迷宮都市、解体へ
地下三階への階段に足をかけようとしたところで、ガッシュが溜息をついた。
「荷物が増えるな」
「稼ぎが増えるとも言うがな」
アナクは淡々とナイフを取り出した。
階段の途中に、平べったく潰れたモノがある。轢き潰されたワームの死骸だ。彼女はそこから尻尾らしき部分を探し出し、手早く切り取る。そして遠慮なく、ガッシュの背中の籠に放り込んだ。
「今頃、地上は大騒ぎだろうな」
ガッシュの表情は複雑だった。悪戯っ子のような皮肉笑いもある。一方で、どこか寂しげというか、悲しみを感じさせる翳も滲み出ている。
「なんだかよぉ」
キースはもっとわかりやすく、スッキリしない! という顔をしていた。
「あの野郎、結局、やる気なかったってことかよ」
「そうみたいですね」
もてる能力を生かして全力で侵入者を抹殺する。そんな恐ろしい迷宮の主との戦いを覚悟して……いや、むしろ楽しみにさえしていたキースにとっては、ケッセンドゥリアンの意欲の乏しさは予想外でもあり、不満でもあった。
「あの声ですが、やっぱり地上まで聞こえたんでしょうかね」
ビルムラールが疑問を投げかけた。
「そうだろなぁ。じゃなきゃ、あんな言葉をいちいち口に出す必要なんかないし」
「クソが。なんだったんだよ」
「ある意味、楽に仕事が終わったともいえますが……」
「冗談じゃねぇ。後味悪すぎんだろが」
キースは、殺戮者だ。敵を殺して殺して殺しまくって生き延びてきた。生きることは弱い者イジメだと、そう言い切る彼だ。強者が弱者を殺し、食らって命を長らえる。なのに相手に敵意も何もなかったのでは。食わねば生きられない家畜の肉でもあるまいし。迷宮が世界の敵だといっても、実際に俺達は、ケッセンドゥリアンが人々を殺して暴れまわっているところを見たこともない。これでは本当にイジメではないか。
「でも、ということは、ファルスさんがあの時、動かなかったのは、ずっと迷宮の主の声を聴いていたからなんですね?」
「え、ええ」
「何を言われたんですか?」
どうしよう。不老不死の話は避けないといけないし……
「これで自由になれる、と」
「自由?」
「はい。どうもこの場所に縛られていて、人を殺したくなくても命令には逆らえず、迷宮を守っていたらしいので」
「ケッ」
歩きながらキースが吐き捨てた。
「んじゃ何か? 殺してくれてありがとうってか」
「感謝しているとは言われました」
「ふん」
嘘はついていない。本人が望んだ通りのことをしたのだから、申し訳なく思う必要はなかった。それに、どうも殺されない限り、自由にはなれなかったように思われる。
「でも、それだけじゃないですよね? 他に何か言ってましたか」
「えっと」
話す内容は慎重に選びたい。
あと、口に出して問題ないのは……
「誰なのか、教えてくれました」
「名前があるのか」
「本人は、イーヴォ・ルーの魔人、罪業の使徒ケッセンドゥリアンだと」
魔人なんてものは、それこそ伝説上の存在だ。俄かには信じがたいのもあり、みんな黙りこくってしまった。
「マジかよ」
ややあって、ボソリとキースが言った。
「だったら尚更、気に入らねぇなぁ。魔人なら魔人らしく暴れやがれってんだ」
「い、いや」
ガッシュが顔色をなくしている。
「そんな、おとぎ話みたいな」
「お前、おとぎ話の世界みたいだって喜んでたじゃねぇか。だったらしまいまでおとぎ話やってくれたほうがよかっただろが」
「それやられたら、さすがにみんな死んじゃいますよ……」
その通りだ。
結局、ケッセンドゥリアンは徹底して戦いを嫌っていたとしか思えない。多分、侵入者に対する無抵抗は許されなかった。だから最低限、相手を石化する魔眼の力を用いた。しかし、全力で生き延びようと思っていたのなら、最初から最強の攻撃手段を用いればよかった。彼が『腐蝕』の魔法を知らないはずがなかったし、あれがモーン・ナーの力によって変質した肉体を有していたのであれば、黒竜同様、その魔力によって自身が死ぬことはなかっただろうから。
「ですが、魔人ですか……」
「ビルムラールさん、何かご存じなんですか?」
「いえ、通り一遍のことしか知りませんよ」
ギシアン・チーレムの南方大陸征服に際して立ちはだかったのが、魔人達だった。いずれも普通の人間とはかけ離れた存在で、凄まじい力を振るっていた。しかし、名前が現代にまでちゃんと伝わっているのは、そのうちのごく一部だけで、あとは忘れ去られた。もしくは、女神教の関係者が、意図的に抹消したのかもしれない。
だから、ケッセンドゥリアンの名前も、記録上にはない。
「ただ、本物の魔人だとすると、それは合計八人しかいなかったはずです。これら魔人は、南方大陸に由来する魔物の種族の祖ともされていますから」
「っつーこたぁ、さっきブッ殺したのは、リザードマンのご先祖様ってわけか」
「そうなるみたいですね、ただ」
歩きながら、俺は付け足した。
「元、だと言っていました」
「元ォ? 魔人に元もクソもあんのかよ」
「恐らくなんですが……」
俺は全員の顔色を窺いながら、そっと尋ねた。
「この中に、セリパス教の信者はいませんよね?」
「なんだ、急に」
「彼は……いや、性別は、男でも女でもないんですが……神性を一度、剥ぎ取られたと言っていました」
「なんじゃそりゃ」
しかし、俺は、そしてノーラもだが、モーン・ナーの悪意を知っている。
「恐らくですが、この迷宮を元々支配していたのは、モーン・ナーです」
「はぁ?」
「長老の昔話を覚えていますか。かつてリザードマンの祖先が、この迷宮に攻め込んだ、という話」
「ああ」
「その時点では、多分、ケッセンドゥリアン自身が陣頭に立っていたのでしょうね。でも、どこかで敗北して囚われの身になった」
モーン・ナーの手によって殺されたか、それに近い何かをされて、能力も肉体も大きく作り替えられた。そして呪いを受けて、新たにこの迷宮の守護者に据えられてしまったのだ。
「胸糞悪ぃな。じゃ、あの野郎、自分の仲間を殺す仕事をさせられてやがったってことかよ」
「そうなりますね」
「チッ……」
しかし、とんでもない話だ。世間の常識では、モーン・ナーは原初の女神と同一とされている。
ガッシュが怪訝そうな顔をした。
「おかしいじゃないか。だって、モーン・ナーはこの世界の創造者なのに、どうして人間を苦しめるような魔物をこんなところに置いたんだ」
「違うんですよ、ガッシュさん。あれはそんなにいいものじゃありません」
「なんだって」
だが、まさかアヴァディリクの地下で見たものを、そのまま伝えるわけにはいかないか。ドーミル教皇に俺の知り合いが暗殺されてしまう。
「と、ケッセンドゥリアンが言っていた、ということです。それらしいことを」
「なんだ、そうか」
「彼が嘘をついているとは僕は思いませんが、この話はあまり言いふらさないほうがいい気がします」
これで俺が硬直していた件は解決、か。長話になるだけの話題ではあるし。
「他には何か、言ってやがったか?」
「ええと……誰か、ナシュガズって名前の街を知っていますか」
俺は知っている。ルーの種族に伝わる伝説の都だ。マルトゥラターレが聞き知っていただけのもので、実在するかどうかはわからなかった。
だが、ケッセンドゥリアンはそこに帰りたがっていた。ということは、今の状態はどうあれ、かつては存在したはずなのだ。
「私は南方大陸の出身なのですが、そんな名前の街はありませんね」
「そうですか。でも、古い名前なのかもしれませんが」
「一応、私も緑の王衣の家系に生まれましたから、その辺は小さい頃から厳しく学ばされました。少なくとも、ポロルカ王国や、属国のトゥワタリ王国の領域では、そんな名前の街はありません。古い呼び名も含めて、ないと言い切れます」
では、少なくとも南方大陸の南部には存在しない、ということか。
「そこまで確かに言い切れるわけではありませんが、現在の、いわゆる『真珠の首飾り』……キトやカリに始まって、アリュノーで終わる港湾都市の中にも、そんな街はなかったはずです。既に滅んだところも含めて」
「じゃあ、北部ですか」
「それも一応、地理を一通り学んだ中では……もちろん、東岸のハンファン人の街の中にも、そういうのはちょっと思い当たるところがないのです」
じゃあ、どこにもそんな街はないと、そういう話になる。彼が死ぬ前に場所を尋ねておけばよかったのか。
「ただ……これはもう、ただの言い伝えのようなものではあるのですが」
「何かあるんですか」
「現在、秘境とされて人が足を踏み入れることのない大森林の奥地にも、かつては人が住んでいたというお話はありますね」
「与太話っぽいな。さすがにそこまでくると」
普通の人なら、そういう感想を抱くのも当然だろう。しかし、絶対にあり得ないとは言い切れない。古代のことは、どうも常識では測れない。ただ、俺の目的とは直接には関係ないが。
「で、ナシュガズがどうかしたのか」
「ああ、ケッセンドゥリアンが死ぬ前に一目見たかった、と言ってただけです」
「そうか」
アナクが頷いた。
これで、この件は今度こそ終わり、か。
正直、がっかりした。
不死に至るどころか、その手掛かりさえ、特に得られたわけではなかった。あれだけ期待していた場所が、まったくの空振りなんて……
「ねぇ」
これまでずっと黙って歩いていたノーラが、初めて口を開いた。
「役立たずって、どういう意味?」
「えっ?」
これだからノーラは怖い。
全員の注意と関心が迷宮の主に集まっていたところで、彼女は俺だけをじっと見ていたのだから。
「なに、それ」
「言ってたじゃない、その、迷宮の主を倒すときに」
しっかり覚えている。
思わず心から溢れ出た、余計な一言を。
「言ったっけ? そんなこと」
「言った」
「僕も必死だったんだ。石にされそうになってて、何も考えられなくなってた。正直、覚えてないよ」
そうしらばっくれるしかない。まさか、説明できるはずもない。すべてを捨てて石になるつもりでした、なんて。
ノーラは何も言わなかった。それでも、明らかに不審の念を抱いたには違いなかった。
地上に戻ると、街は大混乱に陥っていた。といっても、魔物の襲撃を受けたとか、そういう悲惨な被害はなかったようだ。ただただ、迷宮の奥から窟竜やバジリスクといった怪物が溢れ出てきて、円筒状の城壁の上に飛び上がったり、城門を突き抜けて街中を駆け抜けたりしたらしい。また、街を離れた遠く、砂漠の向こうでは、巨大なクロウラーが地下から飛び出してきて、うねりながら遠くへと泳ぎ去っていくのがみられたという。
しかし、それらの魔物はどうも逃げるのに必死だったらしく、途中にいた人間に襲いかかったりはしなかった。幸い、街の住民のほとんどは外出する理由もなく、ほとんどが引きこもっていたため、この件による人的被害はなかった。黒の鉄鎖の傭兵達が街の防衛のために飛び出してきた頃には、すべてが終わっていた。
しかし、重大な問題が起きていた。
地下からの水の湧出量が明らかに少なくなったらしい。これではドゥミェコンの街をこれまで通り、維持することはできない。住民をゼロにしなければならないわけではないものの、少なくとも半分以上が退去しなければ、今後はやっていけなくなるそうだ。
それでいいのかもしれない。人形の迷宮は、打倒された。女神挺身隊も黒の鉄鎖の傭兵団も、ここに大勢で居座る必要なんてなくなったのだから。恐らく近い将来、このドゥミェコンの街は、放棄されることになるだろう。
やはりというか、ケッセンドゥリアンのあのアナウンスは、街中の人間に届いていた。もちろん、地下のアルマスニン達にも。
一千年以上、何者にも攻略できなかったこの迷宮が、まさかたった今、制圧されただなんて、誰にとっても現実とは思えない出来事だった。それでも、このような不思議が立て続けに起きたのであってみれば、この街の人々としても信じないわけにはいかなかった。
なお、決着には不満だったキースだが、それでも報酬についてはまた別だった。
彼はすぐさまギルドに乗り込んで、手続きをするようにと支部長代理に厳しい口調で要求した。
サハリアの中央砂漠における俺の探求は、こうして終わった。
けれども、まさしく蛇足ながら、この後にちょっとした事件が起きたのだ。
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