リザードマンの王

 視界は真紅と黄金に塗り分けられていた。


 黄金の扉を蹴破って中に踏み込んだ俺達が目にしたのは、神殿と呼ぶにはあまりに毒々しい色合いの空間だった。真っ赤なブロックが積み上げられて壁を成している。四角く区切られた空間だが、屋根はない。貯水池全体を覆う空洞が、頭上に広がっている。壁の上部には、一定間隔に黄金の燭台が据えられていて、そこには火が点されている。

 中に立ち入った俺達のすぐ足下は、黄金色の通路だった。それがまっすぐ前方へと伸びている。その他の場所はタイルで埋められていたが、すべて朱色だった。そこには一枚残らず矢印が刻み込まれている。どちらに向けられているかというと、俺達の真向かいの壁だ。手前に小さな段差と階段があり、中央を貫く黄金の通路もまっすぐ続いている。それが壇上に上がると、どうやら矢印の先端を模した三角形が描かれ、そこで壁に行き着く。

 向かいの壁にあるのは、やっぱり真っ赤な壁と、その中央に絵画のように掲げられた金属の板だった。中心には黒い円が描かれ、その周囲に金色の粒子がとりついているように見える。円の周囲にはまばらだが、離れるにしたがって密度を増す。さながら雲が黒い太陽に吸い込まれるかのようなデザインだ。


 あの黒い円が、彼らとレヴィトゥアが信仰する「新たな神」なのだろうか?

 ではこの矢印はなんだろう。光り輝くこの世界のすべて、あらゆる生命が、あの真っ暗な穴の中に飲み込まれていく。そんなイメージがふと、心に浮かんだ。


 状況は、しかし、物思いに耽る時間を与えてくれなかった。


 黄金の矢印の上に、これまた黄金色の床几があった。玉座の間とはいえ、背凭れのある立派な椅子などあり得ない。尻尾がある彼らには不便だろうから。

 もちろん、玉座に主がいないはずもない。ただの王ではなく、祭司王を名乗るだけあって、レヴィトゥアはそれらしい恰好をしていた。白い貫頭衣に赤いマント。黄金色のティアラ。それに右手には、これまた金色の、ゴテゴテと装飾された短い槍を握り締めていた。


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 レヴィトゥア (48)


・マテリアル デミヒューマン・フォーム

 (ランク6、男性、48歳)

・マテリアル 神通力・高速治癒

 (ランク1)

・マテリアル 神通力・魅了

 (ランク3)

・アビリティ 破壊神の照臨

・アビリティ 熱源感覚

 (ランク3)

・アビリティ マナ・コア・火の魔力

 (ランク8)

・アビリティ マナ・コア・力の魔力

 (ランク7)

・レッサースピリット

・スキル メルサック語  6レベル

・スキル ルー語     1レベル

・スキル 槍術      5レベル

・スキル 火魔術     7レベル

・スキル 力魔術     7レベル

・スキル 魔獣使役    8レベル


 空き(35)

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 やっぱりそうだった。魔獣使役のスキルがある。キースよりずっと上だ。窟竜を支配できたのは、この能力があればこそだった。火魔術には優れているが、今の俺とほぼ互角。油断しなければ、彼の魔法を妨害し続けるのだって不可能ではないだろう。

 しかし、他にも余計な神通力があるのと力魔術も邪魔……レッサースピリット? なんだろう? マテリアルでもアビリティでもない。スキルでもないが……


 当然ながら、レヴィトゥアは一人で玉座の間にいたわけではない。周囲には、黒い金属製の甲冑に身を包んだ親衛隊が、十人ほども控えていた。邪魔くさいが、こんなものは一気に斬って、駆け抜ければいい。

 俺もキースも判断は同じだったようだ。物も言わず、一気に前へと走り出る。だがその時、眩い閃光が目を焼いた。


「ぐあっ!?」


 軽く弾き飛ばされたキースが、押し戻されて膝をつく。

 一瞬のことだった。あのレヴィトゥアの持つ槍の穂先が光ったかと思うと、そこから空間を切り裂く白い熱線が放たれたのだ。それをキースは、反射的に霊剣で受けとめた。

 火の魔力に対抗する水の霊剣であればこそ、凄まじい熱量にも耐えきれたのかもしれない。だが、それでもなおレヴィトゥアの魔力は絶大で、ただの一度、魔法を防ぎ切っただけで、キースは消耗していた。息は荒く、こめかみには汗が滴り始めていたのだ。


 俺達を見据える祭司王とその親衛隊は、悠然と構えて動き出さない。自分達の強さを確信しているのだ。

 逆に俺は、半ば混乱していた。一瞬であの威力? いや、おかしい。火魔術の能力だけなら、俺とほぼ同等のはず。あんな熱線を出す魔法なんか、俺は知らないが、もし知っていても、きっとあれだけの出力を即座になんて、絶対無理だ。あの槍が魔法の武器とか? だとしても威力がありすぎる。なんとなくの印象でしかないが、破壊力だけなら、あのアーウィンの、無数のスーディア兵を焼き殺した火魔術以上だと思う。

 じゃあ、どうする? 俺の魔術で防ぐ? どうも無理な気がする。では、ノーラが『反応阻害』を使えば。これは有効かもしれないが、そもそもの「反応」が高速過ぎて、彼女の目では追えない可能性が高い。キースでもやっとなのだから。ピアシング・ハンドでレヴィトゥアを消す? 選択肢ではあるが、それをしてしまうと、俺の秘密がバレるのはいいとしても……


「ノーラ! 『老化』と『変性毒』だ!」


 防御より攻撃。そして、親衛隊の頭越しに届くのは、これだ。

 腐蝕魔術で溶かすと、俺達まで汚染される。汚染なしで済む攻撃手段は、『老化』と『変性毒』、そして『壊死』しかない。離れた場所から使用できるのは、先の二つだ。但し、即効性がどれだけあるか。特に、能力が高いレヴィトゥアに効いてくるには、多少の時間がかかりそうだ。


 レヴィトゥアは、俺達を目にしながら、悠々とした態度でじっくりと観察した。

 そして徐に槍を掲げる……


「くっ!」


 またあれを食らったら!

 俺は走り出そうと身構えた。


「ぐぅお!」


 呻き声がすぐ横で聞こえた。盾を手に、ガッシュが前に出たのだ。そして、熱線を真正面から受けた。

 無傷とはいかなかったらしい。盾の表面から、白い煙のようなものがあがっている。しかし、アダマンタイトの盾をもってしても防ぎきれない魔法なんて、見たことなんか……


 ……ある。


 使徒だ。奴なら、もっと強力な魔法を使うだろう。

 しかし、レヴィトゥアにそれだけの力を与えているものは、彼のスキルでもなければ、魔術核でもない。


 レッサースピリット。やはりこれか?

 そのまま言葉を解釈すれば、下位の精霊。では、祭司王は自分の中に精霊なるものを宿していて、そこから力を引き出している?


 この世界における精霊というのは、特殊な存在だ。そして、謎めいている。魔王と同様、人々の信仰の対象とされたこともあり、女神教はこれを厳しく取り締まったという。ただ、魔王と違って、自発的に活動したという記録はない。人間に王国を築かせ、支配地を広げるといった、それこそイーヴォ・ルーがやったようなことは、一切していない。

 東方大陸の山岳地帯から砂漠地帯にかけて、精霊を奉ずる人々がいたらしい。そして魔獣使役も精霊の民の技術だと、キースが言っていた。


 では、レヴィトゥアは、そこからその知識と力を……


「くっそ! ファルス! 構うな! 左右に分かれてやるぞ!」


 キースは、敵の攻撃手段の強力さを思い知った。そしてすぐさま覚悟を決めた。あの熱線には一瞬で敵を焼く威力がある。だが、連発はしてこない。二手に分かれて襲いかかれば、最悪でも犠牲になるのは片方だけ。

 俺達の動きを見て、親衛隊も動き出した。黒い剣と盾を手に、にじり寄ってきたのだ。それこそ構わない。チーズのようにあっさり真っ二つだ。

 だが、俺がまさに跳びかかろうとしたその時、目の前にいたリザードマンは、急によろめきだし、そして横倒しになった。


 すぐ後ろでは、ノーラが杖を手に、身構えている。

 俺の敵を毒で葬ったのだ。しかし、ではなぜ、レヴィトゥアには効いていない? ノーラが真っ先に狙ったはずなのに。いや、効き始めるのが遅いのはわかるが、思った以上に時間がかかっている……


 魔術の効きが悪い。どこかで見たような現象だ。まるで俺じゃないか。

 だとすると、奴が抱えている精霊とやらは、かなりの力を与えてくれるものらしい。


「あっ!?」


 熱線を吐き出す槍ばかりを警戒していたところで、いきなり奴は左手を掲げた。

 その直線方向にいたのは、ノーラだった。


 慌てて身を乗り出して庇おうとするも間に合わず、いきなり彼女の体は宙に浮き、そして背後の壁に激しく叩きつけられた。


「ノーラ!」


 強烈な一撃に、彼女は力なく床に突っ伏した。


 だが、すぐに意識を前に向ける。

 心配しても助かるわけじゃない。それより少しでも早く、奴を。


 心ばかり急く俺達をよそに、レヴィトゥアは戦いを手下どもに任せ、またもや槍を掲げた。

 俺が突き抜けないと。剣を思いっきり振る。『壊死』によって強化された剣の鋭さを知らないリザードマンが、金属製の盾で受けたが、あっさり両断された。だが、また別の一人が立ち塞がる。


 槍の穂先が、真っ白に輝く。


「ぬあああ!」


 左右に分かれた俺とキースを牽制するためか、俺達の後方に狙いを定めたレヴィトゥアに、ガッシュは正しく反応した。閃光が弾ける。盾が一瞬、真っ白に発光して、またすぐ元の灰色に戻る。

 今、彼が身を挺して庇わなければ、ビルムラールやアナクは死んでいた。


 もう、猶予はない。

 仲間を死なせてまで守る秘密などない。それに、手札を惜しんで命を落としたのでは本末転倒だ。


 レヴィトゥアの肉体を、奪う……


「うっ!?」


 その時、光り輝く球体が、目の前で膨張するのが見えた。

 思わずよろめいたが、これはピアシング・ハンドの警告だ。ということは、肉体を奪った場合、あのレッサースピリットなるものが、何かをしでかす? 何が起きるかははっきりしない。ヘミュービのときに感じたような浮遊感はないが、どことなく不安をおぼえた。

 じゃあ、レッサースピリット自体を奪えば……


 すると今度は、俺の体の中に、得体のしれない黒い根が食い込んでくるようなイメージが流れ込んできた。

 駄目だ。わけがわからないが、とにかくどちらもできない。しないほうがいい。


 やるしかない。

 幸い、キースも弱っているとはいえ、既にもう一匹、切り伏せている。親衛隊の生き残りは、あと七人。

 こいつらを切り伏せれば、レヴィトゥアに接近戦を挑める。


「ギヒィ」


 だが、奴は急に口元を歪めて、いやらしく笑い出した。

 俺達が蹴破って開いた黄金の扉だが、最後に部屋に入ったビルムラールによって閉じられていた。その向こうから、無数の足音が聞こえてくる。


 それで察した。

 こいつは本気で戦ってなんかなかった。あの熱線を遠慮なく使えば、もっと楽に俺達を始末できた。なのにしなかった。

 遊んでいたのだ。今もそうだ。いくらここで手下どもを相手に暴れたところで、近寄ってきたら熱線。それで足止めしている間に、後ろから家来どもが駆け付ける。せっかくの獲物は、いたぶってから殺す。

 なんならみんなでご馳走を楽しみたいのだろう。ノーラを焼かずに力魔術の念動力で打ちのめしたのも、あの熱線では肉が残らないからか。


「チッ!」


 包囲されたら本当に終わる。

 キースは焦って前に出ようとするが、それを親衛隊は、二人がかりで食い止める。なら俺が……


「ギィッ」


 誰かが指示を下した。俺の剣の切れ味が異様にいいとわかって、即座に対応したのだ。リザードマンの生来の冷静さゆえだろうか。俺を取り囲み、遠くから剣を突き付ける。そして俺が強引に前に出ようとすると、その後ろに抜けて駆け出そうとする。その向こうにはノーラがいる。反対側には、盾を構えるガッシュとアナク、ビルムラールが。


「もっ、もう、持ちません!」


 最後尾にいるビルムラールは、俺達に背を向けて扉を押さえている。アナクも一緒だ。

 ときどき、懐から茶色い粉を撒いては何か唱えている。敵の増援に気付いた彼は、扉を魔術で固着させ、室内に入れまいとしているのだ。


 何十、何百というリザードマンに包囲される可能性。考えてはいた。

 その場合の対策も、一応はあった。まずはピアシング・ハンド。それがうまくいかない場合でも、腐蝕魔術を使えばいい。死ぬよりは汚染されたほうがましだ。体内の汚染も、時間をかければ除去できるかもしれない。そこに賭けて、すべてを『腐蝕』で吹き飛ばす。

 だが、偶然とはいえ、レヴィトゥアは最善の一手を打った。最大の攻撃力を有する相手を封じ込めたのだ。かけてあったはずの保険が、どちらも無になってしまった。


 そして、状況は更に悪化した。

 頭上に響き渡る羽音に、俺達も、敵も、思わず手を止めた。ニヤつくのはレヴィトゥアばかりだ。


 風圧と共に、この玉座の間の壁に降り立ったのは、窟竜だった。それも一頭ではない。纏めて四頭。その上空、高さのたりない天井までの空間に、更に三頭が翼を広げて留まっている。


 この圧倒的戦力差には、さすがに言葉もなかった。

 ガッシュは、口をあけて呆然と上を見上げてしまっている。一方、キースは自分の仕事に徹していた。状況がどうあれ、戦う以外にない。ただ、相手が技量の差に気付いて、防戦に徹している。さすがの彼も、これでは守りを抜けなかった。

 すぐ後ろでは、意識を失ったノーラが倒れたまま。その横でアナクとビルムラールが、必死で扉を押さえていた。だが、何度目かの衝撃に弾き飛ばされ、後ろから数えるのも馬鹿馬鹿しくなるほどのリザードマンが雪崩れ込んできた。ビルムラールは突進を受けて簡単に転倒し、アナクも背後から羽交い絞めにされた。


 万事休す……


「ギィギィ」


 勝った気になっているのか、レヴィトゥアは指図した。

 後ろからアナクが引き出されて、二人のリザードマンに両腕を掴まれた状態で、壇上に立たされる。レヴィトゥアの指が、反抗的な目で彼を睨みつけるアナクの顎に触れる。

 倒れたままのノーラが、俺の後ろで乱暴に引き起こされる。ガッシュやキースには、無数の剣が突きつけられる。俺も同じだ。これでは動けない。


 もうおしまいか? 奴らの餌になるしかないのか?

 いいや。


 レヴィトゥアは間違えた。

 俺達に勝つだけの力ならばあった。最初から余計なことをせず、徹底して殺すことに専念していればよかったのに。


「ギィヤッ! ギィギィ」

「ギシャーッ」


 頭上で窟竜が翼を羽ばたかせ、足下の人間とリザードマンに向かって吠えたてる。

 俺達を始末するのに、多分、こいつらまで呼ぶ必要はなかった。単に力の差を誇示して、絶望させたかったのかもしれない。こういうのをなんと言うんだったっけ。そうだ、蛇足だ。違いない。ヘビに手足がついたのがトカゲなんだから。


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 (自分自身) (12)


・アルティメットアビリティ

 ピアシング・ハンド

・アビリティ マナ・コア・身体操作の魔力

 (ランク9)

・アビリティ マナ・コア・火の魔力

 (ランク7)

・マテリアル プルシャ・フォーム

 (ランク9+、男性、11歳、アクティブ)

・スキル フォレス語  6レベル

・スキル サハリア語  5レベル

・スキル 身体操作魔術 9レベル+

・スキル 火魔術    7レベル

・スキル 剣術     9レベル+

・スキル 格闘術    9レベル+

・スキル 隠密     5レベル

・スキル 料理     6レベル

・スキル 魔獣使役   8レベル


 空き(0)

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 今度から、植物の種を取り込んでおこう。

 せっかく強力な敵に出会えても、一つしか奪えるものがないのでは、ありがたみが薄い。


 小さな違和感をおぼえたのか、レヴィトゥアは笑うのをやめて、怪訝そうに上を眺めた。

 その瞬間だった。


「伏せろ!」


 叫びながら、俺は後ろに跳んだ。

 頭上から紫色の炎が迫る。それはすぐに、玉座の間を満たすいくつもの火柱になった。


 一太刀でノーラを立たせていたリザードマンを叩き斬ると、俺はすぐ振り返った。

 キースもガッシュも、即座に反応できていた。霊剣を手に印を組んだり、盾を頭上に掲げたりすることで、炎の直撃を避けることができた。ビルムラールは最初から腹這いになっていた。アナクは、皮肉にもすぐ近くにいたレヴィトゥアが『防火』の魔術を用いたために、やはり炎の息の直撃から免れていた。


 何が起きたのか?

 俺がレヴィトゥアから魔獣使役のスキルを奪った。だからといって、頭上の窟竜達を俺が操っているわけではない。命令を知らないからだ。しかし、いまや彼らは誰にも支配されていない。自由となれば、魔物本来の本能に従って、目前の敵に襲いかかるのは自然なこと。


 混乱は、俺達よりリザードマン達のほうが大きかった。

 自分達が仕えている祭司王は、竜さえ従えるのではなかったか? どうして味方を焼こうとするのか?


 ここだ。今しかない。


「キース!」


 扉の横の壁まで後退した俺では、トカゲどもを掻き分けてレヴィトゥアを討つには離れすぎている。今は、彼に託すしかない。

 ノーラを片手で抱き寄せ、残った手で剣を構える。そして急いで詠唱する……


 こちらに気付いたレヴィトゥアが、鋭く振り返って槍を向ける。

 あの熱線がくる!


 白い光が、すぐ目の前で、黒い影に遮られた。

 大きな男の背中が仰け反り、その場に横たわる。弾き飛ばされたアダマンタイトの盾が、遅れて落下して、大きな音をたてた。


「うぉぉっ!」


 一瞬の隙をついて囲みから抜けたキースが、レヴィトゥアに迫る。

 数歩の距離が、リザードマンの王に身構える余裕を与えた。そしてすぐさま槍を向けようとして……硬直した。


 俺の手から投擲された不可視の鏃が、その右手を痺れさせていたからだ。


「ギャピィッ!」


 袈裟斬りを浴びて、レヴィトゥアは悲鳴をあげつつ、仰け反った。


「ギシュゥ……」


 そして、倒れ込む。

 肩口からきれいに入った一撃。どう見ても致命傷だ。


 這いずりながら、彼は壇上の矢印の先、あの黒い円に向かって何事かを呟いた。


「シュウ……シャ……」


 だが、そこで力尽き、突っ伏した。


「ファ、ルス」

「ノーラ」


 ちょうどよかった。意識を取り戻していたのか。


 指導者の死に、リザードマン達は更なる混乱に陥った。しかも、頭上では変わらず窟竜達が暴れているのだ。

 その戸惑いに乗じて、キースは剣を振るってアナクを奪い返した。


「ガッシュさん!」

「お、おぉ」


 盾を掴んでいた左手が、ひどい火傷になっている。

 額から汗を流しつつも、彼はなんとか立ち上がった。


「貸せ」


 手にしていた戦鎚を放り出し、右手を差し出してくる。

 俺は頷き、ノーラを引き渡した。


「ビルムラールさん、立って!」

「う、ひいい」


 もう、やることはやった。あとは脱出するだけだ。


「ファルス! お前が先に行け! 俺が後ろを押さえる!」


 あとは突っ切るだけ。

 混乱するリザードマン達の背中に、思い切り剣を叩きつけた。逃げ惑う彼らを蹴散らして、俺は黄金の扉の下の階段を駆け下りる。


「走れ! 走れ! 俺達の勝ちだ!」


 キースの声を背に、俺は幅広の水路を突っ切った。

 既に俺達の行く手を阻もうとする敵は、いなくなっていた。

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