迷宮の主

 幅広な通路が微妙に湾曲しながら続く。途中、左手に分岐があったが、そこは崩れて埋まっていた。レヴィトゥアが補強し、整備したのは、あくまで古代の設備のごく一部ということか。

 しばらく進むと、急に大空洞に出た。


「こいつぁ驚きだな」


 キースが感心したように言う。

 これまでにない規模の大空洞で、天井も高い。頭上のドームの一部は、あの青白く輝く岩からなっているので、真っ暗ではなかった。天井を見上げると、あちこち小さく横穴が見える。小さく、とは言ったが、遠くにあるからそう見えるだけで、実際にはかなりの大きさだ。あの斜めに開いた穴からは、窟竜が出入りしていたのだろう。今は一匹も留まっていなかったが。

 俺達が立っているのは通路の突端で、城壁の上だった。ちょうど半円形の砦があって、その天辺がそのまま背後の通路と繋がっている。

 この城壁はかなりの高さがあって、まるで地面に埋まった樽みたいなデザインになっている。高さにして、三階分に相当する。砦の頂上がレヴィトゥアの本拠から見て二階層下とするなら、砦のスロープをすべて降りきった場所は、その五階層下ということになる。レヴィトゥアの本拠は地下十層にあるので、だいたい第七層から十一層はリザードマンの居住地といえる。その上、四階層から六階層が人間との緩衝地帯で、三階層までが上層といえるのだろう。そして十二階層から下には、バジリスクや窟竜、クロウラーといった最悪の魔物が居座っている。

 大昔のリザードマンがどれほどの奮闘を繰り広げたのかが偲ばれる。この砦は、最下層へのショートカットなのだ。これがなければ、俺達は四つの階層を通り抜けなくてはいけなかった。そこは常に落盤や有毒ガスの危険が付き纏う恐ろしい場所だ。俺が転落したのも、だからそんな下層の一部だった。


「ここからは、割とすぐらしいな?」

「レヴィトゥアも窟竜を送ったことがあったらしいが、どうにもならなかった」


 迷宮の魔物は、互いに味方同士というわけでもない。ただ、明確に最下層を守っているのは、バジリスクだけらしい。そんな自爆能力を有する彼らといえども、やはり死ぬのは怖いらしく、迷宮がよほどの危機に陥らない限りは、無理して命懸けで戦ったりはしない。

 おかげで今、砦の下は安全地帯になっていた。本来なら、ここはリザードマン達の防衛線として固められていたはずだ。俺達がレヴィトゥアを討伐してしまった以上、アルマスニンはここの防衛線を整備し直す必要がある。バジリスクと正面切って戦うのは避けたいところだから、砦自体を土砂で埋めて通路も封鎖するのが妥当なところだろう。

 但し、俺達が迷宮の主を討伐すれば、話は別だ。


「見た限り、魔物の気配はありませんが」

「今、調べる……うん、『意識探知』にも何も引っかからなかった。近くには何もいないわ」


 しかし、そもそもそんなことが可能なのか。

 俺自身、やっと石像になるチャンスを得たのだ。これを逃すわけにはいかない。シチュエーションは完璧だ。ノーラに諦めさせるために、あえて目の前で石になる。そして、今なら退路も確保されている。

 だが、そんな腹積もりが俺になかったとしても。この迷宮は、あのギシアン・チーレムでさえ、攻略せずに放り出した場所なのだ。その前には、強靭なリザードマン達による攻略も退けている。


「よっし、降りる。覚悟決めろ。これでしまいにする」


 いよいよ、か。

 何年も前から、ここに目をつけてきた。ここでなら、永遠の眠りを手にできるかもしれないと。

 正直、実感がわかない。ただ、どういうわけか、背中に焼けた鉄の棒と氷の棒を同時に突っ込まれたような気持ちになる。


 ……俺は、恐れているのか? きっとそうだ。


 今でも自分の気持ちはわからない。

 わからなくても、これで終わりにできる。もう苦しむこともない。悲しむこともない。


 スロープの下は、平らな地面だった。乾燥しきっていて、固くなっている。


「ビルムラール、照らせ。窟竜は倒す。バジリスクは、できるだけ相手にしない。クロウラーもやり過ごす。作戦通りにやれ」


 バジリスクやクロウラーには、身体操作魔術が通用する。だから、最悪の場合は俺が『即死』で片付ける。だがその前に、ノーラが彼らに『暗示』をかけて遠ざける。また『人払い』を使って身を隠す。戦闘を繰り広げて物音をたてると、そのせいで更に魔物が集まってきてしまう。よって戦闘はなるべく回避する。

 だが、窟竜には魔法が効きにくいだろうことが予想される。これは以前、黒竜に『即死』その他の魔法がほとんど効かなかった俺の経験を踏まえてのことだ。だから、これだけはどうしようもない。やり過ごせなければ、なるべく迅速に倒す。


 奇妙なほど静かだった。

 周囲に魔物はいないらしい。迷宮の主は、我が物顔で下層に圧力をかけ、窟竜を操るレヴィトゥアを、どう思っていたのだろうか?


 砦のある大空洞の向かいに通路となる穴があいていた。バジリスクなら余裕で通れるくらいの幅だ。もちろん、人間にとっても充分な広さがある。

 ビルムラールの仕事は増えるばかりだ。光を点しつつ、空気の安全性を確かめ、通路の崩落を防ぐ。いまや欠かせない役割だ。

 しかし、有用性だけでこのパーティーが成り立っているのでもない。既に荷物持ち以上の役目を果たせないガッシュもいるし、案内人としての仕事もほとんど残っていないアナクもついてきている。一応、レヴィトゥア側に属していたリザードマンから道筋を聞き出してはいるのだが、その情報は俺達にも共有されている。だから、何が何でもいなければいけないわけではないのだが、やはり彼女としても、この迷宮の最後を見届けたい思いならあるのだろう。


「立ち止まってください」


 ビルムラールの指示に、先頭を歩くキースが素直に従う。

 低い声での詠唱が済むと、また歩き出す。


 だんだん自然のままに掘り抜かれた、ただの洞穴のようになってきた。古代のリザードマン達が築いた遺跡は、さっきの砦でおしまいで、この先にあるのはバジリスク達の巣穴だけだ。


「待って」


 ノーラの声に、また立ち止まる。


「行ったわ」


 少し進むと、洞穴の通路が左右に分岐していた。


「右だ」

「さっきのは」

「左の通路に」

「よし」


 いたのはバジリスクだろう。だが、追い払うことができたようだ。


 一歩進むごとに、空気が重苦しく、肩にのしかかる気がする。

 この上なく順調に歩みを進めているのに。


 小石の散らばるでこぼこの洞穴が、ちょっとした登りになる。そこを這い上がると、小さなドーム状の空間に出た。そこからタコ足のように、あちこちに下りの通路が伸びている。


「そちら、だ」


 言い淀みながら、アナクが指差した。

 一際広い通路がある。これなら窟竜でも潜り抜けられるだろう。小石を蹴散らしながら踏み込むと、やがて通路の景色が変わってきた。


 前後左右、どこにも傷のない、灰色の壁と天井。床も同じだ。

 まさしくモーン・ナーを思わせるこの無機質な造形。いよいよ、迷宮の主の領域が近いのだとわかる。


 通路が、途切れた。


 広大なドームの下、無数の姿が影を落としていた。ドームの頂点には白く輝く石があり、それに照らされているのだ。

 それらの石像には、さまざまなものがあった。手近にあったのは翼を広げた窟竜。その向こう側にも、無数の人々の立像がある。その数は本当に多く、いちいち数えていられない。百ではきかないだろう。


 急に胸が早鐘のように打ち出した。

 血が逆流して、何も考えられない。


 キースが目配せして、俺達を窟竜の影に寄せる。そうだ、作戦通り。

 俺が事前に言った通りにしてくれている。最初の一撃は、ファルスが入れる。任せる、と。


 竜の石像の足下に膝をつき、俺は呼吸を整える。

 内心の、言葉にし難い葛藤が、何度も何度も波となって打ち寄せる。思考を纏められない。だが、心の一部がなんとか我に返った。俺は、自分を見つめるキースの視線に、ノーラの目に気付いて、頷いてみせた。


 迷宮の主は、この石像群の向こうにいる。気配でわかる。眠っているのでもなさそうだ。

 それなのに、襲いかかってくる様子もない。威嚇の声もあげない。落ち着き払っているのは、自分の力を信じているがゆえか。


 簡単、簡単だ。

 ただ黙って、そいつの前に向かって歩き、立ち止まるだけ。睨まれるだけ。子供でもできる。

 今の俺の戸惑いも、決して不自然ではない。この異様な景色を見て、恐れを抱くのは当然だ。大丈夫、大丈夫……俺の気持ちは、まだ誰にも悟られていない。これは裏切りではないか。裏切りだ。それでも、この心の苦しみも、死ねば終わる。

 これでいい。俺がいないほうが、ノーラもこれ以上、危険にさらされることもなくなる。今度こそ新しい人生を始めてくれる。


 何より、死んでしまえば……

 もう、何も思い出さない。

 愛する人を手にかけたことも、何もかもが無の彼方に消え去る。


 ここまで来たのだ。

 そう自分を奮い立たせ、起き上がる。そうして、立ち並ぶ石像の裏側を歩く。

 これから死のうとしているのに、そうなるのが恐ろしくてならなかった。いきなり呪いが降りかかって、石にされたらどうしようと、心のどこかで感じていた。明らかに矛盾しているのに、それを自嘲する余裕もなかった。


 動かない人の列が、途切れた。

 その向こうは、通路みたいになっている。ここを左に折れれば、まっすぐドームの中央に辿り着ける。つまり、視線が通っている。


 普通のバジリスクの石化魔術は、俺には通じなかった。だが、迷宮の主ならばどうか。多分、効かないということはないと思う。少なく見積もっても、あのアルジャラードと同じくらいの強者だろうから、それに匹敵するだけの能力を備えているはずだ。

 手を握りしめる。やけに指先が冷たく感じた。じっとりと冷や汗をかいたせいだと思い至る。


 行こう。

 立ち止まっていても、仕方がない。


 俺は一歩を踏み出した。

 足元を踏みしめている感触がなかった。体が浮いているようだった。


 ずらりと立ち並ぶ石像の通路の向こうに、そいつはいた。

 体長数メートルの、やけにずんぐりとした巨大なトカゲ。表皮は暗い緑色で、まるで泡が弾けたような汚いイボが体中にある。眼球は大きく、カエルみたいだと思った。ただ、それは静かに閉じられている。


 まさか、眠っている?


 もしそうであれば。倒すのなら、絶好のチャンスだ。いや、そんなバカな。俺は何しにここに来たんだ。

 だが、すぐそれは間違いと気付いた。そいつは目を閉じたまま、体の向きを変えたからだ。


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 ケッセンドゥリアン・タワンナン (2331)


・マテリアル ミュータント・オリジン・ドラゴニュート

 (両性、1349歳)

・時の檻

・マテリアル 神通力・鋭敏感覚

 (ランク7)

・マテリアル 神通力・透視

 (ランク7)

・マテリアル 神通力・暗視

 (ランク7)

・マテリアル 神通力・怪力

 (ランク7)

・マテリアル 神通力・断食

 (ランク9)

・マテリアル 神通力・念話

 (ランク9)

・マテリアル 神通力・読心術

 (ランク9)

・ユニークアビリティ 束縛の魔眼

・ユニークアビリティ フィアーロア

・アビリティ マナ・コア・腐蝕の魔力

 (ランク9)

・アビリティ マナ・コア・土の魔力

 (ランク9)

・アビリティ マナ・コア・力の魔力

 (ランク9)

・アビリティ マナ・コア・治癒の魔力

 (ランク7)

・アビリティ 病毒耐性

 (ランク9)

・アビリティ 炎熱耐性

 (ランク9)

・アビリティ 痛覚無効

・アビリティ 不眠不休

・スキル ルー語     7レベル

・スキル クラン語    5レベル

・スキル アブ・クラン語 4レベル

・スキル フォレス語   4レベル

・スキル サハリア語   4レベル

・スキル ルイン語    4レベル

・スキル シュライ語   7レベル

・スキル 腐蝕魔術    9レベル

・スキル 土魔術     8レベル

・スキル 力魔術     8レベル

・スキル 治癒魔術    7レベル

・スキル 爪牙戦闘    1レベル

・スキル 剣術      8レベル

・スキル 盾術      8レベル

・スキル 格闘術     8レベル


 空き(--)

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 初めから聞こえていたし、見えていた。気付いていた。

 目を閉じたまま、こちらを見ている。


 とんでもないバケモノだ。わかってはいたものの、実際に目にすると面食らう。

 しかし、能力の山に見えて、どうにも不自然な印象はある。あのトカゲそのものの手足で、どうやって剣術を身につけたのか。言語能力も謎だ。そもそもまともに喋るなんてできそうにないのだが。この外見でドラゴニュートとか、どう考えても虚偽表示だ。


《ようこそ、ようこそ》


 急に声が聞こえた気がした。

 誰だ?


《そしてごめんね、せっかく来てくれたのに》


 まさか、目の前の……


《もう待ちきれないから、いっぱいお話しよう》


 そう頭の中で声が響いたかと思うと、迷宮の主は目を見開いた。

 その金色の眼球がこちらを捉えた瞬間、俺は全身が硬直するのを感じた。指一本動かせない。かろうじて意識があり、視界も残ってはいるが、それだけだ。世界の欠片の絶大な力をもってしても、この強大な魔力を跳ね除けることはできないらしい。


 ああ……


 これで終わる。

 やっと終わりなんだ。


 ついに辿り着いた永遠の眠りに、俺は小さな安心を感じた。

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