせいで、いきなり俺達を後ろから刺す、なんてこともないとは言い切れないのだし。

 だいたい、アビリティとはついているものの、本当に彼にとって有益かどうかさえ、わからない。魔宮にいた魔物にも『降伏者の血脈』なる謎の能力が付与されていたが、見た限り、あれによるポジティブな影響なんてなかった。単にアルジャラードに逆らえなくなるというマイナスの効果しか見当たらなかった。

 なので、こいつを取り除いてしまいたい。


「実は、もう一つ問題があって」

「ギィ?」


 彼はわかりやすく首を傾げた。


「ペルジャラナンは、神様のことは信じてる? どれくらい大切に思っている?」

「ギー……」


 はいといいえだけなら言葉が通じなくてもなんとかなったが、叙述を必要とする対話になると、途端に俺も彼も手詰まりになってしまう。


「待って」


 こうなるとノーラにやってもらうしかない。俺が自分でとなると、また能力の枠を空けて、そこに詰め込んで……と手間がかかる。


《それで神様なんだけど》

《ピンとこないなぁ》


 ペルジャラナンの心の声は、思っていたよりずっと軽く明るい。


《見たことないし。カンケーないね。で、カミサマがどーかしたの?》

《僕には人の呪いが見えるんだけど、どうもペルジャラナンにも、その呪いみたいなのが見えるんだ》

《エーッ》


 このノリの軽さはなんだろう。

 でもそういえば、アルマスニンもいつも笑っているように見えたし、もうそういうメンタルな人達なのだと思うしかないか。


《それで、できればその呪いを取り除きたい。できるかどうかわからないけど》

《ウン》

《やっていいかな?》

《ウン》

《なにか悪い影響がないとも言い切れないけど……本当に?》

《ウン》


 本当にいいんだろうか。


《じゃあやるけど、何かおかしなことが起きたり、調子が悪くなったりしたら、言って欲しい》

《ウン》


 全然気にしてないな。

 本当は能力を奪う力だって言ったら、どう思うんだろう?


 でも、やるしかない。万が一は避けたい。


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 (自分自身) (12)


・アルティメットアビリティ

 ピアシング・ハンド

・アビリティ マナ・コア・身体操作の魔力

 (ランク9)

・アビリティ マナ・コア・火の魔力

 (ランク7)

・アビリティ 破壊神の照臨

・マテリアル プルシャ・フォーム

 (ランク9+、男性、11歳、アクティブ)

・スキル フォレス語  6レベル

・スキル サハリア語  5レベル

・スキル 身体操作魔術 9レベル+

・スキル 火魔術    7レベル

・スキル 剣術     9レベル+

・スキル 格闘術    9レベル+

・スキル 隠密     5レベル

・スキル 料理     6レベル


 空き(0)

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 特に違和感もなく奪えた。現在、機能していないのかもしれない。

 しかし、いつ動き出すともわからない不気味な代物だ。俺は早速、これを植物の種に移した。いつものバクシアの種ではない。どうにも気味が悪かったのだ。


「終わったよ」

「ギィ」


 彼はまったくケロッとしていた。

 まぁ、俺も説明を省いた。砂漠種のリザードマンには全員、これがついていましたよ、とは言っていない。いくらなんでも、一日一回しか使えないピアシング・ハンドを、彼の仲間全員に使って回っていたら、それだけで年単位の滞在が必要になる。それとも彼ら全員を引き連れて南方大陸を目指すのか? 間違いなく軍隊が押し寄せてくる。

 だいたい、取っていいものかどうかもわからない。見たところ、これのせいで急に衰弱したり、といったことはないようだが。


 さて、今日の分のピアシング・ハンドは使ってしまったが、ではこれから、どうしたものか。

 相変わらず、年齢がネックになって、能力の枠が足りない。魂の年齢が十二歳だから、枠は十三。うち、一つは肉体、一つはピアシング・ハンド自体……料理はあまり使わないにせよ、これを切り捨てるのは怖い。更にフォレス語とサハリア語を外せないので、残り八枠。

 何を残すべきかだが、限界まで伸ばしきったであろう剣術、格闘術、身体操作魔術を外すのはもったいない。魔術核まで含めると、これでもう四枠。能力の高さだけを考えれば、腐蝕魔術や精神操作魔術が有り余っているし、神通力もいくつかある。ノーラに付与した魔導治癒も、有効性は確認済みだ。超強力な、あの魔眼もある。しかし、火魔術はずっと使ってきているし、これも残すとすると、残るは二枠。

 枠の残りがないと、いざという時、能力奪取に差し支えが出てくる。だから一つは空ける。だが、それだけでは不十分だ。この前のケッセンドゥリアンとの遭遇では実にもったいないことをした。あれだけ多彩な能力があったのに、奪えたのが魔眼だけとは。

 これを防ぐには、やはり植物の種を取り込んでおくことだ。いわゆるシードボム作戦、これをいつでも実行できるようにしておく。その上で一枠空けておく。隠密のスキルは、種に戻す。


 別に、今すぐ戦う予定はない。ティズに会って、まぁ挨拶でもして、けれども、こちらも欲しいものはないし、あちらも今更与えるものなどないから、とりあえずはそれだけでサヨナラだ。ミルークとの日々を語って、せいぜい感謝の気持ちみたいなモノを伝えればいいだけだろう。大森林に挑むまでは、これといった危険はないはずだ。


「けど、毎日木箱の中にゴロゴロしてるばかりじゃ、つまんないし、体もなまるなぁ」


 最初のうちは、骨休めになったとも感じていたが。ずっと緊張が続いていたので、ボーッと何もない砂漠を眺めるのも、そう悪い気分ではなかったのだ。

 しかし、暗い部屋に閉じ込められ続けるとなると、また話も違ってくる。


「ギィギィ」

「えっ?」

「暇なら人間の世界のお話をしてくれ、だって」


 確かに、その辺は今のうちか。アナクが教えた知識はきっとかなり偏っている。西方大陸のほとんどを踏破してきた俺のいうことなら、もっと役に立つだろう。


「でも、時間切れかしらね」

「なんで?」

「そろそろ着きそうだって、御者さんが」

「ギィ」


 するとペルジャラナンは揺れる荷台の上で立ち上がり、そっと幌を広げた。


「ギィ!」


 砂嵐はやみつつあった。それでもまだ、空中には細かな塵がたくさん浮かんでいるのだろう。

 背にしてきた西の空が見えた。もう日が沈む時間だ。無数の砂塵に夕日の輝きがぼやけてしまっているせいか、なんだかやたらと地平線が赤かった。右から左まで、砂漠にへばりつくような赤……


 その景色の異様さに、俺は一瞬、不吉なものをおぼえたが、すぐに首を振った。


 気のせいだ。考えすぎだ。なんでもかんでも関係があるとするのは、俺の変な思い込みだ。

 どうにも引っかかっていた。人形の迷宮で、ガッシュやビルムラール、それにキースまで。どうしてあんなに有用な人達がきれいに揃っていたのか。本当に偶然だったのか。俺の旅は、使徒に監視されているのではないか。

 レヴィトゥアが最後に縋った神とは。彼に精霊の力を与えたのは誰か。


 だが、考えても仕方がない。


「やっと宿で横になれるよ」

「一日中、寝てばかりだったじゃない」

「そうなんだけどさ」


 それとこれとは別物だ。

 粗末な寝床にガサガサした毛布でも、野宿よりはずっといい。


 そうだ、アーズン城にティズがいたら、ちゃんとした部屋をあてがってもらおう。数日くらい、お客様待遇で過ごしたって構うまい。フォレスティア王家とは険悪な仲とはいえ、俺は別にタンディラールに忠誠を誓っているのでもないのだし、尻尾を振れば笑顔で受け入れてくれるだろう。客人を歓待し、何不自由なく喜ばせ、寛大さを示すのも、東部サハリア人の美徳の一つなのだから。

 そんな風に頭の中を切り替えると、もう俺は今夜を快適に過ごすことしか考えていなかった。

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