トカゲのマーチ

「どうですか、腕の調子は」

「まだわからないな。ただ、どっちにせよ、あと数ヶ月は様子見るって言われちゃったからなぁ……」


 ギルド支部の建物の前で、俺とガッシュ、ノーラはのんびりと佇んでいた。


「これじゃ仕事もできないな」

「しばらくのんびりなさっては。迷宮討伐の報酬だってあるんですし」

「それな」


 右手で頭をガリガリ掻きながら……キースの癖がうつったんだろうか……彼は溜息交じりに泣き言を口にした。


「本当にもらっていいのかどうかって」

「いえいえいえいえ、正当な取り分ですよ。もし、キースさんが払わないとか、少な目にするとか言ったら、僕だって食ってかかります」

「つっても、どう考えてもなぁ」

「どう考えても、ガッシュさんは充分に役目を果たしたと思いますよ?」


 報奨金は、金貨三十万枚。これを、六人で割る。つまり、一人頭五万枚ずつ。キースはまったく平等に分割した。

 ガッシュは活躍の度合いを考えて、より多くの報酬を俺やキースが取るべきだと思ったのだろう。レヴィトゥアを討ち果たしたのはキースだし、ケッセンドゥリアンの石化の呪いに打ち勝って彼を解放したのは俺だ。だが、キースにとって、それは結果でしかない。

 もっといえば、彼にとって五万枚の金貨など、小銭とまでは言えないまでも、執着するほどの大金でもなかったのだろう。彼はこう吐き捨てていた。


『こんな小銭に頭振り回されんじゃねぇぞ』


 本当に親切になったものだ。


 前世での話だが、宝くじに当籤した人は、しばしば人生を狂わされた。そこまでいかなくとも、正気を失ったという話はいくらでもある。

 例えば、本当に大金を手に入れたと知った瞬間、衝動的に宝飾店に駆け込み、それまで興味なんかなかったはずの宝石類を数百万円分購入して、それを自宅に持ち帰ってぼんやり見つめてしまっていた、なんて人がいたりしたっけ。その人が我に返ったのは、まさに帰宅してしばらくしてからで、もちろん自分が何をしていたかの記憶はあるのだけれども、どうしてそんなことをしたのか、そんなに宝石が欲しかったのか、自分でも説明できなかったそうなのだ。

 もし宝くじに当籤したらどうする? 荒唐無稽な、滅多にない出来事の想定なんか無意味だと決めつけないことだ。心の準備ができているかを自問自答するのは無駄ではない。よいことでも悪いことでも、予想以上の出来事に耐えられる精神を用意しておきたいものだ。


 そして間もなく、この街は、人々の想定を超える事件に、また一つ巻き込まれる。


「どちらにしても、腕が治るまではあんまり無茶もできませんし、ムスタムあたりで静養なさって、それから一度、故郷に帰ってみるのはいかがでしょうか」


 今もガッシュの腕は包帯でグルグル巻きにされている。それが首から布で吊るされた状態になっている。


「帰る、か」

「なんだかんだいって、いろんな出来事がありすぎて、自分の中の軸がブレてるかもしれませんよ? 故郷の漁村に戻ったら『なんだこの小さくて汚い家は』とか思うかもしれませんね。でも、それが自分の中の警告なんです」

「いつも思うけど、それ、絶対十一歳と半年のガキが言うセリフじゃないよな」


 なお、俺とノーラはこっそり相談して、互いの報酬を半分ずつ、アナクに渡すことにしてある。アナクも、別に自分のために金を使うのではない。この迷宮都市が近々放棄されるので、彼女の保護していた少年達のために必要だからだ。

 俺達は別に、金に困っているわけではない。それでも一人につき金貨二万五千枚なのだし、今後の旅費としては充分過ぎるほどだ。それに、このドゥミェコン支部では支払いができないので、すぐ周辺の支部に連絡した。つまり今後は、この冒険者証で金の引き出しができる、ということだ。上級冒険者になり、その情報が各支部で共有されるようになったからこその特権でもある。


「ま、気楽な身分になったしな」

「傭兵団も、昨日、全部撤収ですからね」


 ガッシュは、黒の鉄鎖の傭兵団を、完全に解雇されてしまった。理由は二つ。一つは、左腕の負傷だ。これでは任務を果たせない。もう一つは、カース・イナージャことキース・マイアスの説得を断念したからだ。報告を受けたお偉方はひどく怒り出してガッシュを口汚く罵ったらしい。だが、どうせガッシュがどう頑張ったところで、キースが言うことを聞くはずもないのだ。

 それで黒の鉄鎖としては、迷宮も壊滅したようだし、これ以上ここに余計な戦力を置いておく意味もないとして、すぐさまジャンヌゥボンに向けて残りの全軍を出発させた。よって迷宮都市は今、スカスカだ。


「そろそろみたい」


 ノーラが静かに言った。

 それで俺もガッシュも、ギルドの脇にある通路に目を向けた。その向こうには例の迷宮への入口と城壁がある。


 そこから、ペタペタと耳慣れない足音が響き始めた。


「ギィギィ」

「ギシャシャ」


 先頭にいるのはアルマスニンで、その横にアナクがついている。その後ろに大勢のリザードマンがついてきていた。人間にとっては表情の読み取りにくい彼らではあるが、遠目にみても、明らかに楽しそうにしている。大声で遠慮なく喋りながら、彼らはギルド前の広場を埋め尽くした。


「行こうか」

「本当に、どうすんだ、これ」

「え? 普通に案内すればいいんですよ」


 ガッシュは肩をすくめて、何も言わなかった。


 それから十数分後、街中が阿鼻叫喚の様相を呈するに至った。地下から這い上がってきたリザードマン達が、市内を闊歩している。なのにここにはもう、防衛戦力がない。多少なりとも腕の立つ連中はとっくに街を去ったか、この前の大攻勢で死んだか、或いは黒の鉄鎖と共にいなくなったかしており、いるのは挺身隊の生き残りだけだ。だから誰もが抵抗など考えず、全力で逃げ出そうとした。

 しかし、逃げるといってもどこに逃げればいいのか。何も考えずに砂漠の真ん中に飛び出せば命がない。準備もなしに行き着けるオアシスなどないし、そもそも砂の上ではリザードマンより素早く動けない。そのことを思い出して、人々はただただ、建物の奥にしゃがみ込んでガタガタ震えるしかなかった。

 そんなパニックの中、俺達はいつもの店の扉をくぐった。


「へい、らっしゃ……」


 カマキリ顔の店主が、口を開けたまま硬直した。まるで魔眼にやられた犠牲者みたいに。


「ギィ」

「お客は他にいませんね? 貸し切りにしても大丈夫ですか?」


 口をパクパクさせるばかりで、彼は何も言い出せなかった。それで俺とアナクは、長老にまずは上座を占めるよう勧めた。

 アルマスニンは店主に手招きした。逃げ腰になっている彼だったが、隣に座る俺達を見て、恐る恐る近づいてくる。


「ギィィ」

「うぇっ!?」


 長老が笑顔で差し出したのは、金貨だった。


「店主、済まないが」


 アナクが代弁する。


「このお金で出せる料理をお願いしたい。足りなければもちろんもっと支払う。それと、なるべく味付けはハッキリしたものにして欲しい。辛いものとか、甘いものとか、とにかくわかりやすい味じゃないと、彼らにはおいしくないらしい」

「あっ、ああ……」


 彼女は、悪戯めいた皮肉な笑みを浮かべた。


「彼らはいつもワームの肉を食べているそうだ」


 氷が溶けていくように、徐々に店主の緊張も解けていった。


「なるほどな。じゃあ、草をたっぷり食った羊の肉を出してやる。こっちの飯はワームなんかよりずっとうまいってことを思い知らせてやろう」

「頼みますよ」


 それからは宴会だった。人間がするようにコップで果汁を飲み、使い慣れないナイフとフォークで羊肉を切り分けた。ただ、どうにも常識がないので、そこは目を覆いたくなる場面もあった。勢いよくナイフを叩きつけたせいで肉片が床に落ち、それをそのまま素手で拾って食べたり。テーブルマナーを教えている時間はなかったので、これも仕方ない。

 ただ、概ね彼らは人間社会のルールを守った。暴れ出すことはなかったし、わざと物を壊したりもしなかった。ただ一つだけ、犠牲になったのは背凭れ付きの椅子だった。尻尾の収まりが悪くて、つい力が入りすぎ、へし折ってしまったのだ。だが長老がすぐさま金貨を差し出して、弁償した。


 迷宮から出てきたリザードマンは、彼らだけではない。今現在、街中のあちこちを歩き回って、人間の世界を満喫しているらしい。商店に行っては物を買い、酒場に入っては飯を食い、宿屋に行ってはあの巣穴みたいな寝床に喜んで潜り込んだり……


《ファルス、ちょっと問題が起きた。ごめん》


 別行動しているノーラから、連絡が届いた。


《若いリザードマンが、貯水池に飛び込んで泳ぎ始めちゃったの。みんなの飲料水なのに……すぐやめさせたけど》


 それはもうしょうがない。解決したのなら、いちいち気にしても。

 今、この時も、ガッシュやビルムラールは、他のところで彼らが無茶をしでかさないかを見張っている。言葉は通じないが、口調やしぐさでそれと察してくれるので、逸脱した行動を止めること自体は難しくないようだ。

 なお、キースはそんな面倒なことはしてくれない。建物の三階のテラスから、酒を飲みながら混乱する街を眺めて、楽しんでいるらしい。


 一通り飲食を終えると、長老は立ち上がった。すると、他の仲間達も席を立つ。

 長老は最後にまた金貨を差し出し、気前よく店主にチップを握らせ、手を振って出ていった。俺も会釈だけで慌てて後を追う。


 人間の街、人間の世界を堪能したいというのが、長老の長年の夢だった。ドゥミェコンは普通の街ではなく、辺境の人工都市に過ぎないのだが、それでも彼にとっては、見るものすべてが新鮮で、この上なく興味深かったに違いない。

 しかし、引き際というものがある。さっきの店主のように、実際の態度で敵意のなさを理解してくれる人間もいるが、そうでないのもいるだろうことは想像に難くない。また、常識を知らない自分達が、この人間の領域でどんな無茶をしでかすかもわからない。だから、一通りの見物を済ませたら、さっと立ち去る。


 申し合わせたように、またギルド前の広場にリザードマンが集まり始めた。この頃になると、さすがに人間側も落ち着きを取り戻しつつあった。今のところ、誰も襲われていない。それに挺身隊員の中には、殺されずに保護されたのも少なからずいる。だから興味を抱いて、遠巻きに見物を始めるのも出始めた。

 そんな人込みを縫って、一人、また一人と仲間が戻ってくる。


「お疲れさまでした」

「ふいーっ、どうなるかヒヤヒヤもんだったよ」


 これから長老達は、とりあえず砂漠に出るつもりらしい。迷宮を攻め落とすようにという「新たな神」の命令は終わったはずなのだし、少し気儘に過ごしてもよかろうと、そのように決断したのだ。

 ということは、さっきの宴会は、アナクとの別離の宴ということでもある。彼女を人間の世界に返す時がきたのだと、彼はそう考えていた。


 集合したリザードマン達は、一路北に向かって行進を始めた。彼らの行く手を阻むものは何もなかった。

 やがて彼らは狭い通路を抜けて、街の外周を占める大通りに出た。


「シュウシュウ」

「長老はなんて?」

「あの広い建物はなんだ、とおっしゃっている」


 見ればそこは、あのキブラの住まう挺身隊の本部だった。


「あれは、この街の人間の中でも、一番偉い人が住んでいる場所です」


 わかりやすく説明したつもりだった。


「シュー?」

「人間の長老か、と」

「そんなようなものですよ」


 それを聞くと、長老は目を見開いて、背筋を伸ばした。


「シュウ!」

「えっ? ちょ、ちょっと、長老、それは」

「シュウシュウ!」


 アナクが止めるのも聞かずに、彼はどんどん歩いて、ついに敷地内に足を踏み入れてしまった。大勢の若い仲間が、その後に続いて入り込む。


「だ、大丈夫か? まさか殺すなんてことは」

「いや、長老は、ぜひ挨拶したい、としか言わなかったが」

「挨拶、ねぇ……」


 しかし、人とトカゲが仲良く挨拶を交わすなど、できっこない。ほどなく、敷地の外からでも聞こえる悲鳴と、何か物が叩きつけられて砕ける音が響いてきた。しかし、それも一時のことで、ほどなく静けさが戻ってきた。

 ややあって、長老は満足げな表情でのんびり引き返してきた。


「何をしたんですか?」


 すると彼は小首を傾げて、静かに息を吐いた。


「挨拶しただけだと」

「どんな挨拶を?」

「人間風の挨拶をした」


 意味が分からない。

 アナクも察して、更に長老に問いただした。そして返答を聞いて、彼女は目を覆って天を仰いだ。


「今、なんて?」

「私のせいだ」


 溜息を漏らしつつ、彼女は付け足した。


「どういうことだ」

「人間は……その、親愛のしるしに口付けをするものだと教えたことがあって、な」

「あぁ……」


 長老達はキブラの邸宅に踏み込み、廊下を突き進んだ。居残っていたのは彼女のメイド達ばかりで、戦える男などいなかったらしい。それでパニックに陥った彼女らは、廊下に飾られた調度品などを投げつけて抵抗を試みたが、まったくの無駄だった。

 それで奥の間に辿り着いた長老達は、その人の雰囲気から察して、この女性こそがキブラ、人間の長老であろうと察したのだとか。

 彼らはにじり寄り、腰が抜けて逃げることさえできない彼女を捕まえて、長い舌で顔をベロリとやった。長老がそうしたので、他の仲間もそれに倣った。それでキブラは、かなりの時間、リザードマン達に舐めまわされた。


「シュウ」

「私は人間の礼儀を守った、と」

「礼儀って、何を」


 立ち去るときに、キブラがあまり嬉しそうにしていないのを見て、長老は考えた。これは人間社会の約束事を守れていないからだ。では、何がいけなかったのだろう? そうだ!

 彼は、横たわったままのキブラの周囲に金貨をばら撒いた。それで満足して、部屋を出たそうだ。


「ぷっ」


 それを聞いたとき、俺は思わず笑ってしまった。


「ぷはははは!」

「シュシュシュ」


 なんだかよくわからないが、俺達は笑った。ノーラですら、苦笑いしていた。

 だが、長老から何か言われたアナクは、これまで見せたこともないほど寂しげな表情を浮かべた。


「シュウシュウ!」


 翻訳されずともわかった。それは旅立ちの合図だ。

 それを耳にしたリザードマン達は、長老に従って、不毛の砂漠の彼方へと歩き出した。彼らは振り返ることなく、まっすぐに地平線の彼方へと歩き去っていく。次第にその姿は小さく、豆粒のようになった。それが灼熱の大地の蜃気楼に紛れて、消えた。


「行っちゃったな」


 少ししんみりした気持ちで、俺は呟いた。


「うん」


 ノーラも神妙な様子で頷いた。

 ビルムラールとガッシュも、一言ずつ。


「お元気で」

「また会おうぜ!」

「ギィ」


 聞こえるはずのない声に、俺達は振り向いた。

 そこに一人、ポツンと突っ立っていたのは、つぶらな瞳のペルジャラナンだった。

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