静かな地上と、地下の戦い
今朝もいつもと代わり映えしない、砂漠の街の普通の朝だった。
細長い巣穴のような部屋で目を覚ますと、俺はのそのそと身を起こし、靴をそっと摘まみ上げる。そうしてひっくり返して、二度、三度と振る。よかった。今日も中にはサソリがいない。
荷物の整理は昨日のうちに済んでいる。剣を手挟み、背負い袋を担いで、俺は外に出た。
「おはようございます」
宿の外の踊り場に出ると、珍しく人影があった。
「あ、おはよう」
出入口の横に座っていたのはコーザだった。
「こんなところで何を?」
「一日中、横になってると体に悪そうだから、外に出て空気を吸ってる」
「いいことです。いくら砂漠のど真ん中でも、少しは日差しが必要ですよね」
軽く挨拶を交わしただけで、俺は先に進もうとする。それを彼は、戸惑いの混じった眼差しで見つめてくる。
「あ、あのさ」
「あ、はい?」
「それはちょっと、冷たいんじゃないかな、というか、その」
「冷たい? 何がです?」
「だって」
彼は目を泳がせながら、やっと言った。
「だってほら、ファルス君も、こうなっちゃったらもう、ドゥミェコンからいなくなるんでしょ。それはいいし、わかるけど、せっかくたまたま見送りできたのに、何も言わないで行っちゃうなんてさぁ」
「え? ああ」
俺の背中の荷物をみて、誤解したらしい。
「別に遠くには行きませんよ」
「じゃあ、その荷物は?」
「それはだって、中で食べるものがなくなったら困るでしょう?」
数秒間、彼は瞬きしながら言葉の意味を考えていた。
「中!? まさか、迷宮の?」
「この街で他に行く場所なんてありますか?」
彼はガバッと立ち上がり、絶句した。
「どうしてさ! なんであんなところ、行くの!」
「コーザさん」
俺は立ち止まり、尋ねた
「僕がバカみたいに見えますか?」
「バッ、バカ……そうだ、バカだよ! 狂ってる! 何をやってるか、全然理解できない!」
「僕もなんです」
彼の言う通りだと頷いた。
「実は自分でも、どうしてこんなことをしているのか、わからなくなってしまったんですよ」
一人きりで地下に投げ落とされたとき。汚水に満たされた地下道を渡ったとき。
死を望む心と、死を恐れる気持ちとがないまぜになったあの瞬間。
結局、俺はどうしたかったのか? どうなればよかったのだろう? 今でもわからない。
ただ、これだけは言える。
「じゃあ、どうして」
彼のためだけでなく、自分自身にも言い聞かせるかのように。俺は真心を込めて言った。
「僕がやっていることは間違っているかもしれない。僕が望んでいることは的外れかもしれない。だけど、求める何かがあるから、そこを目指すんです」
これが、コーザへの遺言になるかもしれない。
俺は愚かだ。何が正解かもわからず、何度も何度も石の壁に頭をぶっつける。そのたびに苦痛に悶えてのた打ち回る。だけど、そうする以外に、何ができる? 足掻くのをやめるのは、それこそ死ぬのと同じだ。
この世界で何が起きるかなんて、女神次第ではないか。しかし、何をするかだけなら、俺の自由だ。
「じゃあ、また生きて会えたら」
「あ、ああ……」
踊り場の階段を下りて、俺は静けさの支配する大通りに出た。頭上から垂れ下がる襤褸切れも、どことなく気怠げに見える。
今回、仮にうまくレヴィトゥアを討伐できたら、アルマスニンの集落を中継基地とする予定になっている。何か問題が起きない限りは、そこで休憩してから、今度こそ最下層を目指す。つまり、これが俺にとっての、地上世界の見納めになる。
ギルド前の広場には、仲間達しかいなかった。ガッシュとビルムラールが、用意した道具の最終点検をしている。
今回、俺達は、あの下層からの帰還路を逆に進んで、レヴィトゥアの縄張りの裏側に出るつもりだ。しかし、アナクが囚われていた場所から扉までは、それなりの高さがある。だから、そこを歩いて渡れるようにするために、足場を設けてやらねばならない。
また、あの扉に鍵がかけられている可能性もある。だから手早く静かに破壊して、スムーズに中に滑り込まなくてはならない。もしあの場所でグズグズしていたら、纏めて足場ごと落とされてしまうからだ。
だから、二人が点検しているのは、足場に使う一連の道具だ。まず、中空のパイプが数本。これは繋ぎ合わせて使う。現場で組み立てて、横に渡して板を被せ、足場とする。これが最初の一人を扉の前に渡すまで、重量に耐えてくれなければ始まらない。続いて脚立。足場の上に載せて、作業者の背が立つようにする。最後に金属製のワイヤーとフック。これが開けられた扉の枠に引っ掛けられる。最初は対岸にいる俺達の体重が足場の転落を防ぎ、最後はワイヤーがその役目を肩代わりするわけだ。
この部分の作業を受け持つ責任者は、ガッシュになった。地味だが、これがしくじるとすべて台無しになる重大な役目だ。
ノーラは、こういった隠密作戦の段階では、敵の存在を感知するのが仕事となる。また、バジリスクの汚染があれば、可能な限り除去する。
ビルムラールは、下層における通路の安全性を高める方法があると主張した。いつ崩れるともわからない地下道を進むので、その役目は彼が担う。
アナクの役目は、言わずと知れた道案内だ。
また、地下からリザードマンの増援を送ってもらえるらしいので、通訳の役目も果たす。特にビルムラールには、直接的な戦闘能力がないので、護衛が必要だ。ガッシュもその役割を果たしはするが、彼一人に期待して対策をしないのは好ましくない。
だから、敵を破る責任は、俺とキースにある。
「おはようございます」
俺が二人に声をかけると、すぐ挨拶が返ってきた。
「おー、おはよう」
「おはようございます」
ちょうど点検が終わったところらしい。一つずつパーツを背負い袋の中に収めている。
「アナクからは何か」
「いや、まだだが、もうじきじゃねぇか」
アルマスニンは、ギリギリまで開戦を回避する方針だ。具体的には、レヴィトゥアの地上制圧という方針には反対で、防衛のみに徹したい。また、王を名乗るレヴィトゥアに支配もされたくない。これが受け入れられるかどうかだが、望みは薄い。
アナクを通して人間の世界を学んだ彼は、事を荒立てれば本当に強大な軍事力が差し向けられると知っている。個人の能力では人間を圧倒できるリザードマンだが、絶対的な数の暴力の前には無力だ。第一、人間とは技術力も経済力も違い過ぎる。いざ本格的な戦争となれば、投石器などの攻城兵器が投入される。だからリザードマンがドゥミェコンという拠点を支配し続けるのは難しい。
ではどうなるかというと、結局砂漠に追い散らされる。或いは地下に押し戻される。そして、そこからはリザードマンの優位となる。常に補給を要する人間側は、ゲリラ戦術に弱い。しかし、その状況が今とどれほど違うだろうか?
だから、人間に対する積極攻勢は、無意味に危険を増すだけなのだ。といってレヴィトゥアと戦うのも、やはり本当は無意味だ。どちらも無駄に犠牲を増やすばかりだから、やりたくない。
だが、名も知らぬ神とやらを奉じるレヴィトゥアが説得に応じる可能性も、また低いのだ。それもあって、アルマスニンは常に風下に立ってきた。レヴィトゥアの顔を立て、恭しい態度を取り続けてきた。だが、全面降伏を要求してきた以上、もう曖昧な態度は選べない。
「おっと、こいつを忘れちまったら、仕事がねぇな、ははは」
そう言いながら、ガッシュは灰色の盾を拾い上げた。
この前、酒場にやってきたあの老人が、迷宮探索に役立ててほしいと申し出て、差し出した装備の一つだ。なんと表面はアダマンタイトの合金製。これがあれば、リザードマンが投げつける火の玉も怖くない。
「おはようございます」
広場の反対側から、少女にしては低い声が聞こえてきた。ノーラだ。
例の老人がくれた黒竜のローブを、早速身に着けている。俺も一安心といったところだ。
「こちらですけど、荷物、多すぎませんか? 私もやっぱり」
「いや、ノーラちゃんは他の仕事があるだろ。荷物はできる限り俺が持つからよ」
ノーラが買ってきたのは、追加の食料だ。短期決戦のつもりではあるが、戦いは水物だ。どうなるかわからない。救援を期待できない下層での戦いに、物資が多すぎるということはない。
あとは、仲間が全員揃うのを待つばかりだ。ほどなくして、北の通りから人影が姿を現した。
しかし……
「遅くなったな」
そう言いながら、悪びれることもなく顔を出したのがアナク。
その横に、不審者がいた。
「お、おいおい、まずいだろう」
「え、ええ、ここではさすがに」
アナクの後ろにいたのは、なんとローブを頭からすっぽりかぶったリザードマンだった。確かにこれなら、ちらっと見たくらいでは気付かれないが、正面からまじまじと見られたら、一発でバレる。魔物が地上に上がってきたとなれば、さすがに大騒ぎになるだろうに。
「無理だったんだ。もう、地下では始まってる」
「じゃあ、説得は」
「聞き入れてはもらえなかった」
服従を選ばなかったアルマスニンに対して、レヴィトゥアは攻撃を始めてしまった。
となればもう、俺達もやるしかない。
「ペルジャラナン。まだ若いが有望な戦士だ。人間の言葉も少しわかる。わざわざ志願して地上に出てきてくれた。みんな、よろしく頼む」
するとそのリザードマンは、人間の仕草を真似て頭を下げてみせた。
「もはや悪い冗談ですね。迷宮の魔物を倒しに行く入口から、魔物が迷宮に入るとか」
嘆息しながらビルムラールがそう呟く。
「今更じゃないですか。人間があれだけ人間を狩っておいて」
「何もかもがメチャクチャだな、ここは」
ガッシュも苦笑いするしかなかった。
「で、キースさんは……」
最後の一人。リーダーがまだ姿を見せないとは。
と思っていたら、横のトンネルの暗がりから白い陣羽織がうっすら見えた。
「おー、悪ぃ悪ぃ、遅くなっちまった」
「何やってたんですか」
「あ? 決まってんだろ、クソだよクソ」
デリカシーを望んで得られる男ではないとはわかっていたが。俺は目を覆って天を仰いだ。
「お前らも、今からでも間に合うならクソしとけよ? 休んでる暇なんざぁねぇし、うっかり腹ァかっ捌かれたら中身でちまうんだからな! ハッハァ!」
「まぁ、実用的な助言ではありますけどね……」
「んで、そいつなんだ」
アナクが溜息をつきながら再度紹介した。
「ペルジャラナン。アルマスニンの遠縁の戦士だ」
「そうか。頼むぞ」
彼はいちいち騒いだりもせず、あっさりと受け入れた。
しかし、すぐに悪戯を思いついたらしい。
「んじゃ、出発すっか」
「そうですね。もう地下では始まってるみたいですし、のんびりはできません」
「じゃ、先に手続きやっちまおう」
そう言うと、キースはどんどん歩いて、ギルドの建物に入ってしまう。
「早く来い!」
それで仕方なく、俺達も続いた。
「おい、支部長代理」
「あ、ふ? お! おはようござ」
俺達以外に来客などないから、居眠りしていたらしい。いきなり現れたキースに、寝起きからしてもう怯えている。
「今から迷宮に潜る。職員はお前一人しか残ってねぇみたいだからな。記録しとけ」
「は、はい」
「あと、ファルスとガッシュのトパーズの階級章は」
「そちらはまだ……」
「仕事遅ぇな」
イライラしながらキースが詰め寄る。
「ノーラとビルムラール、アナクの分は済んでんだよなぁ?」
上級冒険者と違って、ジェードまでの階級章は、各支部の裁量で発行できる。トパーズ以上の情報は、各支部で共有されるため、時間がかかるものらしい。
「はい、それはこちらで」
「おーし。んで、あと一人、仲間連れてくから登録しろ」
「えっ?」
「キースさん!」
だが、止めても無駄だった。
「おし、こいつ……なんだったっけ」
「ペルジャラナン」
「おう、そうだった。こいつもペリドットな」
「ギィ」
平然と前に出てきたペルジャラナンは、つぶらな瞳を輝かせながら、ギルドのカウンターテーブルをバンバン叩いた。尻尾で。
「ヒッ……ヒィェエエエッ!」
「バハハハ!」
受付嬢兼支部長代理は、椅子から転げ落ちて腰を抜かした。
これをやりたかっただけか、キース……
本当に人をコケにするのが好きだな。ガキか。
「あの、これ」
「笑え笑え! んで、肩の力抜け! こっから殺し合いだからな!」
陽気になったキースは、勢いよくギルドの扉を蹴飛ばすと、足取りも軽く広場に飛び出した。
俺達も、呆れながら外に出た。確かに、少しは肩の力が抜けたとは思う。
そうして、あの屋根のない塔のような城壁を超える。
素っ気ない下り階段の横には、係員の姿はなかった。
或いはこれが、最後になるのかもしれない……
空を見上げる。
城壁にかかる太陽を垣間見てから、俺は闇の中へと踏み出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます