地底の王宮の裏口から
「どうですか?」
「状態はよくないですが、補強すれば一時間はもつでしょう」
バジリスクの出没する岩肌の露出した領域を抜け、いまや俺達は古代の通路址を移動していた。
そして、こういう空間を進むのに、ビルムラールはまさに天の配剤としか言いようのない能力を有していた。
懐から取り出した茶色い粉をふりかけ、詠唱する。それでもう、脆くなりかけていた左右の壁が補強された。あくまで一時的な効果でしかないものの、崩落の心配をせずに通路を抜けられるのは大きい。
それだけではない。光魔術のおかげで、松明やランタンを使わずに視界を得られる。つまり引火性のガスに着火する危険がなくなる。そもそも、風魔術を熟知している彼なので、有毒ガスのある空間、酸欠になっている場所の見分けもつく。更には有毒成分の中和までこなせる。
俺が一人きりでこの地底に降りてきたときとは全然違う。この安心感は、こういう協力者がいればこそだ。
「ここを右だ」
アナクが先に立ち、その横をペルジャラナンが固めている。今のところ、敵の姿はない。
曲がった先に見えたのは、黒々とした壁面だった。
「俺の苦労が報われるな」
皮肉げにガッシュが笑った。
音を立てないよう、そっと荷物を下ろす。俺が後方を、アナクが前方を警戒する。あとは道具の組み立てだ。
金属製のパイプに、他のパイプを嵌め込み、継ぎ足す。それが何本もある。先端の部分には横に穴があけられており、そこに金属の棒を通す。その金属の棒の両端には溝がある。ロープを絡ませ、そのロープにはフックを取り付けてある。
「よっし」
正直、強度に信頼はおけない。この街にとどまっていた鍛冶屋に急いで作らせたものだ。だが、渡り切るまでもてばいい。
「擦るな。音が聞こえちまう」
細心の注意を払いながら、やっと金属の棒の束を、壁際まで押し付けた。
次はそこに、木製の箱をそっと載せていく。上にある扉までの足場とするためだ。
「持て、ガッシュ」
今度は命綱だ。
誰か一人が先行して、扉を開ける。そしてフックを扉の下の縁のところに引っ掛ける。それまでは、後ろで他のメンバーが金属の棒の先端に立っていないといけない。でないと支えがないので、足場が溝に落ちてしまう。
「よし、ファルス」
「待て」
アナクが声をあげた。
「私にやらせてくれ」
「危ねぇぞ」
「私は武器も何も持っていない。一番身軽だ」
ガッシュが手早く、ロープを彼女の上半身に括り付ける。アナクは靴を脱ぎ、二つのフックを左手に纏めて、慎重に足場の上に進んだ。
前後に蓋のない木箱の前で足を止めると、慎重に体を折り曲げ、ゆっくりと膝を載せた。命綱こそあるものの、転落の危険はある。それにここでしくじれば、裏口からの侵入は断念せざるを得なくなる。もしレヴィトゥアの配下に追い回されても、既に退路はあの窟竜との戦いで破壊されてしまった。失敗できない。
気が遠くなるほどの時間をかけて、彼女は一段ずつ、音もたてずに登っていった。そしてついに、扉に手がかかる。
ドアノブを掴んで、そっと回す。かすかに軋む音がした。最初は控えめに、それから一気に押し開く。
通路は薄暗かった。誰の姿も見えない。それを確認すると、彼女は片足を前に出して扉を半開きにし、急いで手元のフックのロープの長さを調整し始めた。
「よし、次、ファルス行け」
フックを引っ掛けたアナクは、既に廊下に侵入している。扉を押し開けたままだ。俺は彼女の脱ぎ棄てられた靴を拾い上げると、なるべく素早く渡された金属のパイプの上を渡り、木箱にとりついた。
向こう側に渡った俺は、剣を抜いて敵に備える。
「ガッシュ」
そろそろ撤退が難しい段階になる。
体重の軽い俺やアナクではなく、重装備のガッシュがここを通る。彼の仕事は、他のメンバーの移動を支えることだ。フックがあっても仮設の橋が落ちない保証はない。
やや騒がしくはあったものの、金属の橋は彼の通行を許した。そこで投げ渡されたロープをガッシュが掴む。残りのメンバーは、ガッシュの命綱に助けられながら渡ることになる。
「ノーラ」
あとは身体能力の順だ。この後はビルムラール、そしてペルジャラナン。最後にキースが渡り終えた。
ここから先の道順を知っているのは、アナクだけだ。彼女は無言で手を伸ばして、行く先を示す。
狭い通路はそう長くは続かなかった。すぐ左側に扉のない小部屋がみられるようになる。そこは武器庫だった。ビルムラールが手の中の光をかざすと、無数の剣が青白い光を照り返した。その瞬間に見ただけでしっかり確認はしなかったが、武器の大きさや品質には、ばらつきがありそうだった。やはり人間側から奪ったものを管理しているだけなのか、ここで製造したものもあるのか、それとも古代からの名剣も混じっているのか。
途中に燭台が一つだけ置かれている。小さく燃えていた。
広い通路に出た。
ノーラの手が、後ろからアナクを掴み、引っ張り戻す。そして急いで詠唱する。
「……眠らせた」
今、アナクが広い通路に出たところを見られたのだ。周囲は暗いが、リザードマンなら熱源を感知できる。
俺達は頷きあい、そっと大通りに出た。
そこは本当に幅広だった。白い石材がアーチ状に組み合わされていて、それが一定間隔ごとにある。左右の幅は最低でも七メートルはある。高さもかなりのものだ。
どこかで見たデザインだと思ったが、これはここに来る前の、あの汚水のある場所の手前、十字路の左手のものと同じだった。とすると、この通路はどこかで更に下層に繋がっているのだろうか。
アナクは黙って右を指差した。
大通りは右にも左にも、僅かに湾曲しながら続いていたが、俺達は途中ですぐまた右手の狭い通路に入った。階段を登ると、また廊下になった。
この階層にあったのは、食糧庫らしい。左右の小部屋にあったのは、大きく角切りにされたワームの肉だった。暗い中で、白い脂身ばかりが目についた。
アナクが立ち止まった。
すぐ目の前に、右手に折れる廊下が続いている。壁際にへばりつき、そこから先を窺う。
そっと戻ってきて、彼女は言った。
「これ以上は隠れられない」
「この先、何がある」
「貯水池だ。その上に、十字の通路がある。アルマスニン長老のところより、道幅が広い。天井も広い。その奥、真ん中に階段がある。そこを登った先にあるのが、レヴィトゥアの玉座だ」
「見張りは」
「いる。通路のあちこちに立っている」
ということは、ここからは走りっぱなしで強行突破するしかない。
だが、そうなると肝心の情報が欲しい。
「ノーラ」
「うん」
「誰か一人でいい。レヴィトゥアがまだここにいるという保証が欲しい。でないと、無駄になる」
歩哨の精神に入り込み、記憶を覗き見る。相手の能力が高い分、リスクは大きい。
だからといって、のんびりもできない。あちらも窟竜を三匹も配置したのだから、やすやすと忍び込まれはしないと思っている。それでも、地下からの襲撃の可能性を意識しているからこそ、こうしてさっきの通路にも見張りを立たせておいたのだ。時間をかければ、やがてはあちらも気付く。
ノーラは丁寧に何度も詠唱を重ねた。一番近くにいる歩哨に、『認識阻害』から『眩惑』、更に『暗示』まで重ねがけしてから、ようやく『読心』を用いた。
「……いる」
「確かか」
「ついさっき、上の階層から戻ってきたみたい。今は玉座で指揮を執ってる」
よかった。今回は、俺達に運があったということか。
「ただ」
「ただ?」
「周囲に護衛がいるみたい。攻め込まれるなんて、そんなこと全然心配してないのよ」
「ちょうどいいじゃねぇか」
油断しているところを一気に攻める。
だが、そううまくいくものか。
「ちょっといいか」
アナクが割り込んだ。
「ペルジャラナンから、考えがあると」
「なんだ」
「囮になる、と言っている」
つぶらな瞳の彼は、シュウシュウと息を漏らす。
「下で余所者を見つけたことにする。近くの兵士を集めて降りるから、その間に、ワームの肉の裏側に隠れてやり過ごしてくれ、と」
「危なくはないか」
気付かれたら、まず助からない。
「無策で突っ込めば、全滅するかもしれない。レヴィトゥアの不意をつけるなら、そのほうが勝てる見込みが大きい」
「しかし」
「どのみち、奴を倒しても配下が襲いかかってくるかもしれない。そうなれば、助からないのは同じ。死ぬ危険があるなら、勝ち目が大きいほうがいい」
「わかった」
躊躇う俺達をおいて、キースは決断した。
「任せた。だが、奴らが通路を抜ける前にバレたら、どうせ同じだ。その場合は、この狭い場所を使って戦う。あとはその時だ」
残念ながら、実戦に絶対安全なんてものはない。味方でも、場合によっては切り捨てていかなくてはいけない。ましてやこれは、本来ならアルマスニン達リザードマンの戦いだ。もちろん、その結果として、次は地上への侵攻に繋がるのだから、人間側としても放置はできない。最深部を目指したい俺個人の都合から考えても、重要なステップではある。それでも、これは俺達のプロジェクトではない。たとえ犠牲になろうとも、その困難が大きければ大きいほど、ペルジャラナンとしては、自ら進んで引き受けなくてはならないのだ。
俺達は手早く近くの小部屋に入り、ワームの白い肉塊の背後に立った。するとペルジャラナンは、一人で通路の外に出て、叫んだ。
「ギーァッ! ギーァッ! ギシャー」
遠くからパタパタと足音が響いてくる。平らな石畳の上を走るのに適さない、平べったい足の裏がたてるあの音。それがいくつもいくつも迫ってくる。五、六人ではない。足音で人数を数えようとして、十人から先はわからなくなった。そのうちパタパタではなく、ドタドタになり、いくつもの足音が重なって聞こえてきたからだ。
暴風が通り過ぎていったようだった。気付くと、俺達は呼吸すら止めていた。
足音が遠ざかっていく。
こんな雑な作戦、すぐバレる。時間を無駄にはできない。
誰も何も言わなかったが、まったく同じタイミングで物陰から出てきた。キースを先頭に、俺達は通路の向こう側へと走り出る。
そこは、アルマスニンの集落にも匹敵する広さの貯水池だった。ただ、そのデザインは若干異なる。
水路の上の通路の幅は、少なく見積もっても五メートルはある。壁面は灰色ではなく、赤大理石のように見えた。天井からは光り続ける照明があったが、これは黄色だった。
なにより違ったのは、高い天井の下、凹の字のような貯水池の真ん中に、幅広の階段と、その向こう、石積みに支えられた壁があったことだ。四方を黄金の柱に囲まれ、真っ赤な石で組み上げられた場所。正面には、これまた黄金色に輝く観音開きの扉がある。
なるほど、これは王宮だ。でなければ神殿か。
しかし、こんな地下にどうしてこんな場所を設けたのか。
魔宮モーでは、サキュバスの材料となる少女達を養育する必要があった。その他にも、多分、サース帝の時代には、さまざまな形で活用されていたのだろう。トロール達を外に出すための大きな扉もあったし、宮殿のようなエリアもあったのだから。
ここも元々はモーン・ナーの支配領域だったはずだ。それが最深部にまで後退している。迷宮の主とその下僕たるバジリスク達が最後の防衛線を敷いているにすぎない。だから、後からここまで攻め込んだリザードマン達は、本来モーン・ナーのための祭壇を、「新たな神」とやらを祭るための場所として改装したのではないか。
しかし、それはいつのことだろう? これは想像するしかない。たとえば、諸国戦争期において、サハリアの砂漠を支配していたのは、彼らリザードマンだった。
俺達は一気に外壁の横を走り抜け、王宮の正面に出た。そして階段に迫る。
さすがにそこには守衛がいた。
「ギッ、ギーッ!」
敵襲、とでも叫んだのか。
そこに、俺とキースが肉薄する。薙ぎ払われた二人のリザードマンは、脇の貯水池に転落した。
敵が異常に気付き、対応するまで、あまり時間はない。
俺達は階段を駆け上がり、勢いよく扉を蹴破った。
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