地獄への道を舗装する無意味なもの
階段を駆け上がる。俺もキースも足が速い。人数が減った分だけ、行動は迅速になった。だが、この状況をどう考えるべきだろうか。
どんどん手薄になっている。切り札のピアシング・ハンドまで使い切った。それでいて、状況は何一つ解決できていない。
「とりあえず、挺身隊員には避難を呼びかけるってことでいいんだな?」
走りながらキースが確認する。
「はい。あんなのが地下から出てくるんじゃ、帝都の若者では皆殺しです」
「で、ドミネールとかいう奴はブッ殺す、と」
「挺身隊が避難してくれれば、連中は表の入口からは逃げられませんから。自然と迷宮の中に居残るはずです」
「なるほどな」
ただ、そんなにうまくいくかどうか。
どうも今回、何をやっても裏目に出る。
「ま、考えても仕方ねぇか」
その辺の懸念は、キースにもあるのだろう。だが、その場その場で臨機応変に立ち回るのは、彼の得意とするところだ。
「リザードマンに襲われて、他三人の仲間とはぐれて逃げてきたことにしましょう。実際、一度に十匹も出てきたんですし、あれが全部でもないでしょう」
地下五階の廊下を駆け抜けて、四階への階段に足をかける。
だが、駆け上がったところで、二人して異物に気付いた。
「おいおい、始まってんじゃねぇかよ」
キースの口元に、皮肉げな笑みが浮かぶ。それも無理はなかった。
見るからに若い男が、うつ伏せになって死んでいる。首はちぎれかけているが、両断はされていない。手にしている武器はといえば、短めの剣だけ。鎧も簡素な革製品だ。恐らく、帝都の若者だろう。
「財布は持ってんのかぁ? ああ、こりゃあねぇな」
「どうしてわかるんですか」
「ベルトに切れ目入ってんじゃねぇか」
地下から這い上がってきたドミネール達が、下からやってきた連中に驚いた若者を取り囲み、いきなり血祭りにあげたのだろう。で、ついでに死体をまさぐり、ベルトに引っ掛けられていた財布を丸ごと持ち去った。
「ったく、楽しい奴らだよなぁ?」
「キースさん」
「二手に分かれたほうがいいかもな」
「えっ?」
突然の提案に、俺は戸惑った。
「奴らがもうちょい臆病だったら俺には見分けつかねぇんだろうけどよ。顔も見たことねぇしな。けど、こうも考えなしに暴れてんなら、俺らが一人で歩いてりゃ、普通に襲ってくんだろ」
確かに、財布を持ち去るという行為は、どちらかというと人間の犯行を思わせる。近頃はリザードマンも金貨を欲しがるらしいが、彼らは死体も装備も持ち去るから、こんな風にベルトを切ったりはしない。
こんなあからさまな証拠を残すようなやり方をしているのだから、連中を発見するには、あちらに見つけてもらうほうが都合がいい。襲ってこない限り、こちらには明確な犯行の証拠もないのだし。
「少し危ない気もしますが」
「はぁ? お前、誰に言ってんだ」
「キースさんはいいでしょうけど」
「ボケが。聞いた通りの雑魚どもなら、お前だって一人でやれんだろがよ」
それはそうなのだが。
何か、何か想定外のリスクはないか……いや、時間をかけるほうが、発見が遅れるほうがリスクか。二人纏まって歩いていたのでは、目が一つしかないのと同じ。別行動すれば、それぞれ違う地点を探索できる。キースなら、一人放り出しても、勝手に死んだりはしない。また、そもそも仮に力及ばず倒れても、文句を言うような男でもない。
「わかりました。連中を見つけて始末したら、この階段で待ち合わせましょう」
「おし、逆方向だ。とっととやるぞ」
キースが右、俺が左に道をとる。
そうして、松明を片手に、一人歩き出した。
この階層までは、俺達が散々間引きをしておいた。あとしばらくすれば、またすぐにゴキブリやサソリ、続いてワームも戻ってくるだろうが、まだ安全だ。実際、周囲に気配は感じないし、物音もない。
だが、それは少しおかしいと気付いた。そもそも俺達は地下四階制圧隊の一員だ。俺達の前にもいくつかの班がこの階層に降りたのだし、俺達が任務を放棄して勝手に地下六階まで降りてからも、後続の班が階層の制圧に乗り出していたはずなのに。
なぜこんなに静かなのか。ドミネールが……いや、そんなに簡単に、連中が……ド素人の若者ばかりとはいえ、騒がれずに階層から一掃するなんて、現実的ではない。では、何が起きた?
角を曲がり、部屋の一つに立ち入る。
そこで見かけたのは、転がる若者達の死体だった。ざっと四人。さっきの犠牲者の仲間だろうか。なかなかに無残な死に方をしている。殺すほうの腕もよくなかったのだろう。一人なんかは、顔がわからないくらいに頭を滅多打ちにされている。固い頭蓋骨に剣を振り下ろしても、そうそうきれいには両断できないのに。他にも、急所とは到底言えないところにいくつも刺し傷があるのもいた。死ぬまでに相当に苦しんだものと思われる。
一応、念のために歩み寄り、松明を近付ける。やはり、ベルトが切られていたり、胸元をまさぐられたりした形跡がある。金目当て、か。
敢えて「俺がもう少ししっかりしていれば」などとは考えまい。あの時点では、ドミネール達は法に守られていた。だが、今は違う。堂々と殺せばいい。
部屋を出て、地下四階を歩き回ったが、似たような光景に巡り合うばかりで、人の気配がまるでなかった。
さすがにこれはおかしい。では、地下三階は?
キースは上を目指しただろうか。それとも、やっぱりまだ四階を探しているのか。問題ない。一人でも、あんな連中にやられたりはしないだろう。
ゆっくりと階段を登る。だが、来るときに聞こえた、あのやかましい掛け声は聞かれなかった。
「うっ……うう」
昇りきった先には、やはり一人の若者が横たわっていた。しかし、彼はまだ生きていた。
「お、おい! しっかりしろ! どうした!」
俺は慌てて駆け寄り、助け起こそうとした。だが、足下は血に濡れている。既にかなりの深手を負っているらしい。
「うっ」
「今、助けてや」
「うわああ!」
床に転がっていた剣を拾い上げると、彼は寝そべったまま、必死で剣を振ろうとした。驚いて、俺も飛び退いた。
「何をするんだ!」
「やめろぉ、や、め」
恐怖でまともな判断もできないらしい。手から力が抜けて、剣がすっぽ抜ける。だが、拾いに行くこともできず、横たわるばかりだ。
「死にたく、ない」
「しっかりしろ! 助けに来たんだぞ! おい!」
だが彼は、口から吐血するばかり。ろくに物を言えない。
「誰だ。誰にやられた。ドミネールか! そうだな?」
すると、彼は濁った眼でこちらを見た。だが、しばらくすると、首をゆっくりと横に振り、そのまま力なく床の上に寝そべった。
これはもう、駄目だ。血を流し過ぎている。助けられない。
しかし、ドミネールではない? いや、手下がやって本人はいなかったとか、ドミネール個人を知らないだけなのか……
とにかく、地下三階でも連中は「狩り」をしていることになる。
これはもう、グズグズしてはいられない。見つけ次第、殺してしまわなくては。
俺は深呼吸して、それから手早く詠唱した。『鋭敏感覚』だ。これでかすかな物音も漏らさず聞き取る。なるべく静かに歩きながら、暗い迷宮の通路を彷徨い歩く。
それほど探し回ることもなく、少し離れた場所から、悲鳴が聞こえてきた。武器をぶつけ合う音も。
迷わず全力で走った。剣戟の音が近付いてくる。角を曲がり、別の通路に出たところで、音がより明瞭になる。そこで少し、足を緩めて、より注意を払う。
「うあああ!」
「おおお!」
必死に雄叫び……か悲鳴か区別がつかないが……をあげる青年達。それが、小部屋の中で格闘を繰り広げていた。
血塗れの闘争に慣れ切った俺からすれば、それは半分冗談みたいな戦いでしかないのだが、彼らにとっては真剣そのものだった。実際、ひどい怪我を負っているのもいる。頭を何度も打たれ、血を流してしゃがみこんでいる者。壁際にへばりついて泣きながら失禁している者。息を切らしながら、とにかく左右に剣を振り続ける者。
だが、おかしなことに、その彼らの相手もまた、同じような若者達だったのだ。どう見ても、ここのヌシ達ではない。
「何をしている!」
疑問を抱きつつも、そう一喝すると、相手を追い詰めていた側が浮足立った。
「うわぁっ!」
「や、やばい! や、やれ! あいつをやれっ!」
「うおあああっ!」
攻守が入れ替わり、相手を壁際に追い詰めていた側が、擦り傷だらけの一人を抑え役にして、残り二人が全力で突っ込んできた。
俺は、スッと体捌きをするだけでよかった。狭い部屋の出口で二人はぶつかり合い、そのまま躓いて、勢いよく転倒した。俺はそのうち、上になっている方の首元を、思い切り踏みつけた。
「ぎゃっ!」
「うっ、わっ、うっ……」
これで争いが終わるか、と思いきや。
「い、今だ!」
「やっちまえ!」
「ちっ、ちっくしょぉ!」
今まで攻め立てられていた側が、血まみれの顔も凄まじく、一気に抑え役に跳びかかった。
「やめろ!」
叫んでも意味はなく、乱暴に振り切られた剣が肩にぶち当たる。だが、もともとなまくらだったのもあり、腕がよくなかったのもあってか、鈍器のように、鈍い打撃音を響かせるだけでしかなかった。それでも骨が折れでもしたのか、やられた側は倒れ込む。そこに二人が圧し掛かって、剣先を思い切り突き刺す。
「ぐあっ!?」
原因不明の痛みに、二人はのた打ち回った。『行動阻害』の苦痛に、彼らは虫けらのようにひっくり返ってしまった。
しかし、既に剣を突き立てられた側も、虫の息だった。
「何をしているんだ」
だが、この問いに誰も応えない。
「答えろ!」
「う、うるさい!」
一人がやっと言葉を発した。
「お、お前、ちょっと強いからって、全部横取りするつもりなんだろ!」
「な、なに? 横取り?」
「やられて……やられてたまるかぁ!」
よろめきながら立ち上がり、突っ込んでくる。が、一秒後には腰砕けになって倒れ伏した。
「何のことだかわからない。説明しろ」
彼らは目を見合わせるばかりだった。
「早くしろ! 死にたいのか!」
一喝されて、彼らはビクッと身を縮めた。
「だ、誰だって黙って殺されたくなんか、ないだろ」
「なに」
「襲われたから、戦っただけだ! 死にたくないから! もうほっといてくれよ! 俺は乞食になるんだ!」
襲われた? 同じ挺身隊員、帝都の若者に? なぜ?
「とにかく、人間同士で殺しあっているのなら、俺は団長に報告するぞ」
「ぐっ」
「やめろ」
どういう心理状態なんだろうか。もう、迷宮の恐怖で発狂してしまったんだろうか。
とにかく、俺は足の下にいる連中の拘束も解いた。敵わないとわかって、彼らもモゾモゾと這い上がったが、それ以上、攻撃しようとはしてこなかった。
そのまま、体を引きずりながら、彼らは転がる仲間の死体にとりついた。
「何をしている」
「金を集めてるんだよ。見ればわかるだろ?」
そう言いながら、彼らは苦労して、死体から財布を引っ張り出し、中の硬貨を抜き取っていた。
「そっ、それは強盗じゃないのか」
「死んだ奴が金使うのかよ」
やけっぱちになって開き直った青年が、そう叫ぶ。
「どけよ。俺はこんなところで死にたくなんかねぇ」
回収するものを回収したら、もうこんな場所に用はないと、死んだ仲間も置き去りにして、彼らは散り散りになって走り去ってしまった。
わけがわからない。
ドミネールが帝都の若者を殺しまくっているんじゃないのか? どうして彼ら同士で殺し合いをしている?
とにかく、ここはもうメチャクチャだ。
こんなところにいたら、コーザは……
そうだ、コーザはどうなった?
この辺にいるかもしれない。
血生臭い部屋から出て、俺はまた、耳を澄ませた。
通路から通路へ、俺は見回りを続けた。
そして、ある場所で足を止めた。
聞こえたのは、小さな嗚咽の声。
「ひっ!」
俺がその部屋に立ち入ると、短い悲鳴が聞こえた。しゃがみ込んだままの三人が、身を寄せ合って泣き崩れていた。
「コーザ! ……さん?」
「えっ?」
とてもではないが、見られた姿ではなかった。顔は涙と鼻水でグチャグチャ、股間は既に失禁した後で、武器も手放してしまっている。他二人の仲間も、似たような状態だ。
「こんなところにいましたか」
「うっ……うぇええ……」
安心感からか、彼は声をあげて泣き始めてしまった。
「済みませんが、余裕がないんです。今、大変なことになっているので。いったいどうしたんですか? どうして挺身隊員同士が殺しあってるんですか?」
「ぼっ、ぼく……僕のせい」
「コーザさんが? どうして」
「噂、になったから」
話をよくよく聞いてみると、いくらかは俺のせいだったらしい。
つまり、こういうことだ。俺はコーザとその周囲の人が、せめて無事でいられるようにと、リザードマンに降伏する道を用意した。あの検問まで駆け下りて、あとは門番が指し示す紙の指示に従えば、彼らは殺されずに別室に連れていかれ、武装解除の上で軟禁されるはずだった。もちろん食事は与えられるし、ワームその他の襲来からも守ってもらえる。
但し、アルマスニンの立場からすると、帝都の若者に無償でそこまでの温情をかける理由がない。だから俺は提案した。罰金をとってはどうか、と。彼はそれを受け入れた。
コーザは、俺からどうすればいいかだけを聞いた。そして、彼は彼なりに、善意で行動した。この場所まで降りて、武器を捨ててお金を払えば、許してもらえるらしいよ、と。一人でも多くの人に伝えたかった。
キブラをはじめ、挺身隊の仕切り役である神官戦士達は、一般の隊員からは嫌われており、信用もなかったので、俺が口止めするまでもなく、彼らに密告するようなのは出なかった。しかし、そのせいで事態はもっと悪い方向に流れてしまったのだ。
「信じてもらえなかったんだ」
リザードマンが人間を殺さず捕虜にするなんて、荒唐無稽なお話だ。それでもコーザ個人なら、俺の言うことを信じて行動しただろう。彼個人が信じるなら、同じ班に属するなど、身内の範囲であれば、やはり同じように信用してくれたはずだ。だが、直接の繋がりのない人は、これをどう受け止めただろうか。
隊員が全員迷宮の中に潜る。貴重品を宿に残していくなんてできないから、ただでさえみんな現金を持っていく。リザードマンがお金を払えば許してくれる? バカバカしい。違う。これは誰かが悪意のある噂を流したんだ。そうして、隊員が宿に現金を残さないように誘導して、迷宮の中で襲撃して、確実に金を奪い取るつもりなんだ、と。
実際、そのほうが合理的だった。彼らの力量で渡り合えるのはせいぜいのところ、サソリまで。ワームなんか倒せないし、ましてやリザードマンなんて、絶対に無理だ。そんなバケモノ相手に命懸けで戦って小銭を集めてどうする? それなら迷宮の深層に潜るより、すぐ近くにいる隊員を狙ったほうが……
いや、自分ではやらない。やるつもりはない。だけど、もし襲われたら? 誰かがそういうつもりということはないか。いざとなったら、どうしたって避けられないんじゃないか。
そういう相互不信の状態で、彼らは任務に就いた。
最初は混乱など生じなかった。みんな、それぞれ互いに不安と不信の念を抱きながらも、自らルールを破って殺しあう度胸なんて、なかったのだ。
しかし……
「いつの間にか、始まってたんだ! なんで?」
ドミネール達が下から駆け上がって、若者達を殺し始めた。これが彼ら自身には、殺し合いの合図になってしまった。
やりたくない。怖い。だけど、やらなければやられる。
「もしかして」
オルファスカには漏れなくても、ドミネールは噂を聞き知っていた? その可能性は小さくない。そして、裏口の情報も把握していたとすれば。
平和的なリザードマンについては、眉唾だと思ったかもしれない。だが、同じ挺身隊員を殺して金を奪おうとしている奴がいるかも、という発想は、まさしく彼らにとって自然なものだった。
なんてことはなかった。
上の階層まで逃げ伸びて、あとは殺しまくればいい。そうすれば、馬鹿な連中は疑心暗鬼になって、互いに殺し合いを始める。自分達のやったこともうやむやにできる。
「あの野郎……!」
剣を握る手に、思わず力が入る。
無意味。ああ、無意味。
これだったんだ。俺が感じていたのは。
こんな奴ら、いちいち助けてやるまでもなかった。善意の道を用意してやったのに、心の弱さに足を取られて、自ら悪意の泥沼に踏み込んでいく。
クズ、クズ、クズ。
どいつもこいつも。
誰もが罪人だ。愚か者だ。
全部殺せばいい。
そうすれば世界は真っ白になる。きれいになる。静かになる。
「ぼっ、僕ら、どうすれば」
「くっ……ついてきてください。仲間と合流して、地下に連れていきます」
「ほっ、本当に? 安全なの」
「ええ」
怒りを噛み殺しながら、俺は辛うじて答えた。
「人間の中にいるよりは」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます