役立たず

 体が変質していくのがわかる。体だけじゃない。腰に手挟んだままの剣を除けば、何もかもが石に変じていく。それがうっすらと感じられる。変質した部分にはもう、通常の感覚がない。手足の末端から、何の感触も伝わってこないし、暑さも寒さも感じない。

 視界も徐々にぼやけ始めた。そんな中、意識だけがやけにはっきりしている。


 では、石に変えられても、眠れるわけではないのか。

 些細な問題だ。

 慣れさえすればいいし、それができなくても、このまま発狂してしまえばいい。


《よくないよ、そうか君はぼくを殺しにきたんじゃないんだね》


 また頭の中で声が響く。

 どうやら俺の意識を読み取って話しかけてくるらしい。どうでもいいか。少々うざったくはあるが。


《おや、懐かしいものを持ってるね、どうしてそれを? どこで見つけたの?》


 徐々に視界が狭まっていく。これがこの世界の見納めならば。

 俺は見える限りのものを目に収めてやろうと、改めて視界に映るものを再確認した。


 すぐ目の前には、巨大なトカゲがいる。緑色の汚い皮膚をした、ドブの中のカエルみたいなやつだ。


《ぷっ、ひどい言い草だね、その通りなんだけどさ》


 聞こえてくる声は明るく気さくで、親しげだ。


《けど変だなぁ、君、石になるのがすごく遅いけど、何か特別な力があるのかな? その剣からすると……体も普通じゃないけど》


 その後ろには、やっぱり無数の石像が並んでいる。

 迷宮に潜った戦士が大多数だから、やっぱり男が多い。それも若いのばかり。でも、だとすると、こいつらにも意識があるんだろうか? もしあっても、とっくに発狂していそうだが……


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 バッツ・パヌワン (34)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク5、男性、18歳)

・スキル フォレス語  5レベル

・スキル サハリア語  5レベル

・スキル 商取引    2レベル

・スキル 剣術     4レベル

・スキル 盾術     4レベル


 空き(28)

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 ……えっ?


 顔は若い男のもの。肉体の年齢も十八歳。なのに魂の年齢が三十歳以上?

 なんだ、このバッツってやつは。


《バッツ君は、世界統一の後に迷宮に挑んだ冒険者の一人だよ。今から、だいたい八百年くらい前かなぁ》


 そうじゃない、そんなことじゃない、どうして……

 なぜ加齢している?


《えっ? そんなに不思議なことかな? 時間が経てば、誰だって歳をとるでしょ?》


 いや、八百年? 八百年で……十六歳しか加齢していない。じゃあ、簡単に計算して、だいたい五十年で一歳分ずつ加齢する?

 街の外側にあったターヒヤの像はどうなる? 彼女が石に変じたのは二十八年前。ちょうど二十二歳になった直後に石になったとすれば、まだ五十年も経過していないので……

 石になってからの時間が短いから、加齢が確認できなかっただけ?


 馬鹿みたいだ!

 そんな、そんな理由? 石になっても不老不死なんかにはなれない! ただ魂の老化が遅くなるだけ?


《うん》


 そんな!

 じゃあ、俺は、俺は死ぬのか?


《みんなそうだよ、それでいいんだ》


 よくない。

 俺は不老不死を得て、二度と生まれないためにここまでやってきたのに。これじゃあ、また繰り返しになるじゃないか。

 石になって、意識だけ残って、ずっと苦しんで。それがまた結局死んで……


《ごめんね、本当は助けてあげたいんだけど、命令がぼくを縛ってるから、自分ではどうにもならないんだ》


 そんな……


 絶望の次には、怒りがふつふつと湧き上がってきた。

 冗談じゃない。やっと終わりにできると思って、だからここまで頑張ってきたのに。みんなに申し訳ないと思いながら、それでもと。

 それがこんなバカな終わり方なんて。


 なんとか、なんとかできないか。

 俺を石に変える、この魔法の力を消し去れば……


《君らがバジリスクって呼んでるのが使うのとは違って、これは普通の魔法じゃないよ》


 なんだって?


《説明いる? バジリスクがやってるのは、まず『活動停止』って魔法を使って、対象から魂の影響を排除するんだ……それでその上から『材質転換』っていう魔法で、肉体の部分を差し替えるんだけど》


 前者が腐蝕魔術で、後者が土魔術なのだろう。


《ぼくのこれは魔眼のせいで、もっと根源的な力だから……念じるだけで視界に入るほとんどのものが動けなくなって、石になる……石になったらもう、助けられない……普通の魔法のなら、薬草で治せるんだけど》


 じゃあ……


《その前に、仲間に引っ張り出してもらえば……だけど、もう声も出ないだろうし、ぼくの視界に入ったら、その仲間も、仲間の持ち物も石になっちゃうから》


 だったら……

 視界にはまだ、かろうじて迷宮の主の姿が見えていた。俺は半ば、本能的に心の手を伸ばしていた。


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 (自分自身) (12)


・アルティメットアビリティ

 ピアシング・ハンド

・アビリティ マナ・コア・身体操作の魔力

 (ランク9)

・アビリティ マナ・コア・火の魔力

 (ランク7)

・ユニークアビリティ 束縛の魔眼

・マテリアル プルシャ・フォーム

 (ランク9+、男性、11歳、アクティブ)

・スキル フォレス語  6レベル

・スキル サハリア語  5レベル

・スキル 身体操作魔術 9レベル+

・スキル 火魔術    7レベル

・スキル 剣術     9レベル+

・スキル 格闘術    9レベル+

・スキル 隠密     5レベル

・スキル 料理     6レベル


 空き(0)

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 ふっ、と体の自由が戻ってくる。視界もクリアに、思考も明晰になる。

 と同時に、湧き上がる怒りも生々しく甦ってきた。


「こっ、このっ……」


 これだけ期待させておいて。

 気付けば手には剣があった。


「役立たずがぁっ!」


 一足に踏み込むと、俺は全力で下から剣を振り抜いていた。

 すると迷宮の主は、ビクンと身を震わせると、そのまま床へと沈み込んだ。


《はは……! やった! やった! これで自由になれる!》


 喜びに満ちた声が脳内に響き渡る。

 そこで俺は、やっと我に返った。


「おっ、お前」


 迷宮の主には、最初から敵意なんてなかった。ただ、命令に縛られていただけだということに思い至ったのだ。


《いいんだ、これで誰も傷つけずに済む……君には感謝しかない》


 後ろからバタバタと足音が響いてくる。

 俺が何かしたらしいとわかって、戦いに加わるべく駆け付けようとしているのだ。


 黒ずんだ緑色の血液が、とめどなく床を汚し続けている。

 たったの一撃なのに、どうしてこうも致命傷になってしまったのか。治癒魔術だって使えるんじゃないのか?


《その剣で斬られたらね……もう助からない……ぼくみたいなのには、一番効くからね》


 この剣のことを知っている?

 いったい、こいつは何者……


「おおっ、ファルス! やったのか! やったんだな!」

「おいおい、独り占めはねぇだろがよ」


 駆け付けた仲間達が、横たわる迷宮の主を見下ろして、安堵の息を漏らしている。


《ぼくかい? ぼくは最後の魔人、ケッセンドゥリアン》


 魔人? じゃあ、イーヴォ・ルーの使徒?


《そう、罪業の使徒ケッセンドゥリアンだよ、元がつくけどね》


 俺は、死にゆく迷宮の主と、心の中で会話していた。呆然と佇みながら。


「おい、ファルス」

「どうしたんですか、固まって」

「まさか石になったんじゃねぇだろな、おい!」


 だが、返事をしている暇はない。

 なんてことをしてしまったんだ。ケッセンドゥリアンは、世界の秘密を知っているかもしれなかったのに。


《どうしようもなかったよ、お話しようと思ったら、ぼくは君をすっかり石にしてしまわなくてはいけなかった……そうしたらもう、助けられなかったんだから》


 いや、その石化の力を奪い取った。だったら殺さなくてもよかったのに。


《ううん、無理だよ。その場合、ぼくは君らを殺すために魔法を使わなきゃいけなかった。命令に縛られていたから。だから、あれでよかったんだ》


 だとしても……時間がない……そうだ、じゃあ、せめて答えて欲しい。


《不老不死かい? いいとも……ぼくが知っているのは、神性を帯びれば、魂の加齢は止められるということ》


 神性?

 そうだ、シーラも言っていた。世界の支配権を持つものの承認があればいい、と。


《ぼくの作り物の神性はたった今、剥ぎ取られたけどね……なくすのは、これで二度目だよ》


 二度目?


《そう、一度目は龍神に組した人々の代表として。二度目は……もっとひどかった。ずっとぼくは檻の中に閉じ込められていたようなものだった。だから、こんなの惜しくもないけど》


 龍神に組した?

 檻の中に……というのはわかる。さっき、命令に縛られていると言っていた。つまり、彼は意に反してここで不死を与えられ、侵入者を殺す仕事を強制されていた。


《でも、どっちにしろ、こんなもの、望まないほうがいい、絶対に》


 なぜ?


「ファルス! どうしたんだ、返事をしろ!」


 ガッシュが肩を揺さぶってくる。

 だが、少しだけ、あと少しだけ。


《君は肯定できないだろう? 人が生まれ死ぬ、そのことを受け入れられない……ぼくだって、誰かが傷つくのはつらいし苦しい……そういう人は、たぶん神性に耐えられない。たぶん、何かが足りないんだ、心の中の何か、大切なものが。そうするとね、狂ってしまうんだ、ぼくみたいに》


 わからない。

 何を言っているのか。


《かわいそうに、君は大変なものを背負い込まされたみたいだからね……》


 顔をぶたれた。


「おい!」

「正気です、少しだけ待ってください」

「なんだ、ビビらせやがって、何やってんだ」


 こうしている間にも、迷宮の主が弱っていくのがわかる。


《ああ、最後にナシュガズの街並みを目にしたかった、あの歌声をもう一度耳にしたかった……きっともう誰も住んではいないだろうけど》


 まだ訊きたいことはたくさんあった。だが、俺はそれをぐっと抑え込む。

 彼……ケッセンドゥリアンの最期のひと時を、俺のためだけに使わせようだなんて。それはあまりに身勝手だ。そう気付いたから。


《そうだ、これはやっておかないと、みんな困ってしまうね》


 そんなメッセージが脳内に入ってきたかと思うと、さっきまでとは全然音量の違う、まるでスピーカーの声みたいなのが響いてきた。


《おめでとう、人々よ。迷宮の主は今、息絶えます。この地の災厄は、今日をもって終わりました。あなたがたに安寧がありますように》


 それと同時に、頭上から震動が響いてきた。無数の魔物が大慌てで移動を始めたらしい。

 俺は息を呑み、思わずケッセンドゥリアンの顔のすぐ横にかがみこんだ。振り返ると、みんな目を丸くしている。


「いっ、今のは」

「誰が」


 戸惑う俺の仲間達を、ケッセンドゥリアンは金色の瞳でじっと見つめている。心なしか、悪戯っぽく笑っているように見えた。

 思わず俺は手を伸ばし、その頭をそっと撫でた。


《何百年ぶりだろう、人の手がぼくに優しく触れたのは》


 彼の魂の年齢は二千年以上。なのに、肉体の年齢は千三百年。ということは、恐らくそれからずっと迷宮の主になっていた。

 途方もない年月をこの穴蔵の中で、誰からも憎まれ、嫌われながら孤独に……


 なんという苦しみだろうか。


《ぼくに同情するんだね……ううん、そんな言葉じゃ足りない、一緒に悲しもうとしてくれているんだ……君自身、苦しんでいるのに、ぼくのために訊きたいことも諦めて……君の心は、まだ『なくしていない』んだ》


 彼は俺に語りかけ続けた。


《だからなんだ……君は壊れかけてるけど、まだ踏みとどまってる……だけど気をつけて》


 突然の忠告に、俺は顔を起こした。


《気をつけて、憎悪の化身が、すべての破滅を望むものが、闇の中から君に眼差しを向けている、気をつけて》


 それはどういう……


 アナクが気付いて、戸惑いながら言う。


「なんだ、まさかこいつが喋ったのか?」

「これって、迷宮の主だろ?」

「いったい何を……ファルス、こいつは」


 いよいよ力尽きたらしい。

 途切れがちなメッセージが、頭の中に小さく響く。


《もうお別れだ……じゃあ、ぼくらの挨拶を》


 できることなんて、何もない。

 俺はただ、黙って彼の言葉に耳を傾けた。


《ぼくより君らへ……果てなき空を、うち続く大地を、浩々たる海を贈ろう……あとはお願い……》


 それきり、心に直接語り掛けてくる声は、途切れてしまった。

 ピアシング・ハンドも、もう何も映し出さない。


 最期の挨拶だけは、俺の仲間達にも届いた。誰もが呆然としたまま、立ち尽くしていた。

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