レヴィトゥアの罠

 迷宮内を照らす青白い光。土壁の向こうに、黒々と広がる大穴が見えた。

 これといった障害もなく、俺達は例の階段のところに辿り着いた。俺が火球で吹き飛ばした扉の残骸が脇に転がっている。


「おーし、お前ら、こっからは気ィつけてけよ?」

「えっ、ファルスさんのお話では、中にはサソリすらいなかったとのことですが」

「お前、本当、こういうのにはアタマまわんねぇんだな」


 溜息をつきながらも、キースは説明を省いたりはしなかった。


「こいつを見ろ。オラ、アナクが逃げただろが。するってぇと、そっからの道を逃げた奴が覚えてる。裏から攻め込んでくるかもしれねぇってわかるだろ。そりゃアルマスニンは自分とこ守るのに手いっぱいかも知んねぇが、万が一ってのがある。俺がレヴィトゥアなら、裏口に罠の一つでも置いとくぜ」

「ああ、そういうことですね。わかりました」

「俺が前に立つ。止まれっつったら止まれ」


 それでも、階段を下りる間にこれといった問題は起きなかった。戦力的には明らかにレヴィトゥアのほうが優勢で、裏口に割く人員がいないとも思えないのだが。

 代わり映えのしない大昔の石の階段を下りるだけなのだが、不思議と下に向かえば向かうほど、心の中に重石のようなものがのしかかってきた。それはみんなも同じらしく、誰もが神妙な顔つきになる。それもそうだ。この下で待つのは殺し合い。足下に広がるのは、恐ろしい戦場なのだ。


 階段を降りきって、通路を進む。このまま先に進むと、あのバジリスクを殺した場所に辿り着く。


「ノーラ」

「うん」


 腐蝕魔術のことは詳しく説明していない。ただ、バジリスクによる汚染を調べることができるとは伝えてある。

 もはや岩と瓦礫のアスレチックと化したその場所から、バジリスクの死体が押し潰されているであろう岩の山を見つめて、ノーラは意識を集中する。


「少しだけある……けど、反応はあの降り注いだ岩の塊の内側だけ。近寄らなければ大丈夫みたい」

「じゃあ、ここを降りよう」

「って、ここか」


 ガッシュがげんなりした顔になる。


「この大荷物をどうやって下ろすかだな」


 ただでさえ、ここを降りるのは大変そうだ。もともと細く狭い階段だった。それが死の間際にあのバジリスクが行使した魔法のせいで、更にあちこち崩れてしまっている。丸くてツルツルしているところもあれば、ギザギザに尖った箇所もある。そこをなんとか、手掛かりを見つけながら下りていかなくてはいけない。


「そこで私の出番ですよ」


 得意げなビルムラールが進み出た。


「いいやり方がありますか」

「ええ。この粉をちょっと使えば、ですね……はい、失礼しますよ」


 階上の足場の縁に立って、彼は茶色い粉を散らし始めた。そして静かに短く詠唱する。


「おっ? おお」


 目に見えて、すぐそこの岩が変形を始める。小さな変化だ。しかし、それが大きい。丸くて滑りそうなところが平らに。尖って怪我をしそうなところも平らに。


「こんな感じであれば、降りられそうですか」

「やるじゃねぇか」

「これこそ魔法の真骨頂ですよ。小さく用いて大きな成果を得る。これが戦士の方々は、とにかく敵を傷つける手段ばかり」

「よし、先にファルス、降りろ」


 ビルムラールの講釈が始まるのも構わず、キースは俺を先行させた。それから、彼も下りてきた。

 手順なら、言われるまでもなくわかる。


「下ろせ」


 どうしても荷物の運搬にキース自身が手を貸さざるを得ない。その間、俺が周辺を警戒する。一方、降りてくる前の上の階層では、役目を察したペルジャラナンが剣と盾を手に、後方を警戒していた。


「よーし、ゆっくりだ。気ぃつけろ」


 勢いよく落としてパイプが歪んで、現場で組み立てができなくなったら困る。

 雑に見えて、大事なところにだけは繊細に振舞うキースの素顔が垣間見られる。もっともその繊細さも、戦いに関することにしか発揮されないのだが。


「ファルス」


 上からノーラの声が響く。

 こんなところでそんなはっきり聞こえる声で……だが、それだけに全員、危険を察して振り返る。


「何か来る」


 何かって、なんだ? バジリスクか。

 俺は正面の洞穴に目を向けた。左側には、この前アナクと閉じ込められた岩棚、その横にバジリスクの死骸が埋まっている岩の山がある。その向こう側に暗い洞穴が続いているが……


 もしバジリスクなら。この距離がある。全力で先制攻撃を浴びせる。しかし、自爆されると、ここを通り抜けるのが難しくなりそうだが……

 光魔術の触媒の混じった岩が青白く発光し続けているおかげで、この空間は比較的明るい。あの暗い場所から這い出てくれば、すぐ見分けがつく。


「チッ……任せる。やれ」


 そう言いながら、キースは荷物を抱え込み、ゆっくりゆっくり、腰を痛めないように下ろしていく。

 俺は詠唱を重ね、右手を白熱させる。


「えっ」


 出てきたのは、しかし、バジリスクではなかった。

 それよりも一回り、いや二回りは大きい。骨格も違う。


「窟竜?」

「クソがっ、お前の読みが当たっちまったか」


 そうなると、少し考えなくてはいけない。

 既に敵がこちらに気付いているのに、盛大に爆音をたてるのも。それに、バジリスクならともかく、窟竜を火魔術で倒しきれるかどうか。


「できれば爆発は……通り道が崩れたり、物音で敵が来たりするかもですよ」

「構わん、やれ!」


 爆発で物音を聞かれて、バジリスクが集まってきたら。レヴィトゥアに気付かれるかも。

 いや、それも命あっての物種か。攻撃の機会があり、準備が整っているのに、無にするほうがまずい。


 拳大の白い火の玉が、光の軌跡を描いて突き刺さる、はずだった。

 突然の咆哮が、俺達を揺さぶったのだ。


「うっ、くっ」


 詠唱も込みか? それとも同時に魔術を行使したのか。今ので、俺が投げつけた火の玉も、いつの間にか、かき消されていた。

 幸い、距離があるおかげか、あの凄まじい衝撃をもたらす轟音によっても、俺達の誰一人として、身動きがとれなくなったのはいなかった。


「しょうがねぇ、近付いて片付けろ」

「ファルス、その剣に」

「ああ、頼む」

「ガッシュ! 早く降りてこい!」


 掲げた剣に、一瞬、黒い靄がかかったように見えた。これであれはすぐ始末できる。

 俺は滑るように岩だらけの凸凹の洞窟をまっすぐ走り抜いた。俺の姿を認めた窟竜が息を吸い込んで胸を膨らませる。


 焼かれる!

 気付いて立ち止まり、右に体を揺らす。その瞬間を見計らってか、頭上から紫色の炎が浴びせられる。だがもう、俺は左に横っ飛びしていた。

 振り向く暇も与えずに、俺は下から斬り上げた。


「くそっ」


 だが、勘のいい奴だったらしい。咄嗟に右手の爪を叩きつけてきた。指一本でも、剣一本分になりそうな、大振りで鋭い爪。両断されたのは相手の爪だったが、俺の一撃はまだ、窟竜の命には届いていなかった。

 そいつはなんと、身を縮めると、横を向いて後ろに跳び下がり、警戒するように爪を突き出した。この大きさの魔物が、防御に徹するなんて。

 と思いきや。


「ハッ!」


 視界の隅から、紫色の影がブレつつ迫ってくる。それを狙いすまして、剣を一振り。


「ギィゲェッ!」


 下から長い爪で俺の足を薙ぎ払おうとしたのだ。それを叩き落とした。


 苦痛というよりは、憤怒だろうか。

 ここでやっと、窟竜は絶叫した。


 デカいくせにチョコマカと。

 今、終わらせてやる……


「おわっ!?」


 その時、離れた場所からガッシュの悲鳴が聞こえた。岩が崩れる音も。


「なに!」


 俺が振り向いた瞬間を狙って、紫色の炎が吹きつけられる。不揃いな石の上を転がりながら避けた。


「クソがっ! 俺がやる! 慌てんな!」


 キースが号令する。

 混乱するのも無理はない。俺がこいつと戦っている隙に、なんとすぐ横の土の壁を、新手の窟竜が掘り抜いて出てきたのだから。

 なるほど、これは罠だ。最初の一匹が俺達を視認し、咆哮する。新手の窟竜は土の壁を半ばまで掘って、すぐ近くに待機していた。それが出てきたのだ。


 これはグズグズできない。急いでこいつを倒さないと。

 なんでもいい。深い位置に入り込んで、思い切り斬りつければ、両断できる。


 そう考えて跳びかかろうとした瞬間、体が硬直するのを感じた。まさか。

 無理やり脇を見やった。暗がりの向こうからこちらを見つめていたのは、バジリスクだった。


 こんな時に。こいつが騒ぎ立てたせいで、迷い込んできたのか。

 頭が真っ白になる。


「きゃああ!」


 破砕音と共に、また右手から、今度はノーラの叫び声が聞こえてきた。

 一瞬、振り向くと、そこには更にもう一匹の窟竜がいた。それが最初のにかかりきりのキースを無視して、まだ上のフロアに留まるノーラ達を狙っている。頭突きと爪の一撃、それに尻尾での殴打によって、足場が揺らされているのだ。

 合計三匹。これでは、並大抵の戦力では突破できまい。


 どうする?

 一つずつ!


「おおおっ!」


 残った左の爪を振りかざす窟竜に向かって突っ走る。

 振り下ろされるより早く懐に入り込むと、全力で剣を振り抜いた。


「余計なことはすんな! ガッシュだけ庇え! ガッシュ!」

「わかってる!」


 俺から離れたところ、ずっと右側で戦っている。だが、まだ助けにはいけない。


「ガフゥ……」


 死にかけた窟竜は、しかし、なおも闘志を失ってはいなかった。いや、命令を遂行しようとしているのか。

 その間にも、暗がりの向こうにいたバジリスクが、岩の間を滑り込むようにして這い寄ってくる。


 これは、どうすれば。

 いや、対処方法はある。


 あるが、死にかけたこいつが邪魔だ。どちらも俺ばかり狙ってくる。

 逃げながら、避けながらでは。ここは狭すぎる。窟竜だけでも倒しきってしまわないと。


 一か八か、俺は手にした剣を投擲した。

 それが窟竜の首に突き刺さる。


 間近に迫ったバジリスクが、噛みつこうと身を乗り出す。その顎を、思いきり蹴飛ばしてやった。

 後ろに飛び退き、全速力で詠唱する。思わぬ一撃に、この紫色のトカゲは躊躇して、足を止めた。だが、その時間こそが命取りとなった。


「ゲェッ」


 そして、まさにもう一度、意を決して飛びつこうとした姿勢のまま、バジリスクは動きを止めた。


 最初から、俺には対処方法があった。

 バジリスクには、身体操作魔術に対する耐性がない。だから、麻痺させるのが正解だった。もっとも、こんなに急いで術を仕掛けて、うまくいくかどうかはわからなかったが。あちらが反撃を恐れて慎重になってくれなかったら、こうはいかなかった。


 一方、首に剣の突き刺さった窟竜は、ついに力を失って、呻き声もあげずに横倒しになった。

 俺は走って剣を引き抜き、振り返る。


 必死で戦っている間に、後ろの状況はひどいことになっていた。

 巨体を誇る窟竜が二匹、仲良く並んで暴れている。うち、一匹はキースの正面にいて、もはや満身創痍だ。あちこちが白い霜のようなものに覆われていて、そこに紫色の血が流れている。だが、奥にいる一匹はというと元気いっぱい、ついに上の階層の一部を破壊することに成功していた。


「ノーラ!」


 崩落に巻き込まれなかった上のフロアの床の上には、アナクとビルムラールが残っていた。咄嗟の判断で、ペルジャラナンが二人を庇ってくれたおかげだった。だが、あまりに急いだためか、盾を階下に落としてしまっている。

 ガッシュが盾を持って、それ以上先に行かせまいと身構えている。その少し離れた後ろ、狭い縦長の洞穴の反対側には、黒い影が倒れていた。崩れた床の上から、下の岩場まで落とされたのだ。

 俺は反射的に走り出す。


 繰り返される強烈な打撃に、ガッシュは雄叫びをあげながら前に出た。

 いや、雄叫びというより、絶叫のようなものか。かなりの圧力と衝撃に耐えながらのことだ。


 ガッシュに相対した窟竜は、なぜか炎の息を吐かなかった。その代わり、上から力任せに爪を叩きつけてくる。それを彼は、受け取ったばかりのあの盾で、なんとか受け止めていた。

 運がよかった。並の盾であれば、簡単にひしゃげてしまっていただろう。それでも、あの様子ではそのうち、盾じゃなくて腕がへし折れる。


「武器を捨てて! 両手で盾を」

「おおああ!」


 一瞬で判断して、彼はそのようにした。

 直後、横殴りの尻尾が叩きつけられる。受け流すことはできず、正面から受けた。岩の上を押し戻されつつ、ガッシュはなんとか姿勢を保っていた。

 その横をすり抜ける。


「ガッ!?」


 紙を切り裂くような感触しかなかった。

 一振りで窟竜の右の前足が根元からちぎれ飛び、後ろに落ちた。


 すぐ後ろ、石の床から詠唱が聞こえた。

 なおも俺を押し潰そうとする窟竜が、ビクンと身を震わせる。その瞬間、何かの衝撃にそいつは仰け反った。


「目を潰しました! ファルスさん、速く!」


 ビルムラールが階上から『風刃』を放ったのだ。それは窟竜の右目を潰した。


「ギィ!」


 頭上を黒い影が横切っていく。

 剣を逆手に構えたペルジャラナンが、尻尾まで使って跳躍した。それが残った窟竜の左目に突き立てられる。


「いっけぇ!」


 少しでも俺の道をひらくために。ガッシュは盾ごと、全力で前に突っ込んだ。その上から、残った左の爪が叩きつけられる。体の片側が、ガラ空きになった。


 その時、横で戦うキースを仕留めようと、既に両腕を傷つけられたもう一匹の窟竜が首を伸ばした。引き付けるだけ引き付けて、キースは身を翻した。

 これでもかというくらいに身を低くして、その顎の下に頭から滑り込む。そして仰向けになりつつ、一気に霊剣を横に振り切った。


 声にならない声をあげて、首元を両断された窟竜が力なく前のめりになる。


 それと同時に俺は、全身全霊を込めて上段から剣を振り抜いた。まるで水面に棒切れを叩き込んだような感触だけが残り、窟竜の胸から腹まで、大きく叩き潰された。そのまま、そいつは二、三歩後退し、壁に沿って斜めに仰け反ったまま、動かなくなった。剣を手放したペルジャラナンが、壁際から滑り落ちた。


「くっそ」


 たった今、独力で倒したばかりの窟竜の首の下から這い出ながら、キースは体についた汚れを払い落とそうとした。無駄なことだ。白い陣羽織には、紫色の血液がたっぷりと降りかかってしまっている。


「まーた新調しねぇとな、これじゃあ」


 それどころじゃない。

 ノーラは。


 敵を倒しきったとわかって、俺は急いで駆け寄った。


「だい、じょうぶ」


 高所からの転落だったにもかかわらず、ノーラはよろよろと立ち上がった。

 生きているのはわかっていた。最後、窟竜の動きを止めたのは、彼女の『認識阻害』だったから。


 ほっとしたが、紙一重だった。魔導治癒の能力を付与しているから、こんなにもすぐ回復できたのだ。目測でも五メートルほどの高さはあったのだから、下が不揃いな岩場だったことを考えると、骨折くらいしていてもおかしくない。相当な痛みだったはずだ。

 運がよかったのは、即死しなかったことか。もし頭から落ちていたら……


「動けるか」


 感情を見せずにキースが尋ねる。


「これなら、すぐいけそう」

「よし、なら」

「まま、待ってください、あれは」


 ビルムラールが指差して、取り残された魔物の脅威を訴える。

 おっと、そうだった。まだ、痺れさせたままのバジリスクがいた。


「横をすり抜けてください。即死させます」

「できるのか」

「ダメかもしれないから、先に」


 みんな、切り替えは早かった。ビルムラールは触媒を使って、また足場を作った。そこをアナクと一緒に降りてきた。ガッシュは彼らに手を貸すと、すぐさま荷物を背負った。

 俺が最後尾に立って、麻痺から立ち直りつつあるバジリスクの背後、暗い洞穴の通路の入口に立ってから、長い長い詠唱を始めた。やがて暗い藍色の鏃が掌の上で回転し始める。それを投擲すると、バジリスクは音もなく突っ伏した。


「これで終わりです」

「えっ」

「よし、行くぞ」


 ガッシュは驚いたが、キースはいちいち取り上げなかった。


「アナク、どっちだ」

「こっちに進んで、右になる」

「急げよ。もう、気付かれてると思え」


 それでも、俺達はレヴィトゥアの用意したであろう罠を、なんとか突破した。これから予定通り、裏口から攻め入る。

 あとは本拠に奴がいることを願うしかない。


 一度だけ、後ろを振り返る。

 やっぱり、レヴィトゥアの持つ特別な力とは……


 とすれば、本拠にはどれだけの窟竜が控えていることだろう。

 それを使えば、前回、アルマスニンを圧倒できたはずだ。或いは地上を制圧するために温存しているのかもしれないが。


 剣を鞘に納めると、俺は速足で仲間の後を追った。

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