斑な柄の竜

 視界を紫一色に染めた火が、ふっと途切れる。俺達を握り潰そうとする熱量が、いきなり雲散霧消した。

 目が慣れない。炎が発する光を目にしたせいで、広い室内の何もかもが黒ずんで見える。


 だが、そこにはかつてない質量が存在した。はっきりとは見えずとも、おのずと場を圧する力を感じ取れる。


「み、みんな無事か」

「シッ」


 突然の炎の奔流から俺達の身を守ったのは、今度こそノーラの働きだった。咄嗟に『反応阻害』を行使して、魔術を妨害したのだ。

 この世界、異常な物理現象は大抵、魔法の働きで説明できる。思えば黒竜の強酸性の吐息だってそうだった。あれは何もかもを溶かす毒液をそのまま吐いているのではなく、その触媒となる物質を体内で生成しているだけだった。

 生物が、そのままの体で火を噴くなんて、できるわけがない。もしできるとすればそれは、何らか魔法の力が機能した結果なのだ。つまり……


「なんでこんなところに」

「オタオタすんな。やるぞ」


 体のサイズと比べるなら、部屋は明らかに狭かった。ただ、反対側の入口は大きく崩れており、下に大穴が開いている。そこから這い上がってきたものと推測はできる。

 目にするのは、これが初めてだった。しかし、なんと禍々しい姿だろう。


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 グロッタ (19)


・マテリアル ドラゴン・フォーム

 (ランク5、男性、172歳)

・マテリアル 神通力・暗視

 (ランク4)

・マテリアル 神通力・飛行

 (ランク5)

・マテリアル 神通力・怪力

 (ランク3)

・アビリティ マナ・コア・腐蝕の魔力

 (ランク3)

・アビリティ マナ・コア・火の魔力

 (ランク7)

・アビリティ 病毒耐性

 (ランク3)

・アビリティ 魔導治癒

・アビリティ 痛覚無効

・アビリティ ビーティングロア

・スキル 対話コマンド  6レベル

・スキル 腐蝕魔術    4レベル

・スキル 火魔術     7レベル

・スキル 爪牙戦闘    5レベル

・スキル 掘削      5レベル


 空き(5)

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 説明されるまでもなくわかる。こいつが窟竜だ。


 黒竜と比べると随分と小ぶりだ。翼を広げても十メートルあるかどうか。首も、水差しみたいに長かった黒竜とは違って、やや短めだ。共通点としては、頭に一本、角が生えているところか。ただ、黒竜のそれと違ってあまりねじくれてはいないし、首の後ろを守るエリマキもない。

 見た目はなんとも汚らしい。紫色の鱗はあるのだが、そこにセメントでも流し込んだみたいになっている。要するに、表皮が更に上から一枚、被せられているような恰好をしているのだ。そのため、皮膚が分厚いところは灰色に、そうでないところは紫色にと、斑に見える。

 それと、どういう骨格になっているのかはわからないが、翼の他に、前足がある。黒竜の場合は小さな手がついているだけだったが、こちらは違う。まるでモグラの手みたいなのがはっきりと存在感を主張していて、その指先には鋭い爪が伸びていた。所有するスキルからしても、穴掘りが得意らしい。


 こいつが、俺達の姿を見つけ次第、炎を吐いてきたのだ。

 しかし、なぜ? 俺達はアナクを攫った連中を追いかけていたのに、どうして都合よくも、その行く手を窟竜が阻む?


「チッ……盾構えろ。もっかいくるぞ、アレが」


 炎の吐息か?

 あれは変だった。紫色の火なんて、今まで見たことがない。もしかすると、普通の火ではないのかもしれない。腐蝕魔術の能力がある点からみても、特別な効果があるのではないか。

 いや、それより気を付けるべきことが他にあるような……


 その竜、グロッタは、息を吸い込み、首を天井スレスレまでもたげると、仰け反ったまま口を開いた。


「まずい!」


 俺は反射的に跳び退いた。と同時に、無数の銅鑼を打ち鳴らしたような轟音が耳を突き抜けていった。


「うっぐ……起きろ! 起こせ!」


 俺は耐えられた。だが、ガッシュあたりは完全に硬直してしまっている。

 手が武器で埋まっているので、俺はノーラを背中から蹴飛ばした。それで彼女もハッと気を取り直す。


「暗示だ! 起きろと伝えろ! じゃないと……いや、先に」


 何が起きるか、俺にはわかっていた。

 グロッタは今度は顔を前に向けて、腹を膨らませたのだ。


「くっ!」


 大急ぎで印を組もうとして……間に合わないと気付いた。


「フガッ……?」


 最初にまず、部屋に立ち入った俺達を、炎の息で焼き殺そうとした。だが、どういうわけか、この人間どもはそれを防いでみせた。だから、同じように繰り返しても意味はない。それでグロッタは、まず絶叫してみせた。それによって俺達は硬直する。そこでもう一度、激しい炎の息を浴びせてやれば、決着をつけられる。

 その思惑はわかっていた。以前、アルジャラードと戦った経験があったからだ。だから俺は、自分がしたように、ノーラに精神操作魔術を使わせて、硬直した仲間の自由を取り戻そうとした。だが、彼女には対処しきれそうになかった。すぐまた炎がくる。こちらも打ち消さなくてはいけない。


 だから、俺は奪った。


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 (自分自身) (12)


・アルティメットアビリティ

 ピアシング・ハンド

・アビリティ マナ・コア・身体操作の魔力

 (ランク9)

・アビリティ マナ・コア・火の魔力

 (ランク4)

・アビリティ マナ・コア・火の魔力

 (ランク7)

・マテリアル プルシャ・フォーム

 (ランク9+、男性、11歳、アクティブ)

・スキル フォレス語  6レベル

・スキル サハリア語  5レベル

・スキル 身体操作魔術 9レベル+

・スキル 火魔術    7レベル

・スキル 剣術     9レベル+

・スキル 格闘術    9レベル+

・スキル 隠密     5レベル

・スキル 料理     6レベル


 空き(0)

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 この状況下で、早々と切り札を使い切ってしまうのは避けたかったのだが、そうも言っていられなかった。

 グロッタは、肝心の魔力を喪失し、貧弱な火花と煙を吐き出すだけで、沈黙するしかなくなった。


「くっ……ビビらせやがって」


 さすがキース。この絶叫にも耐えて、霊剣を構え直していた。もし炎の息を浴びせられても、彼が一度は防いでくれていたのかもしれない。


「やるぞ! ファルス!」


 キースは左に跳躍した。と同時に剣を左手に持ち替えた。こと剣に関しては、彼は両手利きらしい。というより、そうなるまで鍛錬したのだろう。

 俺は右に。そしてガッシュとリザードマンが、二人並んで中央に。ノーラはその後ろで詠唱を始めた。


 三方向から攻め立てられる状況に、グロッタは苛立ちをおぼえたらしい。首をすぼめて身を半ば起こすと、予想された通り、尻尾を大きく振って俺達を薙ぎ払おうとした。だが、それは悪手だった。

 俺が剣をそっと前に突き出すと、尻尾が触れた瞬間、刃先が届くはずもないところまで、きれいに切断された。勢いあまって切り取られた尻尾の残りがバウンドしながら部屋の隅へと転がっていく。


「ゴォアァァッ!」


 窟竜は痛みを感じない。それでも、驚きと怒りならあるのだろう。

 今度は翼を広げ、鋭い爪を誇る前足も広げて、俺達の頭上から振り下ろしてくる。


「遅ぇ!」


 爪が頭上を通り抜けるより先に、キースはグロッタの腹の下に肉薄していた。そして全力でタルヒを突き込む。見る間に紫色の下腹部、そして後ろ足が、白い霜のようなものに覆われていく。


「おぉっ!」


 俺もまた、跳躍しながら剣を振るった。

 それがグロッタの左肩を斜めにかすめると、そこがパックリと割れた。


「ギッ、ガッ?」


 着地と同時に、まるでハサミを入れた折り紙のように、窟竜の上半身が斜めに折り曲がった。圧し掛かってくるグロッタの頭を避けて、キースは軽く飛び退る。

 だが、彼に油断はなかった。まだ目が生きている。横倒しになったその首に、彼は念入りにもう一度、タルヒを突き入れた。今度こそ、グロッタは息絶えた。


「お、終わったのか」


 ほとんど何もできずに立ち尽くしていたガッシュが、目を白黒させていた。


「ああ」


 応えるキースの声色は暗かった。


「お前もよくやった。お疲れ」

「いや、俺は」

「守りに徹するのも仕事だ。変に卑下すんじゃねぇ」


 確かに、目立って活躍はしなかったが、ガッシュも遊んでいたのではなかった。素早くノーラの前に立ち、一撃を引き受けるつもりで盾を構えていた。おかげで俺も自由に動けたのだから。


「それより、キースさん」

「あー、これじゃ、どうしようもねぇな」


 俺達が問題にしているのは、通路の向こう側だ。

 アナクを追いかけたいのはやまやまながら、この部屋の向こうに続く通路は、たった今、窟竜がぶち抜いた下からの穴のせいで、途切れてしまっている。数メートルの跳躍で向こう側に行けはするのだが、この足場の悪い、視界の利かない迷宮で、そんな危ない真似はしたくない。俺やキースだけなら、あちら側にも行けるかもしれないが、仮に進むことができても、最悪の場合、退路が残らない。

 つくづく都合の悪い登場の仕方をしたものだが、この窟竜は……


「問題を分けましょう」


 ノーラが提案した。


「アナクは救いたい。でも、こうなったらもう、私達だけでは無理よ」

「そうだな」

「長老に報告しましょう。やったのはレヴィトゥアでしょう?」

「その部下の独断って可能性もあるけどな」

「どっちでもいいけど、頭を下げるか、お金を払うか……とにかく、すぐに殺されなければ、アナクは助けられる。今、この瞬間にも殺されていてもおかしくないし、それを止めることはもう、できないわ」

「とすると」


 俺は状況を整理した。


「二手に分かれたほうがいいかもしれない。ガッシュさん、それにノーラも。二人は長老のところに戻って、アナクのことを」

「ファルスとキースさんはどうするの?」

「ドミネールを追いかける」


 追いかける、とは言うが、つまり、殺すということだ。


「そうだな」


 キースが頷いた。


「うっかり変な横槍が入ったせいでほったらかしにしちまったが……クソチンピラどもを残しとくと、俺達の立場もどうなるかわかんねぇ。それに、アナクの身内のガキも他にいるかもわかんねぇからな」

「私も行く」


 だが、俺はノーラを押しとどめた。


「駄目だ。長老のところに戻って欲しい」

「ファルスだけ危ないところに行かせるつもりはない」

「どっちに行っても危ないんだ。よく考えてみろ。俺達はアナクを攫った奴らを取り逃がしたんだ。だけど、リザードマンを八人も殺した。こっちも一人、先に殺されてるけど、これが話し合いで決着すると思うのか」

「攻めてくる、か」


 ガッシュの一言に頷くと、俺は続けた。


「どうしてアナクを殺さず、連れ去ったのかはわからない。人質ということもあるのかもしれないし、人間の少女なら食べたいだけかもしれないし。だけど、長老がアナク一人のために仲間を裏切るなんてできるわけないから、黙って降参することはない。だから多分、そっちも戦いになる」


 だから、一刻も早く俺達はドミネールの件を片付けなくてはいけない。連中を手早く始末したら、俺もすぐ地下に戻って、アルマスニンの集落を防衛することになる。レヴィトゥアがどうして攻めてきたのか、なぜアルマスニンとの約定を破って上の階層を目指したのかはわからないが、とにかくそうなる。いずれ彼らの間で話し合いがつくのかもしれないが、それまでは戦力が必要だ。

 別に、俺としては最下層まで行けるのなら、アルマスニン達を見限ってもいい。しかし、それをすると、結局は一人でレヴィトゥアの支配領域を通り抜けなくてはいけなくなる。だったら、協力者を生かす方向で行動するのが合理的だ。


「だから、ノーラ」


 俺は覚悟を決めて、言った。


「最終手段を使う」


 この一言に、ノーラは息を呑んだ。

 言葉の意味の分からないキースとガッシュは、眉根を寄せた。もともと会話に参加できていないリザードマンはというと、何を考えているかわからない無表情のまま、所在なさげに立っている。


「使い方は考えて。壁の向こう側とか、そういう場所めがけてやるんだ。使ったら、絶対にそこには近づかないように」

「……わかった」


 腐蝕魔術で敵を消去する。割り切って使いまくれば、これほど強力な攻撃手段はない。


「ファルス、最終手段ってなんだ」

「ガッシュさん、それはノーラから説明を受けてください。今は時間が」

「おう、もう行こうぜ」


 想定外の事態が次々起きる。

 既に俺達には、余裕がなくなっていた。

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